其之十六 萌国国主と副官と孤児達
忙しそうな看板娘に挨拶をし、勘定を置いて外に出ると店の道路挟んで正面に個人副官が道端で野良猫をの頭を撫でながら餌をやっていた。
瞬間逃げ出そうと思ったがこそこそするのもシャクなので堂々と近づいて怒られることにした。
「野良猫が随分増えたようです。流国の難民が家族と共に連れて来たはいいが餌が無くて逃げ出したんでしょうかね?」
僕に視線すら向けずに猫にかかりきりでそんな事を呟いた、付き合いの長い僕だから分かる。個人副官は今凄く怒っている、大体二人きりの時にこの女が敬語を僕に対して使うなんてロクでもなく怒っている証拠である。
「あまり餌をやるなよ、こいつの野生が無くなる。餌を貰う事ばかり覚えて狩りの仕方を忘れたら死ぬのはそいつだよ」
ゴクリ、恐怖の生唾飲み込みながら精一杯の意地を張りながら、言葉は本音で語る。
「盗賊と会っていたんですね……」
「いや、まぁ、うん」
「もう会わないって約束しましたよね?」
「そうだっけ?」
「昔の悪ガキ連中とはもう会わないって誓いましたよね?」
「いや、今回は酒場に行ったら偶然……」
「偶然会って、立ち去らずに和気あいあいと語ってましたね?」
しっかり見られていたらしい……。
おかしい、おかしいぞ?!なんで僕は一応この国の国主で何も法に反する事をしていないのにこんな窮地に陥っているんだ?僕は何もやましい事はしていないし僕は未婚だからある程度の異性との交遊も許されるはず……、なのにこの溢れる重圧は一体なんだ。
う、胃が、胃が痛い。いやがんばれ、僕!ここは何も悪い事はしていないとキッパリ言っておくべきだ。ここは男らしく言うぞ!
「何か言う事は?」
やばい、僕に背を向けて猫をあやしている彼女の顔が猫の目に反射する個人副官の目から赤い殺意の感情が見えてしまった。
「その、……ごめんなさい」
男らしさってなんだろう?
「は?何を誤っているんですか?私は猫に向かって話しかけているだけですよ?突然謝るなんて変な人ですね、ねぇ、猫ちゃん~」
「本当にこいつは……」
やっぱり個人副官は苦手だ、昔からの付き合いということは僕の黒歴史を知られてしまっているし、口答えしても勝てる気がしない。
どうしようもないのでそのまま放置で個人副官が猫に飽きるまで立ってようかと思い、そういえば変装の時は煙管を持ち歩いているのを思い出して近くの民家に寄りかかりながら、ふかしはじめた。
煙草を三回ぐらい詰め替えた頃にようやく個人副官はそう呟いて猫をだき抱える。
「……帰りましょうか」
「その猫捨てないのか?」
「餌をやっていたら情が湧きました。別に私が飼うのですし良いでしょう」
「ふん!僕は猫は嫌いだ、動物特有の臭いがきついし、猫なんて何処でも爪といで引っ掻き荒らすし、何より発情期には昼夜構わずに辺り鳴き叫びながら交尾相手を探すし。しかも野良猫だ、ダニやノミの宝庫だぞ。見ているだけで体が痒くなる」
「この子の虫は風呂に入れれば大丈夫ですし、私もこの服を洗濯日干しすればいいんです。そもそも貴方には嫌いじゃ無いものなんてほとんど無いでしょう?それに人間なんて年中発情して交尾可能なんですから発情期の決まっている猫の方がまだましというものです」
「……お前も十分人間が嫌いだよな」
「醜い大人が嫌いなんです、無邪気な子供は好きですよ」
「子供は無邪気に笑顔で虫を殺せるさ。それにその醜い大人達に子供達は大人になるまで守られ生きてるのさ、大抵の子供は泣けば誰かが助けてくれると思ってるから性質が悪いし」
「あーもう!、さっきからつまらない事をウジウジと!男だろ、細かい事は気にせずに素直に可愛いものは可愛いと言えばいいんだ!ほら猫撫でてみろ!」
口調が本来の乱暴な口調に戻ってきた、ようやく機嫌が直ったようだ。折角の機嫌をまた壊しても嫌なので言われるままに彼女がだき抱える猫に手をのばす。
……一瞬、ノリで猫の変わりに彼女の胸を揉みしだいて、先ほどの復讐をしようかとも思った。
……がその結果がどうなるのか嫌という程想像がついたので、そのまま猫の頭を撫でて、ついでに喉をこねくりまわす。ゴロゴロという鈍い鳴き声が手から振動として伝わってきたような気がした。
猫は気持ちよさそうに目を細めて僕の手に身を任せている、『これが人間の女の子だったらいいのにな~』と気が付くと一瞬妄想の世界に飛んでいた。
「良い顔してるよ」
と個人副官に言われて僕は我に帰る。
あれ、まさか僕ともあろうものが野良猫に夢中になっていたというのか?
ありえないし、そんなの僕の性格じゃないし、手をひっこめるとさっさと歩きだした。
後ろから、待てよ~なんて言いながら小走りに走ってきた個人副官が斜め後ろに位置取ると僕の背中に声をかけて来た。
「お前は自分の顔は見えないから分からないだろうけどさっきのお前、凄く良い顔してたよ」
「……君の目は病に冒されている、医者にかかる事を進めるよ」
「お前のあんな顔を拝めるなら病も悪くは無いな、その名も無い病に感謝しないと」
なんか無性に恥ずかしくて恥ずかしくて逃げるように早足になる。
相変わらず猫を抱きながら背後にピタリとついて来る。
「お顔が赤いですよ~、僕ちゃん~」
「うっさい……」
まったくこいつには頭が上がらない、困りもんだ。
「大体君ね、昔はもう少し性格に愛嬌があったように思うんだけど……」
「昔のお前はもう少し性格に優しさを持ってたよ」
ま、ケンカばっかりしてた悪たれだったけどねと個人副官はぼやく。
「僕は今でも優しいよ、僕のほとんどは優しさでできているからね」
「……言ってて恥ずかしくないか?」
急に真顔でつっこまれた。
なんか余計に恥ずかしくなって歩くペースを速める。
きっと僕の顔は真っ赤に違いない。
「おいおい、別に逃げることは……」
個人副官のからかいが途中で止まる、どうしたのかと思ったら通りの先の商店で人だかりができて何がもめているようだ。
「『君子危うきに近寄らず』、ほっといて別の道を通るか……」
「面白そうだし見にいこうぜ!」
「嫌だよ、面倒はごめんだ。どうせ碌な事にならない」
僕は別の道に入ろうと体の向きを変える。
それを見て個人副官は別にいいけどさ、と呟きながら続けた。
「お前はこれから一生何をするにも面倒事から逃げて逃げて逃げて、最後に何処へたどり着くんだろうな」
「たかが道の揉め事でえらい言われようだな、こんな事に関わってたって僕もこの国も判断も変わらないさ」
「心構えの問題さ。いつもいつも逃げている人間は何かあると簡単に逃げてしまう逃げ癖と負け癖が付くのさ、こんな些細なことでさえ逃げている奴に将来に大きな決断を下す時に逃げる以外の選択肢を取れるとは思えないな」
「決断する時にはするさ、僕はやる時にはやる男だよ。……きっとできる」
「と、自分では思っていているお前は大事な時には動けないよ」
「できる!やってやるさ!」
「んじゃ、手始めにそこの騒ぎを鎮めてみせろよ」
「!……やってやるよ、やればいいんだろ」
「がんばれ、僕ちゃん。『明日の為に其之一』だ」
と抱いている猫の手を握って僕に向かってフリフリと『いってらっしゃい』をさせる、完全に馬鹿している。
僕はそんな個人副官を一瞥して騒ぎに向かい走り出す。
「おい、何の騒ぎだ、こんな町の真ん中で騒ぎを起こすなんて」
と人ごみの中をかきわけて騒ぎの最前列に出ると何のことは無い、店の店主らしき男とみすぼらしいボロを着た小柄な子供二人と言い争っていた。
「え~と、もしもし、何があったんだ?」
隣の眠そうな見物人兼野次馬に尋ねた。
「あ~、難民の餓鬼姉弟がそこの店で何か商品を盗もうとしたらしいんですわ。普段なら店の店主も適当に懲らしめて追っ払うんでしょけど、ここ最近難民達による万引きやらかっぱらいの被害が多くて店主も大分気が立っているみたいで」
「ふ~ん、でも奉行所には役人呼びに行ったんだろ?このままいて店の店主に飽きまで殴られるよりはましじゃないのか?」
「それはもちろんですわ、もう来るころとちがいますん。ま、お役人が来てもあの二人には良いようにはならんでしょうが」
そんなことを言いながらおっさんはこう付け加えた、
「最近、難民達による事件が多くて牢が空いてないらしいんですわ。ま、いいとこ鉱山送り、悪ければコレじゃないでっしゃろか?」
そう言って男が自分の首に手を当てて斬る真似をする。僕は驚いて聞き返す、心なしか声は甲高くなっていた。
「随分厳しいな、普通この国の法では金額にもよるが物取りは、禁錮数カ月かムチ打ちだろ?さすがにそれは大げさに言いすぎだろ?」
「いやいや、難民が治安荒らすよって牢は空きが無く、牢の罪人の飯代も馬鹿にならず、また役所もムチ打ちの刑罰執行人が疲労で腕も上がらずに倒れる始末。ならせめて使いようのある鉱山へ、罪人が子供老人で肉体労働に使えないならコレって話らしいですわ」
「そこまで治安が揺らいでいるのか……」
と呟いた瞬間、怒鳴り合っていた店主の悲鳴が響いた。
どうやら掴みかかろうとして腕を出した店主に難民の内の一人が噛みついたらしい。
一瞬で店主の顔が怒りの為に朱が差し、噛みつかれていない方の手で殴りとばした。
流石店主、強いぞ。
殴り飛ばされた方の難民は気絶したのかそれきり動かなくなる、もう一人の難民は慌てて駆け寄って体をゆすっている。
店主は無言で近づくとゆすっていた難民を蹴り飛ばした。
小柄なせいだろう、簡単に蹴鞠のように弾んで転がって回転する。
そう言えば最近蹴鞠やってないや、なんて考えが僕の頭をよぎる。
店主は噛んだ難民が気に入らないのかもう少し痛めつけるつもりのようだ、と蹴り飛ばされた難民の方がフラフラ駆けよりかばう様に立ったまま両手を広げ大の字を作った。
「お姉ちゃんに手を出すな……」
と言ったように聞こえた。
「僕は家族を守ると父さんと約束したんだ」
と言ったように聞こえた。
お前の約束など知った事ではない、と僕は思った。
「お前の約束なんぞ知るか!」
僕の心に応えるように店主が怒鳴った。
店主の怒鳴り声は僕には理解できるのに、何故か酷く心が騒ぐ。
心が酷くざわめく。
気が付くと僕は店主の背後に駆け寄っていた。
店主が殴ろうと振り上げた手を、触り、握り、ねじり上げ、関節を本来曲がらない方向に力を込める。
「子供相手に大人げないのではないですかね?」
なるべく冷静に語りかけたつもりだが、腕をきめていて冷静も何もあった物じゃないけど。
「痛ったた、なんだお前!」
「いやいや、誇り高き萌国の男が子供をいたぶる姿はなんとも……」
「誇りで飯が食えるか!かっぱらいが多くてうちの店は大迷惑だ。それともお前さんが損害額を払ってくれんのか」
「もちろん払えません!……いやそうではなくてですね。そのような子供二人に大人気無いと思いませんか?店主殿はこの二人をここで死ぬまで殴り倒したいと、そうお考えですかね?流石に難民とはいえこんな公衆の面前で殺せば役人も黙っていませんよ」
「……う、いや。しかしそれでも収まらん!本当にここ一月ばかりかっぱらいが多すぎる」
確かにその気持ちも理解できる。
この一月のかっぱらいがすべてこの孤児達のしわさではないのだろう。
しかし、結果見つかったこの二人に、店主の怒りすべてが向かっているのだろう。
「なれば私が代わりに斬りましょうか?」
「は?」
店主が間の抜けた声を上げて目を見開いた。
「私は『族国』の風来坊でしてここで二人を斬っても、ここからとんずらすればなんとでもなります。店主殿も復讐したいのでしょう?ここで餓鬼二人斬り捨てて難民の奴らへ見せしめにしましょう」
僕はニヤリと物騒に囁いた。更に『私も定期的に人を斬らないと調子がでないんですよ』と付け加える。
店主が仰天して何か言う前に僕は倒れている子供と、それを庇う子供へ歩み寄っていく。
「さあどちらから斬られたい?」
腰の刀を抜いて無造作に上段に構えた、辺りの見物人からどよめきと悲鳴が湧く。
「姉さんの代わりに僕を斬れ……」
地面にうずくまりながらも庇うように両手を広げる姿に、『分かった、ではお前から斬ろう』と呟いた。
「国を攻めた帝国を恨み、戦に負けた国を恨み、物を盗んだ己を恨み、己を守らぬまま消えた親を恨み、貴様を斬る私を恨み、この場にいる者達が私を止めぬ事を恨むがいい」
怯え、震え、それでももう一人を庇い立ち尽くすその難民の子供に向かい僕は刀を構えた。
鈍く光るその刃は血を吸いたいと僕に囁くように。
その囁きに答えるように。
そして僕は刀を振り下ろし、哀れな子供の鮮血が辺りに飛散し……はしなかった。
振り下ろす寸前『もういい!』そう声が辺りに響いた。
「わかった……、もういい。今でもそいつらには腹立つがそこまでしなくていい」
店主は疲れた声で叫んだ。
「良いのでですか?私は斬っても全然構いませんよ」
「黙れ、族国の血狂いがすっこんでろや!」
店主に怒鳴りつけられて肩をすくめ刀をしまいながら言われた通り脇へ下がった。
「おい餓鬼」
そう言って店主は二人に近づくともう一度ゴツンと一発づつ子供の頭を殴りつけた、そしてこれで終わりだと商品の林檎を一つ手渡した。
「次見つけたら役人に突き出すからな!」
ぼやいて店に入っていく店主を見ながら僕は辺りに向かって叫ぶ。
「皆の者!この店主はこの二人を寛大な心で許すとおっしゃった!なんと慈悲深きお人であろう!」
周辺から、どよめきと安心の嘆息が起こる。
「このような戦乱の世で他者を労わる心を失わないこの店主は将来『商国』の商人にも引けを取らない大商人になるに違いない!ここは店主殿に敬意を表して拍手を送ろうではないか!」
途端に喝采と拍手が巻き起こる。
店主は拍子抜けした後少し頬を赤めて、『みんな買い物はうちの店で頼むわ』と一言言うと今度こそ店の中に入っていった。
見物人も見世物が終わったとそれぞれに去って行った。
僕は見物人に紛れ、路地へ入って行く副官を見つけ距離を置いて後について数区画別の路地へ入った。
「派手にやったな……」
厳しい目を向けられたが平然と言いかえした。
「でも収まっただろう」
「あれでか……。下手したらお前は二人斬り捨て、更に店主は逆恨みで難民たちに報復されていただろう。お前も町へは出歩けなくなっていたし、最悪、町民と難民の泥沼の闘争になったかもしれない。今回は店主の『徳』のおかげだろう」
「まぁね。僕は子どもに一方的に暴力を振るうという行為を客観的に店主に見せつけたんだ。まともな心の持ち主なら己の過ちに気付く、そして自分の愚かさに反省するはずさ」
「気が付かないときは?」
「そのまま斬ったよ」
僕は即答した。考え込んだように押し黙る彼女に、『だけど……』と続ける。
「あの場には他の見物人もいたし、何より君もいた。誰かが僕を止めるさ。僕はこの国の民の優しさを知っているから。他人が斬らせるのを嬉々として見物するような心無い民はいないさ。仮にそんな奴らが住む町ならば僕はここまで守ろうとはしていない」
副官は『民を試したのか』としかめっ面をして、『一応私も信頼されているんだな』とぼやいた。
「もちろん、君は僕の数少ない『手駒』だからね」
そこまで聞いてで副官は黙り込んだ。手駒と言われて不機嫌になったのだろうか?いやそんなことは今更のはずだ、となると……。
「では信頼されている『手駒』からお願いがある、……のですが」
お願いなので多少言葉づかいを注意しているらしい、二人きりの時は珍しい対応だ。
背中がムズムズして落ち着かない。
「あの二人か?」
僕が聞くと個人副官が頷く。
「昔の自分を思い出す……か?」
「ああ、……ええ、……、はい」
お願いしているという負い目があるのか言葉使いが少し丁寧に修正されていく。
こいつなりの頼むときの筋というモノなのだろう。
「今回はいいとして、次回の戦が起こったらどうするんだい?戦争と難民発生の度に孤児を拾って、拾い続けて最後には商売でもするのかい?」
僕は精一杯の嫌味と皮肉を込めて声を出した。
「……お前が、いえ貴方が私を拾った時、なぜあの町すべての孤児ではなく私だけを助けたのです?」
「たまたま気分が良くて、たまたまそこにキミがいたからだ。気まぐれ以上でも以下でもない」
「ええ、私もです。私もたまたま気分が良くてたまたまあの二人が目に入ったのです。それだけですよ」
「養育費は出す余裕はな……」
「私が自分で私の給金より出します」
僕が言葉を言い終わるより前に遮りやがった、なんて無礼な副官なのだろう。
「なら僕に許可を求める必要はあるのか?」
「私は城内の屋敷の一室で暮らしているのですよ?国主の個人副官の部屋に子供が暮らすのに許可を求めねば城兵が子供を害しかねません」
「犬猫飼うのと訳が違うぞ。最後まで面倒みれるのか?」
「ほんの数年、あの子たちが独り立ちするまでの間だけです。一生面倒をみる気はありませんよ。それに……」
「?」
「身よりの無い可哀想な孤児を助け、保護していると話題になれば少しはあなたの株も上がるのではないですか?」
「そうそう簡単に僕の評判が下降一直線から回復するとは思えないがね……」
僕はわざとらしく溜め息付くと『好きにしろ』と呟いた。
個人副官は笑顔で一礼して猫を僕に預けると駆け出していった、副官の背を見ながら僕は受け取った猫に向かって問いかけた。
「猫よ、僕の行いは正しかっただろうか?」
僕の問いかけに猫は『にゃ~ん』と声を上げて鳴いた。
無論、猫の言葉は解らなったが、その鳴き声が先程の騒動の労いと思うことにした。