其之十五 萌国国主と盗賊
『萌国・城下町』
息抜きと言う奴は誰にでも必要だ。
それが明日、明後日に滅ぶかも知れない国の人間だとしてもだ。
仕事の合間に煙草を吸ってもいい、甘味を取って脳に糖分を送ってもいいし、気晴らしに軽い運動をして汗をかくのも捨てがたいし、何が一番気分を落ち着けるかは人それぞれだろう。
僕の場合は酒だ。
あの豊潤な香り。辛みのある喉越し。飲んだ後の解放感。
すべてが僕を癒してくれる。
もちろん、それが一時的な物だと十二分に分かっている。
酒を飲んでも現実は何も変わらない。
酒の害の恐ろしさも分かっている。
だけども、僕は酒が好きだ。
酒に溺れ、酒に逃げ、判断を誤った権力者達の何と多い事か。
酒の為に人生を踏み外した先達の何と多い事か。
それでも、僕は酒が好きだ。
自分を見失わない程度に、酒に溺れるのではない。
酒を飲み、酒によって心の平静と安定を保つ為の……一つの道具にする。
だから今日も僕は酒を飲むのだ。
なんて小難しく考えて、独り言をつぶやくと町を散歩する為に変装に取り掛かった。
と言っても別に大した事をするわけではない。
着ている服を、派手なチャラチャラした若者風に……着物を着流しにする。
胸元をだらしなく開き、腰の刀も二本差しではなく、通常の刀一本のみ。
普段は後ろに纏めている髪をだらしなくとき、前髪で目を隠す。
鏡を見れば何処から見ても、さえないチンピラの出来上がり。
「完璧!」
僕は呟くと馬を借りて城の裏口から城下町の居酒屋にくりだす。
裏口なのは訳があり、個人副官や軍務大臣のじっちゃんに見つかると説教が酷いのだ。
そして再び戻って来た我が副官も同じぐらいに……。
昔は一度遊びに行くと二、三日は帰らずに毎回毎回城の人間がお忍びで僕を探しに来てとっ捕まっては、まるで市場に売られる羊のように連行されていた。
もちろん、今の僕は『良い子』なので勝手に城を抜け出しても『一晩』行方をくらますだけなので説教を貰うのは大分少ないのだけど。
裏口の二人の門番達は僕を見ると苦笑し、一人は見回りに、一人は下を向いて草鞋を結び直し始めた。
僕はその間に門番の脇をすり抜けて門番に感謝しながら城を出る。
門を出ると一目散に町へ向かう。
城下町へは子供の頃から歩き回って知らない飲み屋は無いぐらいまで知り抜いている。
春の穏やかな風と町人達の喧噪を楽しみながら、行きつけの居酒屋に着く。
昔ながらの連合風の木々に囲まれた店構え、店先の赤ちょうちんと暖簾は店がいつも通り開店中である事を教えてくれる。
入り口を開くと馴染みの看板娘が忙しそうに動き回っているのが見えた。
「邪魔するよ」
と呟いた声も僕自身の耳に届かないぐらいに店内の客達の話声で溢れていた。
僕が店に入ると数人が僕を見て、すぐに興味がなさそうに雑談を開始した。
店内を見渡して何とか見つけた空いている席を探すが、どこを見回してもむさ苦しい男達が大笑いしながら酒を呑んでいる。
大して大きい店ではないが空席を見つけるのが大変だ。
そう、客が多いのだ。
いつもはここまで混む程、繁盛している店ではないのだか……。
そう疑問に首を捻っていると、むさ苦しい男たちの中に、僕と同い年くらいの見知った見覚えのある顔を見つけた。
僕と同じこの店の常連であり、僕の知人でもある。
同時に先の疑問が氷解し、店内に陣取る男達がどんな奴らかすぐに理解できた。
その時、男の方も僕を見つけたようで、手を振りながら隣の空席を指差す。
……空いているからここに来いという事だろう。
むさ苦しい男達をかき分けて、彼の隣の空席に腰かける。
同時に目の前に置かれたおちょこに酒が並々と注がれ、乾杯する。
「久しぶり、『盗賊』」
「久しぶり、『大将』」
そう言いながら僕達は乾杯する。
僕が『盗賊』という通り名で呼んだのは、言葉の通りこいつが本物の盗賊だからだ。
昔、僕が若いころ『やんちゃ』をしていた時に知り合って以来の、そして僕の五年来の付き合いの『知人』だ、『利害』という繋がりで『知人』と読む。
そんな仲だ。
出会った『やんちゃ』のきっかけは、……まぁ機会があればまた語ろう。
そして僕はこいつを友人と思っていないし、こいつもきっとそうだろう。
……そんな仲だ。
「今日は皆、総出で何かいい事あったのか?」
僕は出された酒を煽り、背後の男共を見渡しながら聞いた。
「ああ、昨日一つ商売がうまくいってな、その祝勝会さ」
「どうせまたろくな商売じゃないんだろ?」
僕が厭味をいうと盗賊は大笑いしてその通りという。
「この間、族国でまた内乱があったろ、その時に族国から逃げてきた難民を捕まえて労働力に商国に売り飛ばしたのさ、いい値になってな」
盗賊は心底楽しそうに語る。
「一応、連合は人の売買を禁じているんだけどね」
「ああ……違う違う、族国での戦火で非難した人々を商国の『職業斡旋』を介して人手の無い地方の小作人にしたんだ。うん、いい間違えたぜ」
このやり取りも何度繰り返したことか。
帝国は捕えた人間を捕虜として連れて帰ったあと、身代金を払えぬものは奴隷として労働力にする。
身分の低い農民などが捕まれば必然的に待つ未来は奴隷しかない。
しかし連合では基本的に『奴隷』という概念が無い。
最下級の労働力として小作人などがいるが、それでもキチンと薄給が支払われる。
人の売買など『畜生にも劣る』と『連合』が成立した時に、時の武国国主様が連合での人の売買を禁止したのだ。
その時は連合が誕生し、これから強大な帝国や科国と渡り合おうとするのに、連合同士で人の売買等やって和を乱す一つの要因を排除したかったのだろう。
その在り方が今日まで生き続け、連合の中で守り続けられている。
しかし、唯一の例外が商国だ。
あの国ではすべてに値が付けられる。
米、着物、金、宝石、武具。
そして、たとえそれが人であっても……。
いくつかの国から止めるように要請はしているのだが、『商国』は文字通り商人の国。
帝国と戦う時、戦力としては全く期待できないが、かの国の援助が無ければ『前線に武器、食料が届かない』という事になりかねないし、鎖国政策お取っているか科国と唯一取引をしているのが商国だ。
胡散臭い、黒い噂の絶えない国だが正面切って敵には回せない。
故に内乱や行き場のない者達が最終的に商国の商品になることも、また事実である。
しかし……。
「まぁ僕も族国の民がどうなろうと知った事じゃないし」
僕も適当に同意する。
「だけど、気になるな。『族国』から直接商国へ商品を出したのかい?商国の警備は君達が簡単に入れるほど緩んでるのかい?」
「うんにゃ、この萌国を経由して若国→商国ルートで運んだ」
「……族国と萌国の国境、同じく萌国と若国の国境の関所はかなりの警備だ。そう簡単に難民を抱えて素通りできたのか?」
うししし、盗賊は笑うと『どうやらそこに興味ありって顔だな』と言いながら酒臭い息を吐く。
ただし先ほどまでの無邪気な笑いから二つだけ違う点がある。
目が笑っていない。
その細目の奥から異様な、獣のような油断ならない光が覗いている。
もう一つは先ほどまで騒がしかった店内が静まりかえっている、皆が好き勝手に酒を呑んでいるが雑談が収まり、そしてそのうち数人が鋭い目つきで僕をねめつけるが……。
「ああ、教えてくれるか?」
僕はそんな事はまったく気にしないし、どうでもいいのでさっさと本題を聞いた。
「いいぜ、ただし今度は『一年』だ」
「……『一年』ね、いいよ」
「ふふん、大盤振る舞いだな。……族国と萌国の国境にある関所のお偉いさんがすごく『いい奴』でな。俺達が族国の難民を連れていると可哀想だと言って通してくれたのさ。その時に少しでも力になりたいと、難民の一人を俺達から引き取ってな」
「……女か?」
「うんにゃ、それがさ」
盗賊は片方だけ唇を釣り上げて器用に笑うと、
「若い男の子なんだよ、あそこの関所のお偉いさんは可愛い子(男)を見ると愛おしくて添い寝してあげたくなるみたいだぜ」
萌国にも男色く趣味をもつ男はいる、帝国と科国では知らないが。
「……面白い話だ。他には?」
盗賊は杯に酒を注いでしばらく注いだ酒を見ていたが一気に飲み干した。
「っぷはー、酒がうめー。生きてるって感じだよなー」
「……じらすなよ」
「帝国がキナ臭い、この国と旧流国との国境にちらほら見慣れない偵察が出ているみたいだ。血の気の多い同業者は稼ぎに向かうだろうし、そこらをねぐらにしている大人しめの奴らはこっちに引っ越したいってさ。
……当然断るから縄張り争いでしばらく町が騒がしくなるかもなぁ~」
そう言って盗賊は下品にゲップした。
「……面白い話だ」
僕は再び同じ言葉を吐いた、無論面白くもなんともない。
「一年の価値はあったかな?」
盗賊がニヤニヤ笑いながら言う。
「ああ、少し用事が出来た。僕は行くよ」
「精々がんばりな、『大将』」
「うん。ああ、思いだした。その関所のお偉いさんね、この間汚職が発見されて近々更迭されるって聞いたよ」
僕はさも思い出したかのように伝えた。
当然そんな汚職だど聞いたことなどなかったが、そのお偉いさんとやらの行動が事実との裏づけが取れ次第現実のものとなるだろう。
「そうなのか、それは残念。まぁ、昔からの使い古したルートだ。そろそろ新しいルートを見つけるさ」
「……それと一つだけ忠告だ、多分『一年』はこの国の兵はお前らに手出しはしないだろう。だけど、もしお前がこの国に害をなした時は一年なんて関係なしに一瞬で潰されるよ」
そう言いながら僕は笑顔で言う。
そして盗賊もとびきりの笑顔でこういった。
「ああ、それは実に楽しみだ」
僕の前には目だけは笑っていない気持ち悪い笑顔が僕を見ていた。
きっと僕も同じ表情をしているのだろう。
相変わらず、嫌な奴だ。
僕らは微笑みながら目線を合わせると……僕は静かに店を出た。
今日の酒は本当に、本当に美味くて胃が激しくむかついた、そしてこいつとあまり大差ない自分自身にも腹が立つ。
……全然、息抜きになっていない。
それなりに飲んだはずなのに、全然酔えていない自分がなぜだか酷く悔しかった。