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転生カプリチオ

複数の過去世記憶を持った子が因縁の相手と出会ってしまったら。

 



 例えば、覚えていたくもない惨憺たる前世の記憶があったとして。

 それでも前向きに『人生の経験値がある分知識量で有利』だと思うのか。

 それともやはり『本来必要無い記憶がある分苦痛』だと感じるのか。


 以前は後者、現在は前者へと考えをシフトした、前世どころか複数の過去世記憶持ちという特殊な人生を進行中の円城真澄エンジョウマスミは。


 現在、気分、体調共に─────最悪だった。






 そもそも事の始まりは三ヶ月ほど前にまで遡る。

 その日、顔や家柄の良さによってランクが決まってしまうこの金持ち学校に、一人の転校生がやってきたの だ。

 これまで中途編入など聞いたことがなかったこともあり、その珍しさに興味を持ったのが生徒会役員たちだ った。

 転校生に会いに行ったそこでどんなやり取りがあったのかは知らないが、役員たちは一人残らず彼の魅力に 陥落し。

 その後もクラス委員長、テニス部エース、一匹狼、バスケ部部長と誑し込んだ彼は、一ヶ月後には名実共に “転校生ハーレム”なるものを形成するまでになっていた。


 だが正直そこまで聞いても、自分に関係ない所での話だと真澄は呑気に構えていたのだ─────そう、ひ と月前までは。


 全寮制の男子校なのだから、容姿の良い者が持て囃されるのは当然。

 小柄で可愛らしい容貌の転校生が人気になるのもわからないでもない。

 本来ならそこでこの学園特有の組織とも言える“親衛隊”が作られ、徐々に転校生の周辺も落ち着いて行くも のなのだが。

 ただ一つ違った点を上げるなら、その転校生ハーレムを作っている人員の全てが顔の良い親衛隊持ちばかり であったことだろう。そしてその為に、話が複雑になった。

 というより、単純な問題をわざわざ複雑化してしまったのは、そのハーレム人員である取り巻き連中と転校 生本人の振る舞いにあると真澄なんかは思うのだが。


 しかし傍観者の立場でそんなことを思っていられたのも束の間。


 ひと月前、無駄に問題を大きくするそんな連中に何故かうっかり絡まれてしまったことで、真澄の人生は暗 転した。


 それからはまさしくあっという間だ。


 取り巻き連中からの理不尽な敵意も無難に流し、『転校生を使って人気者たちに近づこうとしている不届き者』という周囲からのレッテルをどうにか回避して、親衛隊たちからの悪意を逸らすことに腐心していたら ─────最も近づきたくなかった存在との接触を許してしまった。


 冷静沈着、威風堂々、長身で腰高の見事な体型。滅多に緩むことの無い作り物めいた美貌。

そんな男の名は“片桐隼人(カタギリハヤト”─────学園では『アイスドール』の異名を持つ風紀委員長様だ。


 そしてこの片桐こそが、生まれ変わる度に自分を裏切り貶め死に追いやる男の─────生まれ変わった存 在。


 真澄がこの片桐の前身である男たちによって滅茶苦茶にされた人生は片手じゃ足りない。


 新しい人生を生き直すことも許されず、憎しみを、怨みを、痛みを、そのつど上書きされる。


 そんな繰り返しを経て─────真澄は今ここにいた。


 だからこそ今生で片桐の存在を知った時も、内心どれだけ舌打ちしていようがそれを表に出す愚は犯 さなかった。

 ただとにかくこの学園内で“風紀委員長”という立場の存在と関わるようなことをしないよう心に誓い。

 出会いを先延ばしにし、関わりを制限し、距離を遠ざける。

 そうやって男からの災いを軽くすることに神経を遣うのは、これまで散々辛酸を舐めさせられてきたから。


 男によって不幸と災難が運ばれてくるのなら、それに対処する術を経験則として学んで行く。


 それこそが繰り越されている記憶の使い道なのだと。




 そうして可もなく不可もなく、緩く軽く、言葉も態度も適当に、特に何か重要なポジションを任されること なく、学園に入ってからの四年間を平和に過ごしていたのだが。


 まさかそれがこんなにもあっけなく崩されるとは思ってもみなかった。


 制裁への対処という名目で転校生に風紀委員の護衛が付くようになったのは約半月前。


 それはひと月前に転校生に巻き込まれた真澄が、諸々の対応を済ませて一息ついた矢先のことだった。


 いくら真澄が「余計なことを」と歯噛みしても、風紀委員が出張ってくれば─────それを統括する委員 長が出てくるのも時間の問題で。






 気づけばその風紀委員長である片桐の玲瓏な美貌を正面に昼食を取らねばならない状況に陥っていた。 そして真澄の両隣には転校生の護衛として付いているはずの風紀委員二人が、何故か自分を挟む形で座って いて。


 実際は転校生でなく、巻き込まれた真澄を守る方に重点を置いているらしいことは明らかだ。




 ─────ああ、苛々する。




 顔にはのほほんと緩い笑みを浮かべている分、心の中で毒でも吐かなければやってられなかった。


 そんな真澄の心中を余所に、相も変わらず取り巻き連中は転校生を取り合って周りを牽制することに余 念がない。

 ぎすぎすした空気を発生させている彼らを放り、真澄はタッチパネル式のメニューからさっさとエビとアボ カドのホットサンドを選択する。

 こんな時は早く食事を終えて戻るに限る、と。


 ポーズだけではない心身の怠さに、だらしなく椅子の背もたれへと寄りかかれば、不意に正面から感じる視 線。


 ここぞとばかりに眼の前で転校生から熱烈なアプローチを受けているらしい片桐は、しかし表情を動かすこ となく短い応えを返すだけで、眼は真澄を注視していた。


 冷徹に値踏みするようなその眼は、こちらの一挙手一投足を観察するものだ。


 その視線に、またこれまでと同じような展開になるのか、そう思ったら心底うんざりした。


 仮にここで片桐が転校生に落ちたら落ちたで非常に面倒くさい。

 そうでなくても真澄は“巻き込まれ被害者”という立場で片桐との接点ができてしまっているのだ。


 ウェイターが運んできた料理を機械的に口に運びながら、その視線の強さに真澄の中の警告音が五月蝿いく らいの音量で鳴り響く。

 耳鳴りから頭痛が誘発され、更には胸の辺りにも不快感が込み上げてくる。この後は保健室に直行しようと心に決め、どうにかこうにか最後の一欠片になったホットサンドを口に放り込ん た時。


「─────てね、真澄くんはどうしたらいいと思う?」


 突然転校生から話を振られ、真澄はぱちりと瞬いた。

 顔を上げれば何故か取り巻き連中を含め風紀委員たちもこちらに注目していて。


 だがどう思うかと聞かれても。


「………えー、何か言った? ごめーん、聞いてなかった」


 正確には彼らのやりとりなどいつも右から左へ素通りなのだが。


 口の中の物を飲み込んでからあっけらかんとそう言えば、転校生はむっとしたように口を尖らせ。 転校生に過剰なフィルターが掛かって見えているらしい取り巻きたちからは、蔑むような視線を向け られる。


「……これだから鳥頭は嫌なんですよ」

「まともに人の話も聞いてられねぇってか?」

「ゆる馬鹿にそんなこと求めても駄目だよー」

「馬鹿は、馬鹿」

「……ちょっと皆! そういう言い方はないでしょ!」


 生徒会役員たちの嫌味を言葉ではそう窘めておきながら、内心喜んでいるのが透けて見える転校生の顔。


 と言っても真澄が役員たちに対して何か反応することはない。

 今も転校生だけを見て首を傾げれば、彼は仕方ないな、と言うように口を開く。


「………じゃあもう一度言うけど。実は僕、制裁? って言うようなことされてるらしくて」

「……へー」


 その今更過ぎる内容に、行儀悪く肘を付いて気のない相槌を打てば、すかさず転校生にメロメロな連中から 鋭い眼を向けられた。

 が、それには気づかない振りでスルー。


「へー、ってそれだけ? ヒドイ! 僕困ってるんだよ!?」


 頬を膨らませて非難の声を上げる転校生に真澄は首を傾げる。

 生憎と真澄の眼にはその制裁騒ぎのおかげで取り巻き連中を常に侍らすことができ、悦に入っているように しか見えない。

 そもそもここにいる取り巻き連中から『ゆる馬鹿』と称されている真澄にどんな答えを求めているのか。


「………ヒドイって言われてもさー、でもそれ、俺がどーにかできる問題じゃなくないー?」

「それは……、そうだけど」


 大体ここでそんな話を出したのも「本命は風紀委員長様」であるらしい転校生が片桐の興味を引きたいが為だろう。

 それならそれで本人に直接言ってくれ、と冷めた気分で思いながら、先ほどから鳴る警告音に従って真澄は さっさと席を立つ。


「……んじゃ、俺もう行くねー?」

「え。真澄くん、もう食べ終わったの?」

「んー。今日はちょっと調子悪いから午後は保健室行くー」

「とか言って、またサボる気なんでしょ! 駄目だよ授業出なきゃ!」

「もー。嘘じゃないよー! ホントに気分悪いのー」


 端からサボリだと決めつけてくる転校生を適当にあしらい、早々にテーブルを離れようとした真澄だったが 。

 そこで正面に座っていた男が立ち上がるのを見て眼を見張る。


「なら、俺が付き添う」

「え、隼人先輩!?」


 まさかの言葉に転校生が咎めるような声を上げるものの、片桐は構わずテーブルを回り込んで真澄の傍まで やって来る。


「円城も護衛対象なんだ。一人にすることは出来ない」

「……えー? でも、わざわざ風紀委員長サマに守ってもらうようなこと、俺されてないよー?」


 何せその為に真澄は周囲に対してそれと気づかれないよう色々と懐柔策を取ってきたのだ。

 必要ないよと拒絶した真澄に、だが片桐は表情を変えないながらも意味深な視線を向けてくる。


「………確かに制裁のこともあるが、だがそれだけじゃない。今のおまえにはわからなくても………俺にはお まえを守らねばならない義務と権利があるんだ─────“フミ”」




 “フミ”




 小さく付け加えられた、空耳と流すにはあまりに今の自分にとって地雷であるその二音に。


 緩い笑みを浮かべていた真澄の顔から途端に表情が消えた。


 思わず凝視した片桐の、整い過ぎた美貌のその先に─────ゆらゆらと揺らぐ黒い陰。

 二重写しで見えるその人影は、かつて愛した─────今は八つ裂きにしても飽き足らない、元婚約者の姿 。




 ─────嗚呼、ソウイウコトカ。




 何故最初から転校生より気にされていたのか、ここに来てようやくその理由を知る。




 ─────ダッテコノ男ハ覚エテイルノダカラ。




 ならば。


 容赦など。

 温情など。




 ─────必要ナイ。




 漏れそうになった声を抑える為に口元に当てていた手のひらの下で、吊り上がっていく口角。


 これまでぶつけようのなかった憤り、苛立ち、怨み辛みといった積もり積もった激情が。

 過去の遺恨が。

 恩讐が。




 一気に迸る。




「っ、…ふ、っあははははははははははははははははははは!」


 突如響いた真澄のヒステリックな笑い声に、その場にいた誰もが言葉を失った。


 一瞬にしてざわめきすら消え、しんとした場にはその笑い声だけが響く。


「─────……円、城?」


 だが戸惑ったように漏らされた片桐の声に、ぴたり、とその笑いが止まる。


 俯きがちだった真澄の面がゆるりと上がるのと同時に、尖った氷の矢のような視線が片桐を射抜き。




「本当に─────忌々しい」




 凍えるほど冷えた視線から一転して憎々しげな色に染まったそれが、言葉と共に鋭い刃となって片桐の心臓 を抉った。


「………守る、守る…ねえ? あなたが、わたしを? ふふ……なんて─────悪い冗談でしょう」


 これまでにないその様子と常にない真澄の口調に、片桐の眼が驚愕に見開かれ。




 記憶が、あるのか。




 音としては聞こえなくとも唇がそう動いたのを真澄は見逃さなかった。


 瞬間的に煮えたぎるほどの熱さでこみ上げてきた傷みと嘆き。


 憎んで怨んで狂ったように吐き出す慟哭も、虚脱して砂を噛むような日々も、とうに過ぎ去ったものだと思 っていた感情が─────まだこんなにも生々しく身を苛む。


 その疵が訴えてくる不愉快すぎる疼きが、真澄の入念に作り上げたはずの仮面をあっけなく剥ぎ取った。


 そうして口元がふわりと弧を描けば、一瞬にして妖しげな色香が漂い。

 “軽くて緩くていいかげん”な仮面の下から現れたのは─────毒々しく禍々しい空気を纏った妖艶な徒花 。


「───── 地べたを這いずって泥水も己の血反吐をも啜って生きなければならない状況に追い込んだ、そ の元凶であるあなたが」


 片桐に向ける視線にこもる嘲笑、侮蔑、嫌悪、憤怒。


 感情の高ぶりから来る突発的な嗤いが収まった後に残るのは。


「─────よくもまあそんな戯言をぬけぬけと仰ること」


 爛々と暗く光る瞳に宿る─────憎悪。


「─────次はどんな甘言でわたしを利用するつもりですか」


 警戒するように素早く身を遠ざけた真澄に、だが片桐は茫然とした表情から一転して焦燥に顔を歪め。


「ッ違う!」


 冷静さをかなぐり捨て悲痛に満ちた声を上げた。


「そうじゃない! 確かに君が俺を赦せないのはわかってる! 俺はそれだけのことをしてきた! だが君を守 りたいのは本当なんだ“文”!」


 懲りもせず自分をかつての名で呼び腕を伸ばしてくる男に、真澄は後ろに下がることでそれを避ける。


「生憎とそんな名前の女はとうに死にましたよ。ましてやあなたが言う“守りたい”ほど空々しく聞こえるも のはありませんね─────反吐が出る」


 文字通り吐き捨てるように言って更に後ろに下がり。

 その姿を視界に入れることすら不快だと言わんばかりに顔を背ける。


「少しでもあなたに良心の呵責というものがあるのなら─────二度とわたしの前に姿を見せないで下さ い」


 一刻も早くこの不愉快な空間から出ようと踵を返す。


「……ッ待ってくれ、ふ─────円城!」


 だが追い縋る片桐の手に肘を掴まれ─────全身に怖気が走った。


 本能的な拒否感から反射的に振り払い。

 返すその手で真澄は相手の左頬を力任せに張る。




「わたしに触るな─────下衆が!」




 その憤りの激しさに顔を強ばらせて立ち竦む片桐を見ることなく、真澄は足早に食堂から去って行った。













「………ッ隼人先輩」


 それまでは二人の間に漂う緊迫した空気に呑まれていたらしい転校生だったが、しかし真澄の姿が見えなく なったことでいち早く片桐の元へと駆け寄る。


「大丈夫ですか!?」


 しかし彼以外の者たちはまるで人が変わったような真澄の冴え冴えとした鋭い視線と言葉が残して行った空 気に、身動き一つできなかった。


 それほど、あの激しい怒りを見せた顔に─────呑まれた。


 だがその中でただ一人の例外であったらしい転校生は、片桐の前に回り込んで労るように彼を見上げ。


 頬に滲む赤い一筋の線を見て取り、あっ、と大袈裟に声を上げた。


「血が出てます! なんでこんな……。真澄くん、酷いです」


 眉を顰めてさも心配そうに片桐を気遣い、小さく真澄を詰った。


 それでも何の反応もない片桐に、転校生は更に言い募る。


「………何があったのかは知りませんが、今の真澄くんはちょっと精神的に不安定みたいなので、一人にし てあげた方がいいと思います」


 友人の様子を心配する素振りでその実、片桐を真澄から引き離そうと転校生は画策する。

 真澄と片桐のただならぬ様子が転校生のプライドを刺激したからだ。


 自分より下に見ていた真澄が能力と容姿を兼ね備えた片桐の気持ちを掴んでいるという事実。それは転校生にとって到底受け入れられないことだった。


「それに僕と違って、真澄くんは制裁とか受けてないみたいだし……」


 真澄の置かれている状況を碌に知ろうともせず転校生はそう決めつける。


「何より今みたいな叩かれたりっていう暴力は見ているのも怖くて……。ですから…あの、隼人先輩には僕に付いていてもらいたいな、って思うんです」


 先ほどの真澄と片桐のやり取りから言って関係の修復は難しそうだとの判断もあり。

 これを機に自分へ関心を向けてもらおうと転校生は頼りなげなか弱さを全面に押し出して訴えたのだが。




「知るか」




 予想に反して向けられた言葉は端的で冷淡過ぎるもの。

 一瞬何を言われたのかわからず転校生は固まる。


「くだらない御託はよせ─────俺はおまえがどうだろうと関係ない」


 これまで以上に素っ気ない、興味どころか眼中にないとばかりに背を向けられ、転校生の顔が途端に羞恥と 怒りで真っ赤に染まった。


「……ッ、なんでですか!? だって隼人先輩、真澄くんみたいなタイプは嫌いだって…!」

「……正確には『自分の意見を言わず周りに流されるだけの考え無しな馬鹿は嫌い』だ─────あいつは 違う」

「ッでも真澄くんは、周りから馬鹿にされてもへらへら笑うだけで絶対言い返したりしないじゃないですか !」

「だから考え無しな馬鹿だと? その短絡的な決めつけは止めろ─────…ああ、でもそうだな。確かに気 に入らないところはあるな」

「! なら─────」

「おまえみたいな奴にあいつがいいように使われてたことが非常に不愉快だ」


 そう言いざま、片桐は手荒な動作で転校生の襟元を掴み上げる。


「な…ッぐ」


 それに抵抗することもできず、持ち上げられた転校生の足が宙に浮く。


 ぎり、と襟元を圧迫される苦しさに顔を歪めた転校生は、しかし覗き込んでくる片桐の温度のない瞳とかち 合った瞬間、ひゅっ、と息を止めた。


「………今後あれの─────真澄の、髪一筋でも傷つけようとしてみろ………俺の持てる全てを使って─────叩き潰してやる」


 低い、低い恫喝。


 それは慌てて駆け寄ろうとしていた取り巻き連中の動きを止めるにも充分で。


 転校生もまた、鼻先が触れるくらいの距離の近さを喜ぶより何より。


 その瞳の奥に見えた、底無し沼のような暗く淀んだ得体の知れない闇に。


 恐怖と寒気で、全身がざっと粟立った。


 途端に青ざめて小刻みに震え出す転校生を、片桐は突き飛ばすように離し。


 床に崩れ落ちて戦慄く彼を一顧だにせず、真澄が出て行った扉へと視線を向ける。


「笹木。加藤」


 椅子から立ち上がった状態で言葉もなく茫然と立ち竦んでいた風紀委員二人の名前を呼び。


「…っ! あ…」

「っはい…」


 びくり、と小さく肩を揺らした二人に、だが片桐は扉から眼を逸らすことなく言い放つ。


「これからおまえたちは円城に付け」

「「…は…、え……!?」」


 いきなりの話に眼を白黒させる二人に構わず、片桐は更に続ける。


「他に鈴村と関、柳瀬にも言っておけ。この先、害がありそうな余計なものを円城に一切近づけるな、と」


 露骨なまでに囲い込むことを第一としたその内容に、二人は揃って眼を見開く。


「って、え? ちょ、委員長?」

「ですが転校生は─────」


 自分たちの長である彼の不興を買ってしまったらしい、未だ蒼白な顔で震える転校生に眼をやり。

 一応表向き護衛としてついていたはずの彼はどうするのか、と戸惑う二人に。


「必要ない。むしろ円城から切り離せ。ソレはいらないものしか呼び込まない」


 役員たち人気者が転校生に骨抜きになり、それに巻き込まれる形で真澄が制裁の余波を受けていることは周 知の事実だ。

 しかし彼がそれを何だかんだでのらくらとかわしていたことも。


 特に大きな被害を受けることなく飄々としている彼を単純に運が良い奴だと周囲は見ていたのだが。


 先ほどの突然人格が変わったかのようなあの口振りと凍てつくような冷たさに彩られた顔つきが、それを否 定する。

 容易に触れること、踏み込むことを許そうとしないオーラ。


 何より真澄があそこまで豹変するほどの“因縁”が片桐との間にあるという事実。

 そしてぶつけられるその怒りを当然のように受け止めていた片桐。


 少なくとも転校生が来るまではまるで接点のなかった二人の間にあったらしい“何か”。

 漏れ聞いた会話だけではそれが何なのか想像もつかないが。


 常に冷静で感情を露わにしたことのなかった片桐が声を荒げて真澄に縋り。

 それを常にない苛烈さで手酷く拒絶した真澄。

 

 口調一つ、表情一つで鮮烈なまでに優艶な存在感を見せつけ。


 凄艶でありながら、壮絶。


 迂闊に触れたら切れそうな激しさと、幻惑されそうな色香を見せたあの顔が本当の彼だとしたら。


 これまで見てきた彼の姿全てが偽りでしかなく。

 疑念を挟む余地がないほど、全く違う別人格に中等部の頃から擬態していたとすれば。


 緩く軽薄な態度の裏にどれだけの計算があったのか。




 考え始めたら─────ぞっとした。




 急速に顔色を悪くしていく部下二人を、だが片桐は先ほどの切迫した態度とは打って変わって冷徹な眼で見 やり。


「何を置いてもいい─────目を離すな」


 立場の濫用とも言える強制そのままの押し付け に、しかし二人は反論することなくぎくしゃくと頷いた。

 それを確認してから片桐は真澄が出て行った扉とは反対側の扉へと踵を返す。


 あの剣幕からして片桐が真澄の後を追ったところで無意味だ。

 未だ静まり返る食堂を後に廊下へと出れば、一瞬でも感じられた真澄の体温に触発されたのか、彼の過去生 たちが眼の前に鮮やかに浮かび上がってくる。


 彼らがこちらを見る眼に浮かぶのは、果てのない憎悪だけ。


 だがどれだけ憤りや憎しみをぶつけられても─────例えば一度殺されてやったとしても─────それ で済む話じゃない。

 それだけのことをした記憶が今の片桐にはある。


 ましてや生まれ変わった二度目からはかの存在に忌避された記憶しかない。

 回を重ねる毎にあからさまな拒絶は鳴りを潜めて行ったが、しかしそれだけだ。

 自分の存在が相手に受け入れられたことは、ただの一度もなかった。


 自分はそれを認められず、その度に執拗に絡み、執着し、死に追い込み。失ってからすべての記憶を取り戻 し─────絶望する。その繰り返し。


 愛しくも尊い存在を苦しめ傷つけた報いだと言うように、記憶を取り戻したことを契機に自らも破滅へと向 かう。


 それこそが罰だと。呪いだと、思い知らせるように。


 次こそは、と何度も死の間際に誓うはずなのに、再びまみえた人生で記憶を持たない自分は必ず相手を苦し め傷つけ殺す。


 それが。


 今生は初めて記憶を持ったまま生まれ変わり。

 真澄にも記憶があることを知って。

 身の内から湧き上がったのは─────歓喜。


 どれだけ辱めて穢そうと、決して黒には染まらず白く清いまま逝った彼女に。


 どれだけ蹂躙し痛めつけても、決して最後の一線ともいうべき矜持は手放さなかった、あの気高さを持 つ彼に。


 怯え惑い、全身で自分を拒絶した彼女に。

 疑心と敵意を一心に向けてきた彼に。

 人を疎んじて殻に籠もった彼女に。

 すべてを諦め、冷め切った眼をした彼に。




 ─────ようやく贖うことができるのだと。




 どれほど激しい拒絶に合おうと、あの稀有な魂を持つ存在が手の届く場所にいる、今はそれだけで充分だ。




「大丈夫だ、今度こそ間違えない。嘘じゃないさ、必ず幸せにしてみせるから……なあ、“文”─────」




 記憶にある一番古い時代に生きた婚約者の、儚くも柔らかい慈愛に満ちた笑顔を虚空の先に見て。




 ─────その為に、記憶を持って俺の元へ戻ってきてくれたんだろう?




 伸ばした自分の腕を拒むように悲痛と絶望に歪んだ表情へすり替わった彼女の影を、片桐は手のひらで握り潰す。

 そうして憎しみを湛えながら真っ直ぐ睨み据えてきた真澄の峻烈な眼差しを思い出し。





「だってどんなおまえだろうと─────愛してるから」






 彼の爪によってつけられた頬の傷を愛おしげに撫で、片桐は陶然と微笑んだ。
























円城真澄エンジョウマスミ→軽い緩めのキャラに擬態していたが、頭の中では冷静に計算してた演技派 。が、今生では片桐に過去世の記憶があったことでうっかりぷちんと切れちゃいました。『一番怖いのは人 間』を常に頭に置いて生きてます。これまでの過去世では苦い経験ばかりしてきているので、対人関係は表 面的なものに終始してる。ただ相手にそうと気づかせない程度には取り繕ってました。その為表と裏でのギ ャップが相当酷い。愛? 恋? ああなるほど一時的な気の迷いですねお疲れ様です、とか言っちゃうくらい 超コールド。


片桐隼人カタギリハヤト→風紀委員長。今回はかつて自分がした所業とそれによってもたらされた陰惨 な末路の記憶すべてを持ったまま転生してました。そのおかげで頭のネジがごっそり抜け落ちてます。真澄 が記憶を持ったまま転生し続けていたことは知りません。 ただ今回はこれまで傷つけてきた分、生まれ変わった存在である彼を必ず幸せにすると決めてる。それなら 関わらないのが一番だよね、という単純にして当然の帰結に至らない辺り結構な自己中。そもそも真澄から 離れる選択肢自体が頭にない。


転校生→可愛い顔をしていてそれなりに頭の回る子。ちゃんと授業にも出るし、役員たちや取り巻きにもす ることはするように言ってます。だから学園が機能しなくなるまでは行きません。ただ、ちやほやされたり 注目されたりすることで快感を覚えるタチなので、自分をそういうポジションに置くよう周りを操作してい ることが多い。


取り巻き連中→生徒会長、副会長、書記、会計、バスケ部部長、テニス部エース、クラス委員長、元一匹狼 で構成された計八名。落とされた切欠はなんか胸キュン台詞を言われたらしい。


笹木、加藤(ササキ、カトウ)→護衛に付いていた風紀委員二人。真澄のことは単純に転校生たちの騒動の 被害者だと思ってた。実は密かに真澄の緩い喋りに癒されてたらしい。


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