アヒルの作法
山奥の全寮制高校に入学することになってしまった引っ込み思案な子のお話。
一色理緒が親の言い付けにより山奥にある私立の全寮制男子校に入学して早四ヶ月。
その日、彼は一週間後に控えた夏休みに向けて寮の自室でせっせと荷造りをしていた。
何せ七月に入ってから指折り数えて待ち望んでいた長期休暇だ。
帰ったら久々に地元の友人たちと会う約束をしている為、浮かれずにはいられない。
中学卒業後は高校の入学準備に掛かりきりで、遊ぶどころか碌に連絡も取れずにいた為、彼らと顔を合わせ るのは何だかんだで約半年振りだ。
何しろ理緒が現在通っている高校は生徒の大半が幼等部からの持ち上がり組という、外部生自体が珍しいブ ルジョア校。
理緒はその珍しいと言われる高校からの外部生だった。
『その人見知りをどうにかするチャンスだぞ』
『もう少し積極的になりなさいな』
『いつまでも他人任せじゃ駄目だ』
『自分の意見をはっきり言えるようにならないとね』
内向的で引っ込み思案、人目を気にして自己主張できない息子を心配した両親から、そんな言い分でもって 半ば強制的に進学させられた全寮制の男子校。
しかしそこで待っていたのは、あまりに想定外な出来事の数々だった。
まず入学前の下見を兼ねた外部生向け学校説明会でこの地に降り立った瞬間、眼の前に広がる想像を越えた 別世界に─────理緒の顎は外れかけた。
これまで通っていた公立校とは何もかもが違う。
第一に金持ち学校ということを差し引いてもその規模がおかしかった。
少なくとも視界に映ったものは理緒が想像する“学校”の形態を為していない。
延々と続く頑丈な塀に囲まれた場所すべてが高校の敷地だと言われた時は「……金持ちって…」と遠い目に なった。
敷地に入るには警備員に身分証を提示しなければ開かない巨大な門。
入れば入ったで無駄にデカイ噴水が出迎え。
山奥という立地もあってか緑豊かなイングリッシュガーデンを抜けた先にある、いかにも金が掛かっていそ うなバカでかい白亜の校舎。
そこまでの道のりだけでも既にあっぷあっぷの理緒だったが、更に待ってましたとばかりに出迎えてくれた 担任教師、生徒会役員の先輩方四人の姿を見た瞬間、魂が抜けかけた。
─────………………やっぱ何事も程々が一番ってことだよね。
あまりにも煌びやかな尊顔は目の保養と言うより目の毒。
ハイレベルな美形と対峙するには一定の距離が必要だと言うことを痛感した瞬間だった。
できる限り彼らの顔を視界に入れないように校舎の案内をしてもらいながら話を聞いたところによ ると、どうやら外部生と言うのは定員に空きが出た時にだけ生徒募集を掛けるという狭き門のようで。特に 毎年決まった枠があるわけでもないらしい。
外部生は実に八年振り、そう告げられた瞬間、尋常でない冷や汗が理緒の背中を伝った。
何故なら今日、この説明会に参加しているのは理緒ただ一人。
周りを見渡してみても理緒以外の新入生らしき姿はどこにもない。
なるほどそうかもしかしなくても個別に対応しているのかご苦労なことだな、という希望的観測は「外部か らの新入生は一色くんだけだから」と副会長らしい先輩に笑顔でべしゃりと潰された。
それでもなけなしの気力を奮い起こし、見取り図片手に学校で生活するにおいての注意点、学生寮や併設する施設その他諸々の説明を聞いていたのだが。
聞けば聞くほど─────眩暈と動悸が激しくなった。
更には視覚からの刺激が強過ぎて視線もふらふらと泳ぎがちになり。
その先で一人、また一人と在校生の姿を眼にする度、理緒の顔はどんどんどんどん強張って行く。
担任教師と生徒会役員を見た時はまだどうにか踏ん張れた。
立場上避けては通れない担任はともかく、役員の先輩方とは相容れないと同時に近づけない存在だと判断し たからだ─────そう、主に見た目の問題で。
だがしかし。
周囲に眼を転じてみても、見る生徒すれ違う生徒のすべてが何故か─────キラキラしていた。
右を向いても左を向いても─────容姿に秀でた男しかいない。
自分を取り囲んでいる面々と同レベルとは言わないまでも、明らかな美形揃い。
そんな状況を否応なく突きつけられるに至った理緒の頭に浮かんだのは。
─────ヤバイ。
の一言だった。
何故ならこの十五年間、鏡で見てきた自分の顔は地味そのもの。どうひっくり返ってもキラキラとは言えな い造り。
オーラもなければ陰も薄い。
そんなのがキラキラしている中にのほほんと入学してみろ─────確実に嫌な意味で浮く。
その時頭の中を駆け巡って行ったのは“みにくいアヒルの子”。
朧気ながらも思い出したあらすじと言えば、『醜いと苛められ続けたアヒルの子でしたが、実は綺麗な白鳥の子だったのです』というものなのだが。しかし結局はどうしたって元いたアヒルの群れに受け入れてもらえないことを思 い知るという、中々にビターな話だったと記憶している。
もっともこの話のアヒルのような裏設定が理緒自身にあると言いたいのではない。むしろその逆だ。
今の理緒が置かれている状況は、差し詰め群れからはぐれて白鳥たちの中に迷い込んでしまったアヒルと言 ったところか。
アヒルの中に白鳥が混ざっていればその違いが目につくように、白鳥の中にアヒルが混ざっていればやはり目立つ。
「俺の居場所はここじゃない!」と逃げ出したくなるも、その言葉通りに飛び出せるアグレッシブさなど持ち合わせているわけもなく。
むしろそんな行動力があったなら始めからこんなところに放り込まれていない。周りに合わせ、長いも のには巻かれ、流されるままに生きてきたのだから。
ならば今のような状況の時はどうすればいいのか。
かちかちかちかち、と頭が弾き出した答えは、とにかく波風を立てないよう目立たぬよう無難にやり過ごして早々に帰還 する、というものだった。
だがその間にも役員たちに囲まれ説明を受けている理緒の姿は目立っていたらしく、すれ違う在校生からの視線が妙に痛い。
─────『何だろう、あのみっともない子』『ここに似つかわしくない顔をしているね』『場違いじゃな いのか』とかすんごい思われてそうなんですけど……!!
そんな小心者特有のネガティブ思考が遺憾なく発揮された結果、被害妄想よろしく理緒の頭の中では説明そ っちのけでキラキラしい生徒に石を投げられる自分の映像が走馬灯のように流れて行く。
おかげで自虐的な思考がどんどん転がって急加速で肥大化し。
「………他に何か気になったことはあるかな?」
一通り説明し終えてにこやかに微笑む会長の言葉を、何故か「下らない質問したら苛め倒す」と脳内変換し た理緒は、素晴らしい瞬発力で勢いよく首を左右に振り。
「ッいいえ充分です非常に親切丁寧な説明ですごくすごくわかりやすかったです今日はわざわざ貴重なお時 間を割いて頂き本当にありがとうございました僕一人の為にこれ以上のお手間を取らせてしまうのは申し訳 ないのでこの辺りで失礼させていただきます!」
頭を下げて流れるような捨て台詞を残し、文字通り家に逃げ帰ったのだ。
おかげで説明会から帰った理緒の行動はこれまでになく精力的だった。
あんなキラキラ学校なんて行きたくないと思っても今更そう簡単に取りやめることはできないと重々理解 していた。他の進学先を探そうにも既に時期が遅い。ましてやこんな土壇場で進学を取り止めて中学浪人する勇気もなかった。
となれば今自分がやるべきことは。
─────ただひたすら容姿改革するのみ。
そう悟った理緒は友人からの遊びの誘いも断り、努力根性をフル動員して中学卒業後はひたすら容姿磨きに 時間を費やした。
顔の造りは今更どうしようもないので、とにかく振る舞いと恰好で“イケメン風”を目指そうと試行錯誤を繰 り返し。
必死に雑誌やテレビでイケメンと称される芸能人の一挙手一投足を観察し、見よう見真似で行動仕草言動服装をトレース。
最終的に何はなくとも清潔感が大事だというところに行き着き、髪や肌の手入れに躍起になった。
そこにはよくある高校デビューしてやんぜワッホイ! なドキワク感なんてものはまるで無く。あったのは悲壮なまでの強迫観念。
メンタル激弱な小心者舐めんな。
イジメ怖い。
陰口叩かれたくない。
爪弾きイヤ。
平穏無事に学校生活を乗り切りたい。
そう。
モテたくてファッションセンスを磨いたんじゃない。
モテたくて食事に気を遣い運動に励み体を引き締めたわけでもない。
ましてやモテたくてスキンケアに努め体毛の処理をし始めたわけでもないのだ。
すべては。
─────学校で浮きたくない……!
その一心だった。
そんな努力の甲斐あって自他共に認める“中の中”という平均ポジションをクラス内でゲットできた時の喜 びと言ったら。もはや涙無くして語れない。
その時には一番の懸念材料であった“村八分”が回避できたことですっかり安心しきっていた。
だがそんな理緒の考えの甘さを嘲笑うように入学してひと月が経った頃、更なるカルチャーショックに見舞われたのだ。
そもそもが両親に押し切られるがままに入った全寮制の学校。当然嫌々だった理緒が自主的に学校の情報を 集めているわけもない。
説明会及び学校見学しに来た時もその規模や在校生たちのキラキラしい姿に圧倒され、その他の話はすべて まるっと理緒の頭から飛んでいた。
繰り返し言うが、理緒はそれ以降の日々をただひたすら容姿磨きに費やしていたのだ。
そんな状況の中で学校の特色やそれに付随して起こっている弊害など調べられようはずもない。
よって入学後、一人ふらふらと寮への帰り道を歩いていた時に物陰に引っ張り込まれて乗っかられそうにな ったり突っ込まれそうになったりするなんてことは─────まさしく青天の霹靂だった。
『あんまり一人にならない方がいいよ』
クラスメイトがしてくれていた忠告の意味を、その時初めて理解した理緒だ。
役付きの生徒には漏れなく親衛隊というシンパが付いているということは親切なクラスメイトに聞いて知っ ていた。そういった生徒に不用意に近づくと制裁という名の下にイジメを受ける、ということも。
だがまさかいくらなんでも金持ち坊ちゃん校が、一人歩きも危険な強姦多発地帯とは普通思わないだろう。
それは危機意識以前の問題だ。
加えて特に小柄と言うわけでもない自分がそんな意味で狙われるとは到底思えず─────そう、体格の良 い生徒と小柄な生徒二人掛かりで押さえつけられ、制服をはぎ取られそうになるまでは自衛する必要性など微塵も感じていなかった。
因みに理緒が“ネコ”や“タチ”の単語の意味を知ったのもこの頃だ。
そんな思い出したくもない記憶が脳裏を掠め、思わぬ寒気に襲われていた時。
「……一色、そろそろメシ行くぞ?」
軽いノックの後にドアから顔を覗かせた同室者の姿に理緒ははっと我に返る。
「ごめん、もうそんな時間なんだ」
「ああ、まあ………。というか……気が早いな」
理緒の手元にある大きな旅行鞄を見てそう眼を丸くするのは、同室者の都筑将広だ。この彼もまた例に漏れ ず結構な美形であった。
綺麗に染められた金髪と青いカラーコンタクトが違和感なくマッチするくらいには日本人離れした容貌をしている。
初めて顔を合わせた時、「ブルータスよ、おまえもか…!」と内心叫んだのは記憶に新しい。
そしてこの都筑こそ、理緒が襲われていた時に助けてくれた救世主だ。
あの時彼が理緒を探しにきてくれなければ、男相手に前後の貞操を失う羽目になっていた。共謀した“タチ” 側と“ネコ”側の先輩二人に襲われるというまさかの事態だったのだから。
おかげで今では都筑が一番理緒にとって信頼できる相手だ。
「…………休み入ったらすぐ帰るのか?」
鞄をベッド脇に寄せ、広げていた洋服を一カ所に纏めていれば、都筑からはそんな質問が飛んできた。
「あー、うん。ゴールデンウイークは結局帰らなかったからね。夏休みは早めに帰ろうと思って。地元の友 達とも会う約束してるし」
言いながら机の上に置いてあったカードキーを手に振り返れば、都筑は何故か複雑そうな顔をしている。
「都筑?」
「いや…、行くか」
いつものように並んで食堂への道のりを歩きながらも、いつになく浮ついた様子の理緒に対して都筑の顔は どこか浮かない。
「……………随分と嬉しそうだな」
「そりゃ嬉しいよ。何だかんだで半年くらい会えてなかったし。こんなに顔会わせないでいたことなかった からさ」
「……………そうか」
自分から話題を振る割りに都筑のテンションは非常に低い。
表情自体は変わらないのだが、言葉を返すまでの微妙な間の長さが彼の機嫌の悪さを表していた。そんな都 筑の不機嫌の理由に何となく思い当たった理緒は小さく苦笑する。
美形とはいえ大柄な体格と鋭すぎる眼光がどうにもネックになるらしい都筑は、とかく周りから敬遠されがちだ。
実際理緒もあの強姦未遂事件がなければ同室であっても関わることなど考えもしなかった。それくらい外見 のハードルが高かったのだ。
しかし切欠はともかくとして、話してみれば都筑は近寄りがたい見た目に反して非常に温厚だった。
それを知るからこそ都筑の反応は理緒からすれば微笑ましく。 つい生温い視線を向けてしまう。
そんな理緒を見て途端に渋い顔になる都筑もまた、自分の反応が子供っぽいという自覚はあったらしい。
「…………早く行くぞ」
罰が悪そうに眼を逸らし、理緒の腕をやや強引に掴んで廊下を足早に歩いて行こうとするが。
理緒は掴まれた腕の方の指先を都筑のベルトに引っ掛けて留める。
「何、」
引っ張られる感覚に驚いて振り返った都筑は、しかしそこに優しい笑顔を浮かべている理緒を見て息を呑ん だ。
「─────都筑も、時間取れるようなら連絡頂戴。待ってるから」
「…っ、……おぉ」
勢いよく頷いた後、そんな自分の反応が恥ずかしかったのか、都筑は決まり悪そうな顔で、だが結局は諦めたように小さく笑った。
そんなやり取りをした日から、数えること八日。
「「「…………………ドチラサマデスカ?」」」
喜び勇んで地元に帰った理緒が、久し振りに会った友人たちから無情な一言を投げつけられて衝撃を受けたりするのだが─────それはまた別のお話。
一色理緒→実は金持ちボンボン校に行けるくらいには良いとこのお坊っちゃんだった人。 中学までは公立に通っていたが、高校は親の言いつけで私立の全寮制男子校へ。そこで色んな意味のカルチ ャーショックを受け、どうにか悪目立ちしないように頑張った結果、校内では目立たなくても世間一般的に はかなりのイケメンに。でも人見知りなので未だ高校のクラスメイトからは一歩引き気味。 感情表現も控え目。しかしそんな態度が逆に「クール」や「ミステリアス」と勘違いされ、浅い交友関係の 割りには密かに隠れファンがいたりする。でも本人は自分の当たり障りないポジションを守ることに必死で 気づいてない。
都筑将広→理緒を甲斐甲斐しくフォローするイケメン同室者。学校の特殊な校風を理解 しながらも自身はその範疇に入らないと思い込んでいる無自覚な理緒を色々心配している。あまり友人は多 くないので付き合いは浅くても理緒のことは結構大事。彼の何気ない態度や言葉にはハラハラしたりドキド キしたりと忙しい。理緒が話す地元の友人たちにちょっとジェラシー?