ALIVEノート
ゲーム好きな子がアンチ王道転校生の行動パターンを収集、分析して巻き込まれから脱却した後のお話。
ちゃららーん。
「あ」
四時限目前の休み時間もあと一分で終了、というタイミングで鳴ったケータイアラームに、御堂精華は小さ く声をあげた。
設定したそのアラームは次の授業が教室にいてはいけない時間だということを知らせるものだ。
すぐに鞄を掴んで席を立ち足早に廊下に出ると、教室に戻る生徒たちとは逆行する形で精華は特別棟の方へ と足を進める。
確かこの時間の安全地帯は向こうだったはず、そう思いながら。
どうやらここ三週間ほどの平和で少し気が緩み始めていたようだ。昨夜の夜更かしのせいでぼんやりしてい たというのも一因には違いないが。
だからといって油断は禁物、と気を引き締め直す意味で自分に言い聞かせる。
ケータイを操作しながら本日の細かい移動先を確認していると、ぱたぱたと精華の進む方向へ近付いてくる 足音と共に、後ろの方で控えめな声が聞こえた。
「………あの………トリスくん」
だが呼び掛けられた名前に、自分には関係ないものか、と進める足もそのままにケータイから顔を上げるこ ともしない。
そして避難先を確認した後の精華の頭の中は、生憎と現在プレイ中のゲームのことでいっぱいだった。
しばらくお預け状態が続いていたからこそ久々のゲーム漬けの毎日に、精華の機嫌はここ三週間ほど下がる ことを知らない。
そして今日もこの三週間と同じように、寮に帰ったら軽く摘める夕食を用意して自室でゲームに没頭する予 定だ。
そう、ちょうど分岐手前でセーブしてあるゲームのルートをつらつらと反芻していたら。
「トリスくん!」
どこか切羽詰まったような声と共に突然腕を掴まれた。
「………は?」
掴まれた腕に引かれて視線を向けた先には、明らかに顔色の悪い悲壮な表情の生徒が一人。
「ごめん、わかってるんだ、こんなこと頼めた義理じゃないって……! でもどうにかしてアイツから離れたく て……!」
必死に言葉を重ねる彼には悪いが、話が見えない。
しかしそんな精華の沈黙を不快に思っているからだと解釈したらしい相手は、何度も謝罪を交えて『それでも』と助けを求めてくる。
「すごく厚かましいのはわかってるんだ……!」
「…………………いや、うん、そうだね。取り敢えず、俺の名前、“トリス”じゃないんだけど」
まずは取っ掛かりとしてそう主張してみた。
「え」
そもそもの名前すら否定され、“トリスナルシ”を追ってきたはずの田中英治は、相手の顔を凝視する。
人違い?
でも確かに彼は先程の授業まで“トリスナルシ”の席に座っていた。
何より自分は朝から彼の動向を追い、今も教室を出るのを追いかけて来たのだから間違いない。
しかし目の前で困ったようにこちらを見る、柔らかな雰囲気の繊細な容貌の持ち主に、徐々に田中の顔に血 が集まり出す。
遠目にはわからなかった彼の意外に綺麗な顔立ちを至近距離で目の当たりにし、一瞬目的を忘れそうになっ た。
だがすぐに自分の今の状態に立ち返り、暗澹たる気持ちを思い出して必死に口を開く。
「……で、でも、あの……えっと、君“トリス”くんの席に座ってた……よね」
確かに彼は、ある日を境に以前の面影など微塵もない別人になって登校してきた。
誰、と浮き足立ったクラスメイトを尻目に、彼は当たり前のように“トリスナルシ”の席に付いたのだ。
その時に声無き悲鳴をあげたのは自分だけじゃない。
だが本人確認をしようにも、迂闊に声を掛けられる状況では無かった。
彼が“トリスナルシ”であるならば、声を掛けたが最後、面倒なことに巻き込まれることは明白だったからだ。
じりじりとクラス中の視線が向けられる中、彼がその後もずっと今日に至るまでその席で普通に授業を受け続けていた為、皆、半信半疑ながらも同一人物だろうと判断していたのだが。
確かに彼自身が“トリスナルシ”だと名乗ったわけではない。
そう思い至り。
「え、わ……あ、ごめん! 人違い? なんで、あれ…うわ、ごめん!」
じゃあなんであの席に座ってたんだ、とか、“トリスナルシ”じゃないなら誰なんだ、とか、なら“トリスナル シ”はどうしたんだ、とか色々頭を巡るが。
それより人違いしたという罰の悪さから踵を返して走り去ろうとした田中の手を、今度は逆に彼の方が掴ん だ。
「……あー、うん。ちょっと待って。なんとなく事情が見えたから」
「え、え?」
小さくため息をつき、彼はわたわたと慌てる田中を見て苦笑する。
「……色々残念なことに気付いたんだけども、まあ取り敢えず今日これから時間ある?」
「え、あ、うん…大丈夫だけど……」
「なら、ちょっとお話しよっか」
そんな彼の優しい笑顔に誘われるまま、田中はこっくり頷いたのだった。
そもそもの発端は今から二ヶ月ほど前に遡る。
忘れもしない、朝の晴天とはうって変わり、授業開始時刻にはあっという間に酷い土砂降りとなった、あの日。
クラスにもっさりとした、やたら五月蝿い転校生がやって来たのだ。
五月蝿いだけならまだしも、転校生の見た目の印象は薄汚れたモップ。
天気のせいだけではない爆発頭に、見えてるのそれ、というような汚れで曇りまくったレンズ。
当然の如くクラスメイトの落胆は酷いものだった。
そんな酷い転校生と運悪く隣の席になってしまったのが御堂精華だったのだ。
精華は基本、他人に対する関心がそれほど高くはない。話しかけられれば会話はするものの、クラスに特別 仲のよい相手がいるわけでもなく。
クラスメイトが転校生の見た目を厳しく批判している中、そんな時でも精華の頭の中は今プレイしているゲ ームのことでいっぱいだった。
何を隠そう精華は大のゲーム好きである。
その上その日は、ずっと発売を待ち望んでいた新作ゲームを一昨日ゲットしたばかりで、やりこみの真っ最 中。
無論、現実のどうでもいい騒動など眼中に無い。
そこに他のクラスメイトとは明らかに温度差があったのは否めず。
その結果。
転校生に話しかけられた時、精華はプレイ中のゲームの進め方を考えていて、頭が現実に戻って来ていなか った。
碌に相手の顔も見ずに空返事で相槌を打ち、名前を聞かれた時、咄嗟に口から出たのが今やっているゲーム の主人公の名前。
あ、と思った時に何故かクラスにずかずかと入り込んできた生徒会役員連中。そんな彼らを見てうっかり呟 いた言葉が下の名前だと認識され、気付けば転校生の中で精華の名前は『トリスナルシ』になっていた。
訂正しようにも二言会話した時点で、『コレ駄目だ』そう思った。
人の都合も関係ない、自分を優先して当たり前、拒否することを許さない、こんな相手とどう付き合えと?
何より傍を離れようとすると目敏く気付き、どこ行くんだ、黙ってなんて感じ悪いぞ、そんなんだから友達 がいないんだ、と大きな声で責められる。
ましてやそんなのに惚れ込んでるらしいナルシー集団、もとい生徒会役員たちからは、罵詈雑言を浴びせら れ、それだけでは済まずに手や足も出される始末。
そしてそんな役員たちにこれまた惚れ込んでる親衛隊からも目の敵にされ、上に同じく暴言妄言に留まらず暴力を行使されそうになり。
さすがにこれはどうにかしないとマズい、と危機感を覚えた精華である。
何せ日頃から脳天気さが取り柄の精華ですらがそう思ったのだから余程のことだ。
『類は友を呼ぶ』を地で行く、同じ思考回路を持っているらしい彼らに辟易し、ストレスが溜まるどころの 話じゃない。
会話が全くできない。
人間的な理性もない。
そんな集団ヒステリーの場に何度も立ち会わされ、精華自身、連中の凶暴さには驚かされた。
何しろそれで精神的にも肉体的にも痛めつけられたのだから尚更。
役員たちにしろ親衛隊にしろ人の好みをとやかく言う気はないが、嫉妬に狂った馬鹿ほど扱いに困るもの はないと、今回のことでしみじみと思い知らされたものだ。
まさかあそこまで頭がイッてしまうとは。
おかげで連中に絡まれている間は大好きなゲームをする時間が全く取れず、それは精華にとって何より酷い死活問題だった。
そんなこともあり、どうにか迷惑な連中を振り切ろうと知恵を絞ってようやく精華が奴らから逃れた結果 が。
今目の前で暗い顔をしているクラスメイトらしい。
聞けば今から三週間前、精華の姿が全く見えなくなったことに対し、転校生が周囲へと責任転嫁して喚き始めたという。
役員連中がそれを親衛隊の仕業だと周りを威嚇し。
これまた運悪くその時に一番近くにいた彼が転校生に精華の所在を問い詰められるに至り、更に役員たちにも絡まれ次の標的となったようだ。
三週間前の精華と同じように、避けようにも名前を呼ばれて追いかけられては引っ張り回され、役員連中並びに親衛隊にはいわれのない嫌がらせと暴力を受け。
見事に周りから友人が消えたという。
そして転校生たちはといえば、教室に現れる度に『ナルシ!』と入ってきてしつこく精華の行方を捜して いるらしい。
精華自身は彼らの姿を見かけるどころか、声すらこの三週間は耳にしていないのだが。
おかげで「トリスくん」と言われてもすぐには自分のことだとは思い出せなかった。
転校生には「ナルシ」と呼ばれていたし、役員共に至っては名前を呼ばれたことなど無い。
自分が言った名前も忘れかけていた為、田中に呼びかけられた時うっかり無視する形になってしまったのだ。
しかし現在、精華がこうして逃げる事態になった諸悪の根源たちは、一向に見つからない“トリスナルシ”に相当苛立っているようで。
だがそもそも“トリスナルシ”など存在しないのだから、見つからないのは当たり前だ。
出欠席をカード番号で判断する学園では、そもそも授業の際に名前を呼ばれない。
授業においても教師陣は示し合わせたかのように出席番号で指名するのだ。
となると地味に生活している限り名指しで呼び出しを食らうことも、目立つ役職を押し付けられることも無く。
その上クラスメイトとも碌に交流がないとくれば影の薄い生徒の出来上がり。
話したこともない田中が精華の正しい名前を知らなくても仕方がないと言えた。
加えて精華自身、田中の名前を知らなかったのだから、そういう意味でもお互い様だ。
結局のところ、連中が“トリスナルシ”に拘る限り、精華の存在が彼らにバレる心配はない。田中に名前が知 られていなかったことからして、他のクラスメイトも精華に関しては似たり寄ったりだろう。交流の少なさ が今回は良い方向に転んだと言えた。
その意味ではバカ正直に名前を名乗らなかったあの時の自分を褒めたい精華である。例えそれがただの結果論であったとしても。
だがそのしわ寄せとして、連中の苛立ちを向ける矛先が田中に集中しているらしい。
「………なんでこんな目に……好きで一緒にいるわけじゃないのに……」
特別棟の鍵の掛かっていない教室で鼻を啜りながら経緯を説明した後、そう呟いた田中は涙目だ。
それでも精華に対して恨み言を言わない分、余程人間が出来ている。
不可抗力であろうと、精華が逃げたからこその被害とも言えるからだ。
勿論、他に縋るべき相手がいない今の田中に、打算がないとは言い切れないが。
経験上、精華も連中の理不尽さはよく理解している。在り来たりな慰めや、『運が悪かったね』で済ませられるものじゃないのは、身に沁みてわかっていた。
だが図らずとも彼が言ったように、碌に話したこともなければ親しくもない彼を精華が助ける義理は無い。
無い、のだが。
「─────んー……、そうだな……明日の朝、またここに来れる?」
心痛のあまりに疲労困憊、といった状態の相手を突っぱねられるほど、人でなしでもない。
問い掛けた精華に、藁にも縋る思いなのだろう、田中は何度も大きく縦に首を振り、ここにきて漸く強張っ ていた顔を少し緩ませた。
そうして次の日の朝。
言われた通りに昨日と同じ場所にやって来た田中は。
「はい」
顔を見るなり彼に一冊のノートを渡された。
「え」
「取り敢えず、このノートに書いてある通りにやってみて。それでもダメだったら違う方法考えるから」
「え、あの。これって」
「一応、連中の対処法、って感じかな。どういった行動や言動をするか纏めてあるから」
「え。そんなの作ってくれたのか!?」
「うん。前にメモっておいたのに少し書き加えた程度だから。それに結構単純だし、それほど大変じゃない よ。パターンがわかれば避け方も読めてくるし。じゃ、頑張ってね」
「っあ、御堂!」
言いおいてすぐに背を向けて行ってしまおうとする彼を、田中は慌てて昨日教えて貰った本当の名前で呼び止める。
「……ありがとう!」
足を止めて振り返った彼は、田中の言葉にそれはそれは綺麗な笑顔を一つ残し。
「……っわ─────」
後にはその笑顔にやられた男が一人。
「……なにあれ、どんだけ癒し系なの。すんごい後光が差してたんだけど。天使か、女神様か救世主様か」
廊下でしゃがみ込んで頭を抱えぶつぶつと一人ごちる田中の顔は、耳まで真っ赤だ。
それから手渡されたノートをそっと頭上に翳し、ほっと息をつく。
彼はああ言ったが、捲らずとも結構なページ量が書き込まれているのがわかる。
まさかただのクラスメイトというだけの自分に彼がここまでしてくれるとは思わなかった。
彼が転校生たちに絡まれていた時、自分は助けるどころかこちらに飛び火しないよう遠巻きに見ていただ けだったのに。
そんな、クラスメイトの括りに入れるにはあまりに希薄な関係でしかない相手に対し。
こうして手を差し伸べてくれる度量。
今回それなりに親しくしていた友人たちに離れて行かれたことは、田中自身やはり結構なダメージだった。
自分だって立場が違えばきっと同じ判断をしただろうと思っていても。
だからこそ、彼の優しさが余計に胸に来る。
「……あー、もう。ヤバいなこれ」
とくとくと高鳴る心臓とかつてないときめきに、それからしばらく田中はその場所から動くことが出来なか った。
「精華さん!」
「……は」
呼ばれて振り返れば、つい一週間前に初めて言葉を交わしたクラスメイトの田中がこちらへ嬉しそうに駆 け寄ってくる所だった。
しかし相手の容姿は一週間前とはまるで違う。
黒髪はそのままだが、全体的に短く切り揃えられ、見るからに爽やかな印象に変わっている。
そして以前は掛けていなかった銀縁眼鏡。
こうして見ると田中はなかなかのイケメンであった。顔の作りが和風だからか、すっきりと短い黒髪はどこか硬派で、美形というよりは男前度が上がった感じだ。
それでも目立ちすぎない範囲で納めているのは、精華が渡したノートに書いてある事を守っているからだろう。
「良かった……精華さん、この時間はここだったんですね」
にっこり笑顔の田中は、何故だかクラスメイトの精華に対し、口調が一週間前とは違って敬語だった。
しかも名前に“さん”付け。
「……精華さんのおかげであれから無事にやり過ごすことが出来ました。本当にありがとうございます」
その上、言葉と共にきっちり腰を曲げて頭を下げる。
『目立たず騒がずひっそりと』をスローガンとしていたような以前とは一転し、『爽やかスポーツ少年』とでもいうべき変化。
─────それはあれか、見た目につられて性格も変えました、ということか。
諸々突っ込みたい部分はあれど、今はとりあえず田中が危機回避できたことを喜ぶべきだろう、と判断した精華は。
「うん、なら良かった。結局あれからどうかな、とは思ってたんだけど」
「はい! 凄いです。セリフから何からドンピシャで。本当に助かりましたし救われました」
だがそう言い重ねた田中から更にキラキラした眼を向けられ、精華は居心地の悪さに耐えきれず、目線を横にずらした。
「─────うん………良かったけどさ………なんで敬語? そして“さん”付け?」
「え」
「え、じゃないよ。一週間前はそんなんじゃなかったよね? なんなの、どうしたの」
「……いえ、一週間前の俺の態度は、出来れば記憶の彼方に葬り去って欲しいです……。無知故にした精華さ んへの失礼な言葉の数々……!」
くっ、と唇を噛んで後悔しきりの田中に、もちろん精華はついて行けない─────この一週間で何があった。
「俺、今回のことで気付いたんです。身近にこんなにも素晴らしい存在がいることを見逃していた自らの愚 かさを……!」
そんな言葉に次いで、田中は精華の右手を恭しく持ち上げると。
祈りを捧げるかのように屈んで額に押し抱き。
「……俺、頑張ります。だから、一緒にいてもいいですか」
何故だかやたらと敬意を持たれているらしい理解不能な展開に、やはりついていけない精華。
それでも期待に満ちた眼で、こちらを見つめる田中のその申し出を断ることもできず。
単純に、頷いた。
その後、幸せオーラを漂わせる田中と精華のツーショットがあちこちで見られるようになるのは当然 の成り行き。
後に田中経由で一般生徒へとノートの存在が知られ、転校生に絡まれても必ず生還できる“ALIVEノート”と して広まった結果─────いつしか精華は『救世主』と呼ばれて祭り上げられるようになる。
御堂精華→アンチ系転校生に巻き込まれるも、独自の情報収集力と分析力によって回避に成功。その過程 を書き留めたノートが親衛隊に所属していない一般生徒の間で話題に。救世主様だ女神様だと持ち上げられた結果“精華さんを守り隊”が結成され、本人の預かり知らない所で隊員たちが転校生&役員連中と火花を散ら してたり。
田中英治→精華のノートのおかげで転校生たちから逃げることに成功した為、すっかり精華フリークになってしまった“精華さんを守り隊”隊長。 精華に胸をときめかせるも、そんな感情を向けていい人じゃない、と最近は色々な葛藤を抱えつつ自分を戒める日々。