黒歴史の扱い方
「黒歴史を無かったことに」「明かされた黒歴史」続編。
もう本当にいい加減にしてくれませんか。これ以上押し掛けて来られると非常に迷惑です。行く先々でスト ーカーのようにぞろぞろと、暇人じゃあるまいし。特に役付きの方々に至ってはお仕事はどうしたんですか 。義務を果たしてこそ権利が与えられるということをまさか知らないわけでもないでしょう、高校生にもなって────
「女難の相、ってのはよく聞くけど、男難の相ってのもあんのかな。どう思う?」
「え、ええと…、どうだろう…?」
ああ、大丈夫ですよ、わかってます。要するに嫌がらせなんですよね? あなた方のだーい好きな転校生がい なくなってしまった腹いせですよね? そうですよねぇ、散々僕のこと見下し蔑み嘲り存在自体が気に食わないと殴り付けては蹴り倒してくださいましたから、皆さん。ええ、今更逆恨みや八つ当たりはみっともない です、なんてバカ正直に訴えたりしませんよ────
「それとも厄年? ……いや、厄年はまだ先か。俺ぴちぴちの十六歳だし。男は確か二十代半ばに最初の厄年 が来るはず」
「…へ、へぇ…そうなんだ…?」
僕も小さなことは気にしないでっかい男になりたいとは思ってるんですけどね。思ってはいるんですけど、 皆さんの顔を見るとどうしたって嫌な気分がこう…、内側から噴き出してくるというか。何せ幸いにも僕の これまでの人生では、碌に知りもしない他人から面と向かって人格否定されることも、ましてや殴られるなんてことは一度もなかったものですから─────
「てことは、単純に運が悪いってこと? それじゃあ、もう最終手段としてお祓いに行くしかないのか……、 でもそれってどうよ? 俺、そもそも何に憑かれてんの?」
そう真剣な顔でクラスメイト相手に自らの不運の原因を並べ立てていた、この二週間ですっかり学園中にその名を知らしめた今話題の人物─────麻生修也の。
「ああ、うん…そうだね…、ちょっとオレにはわからないけど、あのさ…麻生…」
「ん?」
そのクラスメイトの躊躇いがちな呼び掛けに首を傾げる彼の背後に見えるのは。
「僕のことを案じて助けてくれた“親友”にまでこんな嫌がらせするくらい転校生が大事だったなら引き留め れば良かったじゃないですか、あなた方ご自慢の権力で。ああそういえば僕も脅されたりしましたね。『ここから追い出してあげる』だの『オマエの家、潰してやろうか』でしたっけ……は? 何ですか? 人違い? 間違えた? あははー、それこそ冗談でしょう? 好きな相手を人違いするなんて。それこそ間違える程度の 気持ちしか持ってなかったって言っているようなものじゃないですか─────論外ですね」
こちらに背を向け、バックミュージックさながら流れるような弁舌で、今日も今日とて麻生につきまとう連中をぶった斬っている─────隣のクラスの砂野知久をおずおずと視線で指し示し。
「ええと……その…、後ろは、あのままでいい、の、かな?」
クラスメイトの彼は、ちらちらと麻生の肩越しに見えるその光景を、どうやらスルーしきれなかったようだ 。
しかし当の麻生本人と言えば。
「ああ、うん、いいんだよ。砂野が『今度は僕が修くんのことを守るからね!』って言ってくれててな。それにこれまでの鬱憤も晴らせて一石二鳥だとか何とか」
なんでもないことのように現状放置宣言をかました。
「そ、そっか…」
それには問い掛けた方も周りで聞いていた他のクラスメイトたちも引きつった笑いしか返せない。
よって今はいない転校生が巻き起こした騒動が終結して以来、ほぼ恒例となった昼食時の砂野主催による『 言いたいことを言いまショー』は、それを止められる唯一の存在が容認していることもあり、本日も彼らの 教室で滞りなく開催中だ。
砂野から延々と言葉の攻撃を受けている生徒会役員+aの姿は、親衛隊所属というわけでもないクラスメイ トたちですら、何となく憐れみを覚えずにはいられないほどの落ちぶれ方だ。
何しろ自分に言われているわけではないとわかっていても、砂野の言葉には身の置き所がないような気分にさせられるのだから。自らの所業を並べ立てられている連中に至っては、より一層身に滲みるはずだ。
しかしクラスメイトたちにとっては彼らの凋落というものを思い知らされる時間であっても、昼休みに限らずつきまとわれている麻生からすれば、砂野が共にいるこの時間は息抜きであり癒やしでもあるらしい。
クラスが違う砂野に毎回頼るわけにいかないこともあって、唯一この昼休みだけは確実に連中の相手をしな くて済む時間な分、気がラクなようだ。
そんなこともあり、昼食後は自席で砂野と連中のやりとりを他人事のように傍観している麻生の姿がここ 最近のスタンダードであった。
その麻生が言うには。
「毎回昼休み明けにはすっきりした顔してるから、それはそれでいいストレス解消になってるみたいだし。 俺も無駄に応対せずに済んで助かってる…って言っても鬱陶しいことに変わりはないけどな」
むしろ彼の中ではすっかり砂野専用の“ストレス発散要員”という認識になっている連中の立場の暴落っぷり に、クラスメイトたちも乾いた笑いを漏らすしかない。
その微妙な空気の中で交わされる会話の間にも、教室中央で仁王立ちした砂野による生徒会役員+a限定の 独演会は続いている。
「ッ嫌がらせじゃ」
「ないとかどの口で言う気なんでしょうかね。ちょっと自分たちが僕にしたことを振り返ってみましょうか 。暴言、妄言、果ては殴る蹴るの暴行三昧。見事ですね、そんなことをした相手の所になんの呵責も無く顔 を見せられるその面の皮の厚さにはびっくりです」
周囲を気にすることのない砂野の舌の回り具合は今日も絶好調だ。相手に口を挟ませることを良しとせず、 反論や言い訳も先んじて言葉を封じる始末。
「もう一度言いますが、そもそも自分がすべき仕事をやりもせずに追っかけ回すような相手の話なんてまと もに聞く気になるわけないじゃないですか─────一昨日きやがれ」
そんな砂野の低い捨て台詞で本日分の独演会は終了。
終了と同時に連中を教室から追い立て麻生の元にやってくる砂野の顔は実に清々しいものだ。
「お疲れ。ありがとな」
「…へへ。僕役に立ってる?」
「おー、もちろん。これ以上ないくらいに助かってるさ」
「えへへー」
麻生に感謝されて嬉しそうに笑う砂野の顔は役員連中+aと対峙している時とは雲泥の差だ。
もはや最近では“修くん至上”を隠そうともしていない。
一般的な親友同士がそういうものなのかは甚だ疑問であるが。
そこの所を取り立てて気にもしない麻生の大物ぶりにも感心する。
思えばこうなるまで、同じクラスの麻生修也の印象といえば特別目立つものではなく、かといって埋没する ほど地味でもない、本当に“普通の奴”という認識でしかなかった。
それがとんでもない思い違いだと知らされたのは体調不良で休んでいた麻生が久し振りに登校してきた日の こと。
早退した時の顔色の悪さを見ていた為、病み上がりに言うのもどうかという迷いがクラスメイトたちにはあ ったのだが、麻生とよく一緒にいた隣のクラスの砂野知久の状況を教えないわけには行かず。
一番仲が良かったらしいから複雑だろうが、何も知らずに話しかけて巻き込まれてしまわないように、という親切心から教えた情報が。
まさかあんなことになるとは思ってもみなかったのだ。
それはあの日、四時限目が終了した直後のことだった。
昼食へ向かおうとする麻生を引き止め、意を決して砂野の現在の状況、そこに至った経緯、そして恐らく昼 休みは転校生によって食堂へ強制連行されているだろう事情を簡潔に説明した瞬間。
─────夜叉が顕現した。
その空間に居合わせていたクラスメイト全員が、突然の不穏な空気に揃って固まるほどの。
結局その後、無言で教室から出て行く麻生の背中に見えた青白い炎に恐れおののいた自分たちは。
その日、誰一人として食堂へ行くことができなかったのだ。
後に食堂で起きたらしい事件をその場に居合わせていた他クラスの友人から聞いた時、皆深々とため息をつ いたのは言うまでもない。
何せそれからだ。
毒など一切持ち合わせておりません、といった人畜無害そうな姿を鮮やかなまでに一変させ、麻生が華麗に スタイリッシュに学園へと降臨したのは。
役員連中に衆人環視の中“ミカ”と名指しされたことで何かが切れたのか、はたまた取り繕うことすら億劫に なったのかは定かでないが。
容姿は変わらないのにその印象だけをがらりと変え。
凡庸の顔を脱ぎ捨てた後は、普通と見られていた顔立ちも凛々しく雄々しく美しく、強い眼差しに人目を惹 くオーラ。
『……人ってオーラを出す出さないの調節ができるもんなんだね。しかも雰囲気一つで見た目があそこまで 変わるなんて』とは、あるクラスメイトの言葉だ。
─────普通? 平凡? ……………え? …………ダレのコト?
それほどに雰囲気、纏う空気が違った。同一人物とは思えないほどに。
それでありながら自分たちへの態度は以前と変わらず、むしろ砂野の苦境を教えたことで感謝すらされた。
そしてあの一件以来、転校生に群がっていた連中の親衛隊は軒並み解散となったらしい。
砂野に手を出していたことで麻生の怒りを買い、文字通り痛い目を見たからだ。それを切欠に目が覚めたと かなんとか。
今回のことに関与しなかった親衛隊に所属している生徒たちですら、“触らぬ麻生に祟りなし”を合言葉にめっきり大人しくなったという。
そうして当人の預かり知らないところでいつのまにか抑止力になっている麻生は、一般生徒たちからも憧憬の眼差しを向けられている。
それは当人からすれば甚だ不本意な状況だろう。何しろ結果的にすべてがオープンになってしまったのだか ら。
今では『“ミカ”=麻生修也』は学園内での暗黙の了解だ。
一度麻生にその辺りのことを固有名詞は出さずにさりげなく、遠回しに聞いてみたところ。
『─────シュレッダーに掛けられないからって油性マジックで黒く塗り潰してもさ…、結局はうっすら透けて見えるもんなんだよね。やっぱ黒く塗り潰すなら油絵の具くらい使わないと…』
という、これまた遠回しな答えが返ってきた。
要するに、他人からすれば正義感溢れる武勇伝であっても、麻生にとっては黒く塗り潰して忘れたい過去、 ということなんだろう。 それが今回の転校生の件も加算されたおかげで、黒く塗り潰した上をまたもや黒の油絵の具で念入りに塗り 固める羽目になったようで。
それほど封印したい過去って─────と、クラスメイトたちはしょっぱい顔になるが。当人にしかわから ない何かがあるのだろう。
今となっては否定も意味を為さない状況でありながら、それでも頑なに“ミカ”と呼ばれることを麻生は受け 入れない。
その度に悲痛な顔をするミカ信者なのだが、そもそも麻生をここまで頑なにした原因がなんであるか、彼らが理解していないから話は先に進まないのだ。
単純に間違えていたことが怒りの原因と考えている連中の見当違いな謝罪など、麻生には迷惑でしかない。
むしろ思い出したくもなかった恥ずかしい過去を引きずり出されたばかりか、名指しで晒し者にされてしま ったことへの怒りを再燃させるだけで。
そこにあるのは原因となった連中の想像力の貧困さ。
何故、麻生がここまで否定して拒否するのか、そこに思い至らない時点で連中の駄目さ加減が知れる。
特に生徒会連中なんかはかつて一緒に連んでいたくせに、という視線を向けたくなるのはもう仕方がない。
所詮ひと夏限りの間柄だったということか。
かつてのはっちゃけた過去そのものをブラックボックスに詰め込みたい麻生の気持ちは、役員たちには理解 されない。
何故なら彼らにとっては輝かしい青春の一ページ以外の何物でもないからだ。
麻生がそれを厭う気持ちをわかろうはずもない。
だから未だに拒否する麻生を懲りずに“ミカ”呼びし、間違えていたことを詫びるのだ。
両者の間にあるその認識の著しい隔たりが、今回の件を複雑にしている。 というより、未だに麻生を『ミカ』と声高に呼ぶ連中以外からすれば、至極単純な話なのだが。
結局のところ、“ミカ”ではなく“麻生修也”として接すれば良いのだ。
いつまでも麻生の言う触れられたくない“過去”を引き合いに出すからまともに取り合ってもらえないのだと 、連中はいい加減に気づいてもいい頃だと思うのだが。
彼らがしなければならないことは、決して麻生を“ミカ”呼びしては追いかけ回して許しを乞うことじゃない 。
そんなことをしているから麻生が「へー」「ほー」「ふーん」の気のない相槌程度の返事しかしなくなるの だ。
どんどん悪循環に陥っていることを当のミカ信者だけがわかっていない。
その察しの悪さを“鈍い”の一言で済ませていいものなのか、正直判断がつかない。もしくは極端に視野が狭 いということか。
当事者となってしまうと途端に周りが見えなくなるようだ。
だがもし仮に彼らがそれに気づけたとしても、最大の難関である“砂野知久”という強大な壁が立ちはだかっ ている。
そして麻生の元へ辿り着く為にその壁は避けては通れないものだ。
今は毎日その壁をよじ登ろうと無謀にも挑戦している彼らだったが、肝心の取っ掛かりの足場さえ見つから ずに追い返されているのが現状だ。
だがしかし、そんな険しい道のりを進まねばいけない彼らとは対照的に、対応を間違えなかったおかげで良い方向へと転がった者がいる。
その幸運な人物が。
ちょうどタイミング良く教室の前扉からひょい、と顔を覗かせた。
そして。
「あ。麻生いる」
その人物は教室内に麻生の姿を見て取ると、輝かんばかりの笑顔で駆け寄ってきた。
彼の名は舞原迅─────転校生の取り巻きの一人と見られていたスポーツ特待生だ。
「…お、舞原。もう足は治ったのか?」
舞原の右足を示しながら首を傾げる麻生の表情は、先程の連中相手の時と違って非常に柔らかい。
「ッああ、うん。おかげさまで、大分痛みも引いてるから」
そうして照れたように笑う舞原に至っては、以前と比べ物にならないくらい表情豊かだ。
「そっか、なら良かったな。でも治りかけにあんまり無茶すんなよ。選手は体が資本だからな」
「…うん、ありがとう」
麻生に気遣われて見せる舞原の嬉しそうな様子は、今回の騒動が起こるまで一度として見たことのないもの だ。
その見せたことのない表情も、麻生の前では大盤振る舞い。舞原の男らしく整った顔面は毎回ゆるゆると溶 ける。
それだけに彼の気持ちが誰に向いているのか一目瞭然だった。
常時ポーカーフェイスで会話をするにも必要最低限の口数の少なさ。
特定の親しい人間を作ろうとせず、ひたすら部活に打ち込む男─────それが舞原迅。
その姿はまさしく特待生の鑑。
それが。
今では温厚篤実、質実剛健、そして意外や意外の純情可憐、が“舞原迅”の代名詞だ。
見た目は可憐と言うには程遠い硬派なイケメンでありながら、だがしかし、麻生を前にした時の態度があま りに乙男過ぎた。
最初はその容姿故に腰が引けていたクラスメイトたちも、ちょくちょく麻生へ会いに来る舞原の存在とその 際に見せられる態度に、今では普通に会話できる生徒も出てきている。
そうして何度か会話を交わしていれば、あまり人を寄せ付けなかった理由も自ずと察せられるもので。
高等部からの外部生である舞原は入学して早々、自分より小柄な生徒たちに数人がかりで乗っかられるとい う恐怖を二度経験したらしい。
容姿が人並み以上だったからこそ起きた悲劇だ。
他人事の気楽さで、『受け身でなかったんならいいじゃん』と笑い飛ばせない深刻さがそこにはある。
同性同士の行為など考えたことのない人間からすれば、立場がどうであろうと恐怖以外の何物でもない。無理矢理の行為はトラウマにしかならないものだ。
結局それ以来、どんなに弱々しく頼り無げな相手にも警戒を緩めることが出来ずにいたようで。
女顔の生徒に苦手意識を持つようになった舞原はとにかく周りに人を寄せ付けなくなり、現在まで気軽に話 せる存在は皆無だったという。
これまでも近寄りがたい生徒の一人に名前を挙げられるくらいには、学園内でも孤高の存在として扱われて いたのだ。
そんな舞原が転校生と一緒に行動するようになった時には、学園に激震が走った。まさかあの舞原までもが 転校生に、と。
だがそれが大きな勘違いだったと知れたのは、やはりあの食堂での騒動の後のこと。
麻生によって転校生たちが鉄拳制裁を受けていたあの時、取り巻きの中で舞原だけがその場にいなかったという。
聞けば朝練でうっかり右足首を負傷した為、病院へ行っていたらしい。 その時点で転校生に盲目になって、やるべきことを放置していた連中とは違うというのがよくわかる。
何より舞原が転校生の傍についていたのは、学園のことを何も知らない相手だったから、らしい。
転校生の見た目が見た目であった上、学園の特殊さを知らない相手となら普通の友人関係が築けるのではな いか、という淡い期待があったが故に。
しかし関わる度に転校生の態度や言い分に違和感を感じるようになり、少し距離を置こうとしていた矢先 に、明らかに毛色の違う砂野が引っ張ってこられたが為に離れるに離れられなくなったらしい。
それというのも砂野に対してやたらと攻撃的な自分以外の連中を見たからだという。
しかも無理やり引きずってくるくせに転校生は碌に砂野を庇うでもなく、むしろ連中の貶め言葉を鵜呑みに して一緒になって責めていたというのだからどうしようもない。
見かねた舞原が砂野をさり気なく庇って逃がしたりしていたものの、さすがに細かい所まで目を配れるわけ もなく。
舞原が部活で不在の時に砂野は集中攻撃を受けていたようだ。
そんなこともあり、あの中から砂野と共に抜け出せないかと考えていた所で、麻生のあの“食堂ブチギレ事 件”が起きたらしい。
舞原が食堂でのその騒動を知ったのは、転校生の姿を見掛けなくなってから四日後の話だという。
転校生の毎日の迎えがぱったりと止んだことを不思議に思っていたらしいのだが、砂野が普通に教室で授業 を受けていた為にあまり突き詰めて考えなかったという。
その後、切欠はどうあれ、何だかんだで顔を合わせれば会話するような関係になっていた砂野に今回のあら ましを聞き、この教室に彼と一緒に現れたのが始まりだ。
そして見事に舞原は麻生に懐いた。
それはもう凄い勢いで。
聞けば舞原は、以前襲われていたところを麻生に助けてもらったことがあるらしい。
当の麻生本人は記憶がないと言うが、しかし。
『その時に、“ヒツジやウサギの皮を被った肉食獣もここには結構いるから、始めにどっちの立場が上か徹底的に教え込んでおいた方がいいぞ”ってアドバイスしてくれてさ』
─────ああ、うん。それは確かに麻生だね……。
この二週間で色々なことを知ったクラスメイトたちは、そんなことを言うような人物は間違いなく麻生だと 確信した。
そしてその麻生のアドバイスを受けて、舞原のあの近寄りがたい雰囲気だった、というわけだ。
それが良かったのか悪かったのかはさておき、舞原本人はとても感謝しているらしい。
そうして毎日昼休みにはこの教室へ顔を出している舞原だ。
もちろん麻生にしても他の取り巻きたちと違って砂野を庇っていた舞原の印象が悪いわけもなく。
舞原は砂野の毒舌が発動することなく受け入れられている唯一の例外となっていた。
そんな舞原が。
「…またあの人たち来てたみたいだけど……、大丈夫か? 酷いこと言われたりとか」
砂野を心配して声を掛けるのも、この教室では見慣れた光景だった。
どうしても連中に虐げられていた印象が強いのか、未だに舞原にとって砂野は庇うべき対象と捉えられてい るようだ。
不思議なことに、舞原は連日行われている砂野の『言いたいことを言いまショー』の現場を何故だかまだ一度として見たことがないらしい。必ず連中が砂野に言い負かされて追いやられてから顔を出すのだから、タ イミングが良いんだか悪いんだか。
今となっては立場が逆転して言葉の暴力を受けているのは連中の方であることを知りもしない。
何せ外野も敢えて教えないからだ。
そしてそんな心配に対して砂野はふんわり微笑むと。
「ふふ。うん、気にしてくれてありがとう。でも大丈夫だよ。僕も言われっぱなしじゃないから! これまで言われた分、された分だけ言い返してやるんだー」
ぐっ、と拳を握り締めて顔を引き締めた砂野に、舞原は一瞬眼を丸くしたものの、次いで小さく笑った。
「へぇ、頼もしいな」
「もう毎日あの人たちを言葉でこてんぱんにしてるんだよ!」
「はは、そりゃスゲェ」
信じてなさそうな舞原だが、砂野の言葉が紛れもなく真実であることをここにいるクラスメイトたちは皆知 っている。
だが確かにアレは現場を見なければ俄かには信じられないだろう。何せ普段の砂野は雰囲気が温和で喋り方 もゆっくりなのだから。
しかしそれと同じ口からハイスピードで繰り出される毒にまみれた言葉の数々。
それでいて一度として噛んだりしない凄まじさ。
それには空恐ろしささえ感じる。
思わず凝視してしまうクラスメイトたちの目線のその先で。
「なんてったって修くんを守らなきゃいけないからね。でも力では太刀打ちできないから……」
「…気持ちはわかるけど程々にな。またどんな理由で恨まれるかもわからないし。一人で行動したりすんな よ?」
「うん」
「俺だって二人のこと守るから」
「でも舞原くんは部活だってあるし。もし何かあって酷い怪我とかさせちゃったら…」
「そう思ってくれんなら砂野も危ないことはしないようにな。二人が危険な状況になったりしなけりゃ、俺 も怪我するようなことにはならないはずだし」
「あ、そうだよね」
互いを気遣い、一見すると仲の良い兄弟のようなやり取りを交わす二人。
それを机に頬杖をつきながら緩んだ顔で見守る麻生は。
「……何だろう、あの可愛いイキモノたち」
どうやら二人の存在は麻生のツボだったらしい。
「……麻生……」
「いや、だって可愛いだろ!? 二人して俺のこと守るって……!!」
そう言って興奮したように口を押さえてぷるぷる震えている麻生の姿に、クラスメイトたちは脱力する。
ここしばらくの“ミカ”信者による連日の襲来に麻生のフラストレーションもさすがに溜まっているんじゃな いか、との心配はどうやら杞憂なようだ。
そうクラスメイトたちがほっと安堵の息を吐いた瞬間。
「とはいえ…、やっぱこのままじゃなー。ずっと砂野にどうにかしてもらうっつーのも─────てなると ………人格矯正とか…?」
何気なく呟かれた最後の言葉に、クラスメイトたちの吐いた息が凍りついた。
─────え。え、え? 今なんて言った? ねぇ人格矯正って何? 人格矯正ってナニッッ!?
そうして何かを思案しているような麻生を、今度はクラスメイトたちが固まってぴるぴる震えながら見てい た時。
「ね、修くん。明日のお昼は食堂行こうよ、久し振りにさ。舞原くんも一緒に」
─────麻生を引き戻す癒やしの声が降ってきた。
それによって思考を中断させられた麻生は、ぱちぱちと瞬きして砂野を見やり。
「……食堂、ねぇ。でも周りに迷惑かかんないか?」
麻生の思考が逸れたことにほっと胸を撫で下ろすクラスメイトたち。
だがそんな安心も束の間。
「うん。だからね、僕思ったんだ。いい加減あの人たちを調教した方がいいんじゃないかって」
─────アレ、なんか今、空耳が聞こえたよ。
「おいおい、砂野。そういう時に調教って使わないぜー。馬相手じゃあるまいし」
「あ、ごめん。ついうっかり間違えちゃった。そうだよね、それはさすがに失礼か」
“馬”に。
口には出さずに付け足されたであろう言葉が、クラスメイトたちにはやけにはっきりと聞こえた。
─────………うん、キミはもう優しいだけの子じゃなくなっちゃったんだっけね……!
そんな所でもここ最近の砂野の変わりように物悲しい気分にさせられたクラスメイトたちである。
その場で聞こえていなかったのはおそらく舞原だけだ。
現に先程の調教という言葉もブラックジョークだと思っているのだろう、大層朗らかに砂野と笑い合ってい る。
しかしそれより何よりそんなことを砂野が口にしてしまったら。
「ああ……、そっか……なるほど。調教、ね」
─────っっっっ!! やっぱりねェェ!!!
軽く呟かれた麻生の言葉にクラスメイトたちは揃って心の中で涙混じりに絶叫した。
声の軽さとは裏腹にその単語は物騒極まりない。 どこか含みを持たせたような間すら不安を掻き立てる。
そしてクラスメイトたちの予想通り、砂野の言葉によって一層何かを触発されてしまったらしい麻生を見て 。
クラスメイトたちはそろそろと距離を置き始める。
─────聞いてない。オレたち何も聞いてないよ。
そうしてそっと教室の隅に場所移動するクラスメイトたちだったが。
そこでふと気づく。
……でもさ、よく考えると人格矯正とかいうのよりはマシなんじゃない?
……あー。そうだよね、調教だも んね。要するに躾みたいなもんだろ。
言うことを聞くように教え込むってことでしょ。だって何言っても話 通じなかったもんね、あの人たち。
生徒会役員の人たちだけでなく、風紀委員の人たちとかも仕事放置して るみたいだし。
風紀は最近麻生のおかげで制裁関係はめっきりなくなって静かになったらしいけどさー。だからって仕事ないわけじゃないじゃん。
あとはあの人、バスケ部の部長さんだっけ? 他にもバレー部の人と か…。
ずーっと放課後とかも来てたし。部活どーなってんだろね。だって転校生の時からでしょ? そんなんで大丈夫なのかね。
だからだろ。言って駄目なら多少の折檻も、ってこと。
それでつきまとうな、とか、やることやれ、仕事しろとか?
そうそう。で、うまくできたら飴貰えるんじゃない?
調教だからね。
ああ、 調教だもんな。
ひそひそこしょこしょ。
─────なんだ、じゃあいいじゃん。
そう思ってしまった時点でクラスメイトたちもかなり毒されて来ている。
しかしそこはそれ。
連日の独演会によって役員連中+aが砂野に何を言い、何をしてきたのかを聞いている彼らからすれば。
─────自分たちがしてきたことが巡り巡って返ってきてるだけでしょ。
その一言に尽きる。
ましてやこの教室に押し掛けて来る度に懇々と言われ続けて尚、その後の行動に何ら改善が見られないとす れば。
─────調教やむなし。
一致した意見に皆揃って頷いた。
誰にだって触れられたくない、知られたくない秘密の一つや二つは大なり小なりあるもの。
他人から見れば大したことじゃないと思えるものでも、当人にとっては大変なことだったりするのだ。
その大変な部分を無神経につつきまくればいつかは爆発する。
そうなった後はどうなるか、良い見本が今では連日教室にやってきているのだ。
それを外野で見ていて思うことは。
「「「「やっぱ空気は読むもんだよね」」」」
空気を読み、顔色を窺い、長いものに巻かれる。
それは別に意気地がないんじゃない、単純に処世術だ。
相手によって態度を変えて何が悪い。
人にはどうしたって合う合わないがあるもの。好き嫌いだって当然ある。
だからといってその嫌いな相手を無駄に攻撃して敵を作っても良いことなどない。合わないなら合わないな りに、嫌いなら嫌いなりの距離感で付き合う方法を考えるものだ─────普通なら。
だがそれができなかった連中は、気に入らないから、と短絡的に砂野を排除しようとした。
そしてその行いによって今では散々な状況になっている。
何よりその後の対応がまた悪い。
仮にも好きだという相手が何を望んでいるのかも理解できない疎さには、同情以前に呆れる。
それどころか逆に嫌がることばかり仕出かす空気の読めなさはやはり致命的だ。
だからこそここは一つ、きっちり身をもって知るべきなんだと思う。
─────見極めよう 本音と建前 顔色も─────
─────つつくな危険 黒歴史─────
彼らにはこの言葉を贈りたい。
人の“嫌がることをしない・言わない”それに尽きるのだと。
そんな対人関係では当然のような指標を、今更ながらに痛感しているクラスメイトたちであった。
麻生修也→最近では舞原という癒やしが増えて何だかんだで御満悦。どうやら可愛いも の好きらしい。本人曰く「砂野と舞原は性格が可愛いよな」とのこと。その後、調教を試みたかどうかは不 明。
砂野知久→ほんわかほわほわ時々真っ黒な元巻き込まれ少年。修也に近づく奴らを蹴散 らすのに日々奮闘中。最近では言葉だけじゃ心許ないので、体を鍛えようか検討していたり。でも修也に迷 惑かけない為にはむしろ逃げ足の方を鍛えるの がいいのかも、と陸上部所属の舞原に助言を求め中。
舞原迅→入学当初に襲われていた所を助けてくれた修也をずっと探していた一途な少年。 どうにか探そうとしていたものの、交友関係もまともに構築せずにいた為、手掛かりも情報もなく結局部活 に励む日々を送っていた。それが今回の騒動で修也と再会できたばかりか親しく話せるようになり、最近の 気分は落ちることを知らず。縁を繋げてくれた砂野には感謝でいっぱい。