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元生徒会長の誤算

「元生徒会長の言い分」続編。





「…………くっだらね」


 そんな言葉が思わず口から出てしまうほど、その時、皆瀬海里ミナセカイリの機嫌は大変宜しくなかった。


 それもそのはず。

 本来ならばクラスの面々と一日かけて楽しい調理実習の予定であった日の午後に。



 ─────何故よりにもよって、心底どーでもいい生徒会役員共のリコール採決の場にいなければならんの か。



 その不可解な現実に、海里の機嫌は現在進行形で底辺を這っていた。


 海里がいるのは全校集会真っ只中な講堂の、中央通路を挟んで他クラスから離すように割り当てられている クラス席。


 前方にある壇上では、今まさにリコールを突きつけられている転入生を始めとした役員連中の姿。

 それに怒鳴り散らす転入生の耳障りな声が、やたらと響く。


 この場に入ってきた時からどう見積もっても良好と言えなかった気分が、それらのせいで更に落ちるとこまで落ち。


 肘掛けを掴むように置かれた海里の人差し指が、異様な速度でリズムを打ち始める。



「……………海里。イラつくのはわかりますが、少し抑えてください」



 左隣に座る友人の犬養進イヌカイススムに見咎められて注意されるも、当然ながら海里の苛立ちは収まらない。

 何故なら抑えているからこそこの程度で済んでいるのであって、本当ならば壇上の役員たちを一人残らず跳び蹴り後にバックドロップしたい気分なのだ。


 だが確かにその刻むリズムが鬱陶しいのもわかるので。




「…………っち、この能無し共が─────」


 


 指を止めた分、収まらない不愉快さを込めた低い恫喝に、海里の右隣後方三列に座っていたクラスメイトた ちがびくり、と肩を震わせた。


「……………海里」

「あー…、悪い」


 さすがにそれにはバツが悪そうに両手を顔の高さまで挙げて謝罪する。

 だが気のいいクラスメイトである彼らは。


「いえ、大丈夫です。むしろこっちこそ済みません」

「海里さんがイラつくのわかりますから」

「俺らもイラつくしムカついてるんで」

「こっちのことはあんま気にしないで下さい」


 手を振りフォローまで完璧という気遣いっぷりだ。

 それにはさすがに海里の表情も和らぐ。


 そうして振り返れば他クラスメイトも皆同じように苦笑いしていた。

 その様子に、今度は罪悪感から海里の眉が下がる。


 全校集会において普段は埋まることのない2Eクラスの座席が、今日この場においては誰一人欠けることな く埋まっていた。

 それも偏に今回ほぼ強制的に参加する羽目になった海里に付き合ってのことだ。


「……なんか、ほんっと悪いな。こんなくだらないことに付き合わせて」


 常ならば出ないはずの集会に付き合わせている申し訳なさを詫びれば、やはり気のいいクラスメイトたちは 揃って首を振る。


「いや、海里さんいないと、正直どーしていいかわかんないんで」

「無駄に食えそうにないナマモノ作っても意味ないしなー」

「「「なー」」」


 彼らは自分たちの料理の腕前を話題に上げ、顔を見合わせて笑う。


 それというのも二学期に入ってから2Eでは何故か料理ブームが到来中なのだ。


 教師すらがプリントを置いて終わり、と授業を放棄しているEクラスにおいて、時間割というものは無いに 等しい。結果、各々で自習というのが定番スタイルなのだが。


 そんな中、一見強面なクラスメイトが料理上手だったことが発覚した為、面白がったクラス総出で勝手に週一調理実習を開催中なのである。


 それが二日前にこのごり押しの集会が入り、本日の調理実習は午前中で急遽切り上げとなったのだ。

 本当ならば作った料理を食べた後、午後はデザート作りにチャレンジだ、と盛り上がっていたというのに。


 さすがに菓子作りは料理以上に勝手がわからず、唯一それなりに知識だけはあった海里を中心に挑戦してみ ようという話になっていたのだが。


 考え無しな役員連中のせいで結局はこれだ。


 だからこそ気遣ってくれるクラスメイトの優しさを有り難く思うのと同時に、申し訳なくもなる。

 だがしかし。


 海里が今これほどまでに苛ついているのは、何も能無しな役員たちのせいだけではない。


 講堂に入って来た時から感じる強い視線が一番の原因であり、そしてその視線の相手こそ、海里が自身のリコールを甘んじて受けた最大の理由だった。


 引き締まった長身と理知的で端整な美貌を持っていることから、小柄な生徒たちの熱烈な支持を集めている 生徒会顧問─────吉戒千晶ヨシカイチアキ



 海里に並々ならぬ執着を持つ男でもあった。




 閉鎖的な山奥の学校ということもあり、教師すらが生徒を相手に性欲発散することを、表立たないことを条 件に黙認、許容する学園内において、吉戒の存在は極めて異質だった。

 その容姿端麗ぶりから相手を希望する者が後を絶たない中、しかし一度としてその誘いに乗ったことのない禁欲的な男だと。


 教師であるからには当たり前であるそれを、何故か美点として挙げられている所からして、いかにこの場所 が特殊かがわかる。

 だが学園内においては、誰にも靡かない吉戒を憧れと尊敬の眼で見る生徒たちの方が多かった。


 もちろん海里も当然のように吉戒千晶という教師はそういう男なのだと、信じて疑わなかった─────自身が生徒会長となり、生徒会顧問となった吉戒と顔を合わせるまでは。


 どれだけ容姿に自信のある者が迫ろうと、あくまでクールにスマートに、後に引かない断り方をする、と噂のそんな男が。


 “視姦”


 その言葉の意味をあれほどまでに実感する眼を、自分に対して向けてくるとはさすがに想像もしていなかった。



 最初は気のせいだろうと思った。

 確かに綺麗系男前と称される海里ではあったが、自身をその手の対象として見る相手は大抵小柄な生徒たちだったからだ。


 しかし顔を合わせる度に感じる視線を、さすがに気のせいと流すことも出来ず。

 生徒会関連のことで関わる度に、全身を暴かれているような不快感。

 それでいて実際に手を出してくるわけでも、言葉で求めてくるわけでもなく。


 だからこそ、対処に困った。


 ただ向けられる視線だけが雄弁に語るのだ。




 ─────犯したい。




 と。


 本来ならば自身のリコール騒動にしても、事実無根な噂話で貶められて黙っていられるほど海里はお人好しでは無い。

 むしろ引きずり落とそうと足を掴まれたら、これ幸いとその足で逆に相手を蹴り落とすくらいのことは平気 でする。


 今回何故そうしなかったかと言えば、ただ単に吉戒と物理的な距離を取る為だ。


 自身に対する様々な噂はあれど、海里は前も後ろも男との経験は無い。そして今後も知ることなく卒業する予定である。

 その為にも、こちらから下手につついて貞操の危機、という事態に陥ることは避けたかった。


 だが無視し続けようにも、精神的な疲労と苛立ちの蓄積が半端なくて。


 相手が顧問である以上、生徒会長という立場では関わりを断つことが難しかったからこそ、今回の騒動はま さしく渡りに船だと飛び乗った結果である。


 自身の親衛隊や友人たちに、噂は不愉快だろうが口を出さないでくれと言ったのも、結局はそれ一つに尽き た。

 その際に理由として挙げた「生徒の見極め」という説明は、もっともらしい方便でしかない。 正直勝算は五分五分だった。

 しかし結果はあっさりとリコール成立。


 狙っていたとはいえかなり複雑な気分になったのは言うまでもない。




 とはいえそういった経緯の末に海里はようやく生徒会長の肩書きからも吉戒の視線からも逃れ、日々をストレスフリーで送ることが出来ていた。


 他役員たちの仕事放棄や、碌でもない噂話をバラまかれたことに腹は立ったものの、なんだかんだでその 内の一割ほどは「よくやった、色ボケ共!」と思っていた海里である。


 しかし今ではその時の自分の甘さ加減を罵りたい。

 結局、色ボケした奴らはどこまでも色ボケだった。


 リコールされる前に海里が役職に限らず粗方仕事を片付けておきはしたが、さすがに二学期以降はノータッチだ。

 その唯一仕事をしていた自分をリコールしたからには、それを肩代わりする“誰か”が当然必要な訳で。

 真面目にやる気になったのか、もしくは自分たち以外に仕事する奴を見繕ってあるのか、そう単純に思っていたのだが。


 連中はどうやら丸っと仕事放棄したままだったらしい。


 普通に考えて、色ボケして仕事しなかった奴らにそんな判断力を求める方が間違っていたのだと。


 気づいたのは今回の全生徒会役員のリコール話を聞いてから。



 七月の頭になされた海里のリコール劇の後、その後釜には役員連中みんなが大好き転入生が座ったわけなの だが。

 合間に夏期休暇を挟んだにも関わらず、新学期が始まって早々に生徒会が機能不全になっていることが学園 中に知れ渡ってしまったらしい。




『………生徒会役員をリコールすることになったので、再び会長に復職して欲しい…そうです』




 自身の親衛隊隊長である赤羽美弥アカバミヤから携帯電話越しにすら言いにくそうにされた説明を、うっかり思い出 してしまい。


 海里の掴んでいた肘掛けがみしり、と音を立てた。


「………海里」

「………悪い」


 犬養に溜め息をつかれ、海里は気まずそうに視線を逸らす。

 その逸らした先で、壇上の騒ぎなど眼中に無い、と言わんばかりにこちらを見つめる存在を視界に入れてし まい、内心悪態をついた。

 もう近くで見ることは無いと思っていたからこそ、余計に苛立ちが増す。


「……では、生徒会役員のリコールに伴い、後任の役員人事をここで提案させていただきたいと思います」


 結局抵抗虚しく壇上から引きずりおろされていく“元”生徒会役員となった転入生及びその取り巻き連中は、 そこでようやく海里たち2Eの存在に気づいたらしい。


「ッ海里! おまえがこんなことさせたのか、卑怯だぞ!」


 風紀委員たちに取り押さえられながら、転入生は予想通り見当違いな言い掛かりを海里にぶつけてきた。

 相変わらずやたらと突っかかってくるのは健在らしい。

 一方他の“元”役員連中は明らかに動揺していた。


「…、まさか」

「ちょ、なんで」

「かい、ちょ」


 海里はそんな連中を無表情に見据え。




「自分の阿呆さ加減を人のせいにすんじゃねぇよ─────無能」




 マイクを使わずとも、海里の静かなトーンの声は不思議と講堂内に響いた。


 途端に集まる視線。


 言葉一つで自然と他者の意識を浚っていくそのオーラ。


 あちこちから自然と感嘆の声が漏れ。


 その瞬間、海里は声だけで格の違いというものを見せつけた。





 しかしそれに黙っていられないのが転入生だ。

 可愛らしいと評判だった顔を紅潮させて海里を憎々しげに睨みつけ。


「…ッうるさい! 俺は無能なんかじゃない! こんなのおかしい! みんな海里に騙されてるんだっ!」


 そう喚いて風紀委員を振り払おうと暴れ出す転入生に、取り巻きの“元”役員たちですら信じられないものを 見るような眼を向けている。

 ましてやこの場にいる生徒たちが向ける視線は侮蔑に満ちていた。


「静かにしてください。すでにリコールは可決されました。これ以上見苦しい真似をするなら即刻強制退去 させます」


 だが進行役の生徒からの注意にも転入生は耳を貸さず。


「うるさいうるさいうるさい! 俺は生徒会長だぞ!」


 一層暴れ出し、結局会話にならないと判断した風紀委員たちによって、講堂から引きずり出される。


 そして後には今更ながらに気づいた転入生の幼稚な有り様に茫然自失な“元”役員たちだけが残された。


「……“元”役員の方々も、何か言い分があるようならお聞きしますが」


 事務的に聞かれるも、しかし自分たちを見る周りの眼の厳しさに気づいた彼らは、俯いて足早に講堂から出 て行く。


 戻った静けさに進行役の生徒は改めてマイクを持ち直し。


「─────それでは仕切り直しまして、次の役員人事の提案をさせていただきたいと思います」


 その言葉にあちこちから小さな歓声が上がる。

 それと同時に生徒たちの意味深な視線がこちらに流れ-----鬱陶しさに、海里は眉を顰めた。


 何を期待しているのか知らないが、生徒会長という役職は既に海里には関係ないものだ。

 望んでもいないのに押し付けられ、そのくせ噂話一つで『辞めろ』と降ろされた。


 それなのに今回の再任要請。

 受け入れられると信じている奴らの気が知れない。

 確かに騒動を逆手に取って利用もしたが、それはそれだ。

 今更またあのストレスフルな状況に逆戻りすることなど考えられない。


 ましてや他者の勝手な都合でこれ以上振り回される気も無かった。


「それでは、まず補佐から─────」


 役職ごとに読み上げられる名前に伴い、壇上に上がる生徒を確認する海里の顔から、だんだん表情が失せて いく。




「…生徒会長─────皆瀬海里」

「断る」




 そして自身の名が読み上げられた瞬間、間髪入れずに拒否した。


 しん、と講堂内の音が消える。


 再び海里に集まる視線。


「俺は、生徒会長になどなる気は無い」


 その場にいる者たちの視線をはねのけるように、海里ははっきりきっぱり切って捨てた。


 そうなると困るのは進行していた生徒だ。壇上と海里へ視線を何度も往復させ。


「あ、あの、でも…っ」


「…だって皆瀬様じゃないと…」

「今こんな状態になってるのに…」

「何とかしてもらわないと…」

「そうだよ…」


 口々に好き勝手な言葉でざわつく生徒たち。


 役員に任命される予定の生徒たちも、壇上で戸惑ったように顔を見合わせている。


 だが海里は背もたれに深く寄りかかりながら、組んだ脚もそのままに冷たく睥睨した。


「……なら聞くが。また俺でなければならない理由は?」


 リコールしておきながら再びその席につけというのは、些か道理に合わないのではないか。

 そう暗に仄めかせば、自分たちの都合から復職を迫っていた生徒たちは言葉を詰まらせた。


「…あのッ、ですが…」

「俺以外にも優秀な奴はいるだろう。顔で選ぶようなやり方をしなければ、いくらでも」


 でなければ名門校の名折れだな、そう重ねた言葉は直接的な皮肉。能力でなく顔だけで選んだ結果がコレだ ろう、と。




 あの騒動の後、転入生が生徒会長として信任されたと聞いた時、海里は学園生徒たちの正気を疑った。


 確かに転入生の容姿の良さは認める所だが、まさか学園における生徒会の役割を、編入して来たばかりの人 間に務まると考えている浅薄さに驚いたなんてものじゃない。


 どれだけ雰囲気に流されている奴が多いのか、と呆れた。


 確かにこの学園において生徒会選挙というものは、実質信任投票でしかない。

 一年の二学期に生徒たちからの人気投票で選ばれた補佐が次の生徒会役員となることは、もはや暗黙の了解 であ。

 海里たち“元”生徒会役員も、一年の時に“顔”の良さで補佐に選ばれたわけなのだが。


 一年時はあくまで補佐として役員の仕事のやり方を覚える為の準備期間。

 正式に役員になる前に学ぶ期間を設けられている意味を、まさかわからないわけがない。

 経験も無しに務められるほど、この学園の生徒会役員は甘くないということだ。

 そんな事情にも思い至らない生徒たちを、海里が見切ったのはもう三カ月も前のこと。

 海里としては、今更そんな連中の為に労力を割くことなどしたくない。


「確かに噂を放置し、否定も一切しなかったのは俺だが…、あそこまで辞めろコールを向けた相手に、まさかもう一度会長に戻れ、とはな。その厚顔さに呆れる」


 くっ、と嘲笑して見せれば、今度こそ皆一様に押し黙った。


 勝手に持ち上げて押し付けておきながら、あっさり掌返して追いやり、今また押し付けようとする厚かまし さ。

 間違ってました?

 勘違いしてました?

 そんな一言で済ませようとするそこに、自らの判断に対する責任というものがまるで見えない。


 前回の海里のリコールの時、同じように開かれた集会で起きたのは─────生徒たちからの『辞めろ』コ ール。


 そこにはあの時学園内に流れていた空気による鬱憤やノリもあったのだろうが。


 まさか自分たちが口にした言葉を忘れたとは言わせない、そう告げれば。


 あちこちで痛みを堪えるかのように俯く生徒たち。


 それを一瞥し、もう用は済んだだろうと海里は席を立つ。

 併せて2Eの面々もパラパラと席を立って行く。

 海里の言い分はもっとも過ぎて、一人また一人と講堂を出て行く2Eの生徒たちを誰も引き留められない。


 だが。


「…待ってくれ、皆瀬」


 海里が講堂を出ようとした所で、マイクを通した男の艶やかな低音が止めた。


 その声の主に思い至り、漏れそうになった舌打ちをどうにか堪える。

 こちらを心配そうに窺っているクラスメイトたちを促して先に扉から出させ、一人講堂内に残った海里がゆっくり振り返れば。


 進行役をしていた生徒の横からマイクを取り上げこちらを見上げていた予想通りの人物に、つい顔が歪む。


 だが吉戒は真摯な表情で海里を見つめていた。そこに、以前のような欲に満ちた色は無い。


 今日初めて視線を合わせたことによってそれに気づいた海里は、僅かに眼を見張る。


 そんな海里の戸惑いに気づくことなく、吉戒は話を進めていく。


「……確かに真実を見極められず、噂を鵜呑みにした奴らが悪い。だが実際問題、本当に色々なことが滞っ てる。これを勝手のわからない奴にいきなり任せるのは荷が重いんだ。せめて後任の役員が慣れるまでサポ ートとしてでも入ってくれないか」


 生徒会顧問である吉戒からの妥協案に、講堂中が固唾を呑んで海里に注目し、その返答を待つ。


 対して海里は吉戒から向けられる視線の違いと内容の真意を問うように、真っ直ぐその眼を見返し。


「……後任の役員の選出方法は、何を基準にしましたか?」

「席次と生活態度、教師からの推薦を考慮して決めた。今回は特例として生徒による選挙は行わないことに している」


 淡々と返される態度に不審な点は見られない。それこそ以前の印象そのままの、ストイックな教師の顔。


 そうして思い返せば、海里のリコールの時も吉戒は何のアクションを取るでもなくそのまま容認したのだ。

 リコールの後にクラス落ちとなれば、接点が無くなるというのに。


 仕事に追われていてそれを気にしていられるような状態ではなかったが、あの時既に海里に対する吉戒の興 味が薄れていたとしたら。

 もしくはこの三カ月というインターバル中、何かしらの心境の変化があったとしたなら。




 ─────以前のアレは、たまたま学園の空気にあてられただけの、気の迷いだったってことか?




 現に今、見返す眼にあの時のような熱っぽさはまったく無い。


 それに気づいた海里の視線から、吉戒に対する疑心が徐々に薄れていく。


 そして今、教師然とした顔で吉戒が説明したのは、役員の選考は提案ではなく、実際は事実上の決定だとい うこと。


 役員選考において生徒の意見が入っていないことと吉戒への警戒が薄らいだおかげで、多少は譲歩してもい いか、との思いが海里の頭を過ぎった。

 サポートする程度なら、正式な役員でない分、顧問ともそれほど関わる必要はないはず。


 といっても、タダで引き受けるつもりはない。


「………ならば役員の再考を求めます。サポートを引き受ける条件はただ一つ。俺が指名した生徒に役員就 任の了承が得られれば、の話です」


 そうこれ以上ないほどの独断を突きつけた。


 自分が選んだ相手でなければ協力する気はない、と。


 それは壇上にいる生徒では任せるに値しないと言ったも同然だった。


 教師側から打診されての立場でありながらこのまさかの展開に、壇上の彼らは揃って言葉を失う。

 全校生徒の前で『使えない』というレッテルを貼られ、顔面蒼白だ。


 それにはさすがに吉戒も眉を寄せた。


「……皆瀬、それは…」

「生憎と俺は、成績と能力はイコールで無いと思っているので」


 だが続けての手厳しい一言に、吉戒のみならず壁際に控えていた他教師たちも揃って首を竦める。


 成績が良ければいいだろう、という安易な決め方への批判に、反論も出来ない。


 しかしそれだけ切羽詰まっていた証拠とも言える。


 海里がリコールされて約三カ月。

 教師側からしても、会長が変わっただけでまさかこんなにも学内が混乱するとは夢にも思わなかったのだ。


 それだけこの学園において生徒会長の担うものが大きいことに気づいた時には、もう手遅れで。


 大半が生徒主導になっていたからこそ、教師側も介入のタイミングを見極められなかったのだ。


 生徒会を中心になされるはずの会議もまともに出来ず、各自の主張を纏めなければならないはずの会長は現 実味の無い提案をするだけ。


 結局何も決まらない、決められない。何より肝心の予算が組めなければ、学園内での行事はもちろん、割り 当てられる部費が滞れば部活にも支障が出る。運動部は予定していた対外試合も中止に追い込まれた。


 海里の噂が出た時、それを特に諫めることなく流れるままに来たツケというには、あまりに酷い。


 そうした現状をどうにかするためにも、何としてでも海里に生徒会へ戻ってもらいたいのは教師側も同 じなのだ。


「……別に無理なら無理で構いませんが。俺も何もしないだけですから」


 会長として立つのを拒否し、サポートに入ることにも随分な条件を求め。 これでは公正とは言えない。

 それでも。


「─────なら、その指名する生徒を教えてもらえるか」

「「「っ吉戒先生!?」」」


 壇上の生徒たちから悲鳴のような声が上がった。


 話が違う、とばかりに彼らは気色ばむが、吉戒はあくまで淡々と詫びる。


「せっかく引き受けて貰ったのに済まないが、すべては皆瀬次第なんだ………もっとも、おまえたちで現状をどうにかできると言うのなら、任せたいとは思うが」

「「「……」」」

「…そ、れは」

「ちょっと……」


 海里無しにどうにか出来る自信はあるのか、そう問われれば顔を見合わせて口を噤むしかない。

 吉戒が海里に説明した通り、すべては『皆瀬海里がいる』という前提でのことなのだ。


 何せ今更前期の役員たちを引っ張り出すことは出来ない。それ以前に彼らには拒否された。

 「海里をリコールしたのが学園生徒たちの総意だろ」との言葉で、彼らがどれほど海里に眼を掛けていたのか、同時に他役員、学園生徒たちに失望しているのかがよくわかった。


 しばらく待って誰からも反論が上がらないことを確認し、吉戒は再び海里を見る。


「皆瀬、なら頼む。誰を選ぶのか教えて欲しい」

「………は。ここで、ですか?」


 名指しするには場が悪いとの思いから海里が躊躇えば、吉戒はだからこそだと促す。


「情けないことに、指名される生徒の心情や状況に関わっていられないほど切羽詰まっててな。周りからの圧力を利用してでも引っ張り込みたいくらいにおまえが必要なんだよ」


 相手の意思なぞ知ったことか、との言い分は、決して教師が言っていいことじゃない。

 しかしそうまでしてでも海里をサポートとして据えたい心情の現れだと、吉戒の眼が言っていた。


 その言葉通り、この人数の生徒たちの前で名指しされてしまえば、指名された相手には逃げ場が無い。

 海里をどうにか生徒会へと戻したい者たちは、指名された生徒に就任を迫るだろう。


 何故そうまでして自分を再び生徒会へと戻したいのか理解に苦しむが。 だがその光景が眼に見えるようで。


 妙な熱意に押される形で海里は一つ嘆息し。

 逡巡するようにしばし沈黙した後。


「……補佐に1A相川信治アイカワシンジ、1B水谷誠司ミズタニセイジ、1C井ノ原豪イノハラゴウ、1D斎藤敦サイトウアツシ。会長に2S鹿島稔カシマミノル、副会長に2B 浅野克志アサノカツシ、書記に2C長山康成ナガヤマコウセイ、会計に2D原夏彦ハラナツヒコ……以上の八名」


 自分の名前を挙げられたことに驚く者。

 硬直する者。

 青ざめる者。


 そんな青ざめるという反応をした者が一人、2Dのクラス席から悲鳴にも似た声を上げた。


「ちょ、待て待て海里! なんっで俺!?」


 立ち上がり叫んだのは、今し方最後に指名された原夏彦だ。


 特段これといった特徴のない原は、これまで目立たず騒がず平凡に過ごしてきた生徒の筆頭でもある。

 人気者たちとは距離を置き、あくまで端っこの方で地味に生活していたのだ。

 その地味な生活の中で例外中の例外とも言えた存在が、“皆瀬海里”その人だった。


 そんな例外の存在であった友人によってよもやの表舞台へ引きずり出され、さすがに黙っていられなかった のか原はここで致命的なミスを犯した。


 海里を名前呼びした挙げ句、タメ口という言い逃れしようの無い暴挙を。


 それに気づいてざわつく周辺が見えているのかいないのか。

 突発的な事態にテンパるのは相変わらずだ、と海里は小さく笑う。


「…なんで、と言われてもな。色々な角度から適材を選んだ結果だ。諦めろ」

「いや。いやいやいや! つかDから役員出るなんて聞いたことないんだけど! え、それとも何、嫌がらせ ? リコール賛成したのにおまえの復職に賛成署名した仕返し? いやでもさ、リコールに賛成したのはおま えが会長職に乗り気じゃなかったのを知ってたからだし、今回復職してもらいたいと思ったのは、他の役員 の使えなさからおまえ以外に今の状況をどうにか出来る奴がいないのわかってたからだって!」

「…………へえ。おまえも俺をこんなとこに引きずり出した内の一人か」


 物騒な笑いを浮かべた海里に眼光鋭く見据えられ、そこで初めて自分の失言に気づき、原は途端にしまった 、と顔をひきつらせた。


 その反応を見て多少の気は済んだのか、海里は扉脇の壁に背中を預けて腕を組み。


「……まあ、人に本意じゃないことをさせようってんだから、それなりの代償は承知の上だろが」

「やっぱり嫌がらせじゃねぇか!」

「阿呆か。嫌がらせだけで選ぶかよ」


 噛みついてくる原に、海里は呆れたように肩を竦め。


「俺はな、信用出来そうにない相手と関わる気はない」


 そこにはっきりとした線引きを示せば、生徒たちも皆揃って息を呑む。


 結局はそこなのだ。

 碌に情報を精査せず、真偽も定かで無い噂を信じて行動するような輩を、信用することは出来ない。いつまた同じようなことになるとも限らないからだ。


 役員候補として壇上に上がっていた生徒を拒否したのもその為だ。揃いも揃って海里のリコールに賛成し、 また今回の再任にも賛成した連中。

 信用出来るわけがない。


「言っとくが、俺は能力と人柄重視だ。それに加えて気心の知れた遠慮なく頼めそうな相手、と考えた時に 浮かんだのがおまえだった。俺の“友人”であるおまえなら、多少の無茶な頼みも聞いてくれるよな?」

「…う」


 友人の立場を盾に出されては、原の勢いも途端に萎む。乗り気じゃない会長職を再び押し付けることに賛成 した手前、明らかに原の方の分が悪い。

 その上で選んだのは能力や人柄を加味した結果だと言われれば、海里に認められた嬉しさが無いわけでもな く。


 渋々と言った様子で原が頷きかけたその時。


「ねー、俺が会長とか有り得ないんだけど」


 今度は2Sの方から声が上がった。


 視線をやった先で立ち上がったのは、気怠げな雰囲気の色男。


「…不満か、鹿島」


 むっすりと口を尖らせてこちらを見る相手に、だが海里はわざとらしく眼を見張る。


「不満って、あったりまえでしょ。自慢じゃないけど、俺、不真面目よ?」

「まあ、否定は出来ないな」

「だったらなんでさ」


 恨めしげに見てくる鹿島に海里は片眉を上げ。


「普段真面目じゃないくせに、おまえも原と同じように学園の安定っつーのを気にしているみたいだったか らな。ならその思いを汲んで会長として頑張ってもらおうと思ったんだが」


 思い違いか? と笑って見せれば、鹿島は失敗した、とばかりに眼を泳がせる。海里に知られていることを察 し、動揺したように。


「─────自分で墓穴を掘るような原の素直さを見習って、おまえも俺に懺悔してくれても一向に構わないが?」


 今回の騒動で原と同じ判断をした友人を、遠回しに責めれば。


「スミマセンでした」


 鹿島からは直角のお辞儀が返ってきた。


 それにふん、と鼻を鳴らして海里は各クラス席を見渡す。


 海里が実際にその性格や能力を知っているのは、名前を挙げた八人の内、元々友人付き合いをしている原と 鹿島の二人だけだ。

 その他の六人にしてみれば、事前に話を通したわけでもないばかりか、まさしくとばっちりもいい所で。


 その辺りに関してフォローの意味も兼ね、ここでしっかり理由を告げておくか、と海里は組んでいた腕を解き、壁から身を起こす。


「─────今名前を挙げられた中で俺と面識の無い者は、何故自分が、と思って当然だと思う。だが、中高一貫の全寮制だからこそ色々と耳に入ってくることもある。これでも一応、中等部時代にも会長してたんで な。まあ、俺に眼をつけられるくらいの能力があったせいだと諦めてくれ」


 海里はそこで一旦言葉を切り。


「決定打は、俺のリコールに“反対”し、生徒会長への再任にも“賛成しなかった”奴─────覚え、あるよ な?」


 悪戯っぽく笑って見せれば。


 あ、と微かに上がった声は、おそらく海里が名前を挙げた六人の内の誰かだろう。


 海里の親衛隊や原と鹿島を除いた友人たち以外でそう判断してくれたのはごく少数だ。

 その限られた中から、更に能力の点で選んだのが名前を挙げた六名。


「俺は、噂の出所や真偽を冷静に見極めることができ、尚且つ面識無い相手の気持ちや立場も推し量ろうと してくれる奴らにこそ、上に立ってもらいたいと思う」


 選んだ理由を告げて柔らかく微笑めば。


 あちこちで真っ赤な顔をして硬直する者が続出した。


 それを胡乱げに見やった原と鹿島の。


「「……こんのタラシが」」


 タイミングもぴったりに声を揃えた言葉に、海里は一瞬眼を丸くし。


 だが次いで今度はあざといまでの艶やかな微笑を見せる。


「なら素直に誑されてろよ─────イイ思いさせてやるぜ?」


 結果、海里の言葉と表情に撃沈された生徒が、耐えきれずあちこちで腰砕けになる。


 もちろんそれに直撃された原や鹿島も例外ではなくて。


「「この性悪がッ!」」

「は。褒め言葉だな」


 揃って耳まで真っ赤にさせながらかろうじて返したそれは、だが海里にあっさり鼻であしらわれ。

 翻弄されて脱力気味の二人を放り、海里の視線は確実に他の指名した六人を個々に捉えていた。


「とにかく俺は、サポートするならおまえらがいい。だがどうしても納得できないと言うなら、今ここで言 ってくれ。晒し者にするようで悪いが。その場合は俺も無理強いはしない─────まあ 、原と鹿島に拒否権 はないがな」

「「うう…」」

「無ければ承諾してもらったと判断するが」


 うなだれる二人を見事にスルーし、再び座席を見渡せば。


 見返される視線はあれど、上がる言葉は無い。


 結果的に全員の承諾を受け、海里は破顔した。


 それを見てまたもや顔を覆う生徒たちを、だが海里は視界に入れるでもなく。


「─────吉戒先生、では彼らでお願いします。細かい話は後日、顔合わせが済んでからになりますが、 構いませんか」


 舞台袖にいた吉戒に視線を移して伺いを立てる。


 その時には海里の吉戒に対する警戒心は微々たるものになっていた。


 三カ月前とは相手の様子が違うこともあり、それほど関わらなければ問題ないだろう、との至極楽観的な考えで。


 そうして無駄に気を張る必要がないなら、眼を付けていた新しい役員の連中と接点を持てる場の方が重要であり。


 そう思って見やれば。


「─────ああ。すまない、感謝する」


 そう言って柔らかく微笑んだ吉戒に、あまりの珍しさから同僚である教師はもちろん、生徒たちからも驚きの眼が向く。

 しかし海里はそれがどれほど貴重であるのか知りもせず、上手く収まってほっとしたのだろう、と単純に流 し。


 今度こそもういいか、と開いたままだった扉をくぐる。


 講堂から出た海里の背中に、吉戒が向けた仄暗い切迫した視線に気づきもせず。


 扉のすぐ外で待っていた犬養は、講堂内での一部始終を見て聞いていたらしく、呆れたような顔で海里を迎 えた。


 そして開いたままの扉からちらりと講堂内に視線をやり、何故か憐れむような顔をして海里の右肩を叩く。



「バックには気をつけた方がいいですよ」

「………………は?」



 海里がその言葉の意味を知るのは一週間後。

















「…………………初心者に、コレはないんじゃないか」

「…すまない」


 悪びれもせず淡々と謝罪する生徒会顧問の男に、きっちり貞操を奪われてからのことだった─────。


















皆瀬海里(ミナセカイリ)→元生徒会長。結局サポート役として生徒会に関わる羽目に。次の日から本棟の校舎に放課後出向中。しかし一度見限った相手は眼中にいれないので、一部の生徒以外は存在無視されて後悔の嵐。一応、目上の相手には礼儀を尽くします、内心はどうあれ。結果、“油断大敵”という四字熟語を思い知らされる羽目に。


吉戒千晶(ヨシカイチアキ)→生徒会顧問。学園生徒からはクールな所が素敵と評判だが、海里に対してだ け眼の色が変わるストイックか? な教師。一点集中な執着心の持ち主なので、単に他に眼が行かないだけと もいう。海里を見た瞬間から決めてました。今回最後には思いあまってヤッちまった様子。


犬養進(イヌカイススム)→2Eクラスのボス。意外に人の感情の機微に聡い人。タチネコ関係なく狙われているのに自覚の無い海里を、そのうち誰かに喰われそうだなー、と思ってた。今回なんとなく直感的に吉戒は怪しいと感じて忠告したが、残念ながら活かされず。


原夏彦(ハラナツヒコ)→平凡ながら海里の友人。自分のうっかり判断のせいで海里に表舞台へと蹴り出さ れる。今後スパルタな指導が待っている模様。


鹿島稔(カシマミノル)→Sクラスらしく美形な海里の友人。原と同じく迂闊な判断のせいで海里に会長を 押し付けられる羽目に。でも自業自得。


赤羽美弥(アカバミヤ)→海里の親衛隊隊長。今回の全役員リコール話により海里との仲介を頼まれていたが、「どのツラ下げて!」と突っぱねていた外見美少女中身男前。海里に対する気持ちは尊敬と憧れです。


転入生→特に変装してません。普通に可愛い顔を晒してやってきたアンチ王道。顔の良い奴らにちやほやさ れるも、自分に靡かない海里を目の敵にし、取り巻きたちを使ってリコールに追いやった。典型的な自分大好き自分一番な自己中人間。何か悪いことがあると他人のせいにして自己保身をはかる責任転嫁っぷりが得意。


元役員連中→リコールされてようやく眼が覚めるも後の祭り。生徒たちからの冷たい眼はもちろん、海里には視界にすら入れてもらえず、鬱々とした毎日。


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