茶番劇から得た誠
「端から見た茶番劇」続編。
一度も振り返ることなく去っていく“元”恋人となった相手の背中を見送りながら、更科美鶴は今更ながらに 沸き上がる怒りで肩を震わせていた。
─────あンの腹黒野郎。
口をついて出そうになった呪詛の言葉を寸での所で呑み込み、気持ちを落ち着かせようと深く息を吐く。
少なくとも今の今までは好きだった相手だ。こんな所でみっともなく一人罵りたくはない。
そもそもの始まりはひと月前に来た一人の転校生だった。
何をどうしてそうなったのかは美鶴の知る所ではないが、その転校生が次々と校内の有名な美形たちを落と しまくったが末の、今の現状であることは疑いようがなかった。
何せその転校生に最初に落とされたとされている生徒会副会長───一ノ瀬貴志が、つい先程まで美鶴の“ 恋人”という立場にいたのだから。
この学園の顔とも言う生徒会役員となれば、その親衛隊の規模も大きい。その上、一ノ瀬の親衛隊は過激派 としても有名だった。
その親衛隊を無駄に刺激し、万が一にでも美鶴を被害に遭わせるわけには行かないから、という恋人の懸念によって公にはしていない関係だった─────その結果がコレ。
確かに告白したのは美鶴からであったが、その上で幸せな恋人関係を築いていたのは、決して自分一人の思い込みではないはずだ。
だからこそ。
“元”恋人の“振り方”にはかっちーんと来た。
『あの子は君なんかと違って、見た目だけじゃなく心も綺麗なんだよ』
つい先程言われた台詞をうっかり反芻してしまい。
────イラっとした。
他に好きな相手が出来たなら仕方がない。気持ちを引き留めておけなかったのは自分なのだから。この学園 には自分より優しい子も綺麗な子も頭の良い子もいる。そんな相手に惹かれてしまったのなら、気持ちが向 いてしまったのなら、諦めもしよう。別れて欲しいと言うのなら涙を呑んで納得もしよう。
だがしかし。
『もう関係ないのだから、あの子に見当違いな嫉妬を向けたりしないでくれるかな。もし何かしようものなら……容赦しないから』
別れ際に、あんなにも見下し蔑み脅される謂われは、これっぽっちもないはずだ。
あまりの落差、今までとの対応の違い、豹変振りに、思わず唖然と言葉もなく見送ってしまった。
その結果、今になってこうして怒りをくすぶらせているのだが。
あの言い方では、どうぞ憎んでください仕返ししてください復讐してください、と言っているようなものだ と思う。
そしてその額面通り、見下されて喧嘩を売られたと解釈した自分は。
─────復讐アイテムとして彼らの会話を盗聴し、それを記録に残すことにしました。
幸い美鶴の所属する委員会が委員会なので、その為の機材も容易く手に入る事情も後押しすることになり。
そうと決まればすぐさま実行、と転校生とその信者と化した連中の会話を盗聴しつつ録り溜めていたら。
見事に─────飽きました。
まず会話が面白くない。
というか、会話になっていない。
転校生は数パターンの言葉のローテーションで同じことしか言わない。
周りの信者も以下同文。
連中の語彙力の無さに─────飽きた。
そうなってしまえば、面白くもなんともない転校生教信者の会話集を取っておいても仕方がない。復讐アイ テムとして録り溜めたはずなのだが、実のない会話を延々聞かされ続けた弊害か、一気に怒りが萎えた。こ んな連中に関わるのも馬鹿らしい、と。
それでも今までの労力を思うと、ただ捨てるのは勿体無い。
どうにか有効利用したい、醒めたとはいえやはり“元” 恋人に多少の意趣返しもしてやりたい、そう考えていた時─────美鶴は運命的な出会いをした。
その相手とは─────自分と同じように転校生教信者になってしまった恋人に振られ、同じような行動を取ったらしい写真部の男前部長─────王路幸峯。
“元”恋人のような上っ面だけの“似非”とは違う、まさしく正真正銘の“オウジ様”だ。
凛々しくもすっきりと整った美貌の持ち主である幸峯は、見た目に反し気さくで頼りがいのある人柄という こともあって、随分な人気を誇っているのは自分も知る所だった。
よくよく聞けばその彼が、まさかの生徒会会計である“入江慧”とただならぬ関係だったというのだ。
生徒会会計の“入江慧”といえば、その見た目の派手さから性活が乱れていると専らの評判でもあった人物 なので、驚きも一入だった。
ならば、と美鶴自身も自分がこんなことをしている経緯を伝えれば驚く彼に、親近感を覚えたのは当然の成り行きで。
それからの展開は早かった。
美鶴が録り溜めた盗聴データと幸峯が盗撮した写真を、互いに聞かせ合い見せ合いしながら時間を共有する うちに。
気付けば気持ちが互いに傾き─────晴れてこの度“恋人同士”になりました。
互いへの気持ちが盛り上がってしまった二人は、もはやかつての恋人なんぞどーでもよくなったのだが。
手元には未だ処分待ちとなっている、不要になったデータや写真の数々。 そうは言っても自分たちを結び合わせる縁となったものでもあるので、ただ捨てるのは忍びない。
やはりどうにか有効活用しつつ処分もできる方法はないものか、と再び互いに話し合った結果。
─────転校生大好き信者に進呈することに決めました。
一般人には騒音公害な転校生のキンキン声も、信者たちにとっては可愛い声に聞こえているらしい、と観察していて判断した為とも言う。
幸峯の写真に至っては、彼らの大好きな転校生が写っているものなのだから記念の思い出としても良いだろ う。
まあ客観的に見て見苦しい写真が多いのは、彼らの行動がみっともないだけのことだ。
こうして場面場面を写して見るとそのことがよくわかる。
幸峯の写真は彼らの横暴傲慢ともいうべき場面を見事に切り取っていた。
酷い面相で周囲に怒鳴り散らし、手当たり次第に一般生徒に殴りかかっている転校生。その明らかに加害者 である転校生を庇い、周りを睨みつけている彼らの姿。そんな彼らから顔をひきつらせて逃げていく生徒たち。
もちろんこれらも全部連中にくれてやるつもりだが、一応意趣返しのメインは写真ではなくあくまでも盗聴した会話集だ。
日頃まともに人の話を聞かない連中でも、この方法なら嫌でも聞かざるを得ない。
少しは彼らも人の話を黙って聞くことを覚えた方がいい。
とはいっても“人の”ではなく“自分たちの”話だが。
嫌味三割悪戯三割善意四割の元、転校生大好き信者の部屋に二十四時間会話集が流れるよう、方々の伝手を 使ってスピーカーに細工を施し。
題して『転校生教メモリアル』。
とりあえずは一週間、彼らがここ一ヶ月の間に交わした会話を流すことに。 場所や状況、時間も違うくせに、同じ会話を飽きもせず繰り返している自分たちの馬鹿さ加減に気付け、と 念を送ってみる。
その結果。
日が経つにつれてどんどん連中の顔色が悪くなって行くのに、だが特に何を思うでもなく。
客観的に聞いてようやく自分たちの会話が騒音だと気づいたのかな、程度の感想だった。
むしろその時は、逆にこれからが本番、とちょっとした浮かれ気分でもあった。
言ってしまえば美鶴は勿体無くなったのだ。連中の会話を編集する過程で、一緒に入り込んでいた一般生徒 の会話をうっかり聞き取り易いように手を加えて聞いていたが故に。
当初は抜き出した彼らの会話を1ヶ月に渡り流し続け、四週目に写真やネガ、音声データを全部連中の部屋 に放り込む予定だったのだが。
しかしどうせなら週ごとに音声データを替え、それに合わせて写真を選んで投げ込んでみようか、と。
やはり他者の話を聞けるようにならなければ意味がないよね、とこじつけてみる。
『転校生教メモリアル』では、純粋に転校生たちの会話“だけ”を抜き出して編集したものだったのだが。
正直それらの騒動を見て聞いていた一般生徒の外野の声の方が、遥かに面白かった─────思わず座布団を あげたくなるくらいには。
ひいては今の自分たちが周りにどう見られているのかを彼らが知るには最適じゃないか、ということで、そ れを第二段として流すことに決めた。
念の為、個人が特定されそうな箇所はカットし、一般生徒の音声の方には加工を施しておく。
そんな理由で始めた二週目は『転校生教ズームアウト』。
端から見るとあなた達はこんな風に見られてますよ、という忠告の意味合 いも兼ねてみる。
そして急遽思いついた案により、この週から音声データに合わせて幸峯の写真も投げ込んでみた。
データを聞きながら見れば、その時の状況もばっちり把握出来るものだ。分かり易いようにナンバリングもしておく。
そして三週目。
外野の声だけを抜き出した『転校生教パンデミック』では、転校生とその信者である彼らが引き起こした学 内での混乱振りを。
この週の音声データはほぼパニック映画そのものだ。転校生及び信者から逃げ惑う生徒たちの写真もそれを物語っている。
そうしていい加減細工が面倒になってきた四週目には『転校生教ファイナル』と称し、仕分けも面倒になっ た残りの写真をネガごと纏めて放り込んでしまう。
思えばこれまでの写真の中に、普通の“青春の1ページ”といったほのぼのしたものは皆無だった。転校生を 間に信者連中がいがみ合っているものか、一般生徒に言い掛かりをつけては追い回して暴力をふるっている ものが大部分を占めるという、何とも極端なものだ。
もはや映し出される彼らの人相は以前とはまるで違っていた。
つり上がった眦は常に誰かを睨みつけている証拠であり、下がった口角は常に他人を責め立てていた結果だ ろう。
どれだけ顔の造りが優れていようが、表情一つで一気に印象もマイナスへと傾くのだということを、彼らは 身をもって証明していた。
もっとも、怒りと人をなぶることしかしない生活では気持ちが荒むのも当然だろうが。
コマ撮りされた写真は重ねて捲れば映像のように見えてくる為、一層彼らの理不尽さが浮き彫りになっている。何せ不意打ちで背後から生徒を襲う転校生の様子が、見間違えようもなく鮮明に写し出されているのだから。
だがそんな中それらと同じくらいの枚数を占めていたのが、各信者とイチャイチャしている転校生の、ぶっ ちゃけ濡れ場満載な写真の類だ。
一般生徒は入れない特別棟の教室、廊下、時には外、という様々なシチュエーションに富んだもので、どんなことをしているのか丸わかり、アングルもばっちり決まっている。
この短期間で信者連中全員をくわえ込んでいたのは流石に予想外だ。
何より幸峯はこれらを撮る為に授業をサボったわけでもないらしい。
彼が授業合間の極限られた休み時間を割き、望遠で撮られた量がコレなのだ。
僅か一ヶ月の休み時間を観察していた結果がコレ、とは、転校生はどれだけ好きモノなんだろうか。
こんな相手を“純粋で真っ白”と評した“元”恋人とは価値観が相容れないのも当然だった。
複数の相手と関係するような人間を“純粋”と言うのは美鶴の感覚からは有り得ない。
まして“元”とはいえ、かつて恋人だった相手の他人とのそんな場面を見ることになって、色々と微妙だ。
それを言ったらこの写真を撮った幸峯の方がよほど心中複雑だろうが。実際ファインダー越しにリアルタイ ムで見ていたわけなのだから。
この写真の頃にはもう美鶴自身が彼らに飽きていたこともあり、盗聴器を仕掛け録音だけはしていたものの内容を確認することもなかった時期だった。なもので、よもやこんな展開になっていようとは、予想外もいい所だ。
まあ何はともかく、最後の週なので、気合を入れて四週目のバックミュージックはその時の彼らの音声。結 構激しいのを選りすぐってみました。
その際もう盗聴データも必要ないので、すっきりさっぱり処分の意味で、やはり丸っと纏めて連中の部屋に 放り込んでやる。肖像権とかプライバシーの侵害とかは本人たちの手に渡してしまえば無効だろう、という ことで。
大体こちらとしてもあんなものをそう何度も聞きたいものではない─────二十四時間一ヶ月ぶっ通しで聞 かせ続けた立場でなんだが。
そうして全てをやり終えた美鶴と幸峯は、この日、とても爽やかな気持ちで昼食をとっていた。
もう既に互いの友人たちには交際宣言してある為、二人でいるのを邪魔されることもない。
互いに親衛隊持ちではあったものの、二人の隊のメンバーはほぼ例外なく親衛対象である彼らの“友人”とい う括りでもあった為、特に問題にもならなかった。むしろ盛大にお祝いすらしてくれたのだ。
食後の紅茶を飲みつつ、美鶴と幸峯が今夜のお泊まりについて話をしていると。 不意に食堂内に緊張が走った。
顔を寄せ合い小声で言葉を交わす別テーブルの生徒の様子に、何事かと彼らの視線が向けられている方へと 眼をやれば。
そこにいたのは首の皮一枚の所で辛うじて“リコール”を免れたと噂の、生徒会役員と風紀委員長に風紀副委員長、おまけで元一匹狼の姿。
未だにああして連んでいるのは、結局仲が良いのだろうか。
彼らを見てそんなどうでもいいことが美鶴の頭に浮かぶ。
だが彼らを視界に入れた他の生徒からは、陰口とまでは言わない小さな舌打ちが漏れる。
役員連中を見る眼は冷ややかなものであり、それまで五月蠅くない程度にあった明るい笑い声が途端に消え た。
だが数秒後には何もなかったかのように食事を再開させ、皆その後は彼らを視界に入れようともしない。
以前のような歓声どころか、逆に存在すらないもののように扱われ、彼らの顔が強張る。
その、ここ二ヶ月の間では見られなかった彼らの反応に、一部の生徒たちから僅かに戸惑う囁き声が小さく 上がった。
『……なんかあの人たちいつもの態度と違くない?』
『…つーか。ただ単にこっちの反応に気づく程度には、まともな視力と聴力が戻ってきただけじゃね?』
『ああ…』
それもそのはず、彼らが食堂に現れた時の反応は今に始まった事じゃない。もう二ヶ月くらい前から常にこ んな状態であったのだ。ただそのことに彼らが気づいていなかっただけのことで。
それこそ転校生と騒いでは白い目を向けられることも当たり前のようになっていたのを、当事者である彼ら以外の学園生なら皆知っている。
とはいえ今更気づこうと、やらかしてしまったことはもうどうしようもない。
何よりこれまでの彼らの言動や行為を思えば、生徒たちの舌打ちや小声での揶揄なんて可愛いものだ。
彼らの反応や態度が変わろうが、再び持て囃そうとする者などこの場には居らず、それ以降は話題にも上げずに皆友人たちと普通に食事を楽しんでいる。実に平和な光景だ。
そんな中、彼らは自分たちの置かれた状況を振り切るかのように視線を巡らせたかと思うと。
会計の入江が会長の寺嶋に何事か耳打ちした。
すっかり窶れたというか、以前の無駄なキラキラしさなぞ欠片も無くなった彼らが、何故かこちらへと真っ直ぐ近づいて来るのに、二人は眉を顰めた。
既に復讐というより途中から悪ノリ的な悪戯へと移行していた『転校生教マンスリー』は、三日前にめでた く終了していた。
なので今更彼らに用など無い。むしろこれまで充分過ぎるほど楽しませてもらった。
切っ掛けはどうであれ、蓋を開けてみれば自分たちにはプラスとなって返ってきたからだ。その最たるものが 互いの存在だろう。
恋人に振られたらそれ以上の上等な恋人が出来た。正直今では転校生様々だと思っていたりする。
案の定、美鶴たちのテーブル脇までやってきた彼らを、だが二人は多少の驚きと共に迎えた。
久し振りに間近で見た美鶴の“元”恋人であった副会長様は、腹黒さはどこに? というような風体にすっかり 様変わりしていたからだ。それは幸峯の“元”恋人であった会計を含む他の面子も同様で。 萎れ振りが半端ない。
生徒たちからの痛烈な皮肉と軽蔑、悪意のまぶされた忌避の言葉を延々と聞かされ続けたのは、さすがに彼 らも堪えたのだろうか。交わされていた会話は、面と向かってでない分、本音や鬱憤混じりで更に辛辣だっ た。
今まで自分たちこそが他者を見下す立場だったのだから尚更だ。今回それらを自分たちに向けられ初めて言葉の凶器に気づく─────想像力が足りないと言ってしまえばそれまでだが。
何だかんだで今まで持ち上げられる側だった連中だ。悪意の言葉もこれまでは親衛隊が壁になって届いてなかったに過ぎない。
それが今回の件で親衛隊は形骸化を招き、結果、今まで彼らをよく思っていなかった者たちからの声が届き やすくなっただけのこと。
何せどれだけ大っぴらに批判しようが、もう咎める者も居ないのだから。
だがスピーカージャックをしたのは彼らの部屋だけだ。何も律儀に耐えて聞き続ける必要も無い。
確かに取り外すのが困難な場所やわかりにくい場所にいくつも仕掛け、常に鳴るようにしてはいたが、音が 辛いのならば自室に帰らなければいい。クラスメイト、若しくは親衛隊、友人知人に事情を話して別の部屋 に間借りさせてもらうことも可能なのだ。本来ならば。
現にスポーツ特待生であった信者三号は二週目早々に耐えきれなくなり、部活仲間に土下座して部屋に入れ てもらったらしい。
もちろんそれを切っ掛けにサボっていた部活にも再び打ち込み始め、結果的に転校生教からは脱退することが出来たと聞いた。
その後は結構頻繁に転校生につきまとわれていたものの、仲間や友人たちの協力で事なきを得たらしい。
後に彼は青ざめた顔で、
『なんでアレを好きだと思っていたのか、なんであんなことをしていたのか、自分で自分がわからない』
そうかつての行動を振り返って語ったという。
今では失ってしまった信頼を取り戻そうと誠心誠意謝罪して練習に励み、以前以上にクラスメイトや部活仲 間と交流を図っているようだ。
そうして一人の脱退者を出した転校生教ではあったが、三週目に入ってもその他の信者はまだしぶとく連れ立って行動していた。
もっとも、離脱したくとも転校生がそれを許しはしなかっただろうが。
ましてや信者三号だったスポーツ特待生のように助けてくれる友人など彼らにはいない。
そこでも明暗がくっきりと分かれた。
結果、部屋に戻れば手厳しい悪意の声が出迎え、部屋の外では騒音スピーカーが終始傍にいる彼らの間にあったのは、どんよりと淀んだ空気。
皆一様に顔色が冴えず、疲れきった様子なのが遠目にもよく見て取れた。
一応今回のことを進めるに辺り、一人部屋があてがわれている役員以外の信者と同室の生徒には部屋替えし てもらうよう根回ししていた為、他の一般生徒に害は無かったはずだ。
転校生と同室だった生徒は、彼と顔を合わせた二日目には荷物を纏め友人の部屋へと逃げ込んだらしいので問題無い。むしろその素早い判断に拍手を送りたい。
そして今回の部屋替えはいい機会だから、と今は別の生徒と部屋を割り当てられ、平和に学園生活を送って いる。
そんな裏側の事情を知る由もない転校生は、キャンペーンの最中でありながら一人元気だった。
それもそのはず、転校生の部屋には今回の仕掛けを施してはいない。
このマンスリーキャンペーンから転校生を除外したのは、単純に信者連中への嫌がらせである。
狙い通り、キャンペーンが始まってから変化した信者たちの態度に、転校生がヒステリーを起こす回数が増え、それを宥めるのに彼らが精神をすり減らしていくのをしっかり観察していた。
他者に向けられたものならばそれを肯定して便乗すればいい。だがそれが自分に向けられた時
どうなるか。恐らくは転校生と会話が噛み合わないことに驚き惑い、苛立つ気持ちのほうが強くなるはずだ。
理不尽に絡まれる相手の気持ちを少しは思い知ったことだろう。
その上で休みなく聞かされ続ける音声データから、転がり落ちるように膨れ上がる転校生への疑問、忌避、 嫌悪、否定。
彼らの間に漂う空気が最悪なものへと変化していく様は、実に見事だった。
連中がそうやって互いにかかずらっているおかげで、他の生徒たちへの被害は著しく減った。 こちらとしては狙った以上に上手く事が運べて万々歳だ。
休まる時間が無く憔悴していく信者たちにも気づかず、ひたすら『最近態度が悪いぞ!』と彼らを責める転校生の姿は、十日前まで校舎のあちこちで見られた光景だった。
一応“まだ”役員なのだから、元一匹狼はともかく、仮眠室付きの生徒会室、風紀委員室に皆で籠もればいいじゃないか、とは思ったが、正直つきまとう転校生を振り切り追い出せるか、と言われれば無理だろう。散々ちやほや扱っていた連中が自分から離れようとするのを、転校生が素直に受け入れるわけがないからだ。
離れた信者三号に対し、散々怒鳴り散らし逆ギレして泣き喚いたことからもそれは明らかだ。
しかも今までいいように入り浸っていた生徒会室や風紀委員室から、自分だけ閉め出しを食らうことなど認 めようはずもない。
誰か一人でも離れようものなら、『俺の側にいなきゃダメだろ!』と馬鹿力で引き戻される。
そんな状態でゆっくり休めるはずもない。
結果、三週目まではかろうじてあった彼らの転校生への対応も、四週目に入った音声データで、その忍耐に 限界が来た。
その時のブチギレ騒動はちょっとした語り草だ。
そんな非常に濃い一ヶ月を過ごし、ようやく自室で何事もなく休めるようになったはずの彼らは、どこか言いよどむような素振りを見せた後、まず副会長の一ノ瀬が口火を切った。
「…あの写真と音声データは、あなたたちが仕掛けたものですか?」
その内容に、美鶴と幸峯は顔を見合わせる。
思いきりバレてるよ、と目配せするも、『取り敢えず知らない方向で』『了解』と互いに確認し合い。
「……なんのお話でしょう?」
できるだけ不思議そうに見えるよう、美鶴は首を傾げて見せた。
今回の話を持ちかけた時、面白がってノリノリで仕掛ける協力をしてくれた人たちが、彼らに漏らすことは有り得ない。
ならばここでボロを出さなければ、この先シラを切り続けることも可能だろう。
そんな考えから惚けてみれば。
「ッ…僕らの部屋のスピーカーに誰かが細工したらしく、ここ1ヶ月ほど鳴りっぱなしで─────」
「ッだから、俺らの部屋に写真とかネガを投げ込んだのはアンタなんでしょー!?」
経緯を説明しようとした一ノ瀬を押しのけ、待ちきれなかったのか会計の入江が幸峯に詰め寄る。
しかし。
「……話が見えないんだが」
「っなに白々しいことッ」
「─────やめてください」
幸峯の襟元を掴み上げようとした入江の手を、美鶴は払うことで制した。
「突然来て訳の分からない絡み方しないでください」
自然冷ややかな声が美鶴の口から零れた。
それに怯んだのか身を引いた入江に、更に不愉快になる。
そもそも幸峯の事もあり、美鶴の中で入江に対する心証は格段に悪い。
こんな場所で、しかも自分ではなく幸峯に突っかかるその態度も勘に障った。
「─────美鶴」
だが宥めるように恋人に名前を呼ばれてしまえば堪えるしかない。
ふ、と息を吐き、高ぶりかけた気持ちを抑え、一ノ瀬へと視線をやる。入江相手だとどうしたって態度が冷淡になるのを見越してのことだ。
まだ自分を振った男の方がマシ、というのも我ながらどうかと思うが。
「……結局どういった用件なんですか」
「わざわざ恋人との時間を狙って邪魔してくれたくらいなんだから、それなりな話なんだろ?」
問い掛ける美鶴の言葉に被せ、更に多少の嫌味も上乗せしようと幸峯が言い重ねる。
これで連中が気まずさを感じて撤退してくれるなら良し、そう思って発した言葉が。
「─────こい、びと…?」
「な…んで─────」
連中の内の二人には別の意味で多大なる影響を与えたらしい。
眼を見開いて途端に青ざめた一ノ瀬と入江に、美鶴と幸峯が逆に驚く。
まさかの予想外な反応に虚を突かれたと言った方がいい。
そもそも向こうが随分な言葉で振ってくれたのだから、こちらには未練などありようはずもない。
─────それとも何か、こんなに早く他の相手を見つけているとは思わなかった、とでも言う気か。
こうなった原因も切っ掛けも、すべてが“元”恋人である彼らに端を発しているのだから非難される謂われもないのだが。
ましてやあんな言葉を投げつけて振った相手が今更惜しい訳ではないだろうに。
こちらに対して含む所があるような顔をするのはやめて欲しい。信じられない、というような顔を向けられることこそ信じられない。
しかも場所が場所である。昼食時の食堂ということもあり、周りの耳目も大量だ。先程から何事かとこちら を窺う視線が、そこここから向けられているのに気づかないわけがない。
そんな場所で過去に何かあったかのような妙な反応をするのは勘弁して欲しい。
別れ際に相手が言った通り、もう関係ないのだから。
しかし幸いなことに、美鶴と幸峯が食事をとっていた場所は食堂内でも一番奥の角だった為、そんな一ノ瀬 と入江の表情が周りに気づかれている様子はない。
「……これまで委員会として以外では特に接点もなかったと思うのですが、わざわざこうして出向いてまで したい話とは一体なんでしょう」
彼らとは何の関係もないですよ、ということを強調すべく、伊達に放送委員会の委員長を務めてはいない、 辺りによく通る声でゆっくり柔らかく用向きを尋ねてみれば。
「……ッ、ああ、いや。今更なんだが、このひと月のおかげで眼が覚めてな。その切っ掛けを作ってくれたのが おまえたちなんじゃないか、と思って声を掛けたんだが…」
副会長と会計以外の連中も何故かしばらく固まっていたのだが、美鶴の言葉で我に返ったらしく、会長である寺嶋が簡単に理由を述べた。
「おまえたちがしてくれたことならば、一度礼を言わねばならないと思ってな」
一ノ瀬と入江が反応しないのを訝しみながらも、更に補足するように風紀委員長の伊坂がそう付け加える。
─────あれ、殴り込みじゃないみたい?
と、またしても顔を見合わせて視線で会話する美鶴と幸峯。
しかも有り得ないことにあの所業が好意的に受け取られているらしく。
どう考えても褒められたことではないことをした自覚のある二人は、あくまで沈黙を選択する。
「……事情はよくわかりませんが、皆さんがちゃんと周囲を見られるようになったのなら、良かったと思い ますよ」
そう小さく微笑んでみせれば、はっとした顔をする会長、副会長、風紀委員長、元一匹狼の四人。
「あんまり気負って周りの眼を気にし過ぎて、自分たちで抱え込んだばかりに追い詰められてりゃ世話 ないしな」
そんな幸峯の苦笑に、眼を見開いた風紀副委員長と会計、書記に生徒会補佐の四人。
「─────けれど、今回一度落ちてみて気づいたこともあったんじゃないですか?」
「……人を好きになるのが悪いとは言わないが。 盲目的になりすぎたのは上手く無かったな」
バレてないのならボロが出る前に話題を転換してしまえと、二人はここに至るまでの過程に目を向けさせるべく会話を誘導する。
「まずあんたらがしなければならなかったことは、自分を慕ってくれている相手に対して言葉を尽くし、気持ちを認めて協力してもらえるよう努力することだった。それが本当に本気の相手であるなら尚更」
「多少でも協力してくれる味方がいれば、こんな状態にはならなかったはずですよ」
更には彼らが邪険に扱ってきた親衛隊との関わり方にも言及し。
「親衛隊の本来あるべき姿は、親衛対象の意志を尊重した上で学校生活のサポートをすることのはずです。親衛隊の有り様が気に入らないというなら、まずは自身でその統制を図るべきでしょう。どういうことを不快に思うか、何をされたら嫌か、ここは踏み込んで欲しくない部分だとか、ちゃんと言ったことはありますか? 言わずに察しろというのは些か乱暴ですよ」
「ずっと野放しにしていたくせに今回に限って口出ししてさも彼らだけが悪いと非難するのは身勝手だろ」
「親衛隊を最低だと言いながら、あなた方自身がその“最低”だと言った彼らと全く同じ行動をしている。“転校生を守る”という名目で。ならば、そこに至るまでの親衛隊員たちの心情だってわかるでしょう。好意を 向ける相手と親しくなりたい、喜んでもらいたい、笑って欲しい、少しでもこちらを見て欲しい」
「そんな些細なことすら彼らは望めない。何故なら“親衛隊”という枠組みで括られ、慕って入ったはずの親衛対象には嫌な顔をされ、話を聞いてもらうどころか冷たい眼で見られるのが当然だから。それでも横並び で皆同じ扱いをされている内は諦めもついた、それなのに」
「ある日突然やってきた転校生が特別扱いされているのを見てしまえば、どうしたって嫉妬や苛立ちを感じ るのは当たり前でしょう」
「転校生に近づく相手を罵り脅し、時には暴力まで行使する。自分たちのその行動は正当化するのに、親衛隊のそれは認めない、最低だと非難する。そんな自分勝手な言い分を押し付けるような相手には、愛想尽か しても仕方ないと思わないか」
容赦なく二人掛かりでここぞとばかりに事細かく上げ連ねて行く。
「あとこれはあなた方にも言えることですが。転校生の彼がまともな学園生活を送れていないことに気づいてました?」
「クラスにも来なければ授業も受けない。それではクラスメイトからの印象が良いわけない。そんな相手とは 関わりたくないと避ければ、『仲間外れにされた』と怒鳴り散らす。そのくせ役員連中が後ろについている から特権使ってやりたい放題。注意したって聞き入れずに喚くだけ。それじゃこの学園にいる意味がないだ ろう」
「将来的に人を使う立場に就く為の教育をしているのに、取っ掛かりの対人関係で躓いてたら大変ですよ。自分の言うことを聞いてくれる都合の良い相手しか認めない、自分を否定する奴らはおかしい、そう主張するだけの独善的な人間と付き合ってくれる人なんて、極稀ですよ。まともに会話できない相手なんて論外で す」
「本気で好きで大切な相手だっつーなら、その辺の欠点もちゃんと指摘してやれ。後で困るのは本人だ。仕事が出来ればそれですべてが順調に行くわけでもないしな。上から押さえつけるばかりじゃ反発しか返って 来ない」
「しかも最近じゃその仕事すらまともにしてくれない、こちらの話も聞いてくれない、おまけに恋にのぼせ上がって対応が目に余る人の言うことなど聞きたくないと思ってしまうのも自然なことですよね」
内容はとげとげちくちくのオンパレードであったが、話すトーンはあくまでもソフトに優しく。言い諭すように言葉を重ねた二人に、彼らの瞳が頼り無く揺れる。
嵐が過ぎ去り、正気に戻った彼らを待っていたのは、生徒たちからの失望と嘲笑の声。今まで積み上げてき た人望と信用を失い、必死に追い求めたものは何の価値もないガラクタ同然。
残されたのは自分たちが果たしていなかった山積の義務だけ。
それを身をもって感じている真っ最中の彼らの様子を見て取り、美鶴と幸峯は少し言い過ぎたか、と軌道修正を試みる。
さすがに立ち直れなくなるくらいにまで叩きのめすつもりはない。
「……いい機会なので今だから言いますが。それでもね、何だかんだ言ってちゃんと皆さん自身を見て役員に選んだんですよ、俺たちも含めて」
「本気で顔だけで選んだ訳じゃない。上に立つ人間は言うことにどれだけ説得力を持たせられるかも重要 なんだよ」
「言葉の重みも必要ですし。“この人の言うことなら”、そう思わせるものがあなた方にはあったということ です」
「多少の無茶でも相手に受け入れてもらえるのは歴とした才能だぞ?」
「そういうものは努力でどうにかなるものでもありませんし。まあ、今回は色々と裏目に出てしまったよう ですが」
「自分たちの長所の使いどころを見誤るなよ。落ちた信用を取り戻すには以前以上の結果が求められる」
「そこで諦めてしまうか、それとも襟を正して一層の努力をするかはあなた方次第です。過ちを悔い改め、 努力を重ねれば、認めてくれる人も出てきますよ」
「人は見てないようで意外に細かいとこまで見てるもんだ。それに、こんなことで潰れるほどあんたらは柔でも馬鹿でもないだろ」
「ですね。そこまであなた方を過小評価してないですよ─────プレッシャーをかけるわけではありません が。以前の実績という裏打ちもありますし」
「 今回のことも、いい経験をした、そう割り切った方がいい。やり直したいなら、まずはその姿勢を見せる ことだ」
「もちろん、迷惑を掛けた相手には謝罪して然るべきですが。何より、あなた方がまだその立場にいる意味を考えてみてください」
「落ちるだけ落ちたのなら、今度は上を目指して上がればいい─────大丈夫だ」
「─────あなた方なら」
最後に駄目押しでこれ以上ないほどに優しく微笑んだ美鶴と幸峯の。
何となくもっともらしいことを言って肝心な部分を有耶無耶にし、尚且つ仕事に関しては優秀な彼らのやる気を出させる為、畳み掛けるよう言い連ねたそれが。
何故だかやたらと彼らの琴線を刺激したようで。
「─────ああ、そう、だな」
眼を潤ませる者、噛み締めるように頷く者、目尻を下げて笑う者。
そして。
「……ありがとう」
今まで礼を言った所など見たことない傲岸不遜な俺様会長の言葉に。
美鶴と幸峯は笑顔が引きつらないようにするので精一杯だった。
「─────ほら、まだ昼飯とってないんだろ」
「また何かあったなら、話はその時にでも聞きますし」
「挽回しようとするのはいいが、ちゃんと息抜きもしろよ」
早々に追い払おうと促せば、寺嶋は照れたような笑顔を見せ、軽く頭を下げて踵を返した。その後ろに他の連中もこちらへ軽く目礼してから続く。
一ノ瀬と入江の二人は何か言いたそうにこちらを見た後、だが躊躇いながらも彼らと連れ立って去って行っ た。
そうして後に残された二人は。
「………ナニアレ」
「………予想外だな」
「どうしよう、なんか良心が痛んだよ…」
「そうだな─────、まさかあそこまで素直に話を聞かれると、こう、なんとも……」
僅かに疼いた良心のおかげで、うっかり相談役になりますよ的なことを言ってしまった美鶴は、がっくりとうなだれる。
彼らを励まし『仕事しろよ』と発破をかけたのも、ただ単純に自分が今以上に仕事したくなかっただけの話だ。
彼らが捌くべき仕事をこっちがする羽目になっているのだから、上手く誘導して本来あるべき姿へ戻そうという算段の末の、あの最終的な持ち上げ肯定論法だった。
この三ヶ月に渡り醜態を晒し続けた彼らが未だ役職付きであるのは、委員会が中心となって事を進められるよう、連中がいなくともどうにかなるような体制へと臨時で移行していただけの話だ。
それも『リコールとか面倒』『選び直すのなんて尚更面倒』という委員会委員長たちの、実にしょーもない理由からだというのはここだけの話。
リコールする為に全校集会開く? 次の役員決めるのに候補を選別して? その為の諸々の準備、信任をもら うべくまたまた全校集会開いて? 決まったとしても新しい役員が仕事に慣れるまでのフォローもして─────って、更に仕事増えるだけじゃねーか。
それくらいならそのままあいつら据え置いといても良くね? と。
要するに、彼らに暗に仄めかしたような理由などでは断じて無い。リコールが回避されたのは、消去法での結果に過ぎないのだ。
それを上手く煙に巻いてやり過ごしたものの、どうしたってモヤモヤ感が残るのは仕方のないことで。
そんな美鶴の頭を慰めるように軽く叩き、幸峯は小さく苦笑した。
「まあ、あの転校生が強烈過ぎたんだろ」
もはや転校生の姿はこの学園にはない。
自分を取り巻いていた連中すべてと関係していたことが、四週目のアレで知られることになってしまったか らだ。しかしあれだけ大っぴらにやっていながら、連中の内の誰もそのことに気づかなかったというのだから凄すぎる。
どうやら転校生のカツラと眼鏡の下の可愛い顔を知っているのは自分だけ、と例外なく関係していた全員が思っていたらしい。ましてや体を許してくれているのも、それだけの好意を向けられているのだと信じて疑わなかったようで。
それが。
彼らの言う“素直で明るくて純粋な子”は、一皮むけば随分な尻軽だったわけだ。
写真を見、音声を聞いて知り、詰め寄った彼らに向かって返した転校生の言葉が、また自己中極まりなく。
『ッなんだよ! おまえらが俺のこと好きだって言うからさせてやったんだろ!? それなのに責めるなんて最低だ! もういい! おまえらなんていらない!』
繰り返し聞かされた音声データから、転校生の身勝手な振る舞いや自己保身、傲慢にも程がある言動で離れ ていた彼らの気持ちに、それがトドメとなったのは言うまでもない。
果たしてこの場合、裏切られたのはどちらだったのか。
結局その後、信者たちが一人残らず離れたことで居場所を無くし、悪態をつきながら転校生が学園を去って 行ったのは一週間前のことだ。
溺愛する甥を最後まで庇い続けるかと思われた理事長だったが、今回の騒動で忍耐切れを起こした自身の秘 書に三行半と一緒に辞表を突きつけられ、ようやく現実世界に帰ってきたらしい。 秘書の青年に去られたことで、ようやく諸々の問題を直視せざるを得なくなったようだ。
何せ今まで秘書の青年に任せていた甥による騒動の一切合財が、以後一気に降りかかってきたのだから。
何より優秀な秘書であったのと同時に、実は理事長の長年の想い人でもあったというから驚きだ。そんな想い人から『二度と会わないことを願ってます』との痛烈な皮肉を残して去って行かれたことで、原因となっ た甥の存在はあっと言う間に“視界に入れたくないレベル”にまで落ちたらしい。
こんなことになる前に気づけよ、とか。
仮にも想い人にあんな性格破綻な甥の尻拭いさせてたのかよ、とか。
話を聞かされた時は、美鶴も幸峯も理事長の神経を疑った。やはり血の繋がりは侮れない。 だって身贔屓にしたってアレはない。
なんでも理事長が青年に前々から散々アプローチを続けた末の、ようやく一昨年から秘書として迎えること が出来たばかりだったとか。
今は学園を去った“元”秘書の青年から直接愚痴と鬱憤混じりに聞いた話だ。
そして“元”秘書となったこの青年こそが、今回の協力者の中で最も重要な位置にいた存在でもあった。
何しろ信者の部屋への細工の為にカードキーを融通してくれたのが彼である。
『─────死に晒せ、害虫共がッ』
協力を持ちかけた時、躊躇いなく頷いたばかりかそう言って高笑いした彼の姿は、今でも忘れられない。
音声だけなんて生温い、もっと過激なことをしてもいいんじゃないか、肉体的にも痛めつけてやりたい、と 暴走し始める彼を抑えるのが正直一番大変だった。
本来ならば許されるはずのないカードキーの融通も、そんな言葉を吐き出させ、尚且つ生温いと一刀両断さ せるほどの何かが彼らとの間にあったというなら、それはもう仕方のないことだろう。
ただ、未だにどんなことがあったのかは聞くに聞けていない。
結局その後、置き土産として理事長に叩きつけてやりたいから、との彼の意向により、信者向けに編集した 音声データと写真の複製を譲ったのは一ヶ月前のこと。
そうして半月前に学園を去って行った彼の、清々しくも麗しい笑顔とのギャップが非常に印象的だった。
彼に譲ったそれがどのような形で使われ、どんな影響を与えたのかは、今の理事長を見ればわかる。
青年が去った後、後悔と反省を繰り返し、鬱々としていた状況から理事長がようやく脱け出せたのは、実に 数日前のこと。
今では一転して精力的に仕事を片付けているようだ。
『どれだけあの人のことを馬鹿だなあ、と思ってても……結構長い付き合いだったからね』
そう苦笑し、最後の最後で見捨てることの出来ない彼は 、やはり精神的に出来た大人なのだろう。
「………ま、あれもこれも、結局はなるようにしかならないさ」
「……そうだよね。ていうか、今度は真っ当な相手を好きになるよう、あの人たちには見る眼を養うことからさせないと」
「また妙なのに引っ掛かって、周りに被害を拡大させるようじゃどうしようもないからな」
もはや駄目な子をどうにか更生させようとしている保護者のような会話をしていた二人は、先ほどの役員連中との遣り取りを聞いていた周りの生徒たちから『…カッコイイ…』と憧憬の眼差しを向けられていること に、まったく気づきもしていなかった。
後に“元”信者連中からの相談ついでに交流を育む中、うっかり彼らから恋心を向けられたりしながらも、学園生徒たちの憧れの存在として有名になっていった美鶴と幸峯の存在は、この先“カリスマカップル”と称さ れることとなる。
おまけ。
─────二週目音声データ集より食堂内にて。
「……つか、アイツらよく飽きねーな」
「な。俺らすっかり飽きてんですけどー。正直野次りたい。つまんねーぞ引っ込めー! って」
「だよな。同じネタ見せられ続けて食傷気味? 何度同じ遣り取り繰り返せば気が済むんだろ。最近じゃ親衛 隊もおとなしいもんだし」
「あー、連中見ても反応すらしなくなったよな。空気扱い? まあ、会話もマトモに出来ない相手じゃどーし よーもないもんな。道理通じなかった親衛隊すらがアレらとは会話出来ないって放り出すって……どんだけ ー」
「親衛隊が静かになったのはいいけどさ、その分余計にあの面白くない会話が耳に入るんだぜ?」
「あの
『岳(注:転校生の名前です)は可愛いですね』
『ばっ、何言ってんだよ! 俺は可愛くなんてないぞ!』
『そんなことないよ・、がっくんはスゴく可愛い!』
の会話、何度目だよ」
「はーい、十日前から興味半分で数えてみたけど三十四回目でっす! あの調子だとそれ以前にも言ってると 思うので、合わせると桁上がってんじゃね?」
「一言一句違わず、って逆に凄くね? 本人たち自覚なさそうなのがまたスゴイ」
「毎日繰り返しの押し問答聞かされ続けていい加減イライラするー。ちょっとした変化の一つもつけて欲し いよな」
「激しく同感」
「アイツら自分たちのこと“特別”とか思ってるらしいけど」
「こう見てると、ぶっちゃけ」
「「「「“特別イタい存在”って感じだよな!」」」」
─────二週目音声データ集より食堂内にてその2。
「そーいえば最近やけにAクラス(注:転校生のクラス)の結束力強くなったらしいけど、やっぱ“アレ”絡 み?」
「あー…、結束力ってゆーか。廊下が騒がしくなったら、一番扉の側にいる奴が鍵閉めるっていう暗黙の了解? があるだけなんだけど」
「はっ? それってなんか意味あんの?」
「取り敢えず『移動教室なのか』とか単純に思い込むらしいよ、宇宙人。てゆーか、一度そう取り巻きの一 人が宥めてたのに乗っかってこっちはそうするようにしてるんだけど。多分言ったの副会長辺りだった気が する。あればかりは『よくやった、能無しなのに!』ってクラス中が沸き立った」
「能無し呼ばわり……。でも、教室来る度に鍵閉まってる時点でおかしいって気づかないのかね、奴ら」
「ね。まあ頭悪いからじゃない? きっと深く考えないんだよ。休み時間の時ですら移動教室って……馬鹿丸出し。でもまさかこんな単純なことで前々から困ってた授業妨害の回避が出来るなんて、思いもしなかった よー。おかげで最初に扉に鍵掛けた奴はクラスでヒーロー扱いされてる」
「……毎回閉め出しくらってて、マトモに授業受けたことあんのか宇宙人」
「あー…、転校当初は一応何度か。ていっても、ホント数えるくらいだけど。いても授業中騒いでて、結局 途中で取り巻きのお迎え来て退場、みたいな?」
「…………何しに来てんの、学校」
「………………男侍らせに?」
「ああ…」
「…しっかし、あんなんでこれまでの学校マトモに通えてたのかな」
「あ、ほら宇宙人だからじゃね? 余所の惑星なら当たり前っつーか、大丈夫だったのかもよ」
「………宇宙って凄いな。果ての無い懐の広さだ…」
「宇宙だからなー」
─────二週目音声データ集より食堂内にてその3。
「なんか最近平和になった?」
「あー、なんか気づけば風紀の委員長と副委員長も転校生の取り巻きになってたらしいよ」
「わー…、それでなんで平和になんのさ」
「だから、親衛隊の奴ら眼が覚めちゃったんだろ。盲目心酔両方合わせたら倍増しドコロじゃないほど急加 速で落ちぶれるんだ、ってな。自分たちより遥かに酷い横暴振りを見てドン引き、みたいな」
「ああ…。自分より馬鹿やってる奴見ると一気に頭冷えるよな。俺、端から見るとあんなんだった!? コワ イ! てこと?」
「そうそう。人の振り見て我が振り直せ、ってな。そんでみんなシラケちゃったっぽい」
「ほー…。いや、なんかさ、昨日ちっこい奴らが体鍛えてるの見てさー。何事かと思ったんだけど、よくよ く観察してたら『男は中身!』とか『性格良ければそれで良し!』とか揃って暗唱してんの」
「まあ、風紀が頼れないなら自分で自分を守るしかないもんな」
「『ちょっと筋肉ついてきたかもー』とか言ってたんだけど、早くね?」
「おまえの情報が遅いんだよ。風紀が転校生に落ちたの、もう2ヶ月も前だかんな?」
「…マジでか…!」
「学園崩壊しないこと祈ってな」
─────二週目音声データ集より食堂内にてその4。
「…なあ。理事長秘書の人が辞職しようとしてるって話、ホント?」
「あ、知ってる! なんか辞める為に身辺整理してるって」
「え、マジで? 俺、初耳なんですけど!」
「あー、僕が聞いた所によると、あの宇宙人の叔父さんである理事長も宇宙人らしくて、まともに会話出来 ないらしいよ。ことあるごとに『私の可愛い岳がそんなことをするはずがない』とか『あの子の可愛さを妬 んでイジメだなんて言語道断だ』とか言って、宇宙人からの被害が上がってきても耳を貸さないんだって」
「うわあ……最悪だな、そんな上司」
「…俺はもっといい会社に引き抜かれたって聞いた。ま、今のここより悪い職場はそう無いと思うけど。秘 書さんが『俺はてめぇら専門の苦情処理係じゃねぇ!』って裏の森で叫んでるの見ちゃったし」
「うわー、見た目クールビューティって感じなのに」
「そんだけストレス溜まってたってことだろ。え、でもそれホントならいよいよこの学園ヤバくね? ストッ パー消えちゃうじゃん」
「……親に事情話して別の高校に編入するの考えておくべきかもね」
「え、おまえらと離れんのイヤだよ」
「どーにかしなきゃならない立場の奴らが悉く宇宙人に惚れ込んでるからね。この現状じゃあ…」
「…顔良い奴らで落ちてないの、今どれくらい残ってんの」
「あー、委員会の方はマトモだって聞いた」
「委員会のトップの人はみんな美形だもんね」
「でもその委員会にしたって生徒会から書類自体が回ってこなくてどーするよ、って状況らしいよ」
「ただ下手にどうにかしようとしてうっかり関わっちゃうと、巻き込まれそうだから、もう基本放置だって さ」
「だよね。軽はずみな行動して馬鹿共に絡まれたくないし。会話出来ないならもういないものとしてシカト するしかないよね」
「正直纏めて引きこもって欲しい…」
「いるだけで迷惑だもんな。出てくると面倒事しか起こさないし」
「な。俺ここに来て気配の消し方上手くなったぜ!」
「僕は逃げ足早くなったかなあ」
「宇宙人に遭遇しそうになるとみんな素早く逃げるようになったもんな。騒音聞こえてきたら途端に人っ子 一人いなくなるのは、ある意味壮観」
「宇宙人声デカいから、居場所の特定ラクっちゃラク。目撃情報のメールも飛び交ってるし」
「この間も宇宙人から回避する為にたまたま同じ教室に逃げ込んだ奴らと話したら気が合ってさ…」
「危機的状況に陥ると妙な連帯感って生まれるよな」
更科美鶴→結果的に未練タラタラな副会長を始めとする会長、風紀委員長、元一匹狼に想いを寄せられる羽目に。
王路幸峯→こちらも美鶴同様、かつての恋人である会計を始めとし、風紀副委員長、書 記、生徒会補佐にベクトルを向けられることに。
一ノ瀬貴士→副会長。失くした後で気づく典型的なパターンを踏襲。
入江慧→会計。失くした後でパターン二人目。
寺嶋→生徒会長。今回諭されて美鶴にフォーリンラブ。
伊坂→風紀委員長。今回諭されて美鶴に以下同文。
元一匹狼→今回諭されて美鶴に以下同文。
風紀副委員長、書記、生徒会補佐→今回諭されて幸峯にフォーリンラブ。




