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「あの、なんで隣に座っているんです?」
躊躇いがちに尋ねてみる。
「知るか、アイツに押し込められた」
アイツの部分で青いスポーツカーを指差す赤さんに、「はぁ」としか言えなかった。
青さんは前回1位だった為、前の方にいる。表情は見えないが、おそらくこの状況を楽しんでいるのだろう。
結局あの後私のパニック障害は治らず、次のレースへと移動させられた。
急に車内へと移動させられ、ハンドルを握らされていた私はパニックになりかけたが、乱暴に助手席のドアが開けられ、赤さんが勢いよく隣に座ってきた為、呆気に取られた私はいつの間にかパニックを忘れていた。
そういえば、赤さんが乗り込んでくる前に言い争うような声が聞こえた気がする。
「おい、レース始まるぞ」
見れば3秒前のカウントダウンが始まっていた。
慌ててハンドルを握ろうと手を掛けるが、思い出したかのように手の震えと汗が出てきた。
「大丈夫だ、落ち着け」
言い聞かせるように赤さんが言う。
周りの車が発進していく中、私のピンクの車は停車したままだ。
ガクガクと震えが止まらず、息苦しくなってきたところで赤さんが私を車から引っ張り出した。
赤さんは荒っぽい動作で私のヘルメットを取り、そのまま安全な場所に私を連れて行くと、いまだ震えたままの私を芝生に座らせた。
ポンポンと一定のリズムで背中をあやす様に叩かれる。赤さんらしからぬ、優しい仕草に最初は緊張で強張っていた身体も力が抜けてきた。
「落ち着いたか?」
震えと荒い呼吸が治った頃、赤さんは手を休めないまま聞いてきた。
「すみませんでした」
赤さんにもレースがあるのに、私の為に棄権扱いになっている。酷く申し訳ない気持ちになり、私は謝る。
「別にいい」
短い言葉でそう返した赤さんは、それっきり一言も喋らなかった。
*****
何かに揺られるような感覚で目が覚めた。
私はヘルメットをせずに助手席に座っていて、運転席には赤さんが座っている。起き抜けの頭で、運転している赤さんをボーっと眺めていると、私が起きたことに気が付いたのか片手でハンドルを操作したまま、どこから出したのか赤さんがタオルを投げてきた。私がタオルを受け取ってポカンとしていると、赤さんは前を向いたまま「よだれ」と短く一言。慌てて口の周りをタオルで拭いて窓の外を眺める。
「気分悪いのならレース降りるけど」
ぶっきらぼうだが心配してくれているらしい。つくづく分かりにくい男だ。
「自分で運転してないからですかね、平気です」
異常な震えも今のところは感じない。
赤さんが全くスピードを出していないことも理由の一つだろう。
レースには本気で参加するつもりがないのか、私への気遣いなのかドライブぐらいの速度しか出されていないようだ。赤さんは私の言葉を聞いて、黙ったまま運転を続ける。
「こう見ると景色いいですよねぇ」
今まではレースに必死で気がつかなかったが、海辺の道がコースになっている。青い空が海に反射して、なんともいえない幻想的な景色だ。今まで気がつかなかったのが非常に残念である。
「少し寄り道するか?」
赤さんの提案に勢い良く頷いた。
*****
「水冷たっ!」
「あんまり奥行くなよ」
車をレースの邪魔にならない所に止め、私達は浜辺を歩いていた。白くてサラサラとした砂が気持ち良くて、私はすぐに靴を脱いでしまった。そのまま海に足をつけてみると思いの外冷たくて、水につけていた足を慌てて砂に戻す。
「この冷たさじゃ泳げませんね」
ションボリと呟くと、赤さんが呆れたような顔で溜め息を吐いた。
「泳ごうとしてたわけ?水着もないのに?」
「いいじゃないですか。Tシャツ着てますし、水着なんていりませんよ!」
「いや、よくないだろ」
大体、シートが海水塗れになるから止めてくれと、赤さんに止められてしまった。次のレースになったら元通りになるし、いいじゃないか。
「あの、今更ですけどレースはいいんですか?私なんか放っといてレースに参加してください」
私の気の緩みから事故にあったわけで、元はと言えば自業自得だ。それに赤さんを巻き込むわけにはいかない。
「自分で運転するのはまだキツイだろ?助手席は大丈夫だったみたいだし、俺が運転するからリハビリしてれば?」
赤さんの中で私のリハビリは決定事項だったらしく、私の返事も待たずにさっさと踵を返して車に戻ってしまった。横暴なんだか、優しいんだか。
砂が足についたまま車に戻ると、赤さんは一瞬嫌な顔をしたが何も言わずに私を助手席に乗せて車を発進させた。私自身足の砂が気持ち悪くて、素足になったことを後悔していた。
「ちょっとずつスピード上げてみるから気持ち悪くなったら言って」
言いながら、少し加速した車。それでもレース中に出すような速度ではなくて、高速道路を走る車並みの速さだ。赤さんは私に気を遣ってくれているのだろう。隣で運転する赤さんをチラリと横目で見る。真っ直ぐに車道を見る赤さんがほんの少し心強く感じた。