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心の表情  作者: ましまろ
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初投稿です。これからよろしくお願いします。

どこら辺にあるんだろうね

何が、と問う前にああ漸近線のことかと理解できた自分が怖かった。

読んでいた数Ⅲの教科書を突如パタンと閉じてまつ毛が触れそうなほどに彼女は顔を近づける。実際、彼女が瞬きするとさわりとくすぐったかった。今日は梅雨時だというのにじりじりと粘着質に暑い、この薄暗い木陰の中から出るのは億劫でこの時間が永遠に続くということを妄想しかける。

ああここだ。

彼女の手つきを見るに、どうやらそれは、蜘蛛の糸よりも細くて、綿あめよりもやわらかくて脆いようだ。彼女がそっとつまみ上げる。

見える?

丸い爪の先が白くて柔らかいカーブを描いている。その下の指の肉が爪の色よりも白く見えて血が通っていることが信じられないくらいだった。眼球に触れそうなほど近く、揺れる指先を見ようとしてもすぐにピントがぼやけてしまう。

離れちゃ見えなくなっちゃう

頭を少し引いてピントを合わせようとすると彼女が怒ったようにつぶやいた。


「じゃあ、見えない」


自分の声ははるかに彼女より低くてさっきまでの白昼夢みたいな時間を壊してしまうには十分だった。ふわりと彼女が離れる。さっきまでそこに居なかったみたいに、幽かな熱も残さないで。彼女との隙間に周囲の雑音が一気に流れ込んでくる。周りに人なんていなかったのにおかしい。でも今は確か下校時刻で、ここは昇降口の近くだから誰もいない方がおかしいのか。どちらがどうなんだろう。


帰ろう

彼女の一言ですべての音が遠のいていく。ちょうど水の中に沈んでいくみたいに。さっき抱いた疑問は水にとろけてしまってもう跡形もない。ただ頷いて木陰を出る。肌を焼く太陽の感覚とか、コンクリートからの熱気とか驚くほどどうでもよかった。一瞬でも永遠にそこに居ることを考えた場所に何の未練もなかった。先に木陰から出た彼女は眩しいのか目を細める。歩み始めた小さなローファーについていく。しばらく過ぎてから、彼女は歩道橋の上で突然立ち止まって振り返った。プリーツスカートのひだが数えられそうなほど美しく翻る。突き出された両手から小ぶりな学生鞄を受け取ると満足げに笑った。たったったっ、きっちり三歩で横に並ぶといつもよりゆっくりとした歩調で歩く。それに合わせながら隣で堰を切ったように話し始めた彼女の言葉にじっと耳を傾けた。


彼女の話は大体が完結しない。だからお話ではない。ただの言葉の洪水。

耳に押し寄せてくるその柔らかな波をただ受け入れる。彼女のこの癖を受け入れることのできる人間というのは俺と、あと彼女の主治医だけだった。家族といっても、彼女が生まれた時には母一人だけだったが、その家族も彼女を受け入れられずに去ってしまった。そんな彼女の先を案じてか、主治医はよく彼女に学校でもっと友達を作るようにと言っている。そのためのリハビリも行っているようだが、少なくとも俺はそれの効果を感じたことはないし、学校で聞く彼女の噂も中学の時のものから変わっていない。俺も友達を作れるようになれといってはみるものの、そもそも会話があまり成立しないので意味があるのかどうなのか。


ねえ

ああまただと思う。彼女が俺に向かって言葉を発すると自分自身の思考も感情も感覚もすべてがどうでもよくなってしまう。全身が耳になる。

あげる

彼女の右手の中で小ぶりな白い手毬のような花が揺れる。それがなにかを考える前から俺は受け取っていた。ありがとうと言うべきなのだろうけどまた壊してしまいそうで、雑音がなだれ込んできそうで、本能的な恐怖に俺は口を噤んだ。


実質一人暮らしのアパートの一室に吸い込まれていく彼女のせなかを見届けてから俺は帰路につく。家に帰ったら花瓶を探さないと、あと念入りに手を洗わなくては。活けるほどの花ではないけど、貰ったものは仕方がない。たとえそれが毒を含んでいようとも。


ソクラテスは死刑を言い渡されたときこれをのまされたらしい。

花瓶を探していたら出てきた彼女のベストを学生鞄に詰めながらそんなことをふと思い出した。明日は梅雨寒になると天気予報で聞いたから、持って行っておいた方が良いのだろう。以前一度だけ行った勉強会の折、理由はわからないが彼女はベストを脱ぎ、おいて帰ってしまった。気づいてよかった、俺は安堵する。生活する、生きていくということに疎い彼女は寒くても暑くてもそれをなんとかしないと、とは思わない。それで丈夫ならいいもののすぐに風邪をひくものだからまるでひとりで生きていけない。ぎゅっと押し込むと紺色の毛糸の布地にオレンジが見えた。自分の指の一部。ベストには小さい穴が開いているらしい。仕方がない、ため息をつく。視界の端でそれに呼応するように震えた花の白い花弁がちらついた。


確か、花言葉は 




読んでくださった方ありがとうございます。次回は「目」です。お楽しみに。

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