(41) 飛んで火にいるなんとやら
その様子を見て、わたしは、先ほどデニスが言ったように、何かあったのだろうと察した。
このお店もなくなってしまうのだろうか、と思うと残念でたまらないが、まずは本題を伝えなくては、そう思って話をつづける。
「とにかく、無事で良かったわ」
「……それが言いたくて来た、って訳じゃないだろ」
すると、わたしをじっと見つめたまま渋面をしていたパオロは、ため息交じりにそう言うと、気まずそうに頭をがりがりと掻く。
「じゃあやっぱり、来たのね?」
「ああ、今店の中にいる……」
パオロは後ろに佇む、今にも飛びかかって行きそうなデニスをちらり、と見てすぐに視線をわたしに戻した。どうやらちょっと怖かったらしい。口元が引きつっている。見なくてもわかる。今の彼女には触らない方がいいかもしれない。
「会わせて、すぐに連れ帰るから」
「わかった」
パオロは肩をすくめて、わたしとデニスを店の中に招き入れてから、後ろにぞろぞろつづいた使用人を見てぎょっとした。
「待ってくれ、こんなに大勢で入られても困る。狭いんだ、座ることもできなくなっちまう」
「あ、でも……」
わたしは困ってデニスを見上げた。彼女は険しい表情のまま、パオロを睨んでから使用人たちに言った。
「お前たちはここで待機だ。もし我々が一時間しても戻らない場合は突入する。以上だ。……構わないですね?」
最後の言葉はパオロへ向けて放たれたもので、彼は挙動不審な仕草で頷いた。使用人二人は、デニスに負けず劣らずの強面をさらに引き締め、今にも軍隊式挨拶でもしそうな雰囲気で重々しく「わかりました」と答えた。
わたしは、あまりの仰々しさにちょっと引きつつ、デニスにつづいて店内へ入った。
営業中のときとは違い、片付けられたテーブルやイス、いつでも使えるように準備された厨房が寂しく映る。
パオロはそれには目もくれず、店の奥へと向かった。途中で下へ行く階段やら、食料が詰まった部屋を通り過ぎた。それらの部屋の先に、明かりが漏れ出ている部屋がある。
どうやら休憩をとる場所のようだ。
パオロに手招きされ、わたしたちは部屋に足を踏み入れた。
室内には簡素な寝台がふたつと、帳簿をつけるための粗末な書き物机があり、レシピなどを置く棚が置かれていた。
確かに狭いが、あと二人を連れて来られないほどではないかな、と思って見回したわたしは首を傾げた。
「パオロ、ルチアはどこにいるの?」
「……ここにはいない」
「え?」
素っ気なく返された言葉に、わたしは困惑した。それから、パオロの様子が変なことに気づく。
あんなことがあったから気まずい、ということでないことだけは確かだった。彼の様子はもっと緊迫していたからだ。
「だって、さっきは店にいるって」
言ったじゃない、と続けようとしたとき、後ろで物音がした。振り返った視界に、三人の男性が映る。みんな労働者階級らしい汚れれ着古した服装で、体格が良かった。
彼らはわたしがあっ、と言う間もなくデニスを捕えてしまった。
「何するの! やめて」
思わず反射的にやめさせようとしたわたしの腕を、パオロが掴んで引き留める。もがいたところでどうしようもない。しかも、かなり強く掴まれていて痛い。
床の上では、デニスが必死に抵抗している。
しかし、いくら彼女がとんでもなく強いと言っても男三人の力にかなう訳もなく、口をふさがれ、縛られようとしていた。
わたしは痛みと突然の出来ごとに、涙目で問うた。
「何でこんなことするの? わたしが一体何をしたって言うの!」
「そうだな、俺だって別にこんなことするつもりはなかった。いや、諦めてもらうつもりだったんだ……」
「なに、何を言ってるの?」
彼の言うことがひとつもわからず、わたしはただひたすら訊ねた。今できることがそれしかなかったからというのもあるけれど、それよりも質問することで恐怖を紛らわしたかった。
「でも、あのルチアというご令嬢が来たことで、結局は当初の目的通りに、お前を仲間に引き入れることになったんだ」
「仲間? 仲間って何の?」
「もちろん、記憶持ちの仲間だよ」
わたしの質問に答えたのはパオロではなかった。休憩室の戸にもたれるように立つ男性。どこか、労働者階級の人々の中では浮いている、存在感のあるその人物には見覚えがあった。
茶色い縮れた髪、痩せた体つき。
どことなく、芸術家を思わせる雰囲気と鋭い目。
今夜はやや良い身なりをしており、古着ではあるがきちんとしたコートをまとっている。そうしていると、さながら学者のようですらあった。
「あなたは……」
「始めまして、ロレーヌ・バルクール男爵令嬢。いや、初めてではないんだが、たった二言、三言交わしただけだから、こうしてちゃんとお会いするのは初めてだな。
俺はカッシーニ。
この国に生きるすべての記憶持ちたちの地位向上と生活改善を目的とした活動を行っている者だ」
穏やかに語られた言葉は粗野なのに静かで、だからこそどことなく物騒な印象を受ける。わたしは聞きたいことがたくさんあったはずなのに、それを聞いた途端、のどが詰まったように声が出なくなってしまった。
「そうそう、この間の新聞、読んでくれたかい。そろそろ潮時かと思ったんで、正体を明かすことにしたんだよ。
この国の上流階級の奴らに、俺たちの存在価値を知ってもらって、他国との差を見せつけるのが狙いだった」
男性、カッシーニはどこか嬉しげに告げた。
わたしはさらなる衝撃で、やっぱり声が出て来ない。ついでに、自分の人の見る目のなさに泣けてくる。
そんなわたしに、彼はさらに語り続けた。
「本当は、こんなやり方じゃなく、もっと平和的に仲間に迎えたかったんだけどな。仕方がない、そこのパオロの魅力が足りなかったんだろうさ。
本音を言えば、パオロと駆け落ちでもして欲しかったがな。
まあ、あんたの気持ちもわかるよ。あんたのお相手は将来有望な侯爵のご子息だとか、しかも、とても美男子なんだろう?
確かに、そいつとこの男じゃ比べものにならんか」
言って、彼は少し歪んだ笑い声をあげた。
けれどそれよりも、わたしは彼の言葉にショックを受けてしまった。それじゃあ、パオロの告白は嘘だったということなのか。
ますます自分のことが信じられなくなってくるので、正直この辺りでやめてと言いたいが、やっぱり声が出ない。
すると、パオロが迷惑そうな声を上げた。




