(37) 恋する乙女が怖い
「ありがとう。……君にそう言われると、やっぱり嬉しいものだな」
本当に幸せそうな顔で言われ、わたしは思わずどきりとしてしまった。何より彼に、こんな顔をさせることがわたしにできたのだ。
少しでも、ジェレミアの役に立てるんだ。
わたしは幸せを感じた。
「やはり、早く結婚したいよ」
が、次に放たれたセリフと、少し困ったような表情のあまりの破壊力に、言おうと思っていたことが吹き飛ぶ。
せっかくわたしもお礼を言おうと思ったのに。
真っ白になった頭と真っ赤になった顔のまま、わたしは気を落ち着かせるためにお酒を飲んで、むせてしまったのだった。
◇
翌日、昨日の諸々でぼんやりしていたわたしは、朝食の席も辞退し、また引きこもりでもしようかなと思っていた。
ジェレミアは謝ってくれたが、やはり心配だからと護衛の数は減らしてくれなかった。それだけでなく、デニスがどうしても減らしたくないと頼んだからとも言っていた。
結論として、このまま続行することになったと断言され、わたしは反対することもできずに受け入れることにした。
なので、今日も今日とて使用人を三人ほど引きつれて、気分はちょっとした悪者お嬢様である。
ちなみに、デニスによるともし外出する場合は引きつれる使用人の数が増えるそうだ。その場合はメイドではなく、男性使用人が増量するという。
果たしてそれを見た人はどう思うのだろう、と思いつつ心配してくれている二人に逆らう気も起きず、その微妙な状態を避けたければ外へ行かなきゃいいだけだし、と納得することにした。
という訳で、今日もとりあえずは図書室である。
やはり、ここがとりわけ落ち着くので、どうしてもこっちへ来てしまうわたし。
いっそ昨日ジェレミアに約束した詐欺とか犯罪について勉強でもしようかと、脚立に乗って高いところにあるそれ系の本を探していると、突然図書室の扉が凄まじい勢いで開かれた。
わたしはびっくりして、思わず本を取り落してしまい、悲痛な声を上げる。
「ああっ!」
本が傷む、高価なのに、公爵様の持ち物なのに、と嘆いたわたしだったが、そこはデニス、さっと本を受け取ってくれた。それから、険しい表情で扉を見やる。ほっとしたわたしも、彼女につられる形で扉の向こうの人物を確認し、口元が引きつった。
「る、ルチア……」
ほぼうめき声に近い声がのどから出てきた。
いや、まあ、きっと近いうちにパオロがいないことに気づいて聞きに来るんだろう、と思って覚悟はしていたのだが、実際に来られると結構緊張する。
「ロレーヌお姉様、お姉様が何かしたの?」
「な、なにをでしょう?」
何か、などと漠然としたことを言われても困る。
すると、ルチアはつかつかとわたしの近くへ歩み寄って来て、脚立にしがみつくと言った。
「そんなの、パオロのことに決まってるじゃないですか! どうして彼はこの邸にいないんですか、わたし、彼は何かの配達にでも行っているんだと思っていたのに……聞いたら彼は辞めたって!」
「あ~、うん、そうみたいね」
まさかその原因はわたしなんです、なんて言える訳がない。しかも、あんな告白をされた後だ。
どうしたらいいのか、全くこれっぽっちもわからない。
しかし、ルチアはわたしの返事に眉を吊り上げた。
「そうみたい、って、お姉様は気にならないんですか? あんなに仲が良さそうにしてらしたのに、もう彼のことはどうでもいいんですか、わたし、そんな人だとは思わなかった」
「ま、待ってルチア。わたしは別にどうでもいいなんて言ってないじゃない。きっと、彼にはそれなりの理由があったのよ」
「理由って何ですか? こんな割のいい仕事を辞めるなんて、よほどのことがあったのよ。お姉様は、気にならないんですか?」
さらに脚立によじ登って来たルチアの表情に気圧され、わたしは迷う間もなく言った。
「あ、あのね、実はもう彼の仕事先を見てきたの。そこでとてもうまくやっているようだから、大丈夫よ」
言ってしまってから、まずかったと思ったが完璧なるまでに後の祭りだ。ルチアはわたしの言葉に一瞬動きを止めた後、ぱぁっ、と顔を輝かせた。
「そうなんですか! ああ、良かった。わたしはてっきり彼の身に何かあったのかと思って。それじゃあ、その場所を教えてくださいませんか?」
「え、えーと」
どうしよう、教えないと後が怖い。
しかし、ルチアをひとりで行かせる訳にはいかないし、何より今は外出事態危ない気がする。
「あの、ごめんね。わたしはデニーに連れて行ってもらったから、良く知らないの。確か、住所を書いた紙があったと思うのだけど、どこへ置いたか忘れてしまって……」
「そうですか」
ルチアはわたしの言葉を信じたらしく、するすると脚立を降りると、真っ直ぐにデニスのところへ行って教えてくれるように頼んだ。しかし、デニスは素っ気なかった。
「申し訳ありませんが、私の主はジェレミア様です。許可なく貴女様をご案内することはできません」
「いいのよ、ただ場所を教えてくれるだけで」
「それは承服致しかねます。現在この王都は危険ですので、ご令嬢がひとりで外出なさらないほうがよろしいでしょう。
もし、何かあった場合、アストルガ公爵閣下の責任となってしまいますので」
これには、さすがのルチアも言葉を返せなかった。もの凄く不服そうな顔でデニスを睨み付け、フンと鼻を鳴らすと言う令嬢にあるまじき行為をして、言った。
「わかったわ、じゃあ自分で探します。失礼」
ルチアはドレスをひるがえし、足音を立てて図書室を去った。わたしは、少しの間扉を見ていたが、こうしていても仕方ないと脚立から下りて、つぶやく。
「何か、無謀なことをしそうな気配がするんだけど」
「私もそう思います。あのお方はロレーヌ様の悪い部分を集めたようなところがありますから」
「……うん、そう……ちょっと待って、どういうこと?」
デニスの口から飛び出したセリフに、わたしは驚いて反射的に聞き返してしまった。
「そのままの意味でございます。ロレーヌ様も、ルチア様も思い込んだら突っ走られる傾向がございますから」
真顔ではっきり言ったデニスに、わたしは何も言えなかった。