(35) 疲れました
翌日、わたしはデニスがかなり怒っていたことを身をもって思い知らされた。
「ねえ、どうしてこんなに従僕がついてくるの?」
自室で朝食をとり、さらにドーラと共に着替え終え、部屋を出る段になって、わたしは何か状況がおかしいことに気づいた。デニスがいつもよりピリピリしており、その上、この邸の従僕と小姓らしき少年が側に立っている。
今日は出かけないと言ってあるのに、これはどうしたことだろうと首をひねったわたしはそう質問した。
「見張りのためでございます」
戻って来た声は固い。わたしはとりあえず、彼女がかなり怒り心頭なことだけ良くわかった。
「でも、出かけないのにこんなにいらないんじゃ」
「ジェレミア様のご命令でございます」
「え? ジェレミアが?」
澄ました顔の従僕と小姓を見てから、わたしは不思議に思ってくり返す。彼がこんなことをするようになる理由があるとしたら、と考え、ひとつ思い当たった。
「もしかして、また何か起こったの?」
「はい。昨日ロレーヌ様がお出かけになっていた時間のすぐあと、王都で爆発がありました。もし、貴女様の身になにかあったらと思うと居ても立ってもいられず、昨夜のうちにジェレミア様に全てお話したのです」
彼女の重々しい言葉に、わたしは全身から血の気が引く思いだった。つまり、わたしはそんな危ない時間に出歩いていたのだ。その上、それをよりによってジェレミアに知られてしまった。
二重の恐怖でその場に固まる。
なんてことだ。確かに軽率なマネをしたとは思うが、そんな重なり方しなくても良いではないか。
ただでさえ昨日のことで結構へこんでいるのに。
わたしは無言できびすを返し、部屋へと向かう。
「どこへ行かれるのです」
「ちょっと、頭が痛くなってきたのでもう少し寝るわ」
と言うか、全身が疲れたように感じる。せっかく着替えたのに、とも思うがもう色々疲れた。部屋を出てたった数歩でここまで疲れたのはこの世界に生まれて以来初めてだ。
思わず、口からフフフと笑いがこぼれる。
精神的疲労が溜まりすぎだ。今日は引きこもって休みたい。
「そうですか。では、このまま扉の前で見張りを続けます。午後にはまた別の人間が来るので、その際には紹介いたします」
「……わかったわ」
返事をするのも億劫で、わたしはよろよろと扉に寄りかかるようにして部屋へ戻り、ドーラを驚かせまくったのだった。
◇
――ああ、外が赤くなってきたなー。
本から目を上げ、わたしはぼんやりとそんなことを思った。結局、一日ほとんど引きこもって過ごしてしまった。こんな風に過ごすつもりはなかったのだが、思っていたより疲れていたらしく、出かけたいとも思わなかった。
昨日の事や、ジェレミアのことを考えたくなくて、ひたすら本に没頭し、疲れたらうたた寝をした。食事も全部部屋でとった。
「何だか、昔のことを思い出すなぁ」
昔、とはロレーヌとしての昔ではなく、日本で生きていた頃のことだ。あの頃はこうして部屋にこもっていることが多かった。運動が大して好きではなかったので、こもっていることは特に苦痛ではなかったが、友人ができないことだけが寂しかった。
それが今ではこうして好きにできる。
だというのに、本質に変化がないようなのがおかしかった。
「きっと、向こうでの人格が残ってるのね」
これは、記憶持ちとして生まれなければ理解できない感覚だろう。だからこそ、パオロはあれほどわたしに対して固執したのかもしれない。そうじゃなければ、こんなことになるはずがないのだ。
わたしは大きくため息をつく。
「もう、帰ろうかなあ。その方がジェレミアも安心だろうし」
パオロとの絆が断ち切れるのだけは嫌だが、彼の気持ちに応えることはできない。これ以上関わりを持ち続ければ、結局は彼を傷つけてしまう。
だって――。
「わたしが好きなのは、ジェレミアだけだもの。ずっと、一緒にいたいし、声を聞いていたい、姿を見ていたい……誰にも、渡したくない。なんて、それは言い過ぎか」
小さく笑い、さらにもう一度ため息をついたわたしは、ふと扉を見やった。そろそろ誰かが夕食をどうするか聞きにくるかもしれないと思ったのだ。
「ん?」
なんだろう、気のせいかうっすらと開いているように見える。まさか、今のつぶやきを聞かれていたんじゃないだろうか。確かジェレミアの命令で扉には王女様の部屋よろしく見張りがついているはずだ。しっかり確認はしていないが、なんとなく気配がするので間違いないと思う。
――いやいや、ちゃんと距離をとってるし、けっこう小声だったし、きっと大丈夫……っ。
そう言い聞かせたとき、扉がゆっくりと開いた。わたしはうっと呻きそうになり、急いで口にこぶしをあてがう。
どう反応したらいいんだ、と思いつつ見ていると、そこにいたのは外から差し込む夕日に照らされたジェレミアだった。
わたしはそれこそ悲鳴をあげそうになった。
なんでそんなとこにひっそりいらっしゃるの、と思いつつも、何だか美しき死神、もしくは悪魔でも現れたみたいで、すごく美しい画が展開されているため、ついつい見とれてしまう。
「あー、その、聞くつもりはなかったんだが」
すると、その美しき悪魔が照れたような顔で言った。
わたしはあまりのことに、久々に脳内で吐血しつつ、彼が入ってくるのを目で追う。
こんな様子の彼はそうそう見られるものではないので、しっかりと堪能する。が、そこで気づいた。
どうしてジェレミアはそんなに照れているのだろう。何が彼を照れさせているのかと考えたわたしは、ようやく思い至った。
先ほど自分がうっかり口走ったセリフのことを。
「……まさか、聞いてたんですか?」
近寄って来たジェレミアを引きつった顔で見ながら問う。
気づいてしまった以上、観賞どころではない。頼むから全部聞いていたとかは言わないで――!
「ああ、その、帰ろうか辺りから全部……」
歯切れ悪く発された返事に、わたしは思わず顔を両手で覆った。




