(33) どうしようもないこと
「おいおい、いい子じゃないか。パオロのヤツが羨ましいな。俺なんかまだ嫁が来ないんだぜ」
無精ひげ男が恨めしげに言うと、パオロがやって来て追加の料理と酒を置きつつ、男をじろりと睨んだ。その視線の強さに、男は鼻を鳴らして口をつぐむと、料理に手を伸ばして口に放り込む。すると、男の不満そうな顔が一変した。
「お、また美味いの作ったな、お前」
「おお、本当だ。お前なら宮廷で雇われてもなんとかなるんじゃないか? こんなに美味いんだしさ」
同じように料理に手を付けた仲間が追従する。
「よして下さいよ。大体、あいつらのために料理するなんて気が滅入るじゃないですか」
これは喜ぶんじゃないかな、と思って見ていると、パオロはさも嫌そうな顔をしてそう言った。それを聞き、わたしは驚いてつい彼の顔をまじまじと見てしまった。彼はわたしの視線に気づくと、少し気まずそうに目を反らし、そのまま厨房へ戻ってしまう。
わたしは不思議に思ってつぶやいた。
「どうして気が滅入るんだろう?」
すると、そのつぶやきが聞こえていたのか、彼らの中でも比較的給金の良い仕事をしていそうな身なりの男性が口を開いた。
「そんなもの、わかりきったことじゃないのか?」
ふん、と鼻を鳴らしつつ言われてもよくわからないので、困ったように男性を見るわたし。男性はそんなわたしを見て、少し眉をひそめたものの、説明してくれた。
「いいか、あんたはどういう理由か知らないようだが、この国の上の奴らは、俺たちのことをまともに評価しないんだ。全てが階級、階級。この国では階級が全てなんだ。どれほど優れた功績を残しても、上の奴等ほどの暮らしなんか、俺たちには到底望めない。
ただし、人殺しの奴らは除くがな」
憎々しげに放たれた言葉に、その場の空気が一気に沈む。わたしは何も返せない。急に、怖くなってきた。
この場の全員にわたしの正体がバレたら、彼らはどういう態度を取るのだろう。そう思っていたら、それまでかなり静かに飲んでいた男性が声をあげた。
「だが、中には俺たちをちゃんと評価してくれる奴もいる」
「けどよ、カッシーニさん!」
「ああ、そういう奴らは弱い。だから、俺らはいつまでたってもこのままだ……つくづく、神ってのは不公平だよ」
つぶやくような声だったのに、一音一音はっきり聞こえた。わたしは声の主を良く見た。なんだか芸術家みたいな見た目のひとだ。長めの茶色い髪は、天然パーマのようにもじゃもじゃしている。体つきは痩せていて、身なりは他の仲間のひとと同じようなのに、少しだけ浮いているように思えた。
「お嬢ちゃんもそう思うだろ?」
「え、あ、はい、そうですね」
突然水を向けられたわたしは、とっさにそう返事をした。男性、カッシーニと呼ばれている彼は、わたしに向かったうなずいて笑う。
「そいつの言ったこと、あまり気に病むな。不平等はどこだってついてまわるもんだ」
「は、はあ」
なんだろう、フォローしてくれたんだろうか。
けれど、わたしはなぜか背筋が寒くなったような気がした。まるで、わたしの本当の身分を見透かされているような、そんな気分になってしまっていたのだ。
「あんた、パオロに会いに来たんだろ? ようやく知り合ったばかりだって?」
「は、はい」
「それじゃあ、悪いことしたな。俺たちも、中々若い娘を肴に飲める機会がなくてな。おい、お前ら、店変えるぞ」
カッシーニがそう言うと、仲間たちは口々に不満を漏らした。しかし、追い立てられるように「邪魔してやんな」とか「気持ちわかるだろ」と言われた仲間たちは存外素直に席を立つ。結局わたしひとり残して全員が立ち上がり、出入り口へと向かってしまった。
わたしは慌てて立ち上がり、引き留めようとしたが遅かった。
「邪魔したな、後はせいぜい仲良くな」
と勘違いも甚だしいセリフを残し、彼らは去ってしまった。夜に向けて準備中の店のなかは静まり返り、唖然としたままのわたしのもとへ、パオロが歩み寄って来た。
「別に、出て行かなくてもいいのに」
困惑気味にそう告げると、パオロは苦笑した。
「いい奴らなんだ。だから紹介したかった。あいつら以外にもまだいるけど、皆、忙しいから」
「そう、それは残念ね」
会ってみたかったような、そうでもないような微妙な気持ちで、出入り口を見つめながら言う。まだ、耳にカッシーニの声が残っているような感じだった。
第一印象は芸術家だったけれど、わたしは考えを改めた。
そんなんじゃない。
もっと、頭の回る人間のような気がする。
良くも悪くも、イケメンでもないが印象に残るひとだ、と思った。わたしがそのまましばらく出入り口を見つめていると、パオロが少し遠慮がちに言った。
「もっと、話したかった?」
「えっ、ううん。いいの……みんなもわたしがいたんじゃ多分落ち着かないんだと思うから」
そう、だから場所を変えたのかもしれない。恐らく、わたしが世間知らずなのはわかってしまったはずだ。少なくともわたしが自分たちより上の人間ではないか、と疑いを持っていると思う。
せっかくのくつろぎの時間に、気にいらないであろう階級が上の人間がいては、くつろげないだろうし、わたしだって邪魔したくはないから、これで良かったのだ。
そう自分に言い聞かせていると、パオロが言った。
「まあ、ある意味俺も落ち着かないけどさ」
何気ないセリフだったが、わたしは少しショックだった。パオロですら、そう感じるのか。しかし、こればかりは仕方がない。わたしはムリヤリ笑顔を浮かべた。
「……そっか。でも、生まれはどうしようもないんだし」
「そういう落ち着かない、じゃない」
「へ?」
気づくと、パオロは真っ直ぐにわたしを見つめている。一生懸命にと言ってもいいほどだ。今のわたしは着飾ったときと違って、そんなに見る価値は皆無どころか針の先以下くらいしかないはずなのだが、一体なぜ。
意味がわからず、わたしは声をあげた。




