パルマーラ男爵夫人、暴走開始
翌朝、ちょっと寝不足気味なのを何とか化粧でごまかしたわたしは、小間使いに朝食は部屋で摂りたいと告げた。
正直、もう少しひとりでいたかったからだ。
窓から外を見やれば、すっきり晴れている。
予定では男性陣は今日、狩りにいくと言っていたので、館には女性たちばかりが残されることとなる。ついに彼女たちの嫉妬、憎悪がわたしに降り注がれる時が来たのだ。
うわー、憂鬱ー。
「至近距離で見られることと引き換えにするにはちょっと大変すぎたかしら」
ぼんやりとぼやく。
部屋にはわたしひとりだ。ドロテアは朝食を摂りに食堂へと言った。最後まで本当に大丈夫か、何かあればちゃんと言わなくてはだめだと心配してくれた彼女に、嘘をつかなくてはならないのは応える。
「ああ、本当のこと言っちゃいたい」
つぶやいて、ため息をつくと、その声がした。
「何を言っちゃいたいのかしら?」
びっくりして声の出所を探れば、うっすらと開いた扉の隙間から、楽しげに目を輝かせたおばがこちらを見ていることに気づく。
――いつからそこにいた……!
おば、ことフィオレンザ・パルマーラ男爵夫人は、飽食の結果、やや太り過ぎた体つきをしている。良く言えば包容力がありそうだが、悪く言えば自分の欲望に忠実な人物との印象を周囲に与えるが、実際の彼女は後者そのものだった。
そんなおばは白髪の増えた髪を高く結いあげ、昼用のドレスに身を包んだ、と言うか肉を押しこめた格好で、興奮に満ち過ぎた目をしてわたしを見てくる。
やがて、楽しげに笑いながら部屋に入ってくるおばに、心の底から呆れつつわたしは言った。
「いえ、大したことじゃありません。ちょっと疲れたので、今日のお茶会は遠慮したいなあと思っていただけです」
「そう。ではなぜそこまで疲れたのかしら? ジェレミアが関係しているの?」
オブラートに包むということのない彼女の剛速球がわたしの心にめり込んだ。せめてもう少しオブラートに包んで欲しかった、幾らなんでもストレート過ぎる、と思いながら茫然としていると、おばはフフンと鼻を鳴らして、得意げににやりと笑って見せた。
「このわたしを騙せるとでも思ったの? 昨日のあなたたちを見ればふたりの間にただならぬ空気が流れていたことはすぐにわかったわ。
それで、どうなの? 彼は何かあなたに言ったの?」
詮索好きの目がくるくると動く。
その視線にさらされたわたしは「ええと」と言ってから呻いた。
まあ、昨日の時点で来るとは思っていたのだが、予想以上に早かったので、まだ適切な答えをひねり出せていなかった。今日の午前中を使って対策を練ろうと思っていたのだが、おばの行動の早さには舌を巻くより他ない。
どうしたものか、わたしは悩んだ。
本当のことは言えないし、恋人役として答えるとしたら「彼が好きです」と言うしかない。だが、それを口にしたが最後、徹底的に成就させようとするだろう。
当人たちの意思はおかまいなしなのだ。より多くのカップルを誕生させることが彼女の生きがいであり、最高の娯楽だった。
おばはそういう人なのである。
わたしが口ごもっていると、おばはしばらく待っても答えが返ってこないことを悟ったのか、思わせぶりにうなずいて見せた。
「そう、わかったわ。貴女はジェレミアに恋してしまった。でも、彼の気持ちはわからないから、何も言えないと言う訳ね。いいでしょう、わたしに任せなさい、きっと良いようにしてあげるから」
「えっ、あの、おばさん……そういう訳じゃ」
「いいのいいの、可愛い姪が困っているのだもの、力になってあげたいの。大丈夫、貴女は何も心配しなくていいの、全て上手くいくから。さて、じゃあ早速カスタルディ卿にお会いしなければ」
おばは一気に目を輝かせ始めた。
不味い、不味い状況だ――どうしよう。だが、今の今まで彼女の行動を止められたものはいない。夫であるパルマーラ男爵は早々に金だけ出して手も口も出さない宣言をしたそうだし、息子は息子で父に右ならえだった。
ドロテアも「母が夢中になっている時は何を言っても無駄よ。それに、目を付けた男女を結婚に導くことは悪行じゃないわ。むしろ善行でしょ」と言っていたので、取り合ってくれそうにない。
「さあ、忙しくなって来たわ!
ドロテアの方も、早く誰か意中の男性を見つけないものかしら。そうすれば、貴女と一緒に縁談をまとめられるし、そうすれば合同で結婚式も挙げられるわ!
まああああ! 何て素適なんでしょう!」
彼女の小さな目から、光の粒がこぼれてその辺りを埋め尽くしているように見える。
ああ、ついに眼精疲労が極限に達したのだろうか、まだ朝なのに、とわたしは遠い目で思った。
「決めたわ! 早ければ今年の秋、もう少しかかるなら来年の春に合同結婚式を挙げましょう。まずはカスタルディ卿にそれとなく話を通して、それからジェレミア、貴女のご両親ね。
さあさあ、大変大変」
おばは一人で叫ぶと、いそいそと部屋を出て行ってしまった。
ぱたむ――と扉の閉まる音がして、わたしは現実逃避状態からようやく戻ってきた。
「これは、困ったことに……とりあえずジェレミア様には伝えないと」
そこまで言ってから、彼は狩猟に出かけていて留守だったことに思い至る。彼がいない間に、おばはきっとカスタルディ卿に話をしてしまうだろう。
そして、わたしの両親に手紙を書くに違いない。
四面楚歌。
追いつめられた鹿の気分だ。このままではジェレミアに絶大なる迷惑がかかり、ドロテアを傷つけてしまうかもしれない。
「あぁあぁぁ……もう、嫌」
まだ朝なのに、最悪の幕開けだとわたしは思った。