(27) 寂しい微笑み
すると、パオロは大変だな、とでも言いたげな様子でわたしを見てから言った。
「ああ、わかった。それはともかく、今日来たのは、いつ店に来てもらえるか聞こうと思ったからなんだ」
それが本題だったのか、彼の表情はちょっと真剣だ。しかし、わたしは小さく唸る。
「やっぱり、無理か?」
「ううん、違うの。ただほら、ここのところ爆発事件が相次いでいるでしょ、しかも狙われているのは上流階級らしいってことらいの。それで、今は外に出ちゃいけないって言われてて」
実際、比較的近くで目撃したから、あのときの恐怖は身に染みている。幸い、死者は出なかったというから良かったものの、大ケガを負ったひとならいると聞いて、増々怖くなってしまった。
「行きたいには行きたいんだけど、すぐには無理だと思う。やっぱり、怖いし」
「でも、その事件ってあくまでも上流階級の集まる場所ばかり狙ってる訳だろ。なら、俺のいる店は安全だよ。労働者ばかりが集まるような店なんだ」
「そのような場所なら、余計危険です」
不意に、デニスが発言した。前回の時はずっと黙っていたのに、と驚いて彼女を見ると、まるで愚か者でも見るような目でパオロを見据えている。やっぱりこういうときのデニスの表情は結構怖い。
「下町では、どんなことでも起こり得ます。犯罪の温床でもあるんですよ。危険人物が一番紛れやすいのがそういう人の中なのです。そんな場所に、我が主を連れていくのは許しません」
静かに告げるデニス。パオロはその視線を真っ向から受け止め、しばし、静かに睨みあうふたり。わたしはあまりにピリピリした空気に何も言えなくなってしまった。
やがて、場の空気に耐えきれなくなったのか、先に口を開いたのはパオロだった。
「……まあ、確かに女の子ひとりでなんて不用心っちゃあ不用心だよな。酔っ払いもいるから、安全とは言い難いしさ」
「それなら……!」
「だからあんたも来ればいい。それに、婚約者がいるんだろ? その人も連れてくればいい。俺も絡まれにくい席を確保するから、な、どうしても来て欲しいんだ、頼むよ」
何か言いつのろうとしたデニスを遮り、パオロはわたしを見て懇願するように言った。
正直、そこまで言われてしまっては断りにくい。
ただし、なぜそこまで急ぐのかがわからなかった。店の存続が危ういとか、何か理由があるとしか思えない。
「それなら、行けなくもないと思う」
「なら……」
「でも、何でこの事件が終わってからじゃだめなの?」
心底疑問に思い、わたしは率直に問う。すると、パオロは一瞬押し黙ってから、少し照れたように頬を掻く。
「話がしたいんだ。もっと、もっと……お前はいつか、ここから出ていくんだろうし、そうしたら、会えないだろ」
「そんなに期間は開かないよ? 社交の季節には必ずここへ来るんだから」
「そんなの、かなり先の話だろ? それまで待てって言うのかよ。もしかしたら、事件のせいで領地へ戻っちまうかもしれないって、不安だったんだよ」
語尾は少し荒げた声で告げ、パオロは横を向いた。
何だかふてくされているように見える。まさか彼がそんな態度に出るとは思っておらず、わたしは罪悪感で胸がちくりと痛んだ。
もしかしなくても、パオロはわたしと違い、かなり前世の記憶が鮮明な方なのではないだろうか。
そういう人物は、前世と今世の違いに耐えられず、発狂したという話も読んだことがある。もちろん、作り話ではなく、記録として残されていたものだから本当のことだ。
パオロにそんな風になって欲しくない。
「他にも護衛役を連れて来たっていいんだ、俺は」
「わかった」
わたしはさらに条件を提示しようとしてくるパオロの声を遮ってきっぱり言った。言ってしまった。
「ろ、ロレーヌ様!」
デニスが今にも詰め寄らんばかりに驚愕した様子で呻く。それを見て悪いことをしたような気がするが、パオロの頼みを聞かないのも胸が痛む。
「ごめんなさい。でも、あなたには絶対についてきてもらうし、ジェレミアにも事情は説明する。それならいいでしょう?」
「く、しかし……」
どうしても納得できないらしいデニス。しかし、そんな彼女をよそに、パオロは嬉しそうにわたしのところへ来ると手を取った。
「ありがとう! 良かった、もしかしたら、このままろくに話も出来ないで帰られるんじゃないかと思ってたんだ」
「どうしてそう思うの? わたしだって初めて会ったのに、そんな簡単に忘れて帰るなんてしないし、できれば連絡を取り合えたらなと思ってるのに」
あまりに心外なパオロの言い分に、わたしは少しムッとした。例え周りが強制的にバルクール領に戻したとしても、パオロと連絡を取れる手段を探らない訳がないではないか。
「だよな、ごめん。ただ、あんたはちゃんと家族も恋人も友人もいて、この世界での居場所があるからさ、そこへ俺が入れる訳ないし」
「何言ってるの、あなたはもう友達じゃない」
少なくとも、わたしはそう思っている。まだ知り合って日は浅いが、縁は浅くないのだ。この世界でわたしが知る唯一の、同じ時代、同じ国の前世を持つ人間。関わりを持たないで暮らすことは難しい。
「そっか、うん、そうだよな」
「そうだよ」
大きくうなずきながら言うと、パオロはやはり少し寂しそうに微笑んだ。なぜそんな表情をするのだろう。もしかしたら、先ほどの言葉に秘密があるのかもしれない。
彼は「あんたはちゃんと家族がいて」と言っていた。それではまるで、彼にはそういう人がいないように聞こえるではないか。
微妙なことだけに口にするのは難しい。
「それじゃあ、良い返事を期待して待ってる。話がついたら呼んでくれ、それまでに何を作るかもっとじっくりと考えておくからさ」
「わかった、何とか頑張ってみる」
「じゃ、仕事に戻る」
パオロはそれまでずっと握っていた手を名残惜しそうに放して、いつもの優雅な従僕に戻って去って行った。
その温もりが妙に手に残って、わたしは困惑した。




