(25) 嫉妬は怖し
まずはドロテアのものからだ。
紙片を広げて読んでいくと、やはりごめんなさいが多量に羅列されている。別に、彼女のせいではないので、なんとなく申し訳なくなった。そんなドロテアによると、ミセス・モレナは持病持ちで、しかもかなりの面倒くさがりなのだそうだ。
「……その上、趣味が居眠りって、付き添い役として本当に大丈夫なのかな」
なんとなくそんな予感はしていたが、良く知る人物の手紙に書かれているととてつもなく不安になる。しかし、おばのパルマーラ男爵夫人は全く頓着していないらしい。どこまでも娘を信頼しているようで、それらしい人がついていさえすれば問題はないと思っているのだそうだ。
けれども、ドロテアは心配なので、気の付いたときだけでいいからわたしにも見ていて欲しいと書かれていた。
わたしはそれについて返事を綴る。
「余裕があるときは必ず見るようにします、と、後は……」
少し唸りながらも、何とか返事を書き終え、わたしは次の手紙を開く。こちらは母からのものだ。母には、ルチアのことについて相談していた。何しろ、こういう場合にどう対処したら最善なのか、わたしにはさっぱり見当もつかなかったからだ。
「ええと、なになに……恋の病につける薬はありませんって、これじゃ答えになってないよお母様」
身もふたもない母からの返事に、わたしはかなりがっくり来た。何かより良いアドバイスが貰えるかも、と期待したのに、と思いながら読み進めようとしたとき、部屋に誰かが入ってくるのがわかった。
誰だろうと顔を上げれば、今まさに手紙の内容の九割を占める存在、ルチアだった。
「……少し、良いかしら、ロレーヌお姉様」
「え、ええ、もちろん」
わたしは慌ててガサガサと手紙を折り畳み、読まれないよう手でしっかり押さえる。表面上は穏やかな笑みを浮かべているものの、ジェレミアの時とは逆の意味でドキドキする。
動揺を押し隠し、微笑みを浮かべたわたしの近くの椅子に腰かけたルチアは、綺麗な顔が台無しになるような険しい表情をしている。気のせいだろうか、やっぱり凄い睨まれている気がする。
――や、やっぱり昨日のことかな。
他にこんな様子で話しかけられる理由が思いつかない。出歩けない愚痴なら不満そうな顔をしているだろうし、何かが欲しいというおねだりならこんな今にも暴れ出しそうな顔はしていない。
ルチアは今にもつかみかかりたい衝動を抑え込んでいるような目つきでわたしを見ながらも、なかなか話しだそうとしない。
仕方なく、わたしは自分から口火を切った。
「ええと、何かあったの、ルチア?」
「何かあったの、ではありません。どういうことか教えて下さい!」
まさに憤怒の形相で、ルチアは大きな声を出した。
「な、なんでしょうか」
気圧されたわたしは、思わず逃げ出したくなったものの、そこはこらえる。ルチアはぎりぎりと歯ぎしりでもし出しそうな様子で言った。
「どうして、わたしがお姉様に相談する前と後では、彼の様子が違うんですか?」
「どういうこと?」
「見ればわかるじゃないですか!」
わからないから聞き返したのだが、ルチアは何か妙な思い込みをしているようだ。それがわからないとどうしようもない。
「ごめんなさい、わからないの。あの、もっとはっきり言ってくれない?」
すると、ルチアは忌々しげな様子で増々こちらを睨んでくる。めっちゃ怖い、でも逃げちゃだめだ。しっかりしろわたし。
「わたし、いつも彼を見ているからわかるんです。彼、ずっとお姉様ばかり見てる、凄く嬉しそうに、ちょっと悲しそうに……それを見ていると、胸が痛いんです。
以前、お姉様は勘違いかもしれないって言ったけれど、勘違いなんかじゃない、わたしは彼が好きなのよ、だから許せない」
「ゆ、許せないって、わたしは何も」
していない、と続けようとしたのだが、鋭すぎるルチアの一睨みの前に声が出なくなってしまう。
「していないとでも、じゃあどうして彼はあんなに焦がれるような目でお姉様を見ているの?」
わたしの脳裏に浮かんだのは、早く店に来てもらいたいのではないかということだけだった。恐らく、彼は話をしたいのだ。この世界で、お互い初めて同じ国の、同じ時代の記憶もちと出会えたのである。
しかし、そんなことは全く知らないルチアは続けた。
「お姉様、彼に何かしたんでしょう? 婚約者が、しかもあんな素敵な婚約者がいるくせに」
「ま、待って、落ち着いて話を聞いて!」
「嫌よ、どうせ言い訳する気なんでしょう。そうやって、何でも手に入れようとしたって無駄よ、もうお姉様の言うことは聞かない!」
――ぇええぇ~、もう、どうしたらいいの、これ。
言い訳どころか聞いてきたことすら聞かないとかどういうことだ。わたしはどうすれば良かったんだ。と言うか、パオロがわたしを見るのはそういう理由ではないのに。
「これからは好きにするから、口出ししても無駄よ。わたしの付き添いはミセス・モレナだもの。彼女はね、わたしが健康でいさえすれば何も言わないのよ。お陰で、今まですごく自由にさせてもらったわ。そしてこれからもそうするの、言いたいことはそれだけよっ」
ルチアは勝手に言うだけ言うと、図書室から風の如く出て行ってしまった。残されたわたしは、ひたすら呆然とするしかなかった。
完全にルチアの気配が消えた頃、手元の紙に目が行く。
もう一度畳んだそれを開くと、すぐに見慣れた母の文字が目に入る。それを見て、わたしは乾いた笑いを浮かべた。
「うん、お母様の言う通りだね」
恋の病につける薬はありません。か、まさに今のルチアがそうだ。そこまで激しい恋をしたことなどないので、彼女の気持ちは本当にはわからない。何はともあれ、様子を見るしかあるまい。
「パオロ、うまく躱せるといいんだけど」
あまり近づかないようにと頼んではあるが、それにも限界はあるだろう。使用人としての仕事がある以上、客人と関わらない訳にはいかないのである。
わたしは深いため息をついて、ペンを手にした。