(22) プチ悪夢再び
わたしはそれらの悪口雑言を右から左へ受け流しつつ、ドーラを見た。だが、彼女は仕立て屋のマダムが持ち込んだ生地に夢中でわたしが恨めしげに見ていることなど全く気づいていない。
あの帽子をパオラに渡したのは、確実にドーラだろう。悪意からではないのだろうが、なぜわたしに断りもなく渡すのだ。後でちゃんと言っておこう、とわたしは決めた。
これ以上手持ちの服や装身具をパオラに渡したら、しばらく血の涙が心の中で流れ続けることは間違いない。
それがわかっているというのに、わたしにはそれを止めることが出来ないのが何だか悲しい。
いや、それに耐えさえすれば良くなるのはわかっている。わかっているのだけど、こう、心がささくれ立ってくるのはどうしようもないじゃないか。
現実逃避したくなったわたしは、ふと窓際に置かれたソファに座り込んで船をこいでいる中年の女性に目を向ける。
おばであるパルマーラ男爵夫人と似たり寄ったりの体型をしており、品は良いものの飾り気のないドレスに身を包んでいる。髪には白いものがかなり混じっているが、それを気にしている様子はなく、洒落っ気というものが完全に失せているようにわたしには見えた。どことなく同類の匂いがするからである。
彼女こそ、つい先ほどルチアが到着を知らせてくれた付き添い役のミセス・モレナである。疲れた様子で、そのまま寝こけてルチアなど全く見ていない。
あれで大丈夫なんだろうか。
母が付き添えないときにわたしの付き添い役をしてくれた近所の名士の奥さんはもう少し厳しく見ていたのだが。
「レディ・アストルガ、まずは先に依頼されていたものをお渡しいたしますわ」
「あら、出来ていたのね、流石だわ。ロレーヌ、こっちへいらっしゃい、そろそろミス・マリサは設計図でしょう?」
「はい、それではテーブルをお借りします」
パオラの言葉に頷いたミス・マリサは持ってきた紙をテーブルに広げ、なにやら猛烈な勢いで描き始めた。それが設計図とやららしい。ついそちらを見そうになっていると、パオラに再度呼ばれたので、仕方なくそちらへ向かう。
すると、仕立て屋のマダムが何やら布地を大きく広げた。
「え、あの、これは?」
「見てわからない? ドレスよ」
それくらいはわかる。だが、どう見ても目の前で広げられたそのドレスのサイズは、わたし用としか思えない。
困惑して思わずジェレミアを見れば、実に楽しそうである。彼はミセス・モレナと同じように窓際に置かれた椅子に腰かけていたが、わたしの視線に気づくと頷いた。
それは一体どういう意味だろう、と思っていると、パオラが少しからかいを含んだ口調で言った。
「全く、今のジェレミアを見ていると調子が狂うわね。以前は女性が苦手で、贈り物なんて死んでもしないみたいなこと言っていたのよ? それが今ではこうですものね」
「え、じゃあまさかこのドレス」
「そう、あの子からの贈り物。もちろん、あの子の希望を聞いてわたしが選んだ布地やデザインだから、完璧に貴女に似合うものばかりよ。まあ、時間が足りなくて一着だけだけど、後のものは社交の季節に間に合えばいいでしょうし、今日はこれを試着してもらうわよ」
パオラが自信満々に言い放つ。
わたしは目の前の淡い青色をした美しいドレスを見て、それからジェレミアを見る。すると、彼はいたずらが成功したような顔でわたしを見ていた。
何と言うか、とても嬉しいのだけどしてやられた感もある。パオラを巻き込めば、わたしが受け取るしかないことを良くわかっているのだ。わたしとしては、彼にあんまりお金を使わせたくないのだけれど……。
それでも、春の空みたいな色合いのドレスはとにかく綺麗で、今回は素直に喜んでおくことにした。
「あの、ありがとうございます」
少し大きめの声で言えば、ジェレミアは「気にしなくていい」と言って、蕩けるような眼差しを向けてくる。
非常にいたたまれなくなり、わたしはパオラに向き直った。
「さあ、その雑巾にしたくなるようなドレスを脱いてちょうだい。もう、ずっと着替えさせたいと思っていたんだから」
途端、心を平手打ちするような言葉が飛んでくる。
すみません、雑巾で。でもこれ、気安くて着心地が良くてお気に入りなんで、絶対に雑巾になんかしませんけど。
などと、心の中でちょっぴり反抗してみるが、あまり意味はないような気もする。そんなわたしをよそに、パオラは着々と計画を進めていく。
「さあドーラ、準備よ!」
「はいっ!」
威勢よく返事をしたドーラをはじめとしたメイドたちとお針子たちが着替えの出来るスペースを作っていく。てっきり場所を移動するものとばかり思っていたのに、と内心焦るが、良く見てみればなんと、横に似たような更衣スペースがあるではないか。中に入っているのはどうやらルチアらしい。小さなうめき声が聞こえてくるのは、羞恥心に耐えているのだろう。
何しろ、この場には男性も混ざっているのだ。
「さあ、ロレーヌ、いいわね?」
「……は、はい」
この場を仕切る女帝の命令に否やを返すことなどできず、わたしは仕方なくそこに入る。わたしは、ここは衣料品店にある更衣室だと言い聞かせて入って来たドーラと一緒に着替える。
途中、先に着替え終えたルチアがパオラにけなされつつ褒められているのが聞こえた。彼女も嬉しそうで、
奮闘することしばし、何とか着替え終え、ざっと髪も直すと、ドーラが言った。
「ロレーヌ様の準備が整いました!」
「そう、じゃあゆっくりと出ていらっしゃいな」
なぜかゆっくりという注文がつき、わたしは困惑しつつもその通りにそうっと目隠し布の隙間から足を出し、手を出し、頭を出してから、全身をさらす。
期待に応えられような登場など出来ようがなく、かなりぎこちない壊れたマネキンよろしく、わたしは更衣スペースから出て、衆目のもとにさらされることとなった。
最初にわたしを見たお針子やメイドたちが「おお」という感じに口を開く。ジェレミアが原案を考え、パオラがそれを元にして注文を出したのだから、きっと似合っているのだろう。
周りの驚き方を見ればわかる。
もう何度か経験しているからだ。
とりあえず、何度経験しても思う。この瞬間だけは母の遺伝子がわたしの中にちゃんとあるんだなあ、と。




