(16) パオラからのお誘い
「は、はい。畏まりました」
デニスは戸惑いながらもうなずく。若干目の下の辺りが赤くなっているように思えるが、見なかったことにした。
あまり混乱させるのも悪いと思ったのだ。
「それじゃあ、一旦部屋に戻ります」
「はい」
デニスは頷くと、わたしの前を歩き出す。まだ少しぎこちないが、いつものように周囲を警戒しながら部屋へ向かう。その背を見ながら、今日は手紙の続きを書こうと決めた。
本当ならもっと早くに出そうと思っていたのだが、昨日は疲れていたこともあり、ドロテアに出す分しか書けていなかった。
何はともあれ、最大の目的である「パオロに話をつける」ことはできたのだ。わたしは内心やれやれ、と胸を撫で下ろして、少しくらいはゆっくりしようと決めて微笑んだのだった。
◇
――が、そうは問屋が下ろさなかった。
「ロレーヌ、ちょっといいかしら?
五日後、ボルジ公爵夫人が社交の季節の幕開けに夜会を開くことは知っているわね。せっかくだから、何か小物を買おうと思うの。これから出かけるからついていらっしゃい」
昼少し前、突然わたしの部屋を訪れたパオラが言った。
「……や、夜会ですか」
紙にペンを走らせていた手を止め、わたしはパオラにきょとんとした目を向けた。
「そ、それはまた急ですね」
「あら、ジェレミアに話すよう言っておいたのだけど、聞いていないのかしら」
全然全くこれっぽっちも知らない。
しかし、ジェレミアがそういうことを言い忘れることは考えにくい。ということは、何か理由があるはずだ。
わたしはすぐに思い当たった。何しろ、昨日はルチアのことで頭が一杯で、あれ以上何か入れたら爆散する、と叫びたくなるほどだったのだ。
今朝だって、気合を入れまくってようやくパオロに話をつけることができたのだ。あの状態を彼がどう判断したか、想像に難くない。
「はい。わたし昨日はちょっと色々あって、きっと気をつかってくれたんだろうと思います」
「そう、まあいいわ。とにかくそういう訳だから、ふたり揃っていらっしゃいな。どうせあなたは臨時の付き添い役だし、貴女の付き添いはわたしがいるのだから、何の問題もないわね」
言い放った彼女はとってもいい顔をしていた。
わたしの脳裏に、かつて馬車の中で精神をぼこぼこにされた思い出が鮮やかに蘇る。いくら自分でその通りだと理解していても、どれほど自分がダメかわかっていても、自分で自分をけなすのと、他者に言われるのには雲泥の差があるんだよと身に沁みすぎるほど実感した思い出である。
しかし、断る訳にはいかない。
何より、ルチアの気を反らす絶好の機会だ。
「そ、そうですね。それじゃあすぐに用意します」
「ふふふ、貴女のあのほこりの塊にしか見えない帽子を、ちゃんとしたレディの帽子に変えてあげる。それに、あのださすぎる服装のあの子もね、そうだわ、明日は仕立てるためにわたしの贔屓にしている店の人を呼ぶわよ、いいわね?」
「は、はい」
顔を近づけられ、恐ろしいほど美しい笑顔で言われれば、わたしはまたしても頷き人形になるしかない。
女神ににらまれたらきっとこういう気持ちになるんだろうな、とわたしはこっそりと思った。
「それなら、後であの子にも話しておいてね」
「わかりました~」
完全に蛇に、もとい女神に睨まれたかえる状態で返事をしたわたしに満足そうな笑みを向け、パオラは颯爽と去って行った。
部屋にいたたまれない沈黙が下りる。
だが、それを聞いた小間使いのドーラが唐突に叫んだ。
「お、お着替え! 外出用のお着替えを準備しないとっ」
そうですね。また着替えか……面倒くさいな、と思いつつ、わたしは大きく息をついた。まるで嵐が来たみたいだ。気分はまるで吹き散らされた木である。
気を取り直し、手紙に再度向かう。
本当は家族にも書きたかったが、時間がないので、ドロテアだけに書くことにした。
それが書き上がると、わたしはルチアの部屋へ向かった。相変わらず恋する乙女の彼女に、観劇に行くための服や小物を見に行くと言って気を引き、約束をとりつけると、今度は軽食だ。
それから着替えて、パオラが寄越した迎えについて、ルチア、デニスと共に王都の街へと繰り出したのだった。
◆
外へ出ると、昨日ジェレミアと出かけた時とさして変わりない王都の風景が飛び込んできた。
昨日と違い、日差しが出てきて少し暖かい。
そんな中、やたらと大きく豪華な馬車に乗り込んで、あまりの乗り心地の良さに感動していると、あっという間に商店の立ち並ぶ通りへと到着する。
デニスに下ろしてもらったわたしとルチアは、パオラに続いて店へと向かう。人通りはさほど多くないが、それでも時折紳士や貴婦人の姿がある。
寒いので、わたしは大きな毛織のストールを巻き付けて身を縮めながら店へ入った。
店の中は外より遥かに暖かく、たくさんの帽子が並んでいる。
「うわぁ、凄い……綺麗」
思わず、といった風情でルチアが呟く。
流石の恋する乙女も、この光景には見入らずにはいられなかったらしい。目がキラキラと輝いている。とりあえずしばらくは大丈夫かな、と安堵してわたしも帽子を眺めた。
たくさんの造花が飾られた奇抜なものから、色とりどりに染めた鳥の羽をあしらったものなど、手の込んだ帽子は見ているだけで楽しい気分になる。
以前は良くドロテアなどと訪れたものだが、買うことはなかった。もちろん、目立ちたくなかったからである。
すると、パオラが店の奥に目をやりながら言った。
「ここの店主とは長い付き合いなのよ。彼女、とても腕がいいの……きっとあなたたちに似合うものを作ってくれるはずよ」
「え、ここにあるものから選ぶんじゃないんですか?」
ルチアが驚いたように言うと、パオラは残念そうな顔をし、呆れたように言った。