(15) 重なる思い
「ええと、身分なんてどうでもいいんだけど」
「は?」
パオロは、一瞬何を言われたのかわからないといった様子で、間の抜けた声を出した。が、わたしは構わず続ける。
「身分とかどうでもいいの。でも、結婚とかそういう話は、社交界に出られる年齢になってからの方がいいと思うから、あなたの方からそれとなく避けて欲しいんだけど……だめかな」
そっとうかがうと、パオロは呆れたような顔でわたしを見ている。なかなか返事が返ってこないので、不安になったわたしは重ねて問う。
「ま、まさか逆玉の輿狙いだったりするの?」
「……っ、はははははっ!」
困惑したわたしをよそに、パオロはなぜか笑い始めてしまった。意味がわからずこっそりデニスを見やれば、とてつもなく怒っているのか目を細めていつでも仕留められそうな顔をしている。思わず速攻で目を反らし、わたしは問うた。
「何で笑うの?」
「いや、何ていうか、俺の方がこの国に捕われていたんだなって思ってさ」
「……はあ」
彼の言いたいことがよくわからず、わたしは首を傾げる。
「あんたさ、変わってるって言われるだろ?」
「うん。でもわたしのまわりの人はわたしが記憶持ちだって知ってるから大目に見てくれるし、間違ってたらはっきり教えてくれる人ばかりだから……」
実際、階級というものがいまいち実感できなかったのだ。ここはこうする決まりだと教えられても、何だか合理性に欠ける気がしてすぐには頷けなかった。けれど、成長するに従ってそれにも慣れ、今ではたまにしか言われなくなった。
「そうだろうな。でも、こうは思わないか? この世界や国では間違っているとされていることも、俺たちのいた国では逆で、この国の考え方の方が間違いだと言われてた。だったら、どっちが正しいんだろうってさ」
「それは……」
「考えたことがなかった、なんてことはないだろ?」
言い淀んだわたしに、彼はそれまでのものとはまた違った様子で訊ねてきた。表面上は笑みを浮かべているものの、ふざけることは許さない、といった圧が感じられ、小心者のわたしは少し彼が怖く感じられてしまった。
しかし、そう思う気持ちは良くわかる。
だから、正直に答えた。
「もちろん、考えたことはあるわ。でも、考えるだけ無駄だと思ったの。だって、わたしひとりに出来ることなんてたかが知れてるし、それなら受けいれた上でどうしたいか考えた方がいいと思って。わたしはそんなに頭も良くないし、前世の知識が豊富な訳でもないから……」
「まあ、そうだろうな。俺も似たようなものさ、……そう、ひとりでは何も出来ないよ」
少し苦笑気味に言ったパオロは、大きく嘆息すると、「あー」と声をあげつつ頭をかいた。
「ごめん、何か暗い話になっちゃったな。今までこういう話ってさ、同じ階級の記憶持ちの奴らとはよくしてたんだけど、同じ現代日本生まれなんていなかったからさ、つい、余計なことまで言っちゃったよ」
「気にしないで、わたしも嬉しかったし」
実際、知っていることについて説明しなくてもニュアンスや単語ひとつで理解してもらえる、というのがどれほどありがたいことなのか、わたしはここへ生まれたことでようやくわかったのだ。
彼も似た状況だったのだろう。
「そうか、なら良かった」
「うん、あ、でもあの子、ルチアのことはお願い」
「ああ、わかったよ。けど、仕事中じゃ対応できないから、そこはあんたが何とかしてくれ」
わたしは頷いた。
もちろん、頷きはしたもののどうにか出来る自信は皆無だが、何とかひねり出すつもりだ。出せなければルチアが大変なことになる。預かった以上、面倒事になるのだけは避けたい。
「何とかするわ。それじゃあ、いつか必ずその店に行くね。ええと、それって何て名前なの?」
「その時は俺が案内するから、楽しみにしててよ」
「わかった。あ、そろそろ仕事に戻った方がいいよね」
長いこと話をしてしまった、と思い、わたしは言った。すると、パオロは最初に見せたあの明るい笑顔に戻って答えた。
「気にしなくていいよ、俺も話せて楽しかったし、本当言うとまだ全然足りないくらいだし」
わたしも同じ気持ちだったが、使用人は結構忙しいはずだ。今のところ、この邸へ訪れている客はわたしたちだけだが、それでなくても現在王都では議会が開かれており、それに参加するために訪れた貴族たちがこの邸へもやってくる。
その対応をする必要があるだろう。
もっと話をしたければ、彼の言う店に行けばいいのだ。
「わたしも楽しかったわ。それじゃあ、またね」
いつまでも引きとめては悪いと思い、わたしは送りだすためにそう言う。すると、彼は一瞬にして佇まいを変えた。
「……はい、レディ。それでは、失礼致します」
優雅に、まさに公爵家の従僕らしい動きで礼をすると、扉から出て行く。わたしは思わずその仕草に見とれてぼんやりしてしまった。話しているときにはあまり感じないが、やはり彼も美男子なのだ。
ジェレミアと違い、心臓に悪いことは一切ないが、ついつい観賞してしまう。すると、後ろから咳ばらいが聞こえた。恐る恐る振り向けば、無表情なデニスと目が合う。
彼女は怒ったまま、低い声で言った。
「レディ・ロレーヌ……お言いつけどおり何も申しませんでしたが、私は気にいりません。あのような物言いを許すなど、かつて同郷だったというだけで」
苦々しさがそこかしこから迸りまくっているデニスに、わたしは気圧されつつ、曖昧に笑う。
「ごめんなさいね。でも、あなたがいたから安心していられたことは本当だから、ありがとう」
プライドの高い使用人に対し、嫌な思いをさせてしまったことを素直に詫びると、面食らったような顔をされた。
本来、貴族の女性が使用人に対してこういうことを言うのは良くないと教えられている。あくまでも、わたしは上に立つ側で、向こうは仕える側だから、示しがつかないというのだ。それでも、今は言いたかった。
「あなたのことは信頼してる。だから、これからもお願いね」




