(13) 従僕の素顔
「そ、そうね。でもそういう症状は恋だけじゃないから、もう少し様子を見てみましょうか。何かあったらわたしに言って、少なくとも明日はどこにも行かないし。
あ、もしかしたら悪い風邪かもしれないから、その時はちゃんと治さないと。じゃないと、楽しみにしてた劇場に連れていけなくなっちゃうでしょ?」
ね、と言うと、ルチアは納得したようなしていないような顔をしたが、心から楽しみにしていた「劇場」の一言に頷いてくれた。
「そうね、わかった。じゃあ今日は手紙だけ書いて眠る。心配してくれてありがとう、ロレーヌお姉様」
「いいの、気にしないで。それじゃあ、ちゃんと休んでね」
「はい、おやすみなさい」
ルチアは微笑んで頷くと、書き物机に引き返す。わたしは小間使いに様子を見ていて何かあったら言ってと告げて部屋を後にした。
後ろで扉が閉まる音を聞き、わたしは思わずその場にうずくまった。ルチアを守るためとはいえ、嘘をついてしまった。苦し紛れだったから、やぶ医者みたいなセリフだったし。
――おのれ、名前知らんけど従僕め。ついでにまだ来ないミセス・モレナめ。
心の中で恨み言をぼやき、わたしは考えた。
とにかく、これはわたしだけでどうにかなる問題ではない。戻ったらおばとドロテアにすぐに手紙を出して、それから例の従僕に話をつけ、ミセス・モレナが来たら経過を説明する。
以上だ。
やるべきことは決まった。
いや、むしろそれ以上は何も出来ない。
「よし、やるか」
わたしは気合を入れて立ち上がると、手紙にことの詳細を綴るために部屋へと素早く戻って、ほぼ般若の形相(あくまでもわたしの脳内イメージ)で手紙を書き上げると、睡眠状態に移行したのだった。
◇
翌朝。
ジェレミアは出かけた。
ミセス・モレナはまだ来ない。
しかも、最悪なことにパオラは外出したという。公爵閣下はお仕事だそうだ。と言うことは、今日のところはわたしだけで何とかしなければならないということになる。
もし本当にひとりだったら完全に心が折れていたことだろうが、ひとり心強い味方がいる。デニスである。
昨夜気合を入れ、ヤツに話をつけるぞ、と決めはしたものの、実際問題かなりどうしようと思っていたのだ。だが、朝、デニスの顔を見た瞬間になんとかなりそうな気がしてきた。
彼女を付けてくれたジェレミアに深く感謝しつつ、わたしは行動に移ることにした。
「とりあえず、誰かいないかな」
わたしはデニスを引きつれて廊下を行く。
誰でもいいから使用人を見つけて、ヤツの居場所を聞き出さないと話にならない。すると、デニスが言った。
「あ、あそこにいるのは執事ですね」
「本当だ。すみませ~ん」
わたしが声を掛けると、執事は少し驚いたような顔をしたものの、すぐにやって来てくれた。
「何でございましょうか」
目の前で慇懃に礼をした執事に、わたしはどう言うべきか迷った。何しろ、名前を知らないのである。すると、少し後ろにいたデニスが代わりに言った。
「レディ・ロレーヌは従僕のパオロに用があるそうです。彼は今どこにいます?」
「パオロ、ですか。彼には昨日の仕事の続きを命じてありますが、呼んでまいりましょうか?」
「そうして下さい。わたしとレディはそこの客間におります」
「かしこまりました。それでは、しばらくお待ちを」
執事はまた華麗に礼をして、去って行った。自ら出向こうとしていたわたしは、口をはさめず立ちつくす。
しかし、デニスはいつの間にヤツの名前を調べたのだろう。そんなわたしを見て、デニスがにやり、と笑った。
「敵の情報を調べておくことは、護衛業務において必要不可欠ですので。何かお知りになりたいことがあるようでしたら、どうぞ遠慮なくお訊ね下さい。もしわからないことがあるようなら、必ずや調べ上げて見せますので。
では、客間に行きましょう。暖炉の支度を致します」
「は、い」
唐突に並べられた物騒な言葉と、何か企んでいそうな笑顔に、わたしはやっぱり何も言えず、素直に頷いたのだった。
◆
少しして、部屋が少し暖まった頃、扉がノックされる。
「お連れしました」
「どうぞ」
声と共に扉が開き、あのイケメン従僕――デニス情報だと、パオロ・ヒュブナーというそうだ――が入って来た。整った立ち姿はやはりつい見惚れるほど美しい。
「失礼致します。レディ・ロレーヌ、私に用とは何でございましょうか?」
笑んでもいないのに笑っているように見える青い目がこちらを向いた。わたしは、ついいつもの癖でその顔を眺めてしまい、慌てて唇を引き結んだ。
「少し、話があるのです。よろしければ、彼とわたしたちだけにして下さい」
「はい」
執事は一瞬胡乱げにパオロを見てから退室していく。彼の足音が聞こえなくなると、わたしは何から切りだそうと考えた。
聞きたいことは色々あるが、まずはルチアのことを片づけないとと思って口を開く。
「まさか、君の方から呼んでくれるなんて思わなかったな」
「……は?」
突然気安い口調で話しかけられ、わたしは驚く。
貴族社会に生まれて以来、こんな風に声を掛けるのは兄ただひとりだけだった。
「貴様、身分をわきまえろ」
デニスがすぐさまパオロに近寄り、至近距離から睨みつけて低い声で脅す。しかし、パオロは動じずに、涼しい顔だ。
「俺たちの暮らしていた国にはそんなものはないよ。まあ、嫌だと言うなら改めるけど……?」
「まだ言うのか、相手を誰だと……」
「デニー、いいの。やっぱりそうだったのね」
額に手を当て、思わず嘆息する。
もし、彼がかつてわたしと同じ現代日本で暮らしていたなら、確かに身分なんてものはない。
そちらの話から始める気はなかったが、こうなったら仕方がない。わたしは真っすぐにパオロを見た。
「やっぱり、とはどういうことです?」
デニスはまだ納得していない様子だ。
きちんと説明しないと、話が出来そうもない。
わたしはパオロを見据えながらデニスに告げた。
「……彼も、わたしと同じ記憶持ちで、しかもかつて暮らしていた国と時代が同じなのよ」




