そんなに苛々しなくても……
「お久しぶりですジェレミア様。聞きましたわよ、ロレーヌを案内してさしあげたのですって? ご親切にありがとうございます」
「いいえ、こちらこそ、とても楽しい時間を過ごさせて頂きましたよ」
一瞬で不快感が最高値に達していた顔を紳士的微笑に変化させたジェレミアはそう言った。
何と言う早業。後でそのやり方を伝授して頂きたいものだ。
そんなジェレミアの微笑に頬を染めたドロテアは、上目づかいで可愛らしく言葉を連ねる。
「それと、ロレーヌから聞きましたでしょうか……あの」
「ああ、ダンスですか。申し訳ありません、私の予定は埋まってしまっているのです。次の機会に恵まれれば、その時こそお相手願いたい」
心から残念そうな顔で彼は言った。ドロテアは萎れた花のようにしょんぼりすると、「それなら仕方ありませんね」と言って、他の若い紳士たちのところへ去って行った。
その背中を励ます彼女の母親、つまりおばが一瞬わたしを見た。
あれ、おかしいな、何だか好奇心に満ち満ちているような気がする。てっきり睨まれるとばかり思っていたのだが、あの目は違う。他人の恋話に首を突っ込んであれこれアドバイスして遊ぼうという顔だ。
そういえば、おばは知り合った若い男女の間を取り持ち、あのふたりにはわたしが数々の助言を授けたのよと言って尊敬の目を集めるのが大好きなひとだった。
もちろん自分の娘に対してもそれは同じで、ドロテアに婚期が訪れてからと言うもの、その張り切りぶりは傍目に見ていても凄まじいものがあった。
絶対に目をつけられた。
去り際にキラッと光っていたのは見間違いじゃない。どうしよう、とわたしが内心焦っていると、腰をぐいと強く引かれた。
「そろそろホールへ行こう」
「え、はい」
彼はすでに顔を不機嫌状態に戻していた。なぜ怒るのだろう。少なくともわたしというお邪魔虫がくっついているお陰で、ドロテア以外の令嬢たちは近寄ってこない。
頼まれた役割はこなせているはずだ。
わたしの華麗なる独断と偏見入りまくりの予想だと、ジェレミアはタチアナのことがまだ忘れられないのだ。だから、その間だけでもわたしに虫よけを頼んだのである。あまり気位が高そうになく、全てが終わったら皆からすっきりと忘れ去られるほどの地味さを備えたわたしは丁度良かったのだろう。
なので、これでいいはず。
だが、彼は何かを怒っている。しかも何だか辛そうだ。色々な感情に苛まれているのだろうな、とわたしは思った。とりあえずそっとしておくしかなさそうだ。
仕方なく表情をうかがう。
でも怒った顔も格好いいな、と思いながらガン見していると、横から呼び止められた。
「やあ、ジェレミア。そのお嬢さんを紹介してくれないか?」
「……アウレリオ。お前、見て状況がわからないのか」
「わかるよ、だからつい好奇心に負けたんだ。君がさっきからずっと捕らえて離さない小鳥は誰なんだろうって思ってね」
言いながら声を掛けてきた青年、アウレリオはわたしにウインクしてきた。
わたしは一瞬挨拶も忘れて驚いた。
と言うのも、先ほど食堂で、ジェレミアは眺められないし、グリマーニ卿じゃ彼に近すぎるから一緒に視界に入ってしまうし、と思って視線をうろうろさせていた際に見つけたイケメンだったからだ。
「初めまして、可愛らしい小鳥さん。僕はアウレリオ・カルデラーラと言います、よろしくね」
わたしの様子などおかまいなしに、彼は自己紹介した。
「あ、わたしはロレーヌ・バリクールです。こちらこそよろしくお願い致します」
口ではそう言ったものの、腰をがっちり抱えられているのでちゃんとした挨拶が出来ない。そんなに抱え込まなくても、意中の人だと言う事は他の人たちに伝わるだろうにと思いながらほほ笑む。
だが彼――アウレリオはそんなことに気を害した様子もない。
彼はジェレミアとは異なり、わかりやすい美形ではない。どちらかといえば、美形の部類には属さない方なのだが、どこか謎めいた雰囲気があり、人目を引くのだ。
そんなアウレリオは、柔らかな金色の髪と淡い空色の瞳をした、王子様みたいな容貌をしていた。貴公子と評しても良いだろう。
体躯はジェレミアよりがっしりしており、服の着こなしが完璧で、流行最先端のものをさらりと着こなしている。
彼は何やらジェレミアと妙な火花を散らしていた。
理由はわからないが、何かのライバルなのかもと勝手に決め付け、その間にカルデラーラという家名について記憶をせっせと掘り起こして見る。
この国、フロースランド王国に存在する貴族の数は結構な量だ。
わたしの足りない脳内に存在していてくれれば良いのだが、と思いながら脳内検索してみると、ようやく、カルデラーラ子爵家の名前が思い出された。
確か当主が病で亡くなったので、まだ若い息子がその地位を引き継いだはずだ。
と言うことは、アウレリオはカルデラーラ子爵ということになる。
彼はわたしに興味深そうな視線を注ぎながら言った。
「ふふ、可愛い小鳥ちゃんだねジェレミア。どうだろう、僕にも彼女と踊る権利をくれないかな?」
「残念だが、彼女の踊りの予定には全て私の名前が書きこんであるんだ。申し訳ないが、またの機会にして貰いたい」
やや慳貪にジェレミアは言った。顔こそほほ笑んでいるが、目が笑っていない。アウレリオはそんなジェレミアを楽しそうに見て、肩をすくめて目を細めた。
そのどこか何か企んでいそうな所がたまらない魅力だ。
わたしはアウレリオをガン見した。
本当に観賞対象には事欠かないな、と心から思う。
後はわたしを「小鳥ちゃん」呼ばわりさえしなければ良いのに。
言われるたびに背中がむず痒くなるのだ。
「それは残念。レディ・ロレーヌ、またの機会には是非僕の名前を書く場所を残しておいてくれると嬉しいな、ではまた」
告げると、彼は再びウインクしてから踵を返し、ダンスホールに向かった。
どうやら、約束していた別の令嬢のところへ行ったらしい。それを見送ると、上から舌打ちが聞こえて、わたしは驚いた。