(11) 心臓に辛い夜
それから、わたしは少し申し訳ない気分でジェレミアを見た。この後の時間をふたりで過ごす、という約束が果たせなくなってしまったからだ。
だが、あれを放置することはできそうもない。
ちゃんと任務をミセス・モレナに引き継ぐまでは、ルチアのことはわたしに責任があるのだ。
「あの、ごめんなさい」
「いや、構わない。それに、ちゃんと君と過ごすことは出来るのだから、私はいいんだ。何より、友達を思う君の優しさが好きなんだ」
わたしは固まった。
突然爆弾が投下されましたよ。どう対応したら良いんだろうか。ここで「ありがとう、わたしも貴方の○○なところが好きよ」とでも返せれば完璧なのだが、そこまでのレベルには達していないわたしは、小声で言った。
「あ、ありがとうございます」
「いいよ、さあ行こうか。デニスも戻ってきた」
顔を上げるとデニスがこちらに歩いて来るのが見えた。どうやら支度が整ったらしい。わたしは身が縮む思いで、ルチアを見た。彼女は、とても羨ましそうな顔をしてわたしを見ると、言った。
「行きましょうか、ロレーヌお姉様」
押し殺したような声が、わたしの心に残って響いた。
◆
それからのお茶の時間や、晩餐の間も、ルチアは元気がなかった。わたしはどうしたら良いかわからず、心の中でミセス・モレナに早く来て欲しいと念じた。
というか、どうして付き添い役が付き添って来ないのだろう。理由があるならちゃんと連絡が欲しい。しかし、来ないものは来ないのだから、わたしが何とかするより他はない。
しかし、どうしたら良いのだろう?
何より、相手は使用人……完全に身分違いの恋である。気軽に応援したり仲を取り持つなんてもってのほかだ。かといって、わたしに諦めるよう説得など出来ようはずもない。
ぐるぐる考えて頭が痛くなってきた。
わたしは、先の見えない考えごとは後回しにすることにした。後で、色々なひとにこっそり相談したほうが良かろうと判断したのである。逃避と言うなかれ、これはわたしひとりでどうにか出来る範囲を超えているのだ。
まずは今夜手紙を書こう。書く相手はおばとドロテアがまず最初で、余裕があったら母にも書くつもりだ。
よし、これで誰かからは良いアドバイスが貰えるだろう。もちろん、ジェレミアやパオラにも相談してみるつもり。
そう決めて、わたしは晩餐に集中することにした。
今夜の晩餐には名士が何人か招かれている。パオラは学びたいと言った色々と考えてくれているようだ。何とか期待にこたえたいので、知らない紳士淑女の話にも参加を試みる。
話題はハビエル祭についてだったり、この夏どこへ出かけたかだったり、誰それの邸宅の改装が素晴らしいだの、逆にろくでもないだのと多岐に渡ったが、わたしはなんとかついていく。
知らないことについてはジェレミアも助けてくれたので、何とか乗り切ってデザートに辿り着いた頃にはかなり疲れていた。
今まで目立たないように、目立たないようにとしてきたから、社交慣れしておらず、疲れてしまう。
仕方ない、相談は明日にして今日は早く休もう……そう思って甘いものに舌鼓をうっていると、隣りの席についていたルチアが立ち上がった。
「レディ・ルチア? どうしたの?」
「あの、とても申し訳ないのですが、具合が悪いので先に部屋へ戻ります」
ルチアは本当に具合悪そうな顔で、パオラに答えた。
「そう、お大事にね」
「ありがとう、では失礼します」
軽く会釈して、その場の一同に挨拶すると、ルチアは静かに場を後にした。わたしは、すぐにも後を追いたかったが、それだと礼を失するので何とかこらえた。
残った紳士淑女たちは、何かあったのかしらと話し始めたが、それに加わる気は起きず、食事を最後まで終えると、ゲームの誘いも断って食堂を後にする。
すると、案の定ジェレミアがついてきた。
「レディ・ルチアのところへ行くのか?」
わたしは立ち止まって、ちゃんと向き合ってから頷いた。
「はい。様子がおかしかったですし……その、今日は色々とご迷惑をおかけしました」
「いや、気にしなくていい。大体、迷惑ならそう言う。まあ、本音を言えば君とふたりきりでここへ来たかったが」
どこか苦笑気味に言うジェレミア。
わたしはその少し残念そうな顔に、思わず胸を押さえた。今までの突然驚かされたときのようなどっきりに近かったものとは違う感覚に、ものすごく戸惑う。
少し目の下の辺りが熱くなり、ついうつむいてしまうが、何とか言葉をひねり出す。
「わたしも、そうしたかったです」
「そうか、良かった。必ずまた時間を作ろう」
「はい」
必ずまた。その響きが嬉しくて、声が少し震えた。気づかれてないといいな、と思いつつ、何とか顔をあげると、ジェレミアは言った。
「部屋まで送ろう」
わたしは素直に頷いて、その手を取った。それからはさほど会話もなく、あっさりと部屋にはついた。わたしは扉を開けようと取っ手に手を伸ばす、すると、ジェレミアが思い出したように言った。
「ああ、そうだった、私は明日用事がある。本当は君の側を離れたくはないんだが、仕方がない……義務は義務だ。だから、明日はデニスを常につけておく。もしどこかへ出かけたくなったら、必ず彼女を伴うんだ、いいね?」
「わかりました、約束します」
言いつけはちゃんと守る。そんな気合を込めて返事をすると、ジェレミアは手を伸ばしてきた。何だろう、と思って眺めていると、手袋に包まれた大きな手が首筋に触れ、そっと抱き寄せられた。そして、頬に柔らかい感触が掠った。
わたしは目を大きく見開いて、離れて行くジェレミアの顔を凝視する。
「……それじゃあ、おやすみ」
とどめに彼は微笑むと、ここからそう離れていない部屋へと姿を消した。扉の前に残されたわたしは、またしても硬直してしまった。それから少しして、わたしは床にくずおれる。
と、突然過ぎて心臓に悪い。
わたしはなかなか治まらない動悸に呻きつつ、内心叫んだ。
タダの挨拶だから、おやすみの挨拶だから――ッ!
しかし、結局動悸が治まるのにはしばらくの時間がかかってしまい、わたしは彼の威力に完膚なきまでにとどめをさされた気分で、ようよう部屋の扉を開けたのだった。
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