(7) 見た目で人は判断出来ない
翌日の午後。ジェレミアは言った通り、護衛役をしてくれる従僕を連れてくるために外出している。
一応、パオラや公爵には話を通してあるそうだ。
どうやらジェレミアの知っている人物らしいので、どんな人だか聞いてみた。返ってきた答えは、
「真面目で、繊細な人物だ。きっと気に入ると思う」
だった。
わたしの脳裏には穏やかで優しげな人物像が浮かぶ。眼鏡とかかけていそうである。そういう人なら、彼の言う通り親しくなれそうだ。わたしは期待しながら待つことにした。
ちなみに、昨夜の晩餐ではしっかり食べ過ぎてしまい、朝は結局飲み物だけで終えた。何しろ、食べたいものが多すぎた。今になってようやくお腹が空いてきたくらいだ。
どうせこの後お茶を飲むし、夜までは持つかなぁと思いつつ、昨日ジェレミアと一緒に物色してきた本を手にする。
わたしがいるのは寝室に宛がわれた部屋、ではなく、公爵邸の客間のひとつだ。時折、公爵と公爵夫人に挨拶に来た紳士淑女が訪れて、わたしを興味深げに見ていく。
最初は正直椅子の陰に隠れてやり過ごしたくなったが、それではだめだ、ただの不審人物でしかないと気づいてからは椅子から動くことを禁止した。
今日も今日とてドーラは張り切り、全力でわたしをめかし込んでくれているので、見た目的には大丈夫なはずだ。
もちろん、昼間なので夜ほど煌びやかである必要はないから、わたしもちょっと気が楽。
ドーラはといえば、やはり夜こそ腕の振るい時だと叫び、今からドレス選びに余念がない。あの時パオラに連れられて行った店で誂えたドレスは、毎日ドーラの手で管理され、出番を待っている。その至福の顔を見ると、今までごめんね、という気分になるのがわたしの側の日課だった。
そんなこんなで、内面では無駄な葛藤をしながらも、わたしは会釈を返しつつ、挨拶に来た人の顔と名前を覚えることに専念する。
こういう地道な努力がいつか実を結ぶのだ。
政治に関わるジェレミアの妻になるのなら、社交は切っても切れない。今まで嫌だからと避けてきたけれど、彼の評判に傷をつけぬようにせねば、と鼻息も荒く手元の紙に特徴を書く。
「えーと、団子鼻に出っ腹で、似合わないかつらを付けているのがサー・ピルロ。官僚だったっけ?」
本を開いたまま、暗記した名前を挙げてみる。そんなことを何度か繰り返した後、ジェレミアが顔を出した。
「ここにいたのか」
「あ、お帰りなさい」
そう言って立ち上がる。ジェレミアを見ると、自然と笑みが浮かんだ。こうやって何気なく声を掛けてもらえるだけで、実は結構嬉しかったりするのである。
声を掛けてもらうなど夢のまた夢と思っていたのだから、仕方がないだろう。とは言っても、あまり喜びすぎるのもはしたない。わたしはその場にとどまって彼の返答を待った。
すると、彼は不意をつかれたように目を丸くして、口元に手を当てた。目を見ると、何か嬉しいことがあったようなのだが、何も言わないのでわからない。不思議に思って首を傾げて顔を眺めていると、彼は口に手を当てて咳払いをし、緩んだ顔を引き締めて言った。
「ああ、連れてきたぞ。ランデッガー、彼女がこれから君の主となるレディ・ロレーヌだ、挨拶しなさい」
「はい」
柔らかな中温の声がした。
どんな人だろう、と思って顔を上げると、そこにいたのは、背の高い男性だった。オールバックにした黒髪に、切れ長な薄い青色の目の持ち主で、年齢は三十代半ばくらいに思えた。
上等のお仕着せに身を包んだ彼の顔立ちは恐ろしく鋭く、まるで猛禽のようですらある。正直、真面目そうだが繊細さは感じられない。
わたしの頭の中にあったイメージとは真逆だった。
――確かに、凄く強そうだけど……ちょっと怖いんですけど。
「デニス・ランデッガーと申します。レディ・ロレーヌ」
彼が自己紹介を始めたので、わたしは呆然とした顔を引き締めた。ついでに姿勢も直す。彼はその眼光のみで人を殺せそうな視線をわたしに向けて、少し頬を染めた。
「美しい方ですね、ジェレミア様。不肖、デニス・ランデッガー、命を掛けてもお守りいたします」
「ああ、頼む。私の大事な人なんだ。ただし、気に留めて置いて欲しいのは、決して君の力のみで対応出来ない事態は避けることだ。君のことは信用しているし、強さもわかっているが、それでも対応できないことはあるだろう。そういう場には最初から近づかないようにするんだ、いいね?」
「はい、承知しました」
彼は恭しく胸に手を当ててジェレミアに礼をする。
わたしはどう対応したら良いのかわからず、ただ殺し屋みたいな頼もしい容貌の護衛を眺める。
すると、ジェレミアは微笑んで言った。
「では、早速彼女を連れて外出しよう。昨日はどこにも行かなかったし、その方が君も慣れると思うからね」
――え?
「彼女?」
疑問がそのまま口を転げ落ちて外に出る。
ジェレミアは何の違和感もないような様子で、爆弾発言をした。
「ああ、こんな格好をさせているが、彼女は女性だ。いつもはカスタルディ家の所有する町屋敷を両親と一緒に管理してくれている。普段はメイドなんだが、この方がいいと思ってね」
「じゃあ、その髪は……」
「元々こうなのです。今までも何度か男装することがありましたので、普段はかつらをかぶって暮しております」
礼儀正しく答えた彼、もとい彼女はどこから見ても男性にしか見えない。ちょっと顔の整った殺し屋みたいだ。どことなくハードボイルド小説の主人公のような格好良さがある。
スーツを着せて銃を持たせたら完璧だ。
不意に、どこかのビルの天辺から狙撃を行う光景がなぜかわたしの頭に浮かんだ。当然、狙撃は成功し、誰にも称賛されずにそっと去る背中。それを見守るのは美しき夜の蝶……。
かつて父の読んでいた小説をこっそり読んだ時の記憶がよみがえる。
だというのに、女性、だと……?
激しい違和感に襲われながらも、淑女らしい笑顔を浮かべ、わたしは挨拶する。
「そ、そう。これからよろしくね、ええと……」
「どうぞ、デニーとお呼び下さい、レディ・ロレーヌ」
そう言うと、彼女は笑って見せた。
わたしは淑女の仮面である笑顔の裏で、戦慄していた。
恐らくわたしを安心させようとしてくれているのだ、ということはわかっている。しかし、理解していても彼女の笑みは怖すぎた。
まるで何か企んでいそうな笑みなのだ。にっこり、ではなく、にやり、という感じだ。しかも目が笑っていない。
その上、わたしに配慮しつつも時折窓や後ろの廊下に目配せして警戒を怠っていない。なんというプロだ、この世界にもその道のプロフェッショナルがいたのだ。もはや王女様の護衛でもいけそうなくらいだ。
こんな地味令嬢を守るなどプロの無駄遣いな気がする。
「は、はい、ではデニーと……お呼びしますね」
答えつつ、わたしの視線は勝手に彼女の胸の部分に向かう。
だって気になるんだもの、まだ信じられないんだもの、あまりにもハードボイルドな雰囲気醸し出し過ぎなんだもの。
いかんいかん、レディがそんなことをしてはいけない。
必死に自制心を総動員して力ずくで目を反らす。
「はい。レディ・ロレーヌ……実は、貴女に会うのを楽しみにしていたんです。ジェレミア卿から話を聞いて、とても可憐な方だと思いました。趣味も似ているそうなので、後で王都をご案内する祭には、お役に立てると思います」
「そ、そうなんですか。趣味……」
ここまでハードボイルドな外見の方と合うような趣味を持ち合わせているかどうか、わたしは疑問しか覚えなかったが、ジェレミアが言うからにはそうなのだろう。
何しろ、彼は時折なぜそれを、と叫びたくなるようなことすら知っているのだから。
そんなわたしの様子に気づいたのか、ジェレミアはそっと教えてくれた。
「ロレーヌ、彼女も本好きだ。カスタルディ家では使用人にも教養があった方が良いと言う理由で、読み書きを教えているから、読書家も多いんだ」
「わあ、それは素晴らしいですね。そうだ、それなら本屋へ行きましょうよ、王都に来たらどうしても寄ってみたかったので」
「いい考えだ。それじゃあ外出しよう、デニス、用意だ」
「畏まりました」
デニスはジェレミアの命令に礼儀正しく頷き、すぐに出かける準備を始めたのだった。




