(6) 面倒な予感
ただし、堪能できるのは見つめ合い時間が終了するまでである。わたしはその間にソースがかかった大ぶりのエビを上品にお腹におさめ、さらに肉料理にも手をつける。
ああ、美味しい。
日頃質素なので、贅沢が出来るときに贅沢をしておかないと。でも続いたら冗談ではなく太りそうだ。どこかで運動しないといけないだろうな。
などと下らないことを考えつつ、いそいそと食べまくっていると、見つめ合い時間の終了した公爵がまたお話に戻る。
「ああ、そういえばレディ・ロレーヌはこちらに滞在する間、あちこちに出向かれる予定だとか?」
「はい、今まであまりそういう場に行こうとしていなかったのですが、もう少し社交の場に慣れたいと思って」
何しろ、今まで壁の花の中の壁の花を極めて、人ごみの中なら忍べるほど影の薄い存在であり続けてきたわたしである。もちろんそれはイケメン観賞をするのに好都合だったからだが、大切な人が出来た今となっては、その逆を行く方が好ましい。
目立つ必要はないが、上手な聞き役くらいにはなりたい。
「そうですか、確かに、それはいい」
公爵はジェレミアとわたしを交互に見ながら頷く。
「それに、この後冬の最大の行事も控えていますからね。ゆっくり見ていかれるといい、いずれは私の義妹となるのですし」
「ええ、そうね。ハビエル祭があるから、それまでは滞在していくといいわ」
「え、でもそんなに長くはご迷惑では」
せいぜい、半月程度の滞在になると思って来たのだが、それだとひと月以上もここに厄介になってしまう。戸惑うわたしに、ジェレミアが声を掛けてきた。
「構わないだろう、何より私と過ごすのだから、外聞が悪い訳でもない。ご家族には手紙で説明すれば済む。せっかくの閣下の申し出でもあるし、何より、私は君とハビエル祭の時期を過ごしたい」
目を細め、どうすると問いかけられるように見られたわたしは、不意を突かれて息が止まった。何という反則技。今夜は食事に専念すると見せかけて、甘い言葉攻撃は来ないと油断していたらこれだ。
思わず胸に手を当て、動揺を押し隠しつつ答える。
「そ、そうですね。それならそうします。実は王都の大聖堂で行われる祭りは見たことがないので、一度は見てみたかったんです」
必死に淑女らしく笑んで見せる。
よくぞこらえたわたし。頑張ったわたしの心臓。今も鼓動が早いけれど、何とか通常運転に戻っているようだ。
それにしても、ジェレミアによる不意打ちの破壊力は半端ない。今後は油断しないようにしよう。そうしよう。
笑顔の裏で、わたしは自分にそう言い聞かせた。
「それは良かった。私も楽しみだ」
ジェレミアはにこやかに答えた。恐らくわたしの動揺など見抜いているに違いない。対抗するすべのないわたしは、せめて目を閉じて呼吸をそっと整える。
ちなみに、ハビエル祭とはこの世界に神の教えを伝えた人物が現れたとされる日を祝うお祭りのことだ。
幼い頃はクリスマスのようなものなのだろうかと思っていたのだが、ある晩餐会にたまたま記憶持ちの牧師が招かれていて、いい機会だったので訊ねたことがあるのだ。彼は、どちらかというとイースターだろうと答えた。それがどういうものかは良く知らないのだが、わたしとしても、時期が春であることや、救世主の降誕祭という訳でもなく、サンタクロースという不思議なおじさんも存在していないため、今では完全に別物だと思っている。
わたしも良くバルクール家の屋敷近くの教会で開かれる祭りに行ったものだ。その時期だけ特別に作られるご馳走も楽しみのひとつだった。しかし、父が微妙に忙しい時期でもあるため、王都に出かけることはまずなく、最も盛大で華やかだと言われるここでの祭りには訪れたことがなかったのだ。
しかも、ジェレミアと歩けるとなれば、断る理由は全くない。
少しして、呼吸が落ち着いてきたころ、公爵が微笑ましいものでも見るようにわたしとジェレミアを見ながら言った。
「そうだね、若者、それも恋人向きの催しもあるから、君が行きたがるのもわかるよ。私も行きたいのだがパオラに全力で拒否されたよ。あれは悲しかったなぁ~」
言いつつちらり、とパオラを見る公爵だが、彼女はお酒に舌鼓を打っている。あれは気づいていてスルーしているのだ。わたしは公爵がちょっと可哀想になった。
しかし、彼は慣れていると見えて、すぐに気を取り直すと話題を変えた。
「ああ、そうそう、ジェレミアがついているし、行く場所さえ選べば大丈夫だろうと思うんだが、王都も最近少々物騒だから、決して、危険そうな場所には行かないようにね」
「何かあったんですか?」
わたしは思わず聞いていた。
あまり褒められた話ではないが、わたしはそれほど新聞を読まない。たまに、暇つぶしに読むくらいだ。
書かれている内容が難しいし、政治的なことはほとんどわからない。それに、領地にいる時には大した事件も起こらないので、知る必要がさほどないこともある。もちろん、知っておいた方がいいことはあるので、たまには読むのだが。
なので、公爵に言われてもすぐにピンと来なかったのだ。
「うん、あちこちでちょっとした爆発事件が相次いでいてね、中には巻き込まれてけがをした者もいる。しかも、相手はどうやら貴族や官僚、軍人といった上流階級を狙っているらしい。庶民には一切被害が出ていないから、間違いはないと思う」
「そのようですね、目的はわかりませんが、警戒するに越したことはないでしょう。今のところご婦人が巻き込まれたことはないようですが、今後犯人がどう出るかはわかりませんからね」
公爵の心配そうな言葉に、ジェレミアが答える。
わたしはそんなことが起きていたのか、と驚いて、同時に少し不安になった。
「大丈夫よ、ロレーヌ。警察も動いているし、上流階級だけが入れる場所は安全だもの」
「はい、早く捕まるといいですね」
わたしはそう答えた。
この国にも警察はいる。とはいっても、まだまだ状況証拠から犯人を割り出すくらいの捜査なので、頼りないことは頼りない。
かといって、実感もわかないのが正直なところだ。
前世でも今世でも、事件に巻き込まれたことはないし、そういったことが自分の身に降りかかるところが想像できない。
「そうだね、私もそう願っているよ。さて、暗い話題の後は甘いものに限る。今夜は特別に作らせたものがあるんだよ」
公爵はさらりと話題を変え、使用人を呼んで特別なものを運ばせた。それは色とりどりの美しいお菓子で、わたしは思わず感嘆のため息をもらした。
外国の珍しいお菓子も混ざっている。
その中のひとつに、わたしは目を瞠った。
――これ、おはぎじゃないの?
小豆に似た豆を、茹でて潰して固めたようなルックスのそれを、わたしはついつい凝視した。他の果物の砂糖漬けのようなものの中で浮き上がらないようにか、小さめに作られてはいるが、どう見てもお彼岸に食べるアレである。
「ああ、それはね、使用人のひとりが故郷の味を再現したいと言って作っていたものを料理人が認めたものだそうだよ。さあ、何でも好きなものをとってくれ、今夜のデザートは全てこの国以外で生まれたものを集めたんだ」
「そ、そうなんですか、それでは」
わたしは早速そのブツを食べてみることにした。
どうしても、味を確かめたかったからだ。
小ぶりなので一口で入る。横に葡萄酒のグラスが置かれているのがちぐはぐだなあと思いつつ咀嚼。
――うん、豆の味が少し違うけどおはぎだ。
それでもうわかっていた。
使用人のひとり、とは恐らく彼だろう。赤い髪の、明るい笑顔の彼だ。微妙な気持ちになりつつ、食べ終える。
何だか、どれだけ避けたとしてもここに滞在している間はあの彼と関わりを持たざるをえないような気がしてきた。
――こうなったら、ジェレミアにくっついていられる間はくっついていよう。それにほら、専属の従僕もつけてくれるらしいし。
ようするに、ひとりで会わなければいいのだ。
面倒だなあ、と思いつつもやるべき方向が決まったので、わたしは他のデザートも堪能した。
どれも美味しくて、虫歯になりそうだなあと思ったものの、その夜の晩餐は楽しく穏やかに終わったのだった。
※この作品の書籍化が決まりました。詳しくは活報をご覧下さい。