(5) 胸やけ晩餐会
「ロレーヌ、それだと、まるでふたりきりで会おうとしていたように聞こえるんだが、気のせいかな?」
おかしい、室内なのに寒い。
もっと毛織のストールが欲しい。十枚以上重ねたいくらい寒いよ。超高級品で貴族や資産家の証明にもなるような最高の温もりをお約束してくれるはずのストール、しかもすでに一枚纏っているけども、それでも重ねたくなるほど寒い。
でもとりあえず、氷の貴公子の質問にお答えしないと怖いから律儀に正直にお答えする。
「イイエ、ソノトオリデス」
「君は馬鹿だな、その辺の小虫ですらもう少し警戒心があるぞ」
ああ、久々に刺さるセリフが来ました。
まあ、慣れたけれども。その言葉の裏に心配で仕方ないという感情がこっそり黒い布をかぶって潜んでいるのはわかっているから、本気にはしないけれども。でも涙が出そう。
「うぅ、スミマセン、キヲツケマス」
答えると、盛大なため息が吐き出された。
呆れているのか、安堵しているのかは判断がつきかねる。だって、怖くて見れないのですもの、愛しい方の顔が。
「いや、事前にわかって良かった。これで、君を危険にさらさなくて済むからね、だが、確かに君の言う通り、私が行くのはかえって邪魔になりそうだな」
「それなら、わたし諦めます。その方が危険も回避できそうですし」
「いや、向こうがどういうつもりなのか知った方がいいと思う。知らずに何かに巻き込まれることすらあるんだ」
あくまでも真剣に、ジェレミアは何かを考えている。
わたしは彼が結論を出すまで、そうっと顔をうかがった。いい案がないかと悩むジェレミア、何て格好いいんだろう。
中々見られる表情ではないので、考えることは彼の優秀な脳みその方がいい。何よりも、信頼出来る人物なのだ。わたしは、彼のことを信じて動けばいい。
なので、今は観賞して網膜に焼き付けることに決める。
やがて、ジェレミアは結論が出たのか、それまで床に向けていた視線をわたしに寄越した。
「ありきたりだが、君に護衛をつけよう。せめて、この王都にいる間だけでもそうした方がいい」
「え、でも、それなら誰か屈強な従僕にいてもらえば……」
貴族はある例外を除いてお金持ちだ。そのため外出にはボディガートをしてくれる使用人が必要になる。その役目をこなすのが従僕たちだった。
「ああ、しかし、信頼できなければ話にならない。カスタルディ家の荘園屋敷ならうってつけの人材がいるが、彼はあくまであの屋敷の使用人だ。だが、心当たりはある」
ジェレミアは窓の外を見ながら言った。
「ロレーヌ、私がその人物を連れてくるまでは外出しないで欲しい。まあ、こんな天気ではあまり出歩きたくはないだろうが」
「そうですね」
外では雪が舞い、明日には積もりそうだ。
公爵邸の門扉の向こうにある道も、人通りは少ない。こんな日に出かけて風邪を引きたくはない。わたしは頷いた。
「わかりました、そうします」
答えると、ジェレミアは少し申し訳なさそうな顔をした。
「不自由な思いをすることになるが、君に何かあったら私はどうしたらいいかわからないんだ」
「そんなことないです。そもそも、ここへ来たのはジェレミアの隣にふさわしい人間になりたいっていうわたしのわがままのためなんですから、気にしないで下さい」
言いながらも、わたしはまともにジェレミアの顔が見られない。どうしてこうこの人はそんな舞い上がって降りてこられなくなるようなセリフを当たり前のように言ってしまうのか。
以前は演技だと思っていたから流せたけれど、今は事実だと知っているからたちが悪い。
「ありがとう、それじゃあ、図書室に行こうか。公爵邸には広い図書室があって、色々見られるよ。場所を知っていれば、もし私がいなくても、君が退屈しなくて済むだろう」
「そ、そうですね」
何とか笑顔を浮かべると、ジェレミアは嬉しそうに笑った。誤解が解けたようで何よりだが、そんな破壊能力抜群の顔をされたらたまったものじゃない。
恋愛小説のヒロインみたいに、それを真っ向から受け止める勇気が出なかったわたしは、思わず床を見てしまったのだった。
◇
その夜、公爵邸ではささやかな晩餐会が開かれた。
集まっているのは公爵とその夫人であるパオラ、その弟のジェレミアと婚約者のわたしに、いとこのルチアだけだ。本来はもうひとり、付き添い役のミセス・モレナが加わるはずであったのだが、彼女は夜になっても到着しなかった。
ルチアによると、きっとどこかの町で休憩しがてら来るだろうということだ。と言うことは、それまではわたしがなるべくルチアを見ていなくてはならない。
何て面倒な、と心の中でどうしてもっときちんとした人物をつけてくれないのだと思いはしたものの、付き添い役を選ぶのは彼女ではなく男爵かその夫人なのだろう。良く知るパルマーラ男爵夫妻の顔を思い出し、わたしは諦めがついた。
あのふたりならそんな事態もあり得るのである。
そんなルチアはと言えば、例の従僕の姿を探しているらしく、あちこちに視線をさまよわせている。とはいっても、それぞれ役割があるはずなので、食事時にまで現れないだろうと思って勝手に安心していたら、現れた。その瞬間、ルチアの目が輝く。
わたしはそれを見てげんなりした。
一方、水面下で起こっている事態など知る由もない公爵は、嬉しそうにわたしに話しかけてきた。
「いやあ、お会いできてとても嬉しいですよ、レディ・ロレーヌ。パオラから話を聞いていると何だか親近感が湧いてきましてね」
ははは、とちょっと力ない笑い声を上げる公爵。
彼は三十代半ばの背の高い紳士で、ぱっと見には秀でた容姿をしているようには見えない。けれど、風格や振る舞いが洗練されており、体格も良く威厳があるのだ。
顔立ちも良く見れば整っているが、穏やかさが前面に出ており、淡い茶色の髪と灰緑色の眦の下がった目と相まって、実に優しそうだ。しかし、ジェレミアが言うには、政治の面では徹底して王家と国の利を第一に考える、頭の切れる人物に変貌すると言う。
そんな大貴族様の口から飛び出た言葉に、わたしは目を丸くした。一体、この地味の権化のどこに親近感を抱けるというのか。
「貴女も、装うのがあまり得意ではないと聞きました。何でも、前時代の遺物みたいなドレスをお持ちだとか、実は私も妻に会うまではそんな風でしてね」
そういえば、どこかで耳にしたような気がする。パオラが何か言っていた時だ。あの素晴らしき毒舌で絶賛けなされ中だったので、心の痛みをケアしていたから記憶が曖昧なのだが、わたしの夫もどうこうとか言っていた。
「散々に言われましたよ。その時彼女はあまり社交界に出てこないことで有名で、てっきり気の弱い女性だと思っていたのですが、会ったときにその装いはふさわしくないといきなり言われましてね、でも彼女に一目ぼれした私は、むしろいい機会だとさえ思いましたよ。罵られても、彼女と接することが出来れば幸せでしたから」
食事しながら、公爵は愛おしげにパオラを時折見る。
そんな視線を向けられたパオラも、見られることを喜んでいるらしく、口元には笑みが浮かんでいる。
「トマスったら、あの時はとてもしつこかったわ。どこがどう悪いのか、じっくり教えて欲しいって会うたびに何度も聞くのよ。おかげでダンスも会食も全ての時間を彼と過ごすことになったわ」
「私は君の時間を誰かに盗られたくなかったんだよ。その上、いい助言がもらえるんだから、言うことはないね」
「困った人」
パオラは楽しそうに笑った。そして、見つめ合うふたり。もうお腹一杯ですよ、ごちそうさま。
話には聞いていたし、応援する会の関連で公爵様の詩集も持っているし、その内容はとても胸を打つけど、実物を前にしたら何だか胸やけしてきた。
想像を超えてたよ、バカップルだとタチアナが評していたけど、そんなものじゃない。プチ公害レベルだよ。
わたしは目の前の宮廷料理かと見まがうほど豪華な食べ物に視線を移した。さすがは公爵家、カスタルディ家で出されたものも美味だったけれど、ここの料理人は見た目や斬新さも凄いものを出してくる。
堪能しないのはあまりにも惜しい。
こうなるのがわかっていたジェレミアなど、最初から姉夫婦を見ておらず、食事に専念している。見つめ合うふたりは放っておいて、わたしは彼に倣って食事をメインにすることに決めた。