(3) 懐かしいアレの名前
やがて、ティールームにたどり着くと、それぞれが用意された席に納まった。冬だというのに、南国から輸入された花が花瓶にいけられ、良い香りを放っている。
調度や内装は洗練された趣味で、そういう方向にさっぱり詳しくないわたしでも落ち着くなあと感じたくらいだ。
「さあ、とにかくくつろいで頂戴。色々な方に紹介するのは明日からでいいでしょうし、まずは買い物にも行きたいしね」
パオラの目が闇夜のフクロウよろしく光った。
わたしの脳裏に、かつて連れていかれた仕立て屋での光景が一気によみがえる。また恥をかいて失笑されるんだろうか。
――うう、嫌だなあ。
そう思いながら、わたしはルチアを見た。
彼女は美少女だが、まだ社交界に顔を出せる年齢ではないのと、パルマーラ男爵が雇っている家庭教師の意向からか、ずいぶんと野暮ったい服装をしている。
本人は装いについては無関心なので気にしていないようなのだが、恐らくパオラの餌食になれば色々と変わるんだろう。
何よりも、人身御供がわたしひとりじゃないのは助かる。少なくとも、気を休めることができる時間が持てるということだ。
「そうですね、私もついて行って意見を述べたいですし」
「ええ、もちろん。わかっていますとも、貴方の意見も取り入れるわ、買い物には必ず同行してもらいます。せっかく王都に来たのだもの、田舎町では決して手にできないものも作りましょうか」
「それがいいですね」
――相変わらず勝手に話を進めるし……てか、わたしの意見とか最初から無視する気だよね。いや、わたしが役に立たないのはわかってるけど……。
何とも言えない気分で、テーブルに用意されるお茶とお茶菓子を眺める。流石は公爵家だ。恐らく菓子を作る専門の職人も、凄まじい腕の持ち主に違いない。ちょっとしたケーキですら、妙に綺麗で形も凝っている。食べるのが勿体ないくらいだ。
わたしは、目の前の美しすぎる姉弟から目を反らした。
少し前までなら顔面堪能してお茶を美味しく頂けたというのに、向けられる視線ごときで拝めないなんて、なんだか負けた気がする。
何しろ、周りは美顔だらけなのだ。
堪能しなければロレーヌ・バルクールの名が廃る。
意を決して顔を上げたわたしは、ふと給仕をしている従僕に気が付いた。先ほど、思わず見てしまった青年だった。
顔はジェレミアほど作り物めいた美貌ではないにしろイケメンだ。この国ではそこまで珍しくない赤みのある茶色い髪をしており、やや短めに整えている。
背も高く、均整のとれたしなやかな体を上等のお仕着せに包んでいて、それが良く似合っている。目元にほくろがあり、明るい笑顔が魅力的だ。瞳は深い青。どことなく怜悧な印象を受けるジェレミアのものと対極にあるような、青い炎のような目である。彼はわたしが見ているのに気付くと、わからない程度にウインクを返してきた。
――いや、あの、……何で?
場合によっては失礼に当たる行為だが、彼がすると異様に様になってしまう。しかし、そんなことをされる覚えはない。もしかすると、彼はイタリア人気質なのかもしれない。
結論が出ると、気が落ち着いた。
――が、彼はそんなわたしの落ち着きを完全破壊するかのような爆弾を、近くに来た時わたしの耳元に落としていった。
「……寿司とかラーメンとかカレー、食べたくなりませんか?」
――!!!
この異世界に生まれ落ちて十八年とちょっと。
その間に、一度も耳にすることのなかった言葉だった。驚愕に目を見開いて従僕の青年を見やれば、口元に愉快そうな笑みが浮かんでいる。どうやら、間違いない。
彼も、転生者なのだ。しかも、わたしと同じ日本人か、そうでなくともお寿司やラーメンやカレーの存在する時代に生きた人だったはずだ。日本食が外国でも広まっていたことから、外国人の可能性も捨てきれないが、時代はかなり近いと思う。もちろん、確信がある訳ではないけれども。
それでも、彼の口にした三つは、わたしの生きた時代の日本人なら大体の人が好物としているもののはずだった。
頭の中が大混乱に陥ったわたしをよそに、他の使用人たちとともに仕事を終えた彼は、用意が整いましたと告げると部屋を出て行ってしまった。
すると、隣のルチアのため息が聞こえた。
すごく残念そうだ。
わたしが顔を向けると、頬をふくらませてこっちを見る。その様子はさながらハムスターみたいだった。どうやら、あの従僕の意識がわたしに向いていたのがお気に召さなかったらしい。
何だか嫌な予感がするんですけど。
身分違いの恋はやめて欲しいんだけどな……などと考えていると、横から冷気が漂ってきた。隙間風が吹いたように、すっと体が冷えるのを感じる。それがどこから来ているのかはすぐわかった。
恐らく、ジェレミアはあの従僕の青年がわたしに何かをささやくところを見てしまったのだ。内容まではわからなかったと思うから、勘違いしている可能性が高かった。
こ、これは言い訳を山のように積み上げなくてはと思って焦る。しかし、焦れば焦るほどわたしに向けられる冷気が強くなってくるような気がする。これでは、言い訳を聞いてもらえるかどうかすら怪しい。どうしたらいいんだ。
わたしは視線をどこに向けて良いのか混乱し、思わずパオラを見った。すると、含み笑いが返ってきた。
「ふふ、変わりないわね。ロレーヌは」
「えっ! あの、違うんです」
「いいのよ、わたしは気にならないもの。でも、ほどほどにしておいた方が良くってよ」
それは痛いほどわかっている。
正直、一番見たい顔が見られない。どんなに謝り倒してもだめな気がする。だが誓って浮気ではない。これは美術鑑賞に近い行為なのだ。と口に出来たらどれほどいいだろう。
そう思って嘆いていると、ジェレミアがため息をついて口を開いた。
「姉さん、使用人の教育はどうなっているんだ? ああいう輩は放っておくと助長する。早めに別の仕事先を見つけてやったらどうだろう?」
声色こそ穏やかだが、内容はようするにクビにしろと言っている。わたしは青くなった。勘違いであの青年から仕事を奪ってはいけない。
「そうねえ……」
「何なら、私が代わりの使用人を見つけて来よう。もっと、礼儀をわきまえた公爵家にふさわしい人格の持ち主ならいくらでもいる」
「ええ、でも、公爵家の使用人に相応しい容姿の持ち主はそうはいなくてよ。それに、貴方はロレーヌを放っておいて王都中を駆けずり回るつもりかしら?」
パオラが苦笑しつつたしなめるように言うと、ジェレミアも押し黙る。それから、気に入らなそうにわたしを見た。
そんな表情すら魅力的で、わたしは思わず心臓が一回転するような感覚に陥った。これ、あれですかね、嫉妬とかそういう方向の、自分には無縁の中の無縁と思っていた展開ですかね!
だめだ、嬉しすぎて今日死んでもいいや。
表情だけは真顔のまま、半ば昇天に近い気分になっていると、ジェレミアは忌々しげに言った。
「そんなつもりはありません。ですが、彼女の周りに置く使用人は女性にしてくださいますか?」
「いいわよ、それで安心できるならね。でも、力仕事のときは連れていくわよ、嫌なら貴方が側にいて見張っていればいいわ。それほど出歩く用事はないでしょうし」
「ええ、そのつもりですよ」
苦虫を噛み潰したように顔をしかめ、ジェレミアはお茶を啜る。ああ、怒ってても格好いいなあ。綺麗だなあ。まあ、ジェレミアの場合笑顔の方が希少ではあるけれど、怒った顔も好きなので、わたしはしばらく眺めることにした。
これぞ恋人の特典。
わたしにしか出来ないのだ。なんて幸せなんだろう。
「いいなあ、ロレーヌお姉様愛されてますね」
「えっ、うん」
突然羨ましげにルチアが言う。わたしはどう答えたら良いのか戸惑い、曖昧に笑ってみる。笑顔って便利だ。大抵はごまかせる。
「さて、私は一度部屋の様子を見て来ます」
「あら、まだ来たばかりじゃないの」
「ええ、そうなんですが……」
カップをテーブルに戻したジェレミアは、刺すような目でわたしを見てきた。思わずテーブルの下に顔を隠したくなったが、何とかこらえる。
どうやら、わたしに話があるらしい。
きっと、あの従僕の青年が関係してくるのだろう。
嬉しいような、怖いような不思議な気持ちがした。