その流し目、破壊力抜群につき
館に戻ったわたしは急いで小間使いと共にドレスに着替えた。何とか晩餐には間に合いそうだ。綺麗に髪を結って貰っていると、部屋にいとこのドロテアがやって来て、ちょっと不満そうに訊ねてきた。
「ねえロレーヌ、貴女いつジェレミア様とお知り合いになったの?」
「え、どうして突然そんなことを?」
「だって、今日あなたたちが腕を組んで仲良さそうに庭園を散歩していたことが話題になっているのよ」
寝耳に水の発言にわたしは目を丸くした。
ついさっきの出来ごとなのに、もう広まっているとは。わたしは不審そうなドロテアの機嫌をうかがいつつ、どう言えばいいのだろうと考えた。
ドロテアはジェレミアに憧れている。この集まりで何としてでもお近づきになりたいと何度も聞いた。ようするに、けん制されたのだ。
うかつなことは言えない。
「たまたま散策していたら案内して下さっただけよ。ジェレミア様はとても親切な方だったわ。わたしがひとりでいたから気を使って下さったのよ。それだけ」
「……そう、ならいいけど。あ、じゃあ後でわたしにもダンスを申しこんで欲しいって言って貰えないかしら。顔見知りになったのでしょ」
「え、ええもちろん。この後の舞踏会でいいのよね?」
そう言うと、ドロテアの顔が綻んだ。
彼女はどちらかというと気の強い印象を与える容姿をしていて、年齢はわたしと同じ。色の薄い金の髪に、白い肌、輝く吊り気味の薄青の目をしている。残念ながら、タチアナに匹敵するほど美人ではなく、気の強さがちょっと嫌みに見えてしまうタイプだ。
けれど、性格が悪い訳ではなく、前向きで情熱的で、人を蹴落とすようなことはしない。
「ありがとう、本当はわたしより先にジェレミア様と知り合ったなんて腹が立ったけど、帳消しにしてあげる。さあ、母が待っているわ、急ぎましょ」
「ええ」
彼女の言葉に促されて、わたしは支度を終えるとすぐに席を立った。
◆
晩餐の席はなごやかに進む。供される皿の全てが、わたしには豪華に映る。
テーブルには皿が置かれ、その都度女中や執事が大皿から取り分けてくれるのだ。全てコース料理で、何だかフランス料理でも食べに来た気分である。
前菜二品からスープへ、主菜は魚と肉があり、間に口直し用の氷菓子が出てきた。それが終わればデザートになり、最後にお茶などで終わりとなる。
ジェレミアやタチアナ、グリマーニ卿とは席が離れているので、わたしは適当に近場のイケメンを探して眺めたりしつつ食事を終えた。
ジェレミアを見たくなかった訳ではない。
一度だけ観賞しようと視線を向けたところ、ひどく楽しそうな笑顔を返された。何しろわたしにとっては最も好みの顔なのだ。あれを見ていたら動悸と息切れに苛まれて食事にならない。
どうせ食べ終えれば嫌と言うほど眺められるのだから、今は食べるほうに集中しようと決めた。
彼の笑顔対策はそれで済んだが、今度は意味ありげな視線を大量に感じた。
だが、せっかくこんなに素晴らしい食事を味わえるのだ。気にしていたら負けだ。わたしは自分にそう言い聞かせつつ食べに食べたら全く気にならなかった。
カスタルディ家の料理人に拍手を贈りたい。
ちなみに、ドロテアとその母は親戚なので、上座に近い位置に座っており、わたしはその次。隣に座った老紳士は究極に紳士だったので、ぶしつけな質問をされることもなく、穏やかに晩餐は終わり、客たちは男女にわかれて、それぞれくつろぎはじめる。
ゆったりとした時間が流れて行く。
この後行われるダンスの相手を申しこみ始めている男性客もちらほらいた。
踊らないものはカードゲームをしたり、お酒を楽しんだりするようだ。
やがて、わたしに突き刺さる視線が増え始める。さあ、戦いの時だ。
次第に、令嬢たちがそろりそろりと近寄ってくる気配を感じる。
彼女たちの目は言っている、なぜこんな地味で影の薄い平凡な娘に彼は声をかけて散策などしたのだろう。こんな娘よりも自分の方がよほど綺麗なのに、と。
わたしの想像に過ぎないが、おおむね当たっていると思う。
さて、そろそろ質問口撃が来るかな、と思っていたところへ現れたのはジェレミアだった。
その姿に、わたしに近寄って質問攻めにしようとしていたご令嬢たちの動きが止まる。
彼はゆるぎない足取りでこちらへやってくると、極上の笑顔を浮かべて手を差し伸べてきた。わたしは凍りついて、しかし何て素適な笑顔だろうと脳内で吐血しつつ、顔には張りつけたような笑みを浮かべて彼を出迎える。
「迎えに来た、当然踊ってくれるだろう?」
「昼間の踊りでなければ喜んで」
わたしが言うと、彼はニヤッと口端を上げてわたしの差し出した手を取ると言った。
「仰せのままに、レディ」
流し目。
それは時に人の心臓を止め、立っていられなくさせるほどの威力を発揮する。
完全にその威力に負けたわたしは、うっかりよろめいた。すぐさまジェレミアが腰を抱えて立たせてくれるが、わたしは何てことをするんだと怒鳴りたくなった。そんな親密なことをすればどう見えるかわかっているのか。
そう――恋人のように見えてしまうではないかと思ったところで、自分が頼まれたのは恋人役だったのだと思いだして頭が痛くなってきた。
美顔の破壊力に負けた自分が恨めしい。
「大丈夫か? 具合が悪いなら今夜は側にいるだけにするが……」
「いいえ、平気です。それより」
背中に汗をかきつつ、わたしは呼吸を整える。
やるべきことを果たさなくては、という使命だけで、こちらをうかがうように見ているドロテアとその母を手招きした。すると、彼が小さく身じろぎしたのがわかった。
「もうご存知でしょうけれど、どうしてもダンスを踊って欲しいそうなんですよ」
「……私がなぜ君にこんなことを頼んだのかちゃんと説明しておけば良かった」
ジェレミアは歯ぎしりしながら言った。腰に巻かれた手がなんか食い込んできて痛い。彼の言いたいことはわかる。そもそも、そうでなければわたしに偽恋人役を頼んだりしないはずだ。だが、ここへ連れて来てもらっている手前、彼女たちの言うことを聞かない訳にはいかないのである。
やがて、静々とやってきたドロテアは、スカートをつまんで挨拶するとほほ笑んだ。