(1) 公爵邸への招待
※この続編は前回に書きそびれた転生についてのお話となります。
今更自己紹介もどうかと思うのだが、一応しておこうと思う。わたしはロレーヌ・バルクール。見た目平凡なバルクール男爵家の長女だ。
少し前まで、結婚相手を探しつつ、社交界のイケメンを探しては眺め倒したり、観劇に行くのを楽しみにしながら地味にこの世界に生息していた。当面の目標は、少なくとも行き遅れになる前に人柄の良さそうな男性を見つけること。
だった。
だった、というのは、つい先ごろ婚約が成立したからだ。
しかも、驚くべき相手とである。
その相手とはカスタルディ侯爵家嫡男、ジェレミア・カスタルディ。
超ハイスペック美顔の持ち主にして、わたしの目の保養の最たる人物だった人である。
長いこと眺め倒してきた、これからも眺め倒して人生の肴にしようかなと思っていたひとですよ、聞きましたか奥さん。信じられませんわよねぇ。何が起こったんでしょう。とか内心で謎の会話をしたくなるほど今でも信じられない。
正直、今でもあり得ない、夢なんじゃないか、もう死んでいるのかもと何度も夜中に目が開いては、贈られた衣裳を確認して本当だったと確認する毎日。
そんな奇跡がさく裂した集まりは終わり、わたしは数日カスタルディ家の別荘に滞在した後、バルクール邸へと戻ってきた。季節はまだ春も遠い冬。一応、あの集まりの頃が、日本でのクリスマスに相当する季節なので、今は正月も過ぎたとりわけ寒い頃だ。
このフロースランド王国は日本より寒いので、流石の遊び好き貴族たちもこの時期はじっとして暖炉の前で春の計画を練ったりしつつ静かに過ごしている。
そんな頃、わたしに招待状が届いた。
「何々、アストルガ公爵夫人ってレディ・パオラだわ」
驚きと共に呟いて開封すると、そこには、流麗な筆致でこんなことが書いてあった。
「えーと、レディ・ロレーヌ……お元気でしたか、わたしも元気です。実は、弟から相談を受けました。何でも、貴女が弟の妻として如才なく振る舞えるか悩んでいるというではありませんか。日々教養を高めたり、対話術を学んでいるとか。そこで、わたしもぜひお役に立ちたいと思い、この手紙と共に招待状を送ります。
王都にあるアストルガ公爵邸には、連日貴族や議員の皆さんが訪れては議論したり、晩餐会が開かれています。今の季節、ひとの集まる場所は限られていますが、アストルガ邸に滞在すれば色々学べるでしょう。弟にも同じものを送りましたが、他に連れて来たい方がいらしたら教えて下さい。
受け入れられる方にはわたしから改めて招待状を送らせていただきます。早めのお返事待ってます……」
封筒の中をもう一度改めると、カードが出てきてわたしの名前が記されている。それを眺めつつ、ひっくり返してみると別の紙が出てきた。広げてみると、小さい字で「来れば公然とジェレミアと過ごせますよ(笑)」と書いてあった。
誰だ、パオラに(笑)なんて教えたの。
わたし含めてこの世界に現代日本人転生者がごく稀に混ざってるのは知っているが、教えるなよ、そんなの。
などと思いつつも、書いてある内容には確かにぐっと来た。
いくら婚約したとはいえ、結婚していない以上一緒に過ごせるときは限られる。もっと話をしたり、一緒に過ごしたりしたいが、そうはいかないのはこの異世界でも地球でも変わりない。
そんな訳で、少しだけ悩んだ挙句、わたしはこの招待を受けることにした。
◆
雪の積もる王都。
行きかう人もまばらな通りを、馬車に乗って進む。それまでの土が剥き出しの道とは違う振動に揺られながら、わたしは床に向けていた目をあげた。
途端、対面に坐していた人物と目が合う。その人物とは、当然ジェレミアだ。彼はこちらに気がつくと、愉快そうに目を細めた。
「疲れたのか? だが多分もう少しだ」
「そ、そうみたいですね」
わたしは笑みを浮かべつつ胸を押さえる。動悸が止まらない。この旅の間中、ずっと見てきたはずなのに、なぜなのか。
理由なんてわかっている。
「もしかしたら、寒いのか?」
「え?」
ほぼ不意打ちに手首に衝撃を感じ、わたしは引っぱられた。そのまま回転するように席を移ると、横から抱きしめられる。その耳元に、低い声がそっと言う。
「ほら、これで少しは寒くないだろう?」
「あ、あの……でも」
「もう少しの我慢だ。屋敷につけば暖かい部屋に一緒にいられるから」
「え、部屋は別なんじゃ……?」
突然放たれた言葉に驚いて、わたしは顔を彼に向ける。すると、とんでもない至近距離に美麗なる顔が迫った。
「そうだろうが、私は君ともっと一緒にいたいんだ。大丈夫、ちゃんと紳士でいるから」
にこにこと笑みを浮かべながら甘い言葉をささやくジェレミアだったが、わたしは騙されなかった。
「信じられません」
「ほぅ、どうしてだ?」
すっ、と青い目が細くなる。
そんな目で見てくる時点で信用なんて出来る訳がない。
「だって、ジェレミア様言ったじゃないですか。婚約するまでは何もしないけど、したらするかもって」
「ああ、そうだった。だが、嫌がることはしないと誓う。君に嫌われたくはないから」
穏やかに言われ、わたしはちょっと安心した。そうだよね、少なくともわたしの知る彼は無理強いとかはしないひとだ。それなら、この息苦しい体勢も伝えれば何とかなるんじゃないかなと思って言う。
「それじゃあ離して下さい。これじゃ狭くて苦しいので」
ジェレミアは笑顔だ。よし、これで心臓に悪い体勢から逃げられる。だって、今にもキス出来そうなほど近いのだ。以前よりはこの美麗顔に耐性がついてきたとはいえ、やっぱり今でも動悸息切れがするのだから仕方がない。
が、そんなわたしの期待を裏切るように、爽やか笑顔で彼は言った。
「断る」
「えぇ? どうしてですか?」
「寒いから」
そう言って、よりぎゅっと強く抱きしめてくる。
嫌あああ~、死ぬ、このままじゃ悶死するっ。不整脈出そう。いっそ気を失えたら楽なのに、ほどほどにタフな精神力が憎い。頭の中が大パニックなんですけどっ。
わたしは絶句し、どうすることも出来ずにただ耐えた。
やがて、ゆっくりと馬車が停まる。その時になって、ジェレミアはようやく解放してくれた。ようやくまともに呼吸の出来たわたしは、完全に色を失い、真っ白になって馬車の扉が開くのを待つ。
つ、疲れた。
その元凶に目を向ければ、残念そうに笑う。そういう顔をしてもらえるのはすごく嬉しい。嬉しいのだが、ふと思った。
わたし、早死にしそう。
婚約してからというもの、ジェレミアの態度が想像以上に軟化したのだ。ぱっと見にはそれほど変化はないように見えるが、ふたりきりとなるとからかったり、触れようとしてきたりする。
まあ、恋人同士がすることなんだから当然だと言えば当然だけれど、わたしにとって憧れの存在がいきなり横にいてそんなことをしてくるという状況には中々慣れられない。何しろ、生涯の酒の肴にしようとか思っていた人物なのだ。
心に染みついた、それも前世から引き継いできている劣等感はそうそう払拭できるようなものではないのだ。
そんな訳で、嬉しそうなジェレミアとは対照的にぐったりしつつ、わたしは馬車を降りた。そして、感嘆のため息を漏らした。