侯爵子息、機会を得る
「何だって?」
「うん、だから……バルクール家の人たちは全員領地に戻ったそうだ。父君は貴族議会に所属しているからまた王都に来られるだろうけど、他の方たちはもう来ないんじゃないかな」
翌朝。
母が起きるのを待っていた私のもとに、訪問客があった。客はブルーノで、私はいい機会だから彼にも話そうと思って客間へ向かった。
だが、会ってすぐに彼から聞かされたのは、一番聞きたくなかったことだった。
「それは、事実なのか?」
「残念ながらね……タチアナも悔しがっていたよ。それで、どうする?」
「どうする、と言われてもな。何も思いつかない」
大きく嘆息し、ソファの背もたれに深く寄りかかる。
もっと早く、彼女だけでなく、彼女の家族に関わりを持っておくんだったと悔やむが、時すでに遅し、だ。
「そうか……帰ってしまったのか」
「もう少し早く行動を起こすべきだったね。それにしても、何というか、こんな状態の君を見る日が来るとは思わなかったよ」
「こんな状態?」
ブルーノの言いたいことがわからず、私は顔をしかめる。彼は出されたお茶のカップを手に、面白そうな笑みを浮かべている。
「ああ。ひとりの女性にここまで熱をあげている姿だよ。まあ、まだ形振りかまわなくなっていないところが君らしい。僕は必死だったから、傍から見ればずいぶんと滑稽だったんじゃないかな」
くつくつと楽しげに笑うブルーノ。つまり、今の私は滑稽だと言いたいのだろうか。私は思わず渋面になった。何だか馬鹿にされているような気がする。
「いつかのお返しだよ。タチアナのときは君にさんざんからかわれたんだ。君の身にも同じことが起きたらせいぜいからかい倒すと決めていたのさ」
「そうか、それは悪いことをしたな」
苦笑し、私はさて、と体を起こす。
「とにかく、伝えてくれてありがとう。本当はこの後、母に頼んで彼女たちを招いてもらおうと思っていたんだが、無駄足を踏まずに済んだようだ」
「そうだね。もし開くのなら、侯爵家の屋敷で開いた方がいい。確か、お隣だっただろう? 招くことも出来るんじゃないか?」
「ああ。そうしようと思っている。一旦領地に戻って、何が出来るか考えてみる必要がありそうだ」
そう言いながらも、私はひどく落胆していた。これで当分の間、遠くから見ることすら叶わなくなる。それだけではない、もし会っていない間に、彼女が誰かと婚約したらと考えると、恐ろしさに身がすくむ。
「それがいい。僕もそろそろ戻ろうと思っている。王都は暑いからね」
「そうだな」
それから、当たり障りのない話題をいくつか話し、ブルーノは去っていった。私は突然消えた目標の埋め合わせをするように、外出を決めた。
向かう先は、女性の入れないクラブだ。
憂さ晴らしに賭けごとをしてみるのもいいかと思ったのだ。
母はまだ寝ている。
私は使用人を呼び、クラブへと馬車で向かった。
◆
結局、それからの数日間は特に何も思いつかないまま過ぎ、とうとう王都を発つ日がやってきた。
空気には夏の爽やかさと、気だるさがにじみ、使用人たちの動きもやや緩慢だ。特にそれを責めるでもなく眺め、馬車に乗り込むと、王都を後にする。
カスタルディ家の荘園屋敷があるのは、王都より北だ。
土地は豊かだが、冬は厳しい。その隣に広がる土地を所有しているのがバルクール家だ。訪ねて行こうと思えばいくらでも可能だ。
かつて大昔は親交があったらしいのだが、今はただの知り合いに過ぎない。
隣といっても、かなり離れている。カスタルディ家が所有する狩猟目的のための屋敷からならば近いのだが、荘園屋敷からだと三日は必要だ。
何か特別なパーティでも催すのでない限り、気軽に訪ねるという訳にもいかない、微妙で面倒な場所なのである。
私は馬車の中で考えごとをしていた。
母は疲れているのか、対面に掛けてうとうとしている。その顔を見てから、私は嘆息した。
色々と考えてみたものの、手立てがうかばない。何より、いきなり訪ねて行ったとして、何と言えばいいのだろう。
話を聞いた限りでは、彼女は自分にひどく自信がないのだという。
私をじろじろと穴が開くほど眺めるくせに、声を掛けて来ないのは、そのせいだというのだ。つまり、彼女は自分が私には相応しくないと思っている。
私はついふんと鼻を鳴らした。
勝手に決めないで欲しいものだと思ったのだ。なぜなら、それを判断するのはこの私なのだから。相手の立ち居振る舞いや言動を見て、きちんと判断する。
外見だけが全てではないのだ。
そう思って、私は苦笑する。
ようするに、私は彼女に声を掛けてもらえなかったことが不服なのだ。もし、関わっていてくれたらこんな面倒なことにはならなかった。頼まれれば、隣人のよしみでエスコート役でもなんでも買って出ていた。
そうして関わっている間に、その人柄に気づくことも出来たろうに、と考えてしまったからだ。
だが、今さらそれを言っても始まらない。
ならば、出来ることをすべきだ。もしも、彼女と懇意になる機会が巡ってきたなら決して無駄にはするまい。
どんな理由でもいいから何かこじつけて、側に置くのだ。
そうして、少しづつ私という人間を知ってもらえばいい。そうすれば、彼女が抱いている劣等感など覆せるはずだ。少なくとも、その努力はしてみる予定だ。
そうやって、一緒にいれば人柄ももっと深く知ることができるだろう。その上で、求婚すればいい。
例え何か理由をつけて断られても、私は優良物件なのだ。
将来侯爵夫人になれる機会を捨てられる娘など、そうはいまい。
私は小さく頷いた。
完璧ではないが、それしか私には出来そうもない。女性の扱いに長けた男なら、もっと気のきいた方法を編み出せるのかもしれない。だが残念なことに、私にはそれが欠けている。
再び小さく嘆息し、私は窓から外を見た。
流れる景色が、建物の密集した都会から田園風景へと変化している。点在する木々や、草を食む牛を見て、ふいに心が穏やかになるのを感じる。
ようやく帰れる。
それだけが救いだった。
◆
機会はなかなか巡ってこなかった。
聞いた話だと、バルクール家の面々はこの夏、避暑地に旅行に出かけてしまったという。しばらくしないと帰ってこない。
がっかりしたのは言うまでもない。
秋は忙しかった。
忙殺されながら、私は隣の領地を眺めるのが日課になってしまっていた。ただ、少なくともレディ・ロレーヌが誰かと婚約したとか、それらしい男がいるだとかいう話は一切なく、それどころか話に出てくることが全くないのが不安だった。
やがて、機会がようやく巡ってきた。
長い冬、母が退屈に耐えかねて、知り合いを招いてささやかなハウスパーティを開きたいと言ったのだ。
その中に、パルマーラ男爵夫人とその娘の名があった。
だが、重要なのはそれではない。その隣に記された名だ。レディ・ロレーヌ・バルクール。ここしばらく、ずっと見たいと願っていた名前。
――彼女が来る。向こうからやって来る。
気分は勝手に高揚し、その名前がとても素晴らしいものに感じられて来た。驚いた顔のままじっとその名前を見つめていると、母に聞かれた。
「誰か気になる方でもいるの? それとも、他に呼びたい方がいるのかしら。でも、ちゃんとグリマーニ伯爵と夫人はお招きしているし、貴方が親しい方はもう招待客リストに入っているはずだけれど」
「いえ、ただ、ブルーノとタチアナには少し早く来て欲しいなと」
私はそう答えた。
口元が緩むのを全神経を注いでこらえる。そうしていなければ、にやにやした気持ち悪い男の完成だ。頭がおかしくなったと思われるのは嫌だった。
「そうね、話し相手は早く来て欲しいもの。それじゃあ、そう招待状に書いて、彼らのための部屋は早めに用意しましょう。それにしても、楽しみね。わたしたちは一足早くここを発って、サモンリーヴァ館へ向かわなくてはね」
母は招待状リストを心から楽しげに眺めながら言った。私はそうだねと頷いて、ブルーノへの招待状に添える手紙を書くために書斎へ向かった。
書くことは決まっている。
策を練る手伝いをして欲しいと書くのだ。