侯爵子息、迷う
おそらく、振り払おうとしても無駄だろう。
いつ、どこでそう感じるようになったのかはわからない。それでも、彼女にじろじろと見られた仕返しに、こちらもじろじろと見つめた結果がそれだったのだ。
一目ぼれならぬ、百目ぼれだ。
しばらく、私は動かなかった。彼女の視線を受け止め、心を整理する。
認めてしまった今でも、すぐに結論は出せない。感情だけで動いては、失敗する気がした。もちろん、感情のままに彼女に求婚しても問題はない。
男爵家令嬢であるレディ・ロレーヌと私の結婚は、誰の目から見ても妥当だ。
それでも、もう少し様子を見たい。
私は彼女がこちらを見るのをやめるまで待った。彼女が名残惜しげに去ってから、ゆっくりときびすを返し、夜会を後にする。
今日は疲れた。
帰宅し、休んでから色々と決めた方が良い。彼女に近づき、考え方を変えさせたいという思いも、今のところすぐに実現は不可能だ。
私は馬車へと乗り込み、御者に帰宅を告げた。
◆
翌日。
レディ・ロレーヌの身辺を調べさせていた使用人から、驚くべき報告が上がってきた。
「つまり、彼女こそが『応援する会』の火付け役だと言うのか? 本当に」
「はい。どうやらそのようなのです。彼女の友人が始めたことなのですが、そのきっかけとなったのがレディ・ロレーヌの言葉だったそうで、その発言から推察しますと、バルクール男爵令嬢は相当自分に対して自信のない方のようですね」
述べられた報告に対し、私は戸惑うしかなかった。
自分が抱いている彼女の印象と、今使用人がいった言葉が符合しない。私の知っている彼女は、真っすぐで堂々としていながら、愛らしい娘だ。だというのに、そんな彼女は自分に自信がないという。
「そうか、おそらく何か理由があってのことなんだろう。だとしたら、あの装いも振る舞いもそこから来ているに違いないな」
「私にもそのように見受けられます。ジェレミア様からレディ・ロレーヌを調べるよう言われて以来ずっとそのお姿を見てきました。ご自分に対する価値基準が低いようなのですが、それほど低く扱わなければならないような欠点は見あたりません。もしかしたら、『応援する会』が誕生するきっかけになった発言からもそれは感じられます」
使用人の言葉に釣られて、ジェレミアは手元の紙片を見た。
そこには、断片的ではあるが、レディ・ロレーヌが発起人の令嬢に告げた言葉が書かれている。
それに目を走らせ、私は嘆息した。
「だが、それでも結婚相手を探していることに違いはないんだな?」
「はい。まだお若いためか、積極的にという訳ではありませんし、ご自分から声を掛けることはほとんどありませんが、ほとんどの貴族の女性と同じように、生活のために結婚する意志はお有のようです」
「そうか。わかった……ありがとう。また何かあれば報告してくれ」
「はい。それでは失礼いたします」
使用人が下がるのを見届けると、私は短く嘆息した。
ようやく、なぜ彼女があれだけこちらを凝視してきながら、一度も声を掛けてこないのか理解出来た気がする。
よくよく思い返してみれば、彼女が私に向けてくる眼差しから読み取れるものは「憧れ」や「称賛」、「感嘆」などといったものばかりで、そこに下心はない。ようするに、私を単に観賞しているだけなのだ。
先ほどの報告から察するに、私には、自分が値しないと思っているのだろうか?。
それはとても不思議なことだった。
何しろ、彼女は家柄も良く、可愛らしい容姿をしている。きちんと着飾り、それなりに社交性を発揮すれば、まだ若いことも手伝って相手にはこと欠かないはずなのである。
常識がない訳でもないのに、自分に対する見方だけがおかしい。
だが、別に男性と話すのが苦手という訳でもないようだった。報告書には、趣味や興味のあう人物には声を掛けていると書かれている。それを見て、私は眉根を寄せた。少なくとも、全く趣味が合わないということもない。いや、むしろ私とは趣味が合いそうなのだ。
しかし、彼女は見るばかりで声は掛けてこない。
「彼女は私の外見にしか興味がないのだろうか?」
それは仕方がないことだ。今までろくに言葉を交わしたことすらないのだ。互いの好みを知る機会すらなかったのである。だというのに、私は自分で自分の言葉に傷ついた。頭を振り、そうではないと思い直す。
全ての原因は、彼女の心の中にあるのだ。
その原因を払しょくしなければ、こちらに目を向けさせることすらできない。
それだけではなく、もしも、ジェレミア・カスタルディという存在が彼女にとって雲の上の存在なのだとしたら、いきなり近づいたところで警戒されるのが落ちだと思った。
ここはやはり、まず知りあうことから始めてゆっくりと外堀を埋めていくしかないのだろう。
だが、どうやって知りあう?
ここは潔く、タチアナの手を借りるのも良いかもしれない。
つらつらと考えて行くと、興味は彼女の行動の動機に向かう。
なぜ、レディ・ロレーヌはあれほどまでかたくなに地味な装いをし、派手な振る舞いを一切しないのか。私を含めた美男子たちに興味を持ちながら、決して接触してはこないのは、つまり、自分が私に値しないと思うには、絶対に何か理由があるはずなのだ。
それが何なのか。それさえわかればやりようもあるのだがなと考えたところで疲労を感じた。
しばらく唸り、私は考えることを放棄した。
いずれは本人と話す機会も来る。その時に話してみれば良いことではないか。どうやら結婚を考えてはいるが、急いではいないらしいから、焦ることもあるまい。
今日は貴族の若者たちが集う集まりがある。
そろそろ支度を始めなければならなかった。
私は席を立ち、従僕を呼びつけた。
◆
会合のあと、同じ党に属する仲間たちに飲みに誘われたが、私は断り、招待されていた夜会へと向かった。
その際仲間たちに「あの堅物がついに女神を見つけた」だの「ついに愛人との密会を楽しめるようになったか」だのとからかわれたが、適当にあしらった。
それに、あながち的外れでもない。
知れば知るほど、彼女の存在が心の中で大きくなっていく。今の懸案事項はただひとつ。どうやって知りあいになるかだった。
いっそのこと、バルクール男爵夫人あたりが夜会を開いて招待してくれればと考えていたのだが、どうやらすでに開いているらしいことがわかった。
社交の季節がはじまってすぐの頃に一、二度、娘のロレーヌのために夜会と晩餐会を開いと聞いた。だが、それ以降は何もする気がないらしい。
まだ社交界に入りたてで、慣れない娘への気づかいなのか、単に面倒くさいのか、お金がないからなのか、他の理由があるのかはわからないが、残念なことに、私はその夜会や晩餐会には行かなかった。
招待状は来ていたと思う。だが、当初はただ面倒だったのだ。
それを後悔することになるとは、全く思っていなかった。
何はともあれ、向こうが開かないのではその手は使えない。いっそのこと、こちらが招けば良いのだろうが、すでにカスタルディ家でも何度か催しを開いており、母がもうわたしは何も主催しないという宣言を聞いてしまっている。
「……いっそのこと、見かけ次第率直に声を掛けてみるか」
会場を見渡しながら私は思わずぼやいた。
警戒される危険を冒してでも、彼女と話がしてみたい。欲求は時間を追うごとに強くなっていく。
心は決まっているのだ。
が、話をしてみないことには何も始まらない。私はいつものように、蜜色の髪を探すことからはじめることにした。