侯爵子息、認める
そんなバカな!
だが、否定する材料もまた見つからない。大体、恋愛感情とはどういうものなのかがまず不明だ。もちろん、私も肉体的な相性については理解している。だが、恋とは何なのか。
もし彼女が言うように、私がレディ・ロレーヌに恋したのだとしたら、どの辺りでそう感じたのか。
私は率直に聞いてみることにした。
「どうしてそう思ったんだ? 教えてくれないか、私にも良くわからないんだ」
「え、だって、ひとりの女性が他の男性と踊るのを見て、気に入らないと感じるのって、嫉妬以外考えられないじゃないの。嫉妬するということは、その相手のことが好きだからでしょ、違う?」
その通り。間違っていない。それでも、私はすぐにそれを受けいれることが出来なかった。そのため、結論については一旦保留にすることにした。
「なるほど、では少なくとも私は彼女に対して好意を持っていると言う訳か。それについては疑う余地もないな、私はレディ・ロレーヌに対して悪い感情は一切持っていないからね」
「それは何だか違う気もするけれど、まあいいわ。
けど、本当になぜあれほど地味なのかしらね。少しだけ近くで見て見たけれど、彼女、レディ・バルクールの娘さんなだけあって、作りは綺麗よ。着飾ればいいのに……不思議だわ」
タチアナが家族と話しているレディ・ロレーヌを見ながら言う。私は大きく頷いた。
「確かに、実は私もそう思っていたんだ。私の知る限り、バルクール男爵家はドレスを新調出来ないほど貧窮してはいないし、男爵や夫人もさほど贅沢ではないから、お金ではないだろう。もっと別の理由があるとしか思えない」
「そうだね。タチアナがあまり熱心に言うから僕も見てみたけれど、着飾れば一気に社交界の花になれると思うよ。だから、少し考えてみたんだけど、もしかしたら容姿について何かしら言われたことがあるのかもしれない」
ブルーノの言葉に、私は首を傾げた。そんな私に向け、彼は説明した。
「ようするに、子どもの頃に誰かにからかわれたのかもしれない。母親より、父親に似ていることから考えて、地味だの影が薄いだの言われたんじゃないかな。
子どもの頃のことでも、意外と傷として残っている場合もあるし」
「ああ、そういうことか。それは大いにあり得るな」
だとしたら、勿体ないことだ。私は心からそう思った。
だが、私はふと気づいた。もし彼女があのままでいれば、私たち以外に彼女がとても愛らしいことに気づく者はそうそういないはずだ。
私の気持ちに結論が出るまで、彼女には独身でいて貰わなくては困る。
彼女が地味なのはかえっていいことかもしれない。
「だろう? まあ、その辺りのことは家族なり当人に聞くしかないけどね。おや、音楽が変わったな、タチアナ、どうする。もう少し踊るかい?」
「ええ! この踊りは好きよ」
「じゃあジェレミア、失礼するよ。そうだな、ひとつだけ言っておくよ。レディ・ロレーヌに声を掛ける気があるなら、早めにかけた方がいい」
なぜそんなことを言うのかわからない、といった顔をした私に、彼は告げた。
「ここ数日見ている範囲では、彼女は帰るのが早い。それだけだよ」
ブルーノはじゃあと言って、タチアナをともなってホールの中央へと進み出て行った。壁際に残された私は、やはり彼らも彼女を観察していたのだなと思って苦笑した。
彼女が参加した集まりに長居しないことは私も知っている。だが、今日のところは声を掛けるつもりはなかった。遠くから様子を見られればいい。そう思い、いつものように彼女の姿を探す。
途端に、視線が突き刺さるのを感じた。これはレディ・ロレーヌのものではない。若い娘たちの集団だ。私はうんざりしながらも、踊りを申しこんで欲しそうな彼女たちの視線を避けながら、蜜色の髪を探したが、見当たらない。
もしかしたら、すでに帰り支度をしているのだろうか。
だとしたら残念だ。
私は嘆息して、帰ろうかと思った。誰とも踊る予定はない。誰と踊っても退屈なだけだ。強かで妖艶で、美しい淑女も、頭が空になるよう育てられた良家の可愛らしい令嬢も、貴族の地位が目当ての富裕層の娘も願い下げだ。
その本音を漏らしたら、お前は理想が高すぎると言われた。
打算や義務なしに、上流階級の結婚はあり得ない。そこから愛が生まれる場合もあるし、生まれない場合もある。だが、大切なことは、家の存続なのだ、そうたしなめられたことを思い出した。
私は、レディ・ロレーヌがいた辺りを振り返り、彼女もそうなのだろうかと答えの出ない問いを自分に向けてした。
その時、前を行く若い男の集団のなかに、先ほど彼女と踊っていた青年を見つけた。身なりの良い、貴族ではないが上流階級の若者らしい流行も取り入れた上質な服装をしている。
顔立ちは甘く、いかにも若い娘が騒ぎそうな感じだ。
彼らは少し酔っていて、気が大きくなっているのか大声で喋っている。こちらにまで聞こえてくるほどだ。私は、彼らの声に眉根を寄せた。
「そういえばお前、珍しく好みじゃない令嬢と踊っていたな。大金持ちなのか?」
「いいや、まあちゃんとした家柄の娘であることは確かだけど、大金持ちではないな」
「じゃあ何で踊ったんだ? 知り合いか?」
派手な服装に身を包んだ、いかにも良家のお坊ちゃんといった出で立ちの青年がしつこく問う。その近くにいる、どうやら軍属らしい青年たちも興味深そうに耳を傾ける。
問われた青年は、
「頼まれたのさ、僕が狙ってる令嬢の友人なんだが、誰も相手をしてくれないから、一曲だけでも踊ってやってくれないかってね」
とやや迷惑そうな顔で答えた。すると、隣の青年が彼の背中を叩いて笑った。
「そうか、そんなとこだと思ったよ。でなけりゃ、あんな冴えない地味な娘とわざわざ踊りたい奴なんかいないだろう。顔も普通だし、体つきも貧相でさ、ついでに頭の方もコレなんだろ」
派手な青年が頭の横で「バカ」と言う意味を現す仕草をして見せた。
それを見た若者たちが爆笑する。
これほど誰かを殴りたい、と思ったのは久しぶりのことだった。子ども時代のケンカで逆上して以来のことだった。
脳裏に、裏切るのはつらいと言った彼女の顔が浮かぶ。
あれほど優しいひとをつかまえてバカ呼ばわりするとは、余程目が曇っているのだろう。
もしも、レディ・ロレーヌがきちんとした服装をし、魅力を存分に発揮したら、彼らは今言ったことを後悔するに違いない。
そう思い、私はなぜそうまでして彼女の名誉が汚されたことに腹が立つのだろうと疑問に思った。
理由はすぐには思い当たらない。
だが、私には彼女が侮辱されることは耐えがたかった。彼女は、そのように言われて良いひとではない。それだけは確信している。
しかし、どうやって?
まずは友人として近づくのが一番だろう。
ならば、彼女の兄のクラウディオと親しくなるのが最もやりやすそうだ。だが、私は彼がどんな人物かも知らない。
そんな風に考えるうち、青年たちの声が遠ざかって行く。
彼らを視線だけで追う若い娘たち。その中に、レディ・ロレーヌの姿はない。
そのことに安堵していると、蜜色の髪が視界に引っかかった。すぐさまそちらを見やれば、彼女はこちらを見ているではないか。
いつもの、あの輝く瞳で。
胸に、奇妙な高揚感がわく。
彼女は踊っていた青年には目もくれず、私を見ている。称賛するような目で、嬉しそうに。彼女がなぜ私をそれほど見つめるのか、その理由はまだわかっていない。
けれど、私は嬉しかった。
彼女にそんな目で見られていることが。
――嫉妬するということは、その相手のことが好きだからでしょう?
タチアナのセリフが、ここへ来てすとんと胸に落ちた。
そうか……と私は苦い思いで認めた。どうやら、私はあの地味な令嬢に心惹かれているらしい。その考えは、覆しようのない事実として、私の中に染みついた。