侯爵子息、悩む
「何だって? 彼女の正体がわかった? でも、どうやったんだ」
「あまり褒められた手段ではなかったから、他言しないで欲しいな。実は、君たちが参加していなかった一昨日の夜会で、彼女を見かけたんだ。
その後でどこかへ向かう様子だったから、慎重に追いかけた」
私は訪問してきたブルーノとタチアナに向けて、一昨日の出来ごとと、その後の経過を説明した。
あれから、私は令嬢の名前だけを頼りに、記憶をたどったり、自分なりに推理してみたりしたのだ。結果、結論はすぐに出た。
ロレーヌという名前。蜜色の髪。社交界に来たばかりの娘であること。
それとなく母に彼女の特徴を訊ねてみたところ、あっさり答えが返ってきた。その令嬢の名前はレディ・ロレーヌ・バルクール。隣の領地を所有するバルクール男爵の娘だ。お前も何度か会っているはずだと言われたときは正直仰天した。
とにかくこの結果だけでも伝えようと、巻き込んだふたりを呼んだのである。
ひととおり聞き終えると、ブルーノは意味ありげな笑顔を浮かべる。
「そうだったのか、なるほど、確かに盗み聞きは褒められた手段じゃないね。けどまあ、一撃食らった後の彼女の顔は僕も見てみたかったよ」
「本当ね、すごく悔しいけど、仕方がないから想像して済ませておくわ。
それで? あなたはまだ気が済まないの?」
タチアナに問われ、私は少し唸った。
じろじろと眺められた不快さは、今ではすっかり消え失せていたのだ。だが、別の理由が出来てしまった。それはすなわち、彼女に興味を持ったということだ。
「そうだな、気が済まないというより、別の方面で興味がわいたんだ」
「へえ、あれほど若い女性を嫌がっていた君が?」
心から面白そうな顔をしたブルーノに、私は渋面を向けた。
「私だって女性は好きさ。嫌なのは結婚を押しつけられることだ、彼女たちにとってそれが重要なことは理解しているが、強制されるのは嫌だし、そのために彼女たちがしていることはもっと嫌なんだ。
だが、ロレーヌ嬢はどうも、そういった人々とは少し違っていた」
言いながら、私はブルーノの顔がもっと楽しそうになったのを見た。彼だけではない。タチアナまで顔を輝かせているではないか。
「読めたわよ、つまり、貴方が探していた結婚相手としてふさわしいかもしれない令嬢が現れたということなのね?」
「現れたんじゃない、可能性がありそうだということだ」
訂正すると、タチアナは肩をすくめた。それを見てから、今度はブルーノが口を開く。
「可能性がありそうだということは、もっと彼女を知りたいと思った訳か。じゃあ、もしロレーヌ嬢が君の理想に適ったらどうするつもりだい?」
「もちろん、求婚しようと思っている。だが、それはまだ先の話だ。彼女がもし、私の捜していたような女性だったならそうする、しかし、そうではない可能性もあるからな」
「そう。じゃあもし彼女について何かわかったことがあれば報告するわね」
タチアナの言葉に、私は少し戸惑った。こんなくだらないことに巻き込んだだけでも申し訳ないと感じているのに、これ以上は頼めない気がしたのだ。
「それは助かるが、しかし……」
「いいのよ。それにね、貴方の思う通りのひとなら、きっとわたしたちのいい友人になるわ。わたし、あまり女性の友人がいないの……理由はわかっているけど、ちょっとだけ期待させて?」
「そういう訳だ。何、別に大したことじゃないさ。誰かとの会話の中で聞いてみたり、それとなく聞き耳を立てたりするだけのことだからね」
そう言われてしまっては断れない。私はタチアナとブルーノに心から感謝した。
「君たちを友人に持てて、私は幸せだよ。ありがとう」
「いいえ、でも、今持っている情報からだと、その方結構地味らしいわね。どうしてなのかしら? お母様がレディ・バルクールなら、きっとそれなりに着飾れば見栄えするはずなのに」
「そうだね。兄のクラウディオは母親ゆずりの整った顔立ちだったから、とても良く覚えている。彼と同時に会っているはずだから、僕もタチアナも見たことはあるはずなんだ」
不思議そうに首をひねるブルーノ。
彼の言いたいことはわかる。
「そうか、当主のバルクール男爵に似ているのかもしれないぞ。彼は確か、薄い顔で印象に残りにくい人物だったから、きっとそうだ。けど、待てよ。ジェレミア、君の好みはもっと華やかな感じじゃなかったか? 彼女は清楚そうだが、華やかではないだろう」
「……以前は、そうだったな」
私は、ブルーノと知り合うきっかけとなった寄宿学校時代を思い返す。あの頃は子どもで、大人びた色気のある女性に気を引かれた。だが、その後の様々な経験が私の考えを変えたのだ。
姉や、ダリオや、友人たち。
幸せそうに結婚したあと、不幸そうな顔で浮気にふける人々。
つかの間の幸せに身をひたして、自分の現状を忘れようとしているように私には見えた。心の底から、ああなりたくないという恐怖を感じたものだ。
「だが、今は違うよ。それに、結婚するということは、お互いが家の存続のために義務を負うことになる。私だって人間だ、同志となる女性に対して優しくしたいと思っているさ。だが、こちらがいくら努力しても、それに敬意を払えない女性だけは心からお断りだ」
「確かにね、それには同意するよ。
ただ、案外好みというのは後になって効いてくるかもしれないから、いい加減にしない方がいいと僕は言いたかったんだ」
ブルーノの言葉に、私は微かな苛立ちを覚えた。
彼は言外に、レディ・ロレーヌは美人ではないのではないかと言っているのだ。私は嘆息して、観察した際の彼女を思い返す。どれひとつして、今の時点では不快になるものはなかった。
いや、むしろ触れてみたい、声を掛けて、様々な反応を見てみたいと思ったのだ。
「そうだな。その点については全く問題ない。少しの間だったが、こっちからも凝視してやったからな。あまりに醜いなら目を反らしただろうが、彼女は清潔感があって、すらりとした、中々の娘だったよ。絶世の美女でないことは確かだが、綺麗な顔をしていた。着飾らせたら化けそうだ」
「ふぅん、なるほどなるほど。いや、これはとんだお節介だったようだ」
ブルーノは含み笑いをしながら、自分の妻と目を合わせた。タチアナは理解した様子で、目を細めて楽しそうに私を見てくる。
一体何なんだ。何が言いたい?
言いたいことがあるならはっきり言えばいいだろうと思ったが、言わなかった。何を言われるのか、一瞬で想像がついたからだ。
内心、馬鹿馬鹿しいと思う。
人の心や考えは、そんなに簡単に変わらないものだと思うからだ。
「それならわたしもじっくり観察してみようかしら。楽しみね、あら嫌だ、こんな時間だわ」
「本当だ。ずいぶん長居をしてしまったようだ。じゃあジェレミア、またどこかの舞踏会なり夜会で会おう。何かわかれば書いて送るよ」
「ああ、そうだな、来てくれて嬉しかったよ」
気にするな、と返してブルーノとタチアナは辞して行った。
客間に残された私は、冷めた茶を手に取り、ひと口すする。最後に、彼らの言いたかっただろうことをひとり呟いてみる。
「きっと、ブルーノはこう言うだろうな『おいおい、ジェレミア、そんな簡単なこともわからないのか。君は恋をしているのさ、間違いないよ』とな」
私はわざと彼に似せて、穏やかだが面白がっているような口調で言った。
そんなはずはない。
しっかりと顔を見たのはたった一回だけなのだ。人となりも知らない。いや、少しは知っているか。彼女は、あの場の空気を変えさせ、かつ自己主張もきちんとした。
その内容は、場の空気を一変させた手腕よりも、遥かに評価に値する。
裏切ることがつらいと言った彼女の声は、決然としていたから。そうだ。あれに感動したのだ。だから、褒めたくて仕方がなかっただけだ。
私は自分にそう言い聞かせてから立ち上がり、部屋を出た。
今はとにかく、彼女を知ることだ。手始めに、彼女の周囲にいる人間について知る。それには、何かの集まりに行くのが一番いい。私は寝室へ向かうと、支度をするために使用人を呼びつけた。