侯爵子息、回想する
そういった内容のことを言われたことならある。
私とて、女性に称賛の目で見られて嬉しくない訳がない。
ひとりの男として、女性の注意を引ける外見を持っていることは嬉しいことだ。とは言っても、容姿のせいで苦労してきた姉を見ているだけに、良いことばかりでないことは知っていた。
だから、そうして見てくる女性に対して、警戒心のようなものを抱いてしまう。見てくる人物が裏で何を考えているかを見つめようとしてしまうのだ。
そのため、素直には喜べない。喜べないものの、礼節くらいはわきまえているから、見られたくらいではここまで苛立つことはない。
だが、全ての物事には程度というものがある。その令嬢は、こちらに穴でも開けるつもりかと怒りたくなるほど見てくるのだ。だというのに、自分は見られたくないというのか。恥ずかしいからだと言われても、どうにもすっきりしない。
私は心の中の思いを吐き出すように言った。
「見られたくないのなら、見なければいいだろう。顔が綺麗なだけでいちいち気絶されていたらたまったものじゃない」
「まあね。でもまあ、実際に気絶された経験を持つ身としては、ちょっと嬉しくもある」
「そうか、結婚して頭に花が咲いたんだな。いや、確か君の妻はそこにいたのか」
「そう。それで知り合えたんだよ、僕としては彼女たちに感謝しなければならないほどさ」
詳しいことはわからないが、ここ二、三年で社交界で流行っているものがあった。
「応援する会」と名付けられたそれは、特に見目麗しい上流階級の令息令嬢や活躍した王国軍の将官に対し、その人物を好きな者が集まった勝手に後援するという謎の行動をとる集団である。
もちろん、私やブルーノにもそれは存在し、誕生日ともなると贈り物の山を築き、政治的に何か発言すれば素適だと騒ぎ立てる。有り難いような迷惑なような集団だ。
いつ頃発生したかは定かではない。
それでも、それがブルーノの幸せに役だったのは確かなことだった。
「ねえ、ジェレミア……君がそこまでかたくななのは、やっぱりダリオのことを引きずっているからなのかい? 他に、そこまで若い女性とその母親を嫌悪する理由がない」
「それはもちろんだ。だが、彼のことだけが原因じゃないさ」
私はぼやいて、酒をひと口含む。
熱くて濃い、とろりとした液体が、静かに舌の上にひろがり、やがて苦さと甘さをともなって胃に落ち込んで行く。その焼けるような感触。
あの時の感情はこれに近いものだった。
「そうか。何だか話がそれてしまったね、とりあえず、そのやたらと見てくる令嬢は君に何も言ってこないんだから、気にしなくてもいいと思うよ」
「いや、気になる。どんな奴なのか知りたい、こちらばかり見られるのはやはり気に食わない」
私が言うと、ブルーノは肩をすくめて息をつきつつも、楽しそうに笑んだ。
「いつもどこか冷めてた君がそんなに感情的になるなんて、珍しいな。僕も見てみたくなったよ。それじゃあこうしようか、僕とタチアナの目も君に貸そう。これから参加する催しがあれば教えてくれ、タチアナと一緒に参加して、探すのを手伝ってあげるよ」
「なるほど、目がふたつより六つあった方が探しやすいからな。
それじゃあ頼むよ」
私はそう言って、彼に招待状の束を見せた。すると、やや顔を引きつらせながらも自分たちが参加する予定の物を抜き出してくれた。
それを受け取り、絶対に見つけようと誓った後、ブルーノは帰って行った。
私は、ふと彼に言われたことを思い出していた。
ダリオ。
彼は貴族階級以外で初めて出来た友人だった。たまたま、私が手を出していた事業に彼も一枚噛みたいと名乗りを上げたことがきっかけだ。
それは上手く行っていた。彼がある貧しい令嬢と婚約するまでは――。
脳裏に、あの寒い日の光景がよみがえった。
◆
大聖堂でしめやかに行われた葬儀。
参列者は多く、彼の人柄を如実にあらわしていた。誰とでも仲良くなれた彼は、階級に関わらず人と接する珍しい人間だった。彼を嫌う人など、滅多にいなかった。
だが、彼は死んだ。
あっけなく。
最初、本当に死んでいるのかわからなかった。けれど、そのまぶたが開くことはもう二度とない。こちらの体温まで奪い去りそうな、冷たい皮膚。
触れたことで、彼の死が現実のことなのだ、と胸にすとんと落ちた。
目の前で、まぶたを閉じたままの友人を見ながら、思った。もし、愛のある結婚があったとしても、そんなものを手に出来るのは、ごく一部の幸運なひとびとだけだろうと。
そうでなければ、目の前の朴訥な青年が哀れだ。
彼のまぶたが開くことは、もう決してない。その肌が温もりを帯びることもない。彼が夢見た世界は、彼の愛情によって破壊されたのだから。
私は静かに彼に花を手向けると、棺に背を向けた。
荘厳な鎮魂歌が流れる聖堂内には、黒い服に身を包んだひとびとが顔を曇らせて、その音色に聞き入りながら、時折鼻をすすったり、嗚咽をこらえたりしていた。
いたたまれなくなり、聖堂内から出る。
外にもちらほらと人影はあったが、吹きすさぶ寒風にわざわざあたりにくるものは少なく、出て来てもすぐに聖堂に戻っていく。だが、私は風に吹かれたまま、しばらく空を眺めていた。
もう少しすれば、また社交の季節だ。
国王陛下にご挨拶し、貴族たちと親睦を深める季節。
陛下への挨拶と宮廷の人々を観察するのは楽しみだ。時には、末席で晩餐会に加えられることもある。だが、親睦を深める方には興味がなかった。私にとって王都は、議会員と議論を戦わせる場でしかない。政治に参加するのは崇高な義務だし、この国の支えとなっていると思えば誇らしい。
しかし、連日催されるパーティと、娘の結婚相手を探す連中や、酒や賭けごとに溺れる者にはうんざりだった。と言っても、カスタルディ家の跡取りである手前、全ての誘いを断る訳にはいかない。
「君は馬鹿だよ……ダリオ。私は最初からあんな女は信じるべきじゃないと言ったろうが」
まるで、友が空にいるかのように語りかけてから、私は再び葬儀の列に参加するために聖堂へと戻った。私にとって、初めて出来た貴族階級以外の友人、ダリオはその日、聖堂の敷地内に葬られ、冷たい土の下で永遠の眠りについた。
◆
母に招待状の束を持って行くと、彼女は目を丸くした。
「まあ、どういう風の吹きまわし? あれほど嫌がっていたのに」
「先ほどブルーノが訪ねて来ましてね、彼と行くならまあ我慢出来るかと思って、出る予定のものを聞いておいたんです。これで酒に逃げなくても済みそうですよ」
「そう、でも結婚したばかりなのでしょう。あまり邪魔しちゃだめよ」
手にしていた刺繍を置いて、私の差し出した束を見ながら母は言った。
「わかっています。それに、目的も出来ましたからね」
「あら、それは良いことね。もしかして、お目当ての方でも見つけたのかしら?」
「似たようなものですが、違います。とりあえず、これだけ出れば満足でしょう、その束の催しが終わったら、私は領地に戻りますよ」
きっぱりと告げると、母は仕方ないとでも言いたげに笑った。
「気持はわかるけど、まだ始まったばかりなのに」
「下らない集まりに参加して時間をつぶすくらいなら、領地で農民の手伝いをしていた方がずっとましですよ。それじゃあ、そういうことで」
私は返事を待たずに、部屋を後にした。
これ以上母の近くにいて、また言い含められては困る。正論では彼女にかなう気がしない。それに、予定の中には今夜開催のものもあった。
酒を抜いておきたかった。
何にしても、目的が出来たのは良かった。私は心の中で、その令嬢に向けて「そういつまでも隠れていられると思うなよ」と宣戦布告した。
私に注いだのと同じくらい視線を注ぎ、居心地が悪いというのはどういうものか教えてやる。
狼狽するだろうその令嬢の、ぼんやりした姿を思い返し、私は小さく笑った。