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お披露目のとき

 ホールへ足を踏み入れると、ざわり、とした喧騒に包まれる。


 ジェレミアが現れたことで、こちらへたくさんの視線が向けられた。肌がぴりぴりして、胃が重い。お願いだからそんなに見ないで、というわたしの心の叫びなど届く訳もなく、ひそひそと交わされる会話が耳に入ってくる。


「あの方、誰かしら? どこかで見たような気がするのだけど」

「そうね。それにしてもお綺麗な方ね……もしかして、侯爵夫人が仰っていた重大発表ってあの方に関係する事かしら」

「そうかもしれないわ。それにしても、お似合いね」


 ほう、というため息が聞こえる。

 こちらを見るのは女性ばかりではない。男性もだ。


「おい、ジェレミア卿の隣にいるひとは誰だ? 最近ここへ来たのか?」

「いや、知らないが、今日は客の出入りが激しいからそういうこともあるかもしれない。それにしても、美人だな……」

「ああ、あんな美人なら一度は踊ってみたいものだが」


 美人? お綺麗? お似合い? 踊りたい?

 自分とは無縁どころか針の先ほども言われる可能性なんかない言葉さ。ははは、言われたら冗談か、言った人の正気を疑うぜ、それかタチの悪い嫌がらせだろうさ。

 もしそれ以外で言った奴がいたとしたら、きっと目が腐ってるんだ。可哀想な話さ。病気なんだよ、自分に出来ることはせいぜい、医者を紹介してやることくらいだな。


 そう言うと、手に持ったグラスの中で氷がカラリと音を立てる。

 哀愁に満ちた表情を浮かべたそのひとの前では、マスターがただ淡々とグラスを磨き、客が置き去りにしていったたばこが、灰皿のなかで儚く崩れ、燃え尽きる音が静かに響いた……。


 などと脳内で変な空想を展開してしまうほどありえない言葉群が次々と羅列されていく。


 わたしは信じられない思いで足を動かしながら、家族の姿を探した。家族なら率直な意見を聞けるはず、と思ってのことだ。

 やがて、わたしより先にジェレミアが母を見つけた。

 

 母はこちらに気づくと、すぐに歩み寄って来る。今夜の母は舞踏会用の華やかなドレス姿で、恐ろしいほど美しい。その隣には正装した兄が佇んでいる。

 招かれた紳士淑女の注目の的であり、ふたりが近づくことで、より視線がこちらへ集中する。

 わたしは思わず身を縮めてしまった。


「まあ! ジェレミア卿、素晴らしい舞踏会ですわね。お招き頂けて光栄ですわ」

「いいえ、こちらこそお越しいただけて嬉しいですよ。お楽しみ頂けていれば良いのですが」

「もちろんですよ。これほどの舞踏会は中々出来るものじゃありません」

「いえ、取り仕切っているのは母ですから」


 母と兄はまずジェレミアに挨拶した後で、わたしを見た。同時に、兄もこちらを見る。


「まあ、ロレーヌ、すごく綺麗よ。楽しみにしてきた甲斐があったわ。道理でさっきからうわさされている訳ね。きっとわたしたちが親子だってことに気づいている方もいるでしょう」

「そ、そうなのかな、本当を言うと信じられないの。だって、ずっとそんなうわさとは無縁の場所にいたんだもの」


 家族なら率直な意見を言ってくれるだろうと思っていたのだが、予想に反してほめ言葉の連発だ。


「何を言ってるんだ。今日のお前は綺麗だよ、ねえ、ジェレミア卿」

「ええ、まあ、着飾っていなくてもロレーヌは可愛いと思いますけどね」


 ジェレミアは兄のセリフを受けて言う。すると、母と兄は何やら意味ありげな視線を向けてくる。


「あらあら、愛されちゃってるわね。それが見られただけでも来た甲斐があるというものよ。ほら、他の方々にもご挨拶するのでしょう? わたしたちとは後でゆっくり話せばいいんだから、行ってきなさい」


 母はわたしの背中を押して、他の客たちの方へ行くように言う。本当はもう少しこうしていたいのだが、今日は婚約発表の日なので、そうもいかない。名残惜しい気分でわたしはうなずいた。


「え、あ、うん……じゃあまた後で」

「それでは失礼します」 


 ジェレミアは会釈して、きびすを返す。

 すると、前方に佇んでいたある令嬢と目が合った。彼女はわたしの隣を見てから、再びこちらを見る。元々青ざめていた顔が、驚愕に引きつるのがわかった。

 彼女はしばらく食い入るようにわたしを見て、唇を強く引き結ぶ。


 その令嬢にはには見覚えがあった。様々な催しに招かれた際、ジェレミアをじっと見つめていたからだ。わたし以外にも似たようなことをしているひとがいるんだな、と思ったので、良く覚えている。

 彼女の表情は、まさに恋する乙女のそれだった。


 そこまで思い出し、もしや、と思って目を見開く。

 そんなわたしの心を読んだように、ジェレミアがそっと耳打ちしてきた。


「彼女が、君を陥れるようにカルデラーラ卿に頼んだ令嬢だ」

「そう……可愛らしい方ね」


 静かに言うと、わたしは真っすぐにその令嬢を見て、微笑みながら会釈した。令嬢はわたしから目をそらすと、ややふらつく。

 彼女の周囲には似た年頃の令嬢がたくさんいた。

 恐らく、彼女たちもジェレミア狙いでここを訪れた令嬢たちなのだろう。彼女たちは、慌ててふらついた令嬢を支えて、こちらを見るが、気遅れしたようにわたしを見たらすぐに目を反らしてしまった。


 やがて、何とか立ち直ったその令嬢は、意を決したようにこちらへ歩み寄って来る。わたしは立ち止まり、彼女が何を言うのか待った。

 彼女は唇をわななかせて、何か言おうと口を開くが、中々言葉にならないようだ。


 その様子に、わたしは自分の中にわきあがった、仕返ししてやりたいという気持ちがしぼんで行くのを感じた。ドロテアの言った通りだ。


 彼女はもう十分、わたしにしたことの報いを受けている。

 例え、彼女のもくろみが上手く行き、わたしを傷ものにすることが成功していたとしても、ジェレミアの気持ちが彼女に向くことは決してない。やや潔癖なところがあるジェレミアが、誰かを陥れて、欲しいものを手にしようとするような人物を好きになることは決してない。

 それを知っているだけに、彼女の全てが滑稽に見えて、悲しみをおぼえる。


 だが、そんなわたしの心の内など露知らず、傲岸に顔をあげた令嬢は、瞳に憎悪を込めて言った。


「初めまして、レディ・ロレーヌ。……これほどお美しい方だとは思っても見ませんでしたわ。でも、わたくしは自分のしたことは後悔してませんし、思いを諦めたりはしませんから」

「まあ、褒めて下さって嬉しいわ。でも、わたしには貴女にそのようなことを言われる心当たりがありません、ごめんなさいね」


 わたしが言えば、令嬢は屈辱に満ちた顔をした。


「そう、それならそれでも構いませんわ。余程ご自分に自信がおありなのね、でも、それがいつまで続くかしら。どこで何が起こるかなんて、誰にもわかりませんものね」

「ええ、その通りね。でも、わたしには自信なんてありません。ただ、わかっているのは、汚れた心のままでは、どんなに愛らしい容姿をなさっていても、素敵な殿方に愛してもらえることは決してないだろうということだけです。わたし自身の経験として、心からそう思っています」


 言葉通り、彼女が変わってくれることを願ってわたしは言った。


「……っ! 貴女がわたくしの何を知っていると言うの。それに、わたくしたちの階級の人間にとって、愛は結婚には関係ありませんわ。そうでしょう、ジェレミア様」


 彼女は、救いを求めるようにジェレミアを見る。


 だが、訴えるように見てくる令嬢に対し、彼は心まで凍りつかせた上で叩き壊すような冷たい眼差しを向けただけだった。軽蔑までをも含んだ、無表情。わたしでも彼の目の冷たさにぞっとしたほどだった。


 令嬢は完全に声を失ってしまった。

 彼は、彼女の質問に一言も答えることなく告げた。


「失礼、他の客人を待たせているのでね」


 それから、きびすを返して、別の方向へ向かう。視界から彼女が消えさる直前に見た顔は、絶望に満ちていた。いくらなんでも冷たすぎるのではと思った。

 腰に手を添えられたままのわたしは、小さな声で言った。


「もう少し柔らかい態度でも良かったと思うわ」


 すると、彼は心外そうな顔をした。


「君は優しいな、自分を傷ものにして人生を台無しにしようとした輩にまであんなに優しい言葉をかけてやるとは。まあ、そんな君だからこそ、結婚したいと思ったんだが」

「優しくはなかったと思うわ。それに、彼女は貴方のことが好きだったのよ、心から」

「私から婚約者を奪おうとした報いさ。これでもまだ何かしてくるようなら、今度こそ警察に事と次第を告げるつもりだ。もうあんな思いはしたくない」


 ジェレミアは忌々しげに言った。腰に添えられた手に力がこもる。わたしは、これ以上は何を言っても平行線だろうと思ったので、それ以上何も言わなかった。


 やがて、遠くに夫人の姿が見えてきた。ジェレミアは「母のところへ行くよ」と告げ、わたしもうなずく。夫人は地元の名士らしき人たちと何か話していたが、ジェレミアとわたしに気づくと、会釈して手を二回打ち鳴らした。


「皆さん、実は今日、とても喜ばしいお知らせがあります。息子のジェレミアと、バルクール男爵家のレディ・ロレーヌが正式に婚約いたしました。どうぞ、一緒にお祝い頂ければ嬉しいわ」


 一瞬、場を静寂が包んだ。だが、すぐに歓声がわく。酒杯を手にしているものは杯を高く掲げ、祝いの言葉を叫んでいる。同時に、少なからぬ令嬢とその母親が悲鳴を上げたのも聞こえた気がした。

 


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