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あたたかな安心感

 地鳴りを上げて走って来て、勢い良く扉を開いたおばは、ドロテアの姿を見つけるなり凄まじい勢いで抱きついた。


「ああ、無事で良かった。ロレーヌもいないし、何かあったんじゃないかと思って心配したのよ!」

「大丈夫よお母様。全てに決着がついたの……わたしの悩みも解決したわ、ねえ、紹介させて、彼がわたしの愛しいひとよ」


 ドロテアはそう言って、アウレリオを示した。おばは涙と鼻水でちょっと悲惨な状態になった顔で、アウレリオを睨みつけ、地獄の底から響いてくるような声音で言った。


「貴方が……ドロテアをたぶらかした男なのね」

「ご、誤解です! 僕はきちんと手順を踏んで事を運ぶつもりだったのですが、事情があって、お願いです、話を聞いて下さい」

「いいでしょう。ただし、納得させられなければ夫を脅してでも結婚させませんよ」

「……は、はい」


 アウレリオののどがごくりと鳴った。その側で「お母様、彼はそんなんじゃないったら」とドロテアが慌ててとりなしていた。わたしはその光景を微笑ましく眺めながら、おばと共に入って来たひとに目を向けた。

 そこに佇んでいたのは、カスタルディ侯爵夫人だった。夫人は色白の肌をさらに青ざめさせていたが、意を決したようにこちらへ歩み寄ると、そっとわたしの手に触れた。


「夫と息子から話は聞いているわ……ねえ、何があったの? 客人たちも突然上がった悲鳴に驚いていらっしゃるのよ」

「私が説明します」


 ジェレミアはそう言うと、事の次第を丁寧に語った。全て聞き終えた夫人は、疲れたように肩を落とすと、まずわたしを見て笑いかけてくれた。


「災難だったわね。女の嫉妬はいつの時代も恐ろしいものだけど、怖かったでしょう? 全く、わたしの将来の義娘にひどいことをしてくれたわね」


 いたわりにあふれた夫人の言葉に、わたしは驚いた。同時に、真っ先に挨拶しに行かなければならなかったのに、色々と立てこんでいたせいで行きそびれていたことを思い出す。

 もちろん、時間が全くなかった訳ではない。心の底で、自分を否定されたくないという思いから避けてしまっていた部分もある。だが、侯爵夫人は穏やかな眼差しでわたしを見てくれている。嬉しさがこみあげて、胸がじんわりと温かくなった。


「でももう大丈夫よ、そうなんでしょう?」

「ええ。それに、今後はこういうことがないように気をつけますから」


 ジェレミアは母親に頷いて見せた。わたしは、のどがつまり、中々喋れなかったが、何とか声をだそうと努力した。


「あ、あの……わたし……ご挨拶が、遅れて」

「あら、いいのよ。わたしも忙しかったし、ジェレミアが連れまわしていたことは知っているから、このハウスパーティが終わったらゆっくり、と思っていたの。

 それに、夫とこの子のことは信じていますから」

「あ、ありがとうございます」


 何とかお礼を言うと、侯爵夫人――レディ・ナタリアは「気にしないの」と言ってくれた。


「それより、大変だったろうから、ゆっくりお休みなさい。わたしはこのことを夫と客人に説明してくるから、それで、あなたはどうするの?」

「私はもう少しロレーヌについていようと思います」

「そう。それじゃあね、舞踏会には回復することを祈っているわ」


 ナタリアはそう言うと、わたしにほほ笑んでから部屋を立ち去る。室内には、くだくだと説明を続けるアウレリオの声ばかりが響いている。それをぼんやりと聞いていると、不意に体が浮いた。

 思わず小さな悲鳴がもれる。

 何ごとかと思って目を見開くと、今までにない至近距離にジェレミアの顔があった。


 恐る恐る下を見て、わたしは事態を把握した。これはいわゆる「お姫様だっこ」というやつだ。わたしは頼りない浮遊感に、とっさに彼の肩に手をかけて、困惑しながら言った。


「あ、あの、重いでしょう? ……歩けますから」

「別に重くない。アウレリオ、私たちは先に退散する」

「え、ああ……今日は済まなかったね。レディ・ロレーヌも、本当に申し訳ない」


 おばの鋭い眼光に冷や汗をかきつつ説明していたアウレリオは、ジェレミアの声にこちらを向き、気遣わしげにわたしを見た。

 彼の隣では、ドロテアが口を開けたまま、嬉しそうににやにやしながらわたしを見ている。彼女の言いたい事はわかっているが、正直やめて欲しい。恥ずかしくてたまらないのに、そんなににやつかれたら追い打ちだ。


「いいえ、おばの説得、大変でしょうけど頑張って下さい」

「ありがとう」

「ごゆっくり~」


 最後のセリフを言ったのはドロテアだ。わたしは怒ろうとしたが、その前にジェレミアによって部屋の外に連れ出される。廊下に人影はなかった。おそらく、侯爵夫人が連れて行ってくれたのだろう。

 わたしは恥ずかしすぎる体勢で運ばれながら、ジェレミアが向かっている場所が、自分とドロテアに与えられた部屋ではないことに気づいた。


「ジェレミア様……わたしたちの部屋に行くんじゃないんですか?」

「ああ、私の寝室に行くんだ」

「……!」


 それは流石に不味いのでは、そう思ってぎょっとした顔をしていると、ジェレミアは低い声でおかしそうに笑う。


「別に何かしたりしない……近くで休んで欲しいだけだ。心配なんだよ、今日だけでなく、君には他の客より長く滞在して欲しいと思っているんだ。

 家に帰るのは、もう少し後にしてくれないだろうか?」

「それは、明日来るだろう母と兄に相談した後なら構いませんけど……」

「なら、そうしよう」


 肯定の返事の後は、わたしも何も聞かなかった。ここへ来て、疲れが出て来たのか、眠くなってきたからだ。けれど、わたしは彼にどうしても言いたい事があった。

 だが、こんな状態ではきちんと言える気がしない。


 やがて、ジェレミアの寝室へと辿りつく。扉を開けて中に入ると、男性らしい色彩に包まれた部屋が目に入る。やや重苦しく見えなくもないが、青を多く使った部屋は、彼に合うと思った。

 ジェレミアは、わたしを寝台へと運ぶと、横にして訊ねてきた。


「何か欲しいものはあるか?」

 

 言いながら、頭を撫でられたわたしはくすぐったい思いで目を閉じる。少し不安げな声が、ひどく心地良くて、心がゆったりと安らぐのを感じた。


「いえ、……あの、今日は助けに来てくれて嬉しかったです、ありがとうございます」

「いい。それよりちゃんと休め、明日は客人の注目を浴びることになるだろうから、きっと疲れる」

「はい。おやすみなさい」

「おやすみ」


 静かに交わされた声の後、わたしは目を閉じた。

 やはり疲れていたのか、すぐに眠りが訪れ、そういえばわたしに寝台を開けてしまった彼はどこで眠るのだろう、と夢うつつに考えたが、それもすぐに眠りの海に飲み込まれて消えた。


 その答えは、翌朝すぐに明らかになる。



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