わたしは貴方を愛してる
「うわっ」
「チィッ!」
渾身の蹴りをかわされたわたしは思わず舌打ちした。
これが炸裂していれば、事態は一気に解決したはずなのにと思うと悔しくてたまらない。男性、しかも軍人相手に意表をつけるのは一回こっきりだというのに。
それを見たドロテアはようやく叫ぶのをやめる。
わたしと目が合った彼女は、涙目で問うてきた。
「ねえ、何、何が起こっているの……それに、そのひと……」
「こいつはカルデラーラ卿じゃないわ、その弟よ。貴女が見たのもこいつよ、誰かに頼まれてわたしを監禁しようとしてるの」
「何ですって!」
ドロテアは慌てて体を起こした。しかし、彼女は足まで縛られており、そのままころりと床に転がる。しかし、ドロテアは唇を引き結ぶと、そのまま這いずりながら扉へ向かいはじめた。
「あ、待て! ……くそ、やはり君の足も縛っておくべきだったか」
「その通りね、イケメン観賞が趣味なわたしに、甘い顔で言葉攻撃なんかしても効かないわよ。結婚ちらつかせられたくらいで騙されるもんですかっ!」
「いや、それは本気で言ってたんだが」
わたしはドロテアを止めようとする彼の前に立ちはだかり、その綺麗な顔を睨みつけた。つい観賞したくなるが、今は我慢だ。と言うか、どうせ観賞するなら兄の方の顔をたっぷりと拝みたい。そのためにも今は戦うのみだ。
しかし、彼はドロテアには頓着せずに、わたしの腕をつかむと自分の身体に引き寄せた。腕が自由にならない上、瞬発力に欠けるわたしはあっさり捕まる。
「仕方ない、実力行使に出たくはなかったが」
「え、え?」
足もとがふわり、と浮いたと思うと、再びソファに横たえられたわたしは、彼の手が自分のスカートにかかっているのを見て叫んだ。
「ちょっと、何するのよ!」
「足を縛るだけだ。こうなったら、駆け落ちに見せかけるしかないだろう」
「嫌! やめて!」
必死に暴れるが、やはり力ではどうにもならない。両足にロープがかけられるのを眺めながら、わたしは自分の非力さが悔しくてたまらなかった。
このまま、彼に連れ去られてしまうのだろうか。そんなことになるくらいなら、死んだ方がましだ。
そんなわたしを、ドロテアが必死に助けようとして叫ぶ。
「待っててロレーヌ、今助けを呼びに……」
が、言葉は最後まで言われることはなく、凄まじい勢いで扉が開いたと思った次の瞬間、わたしを押さえていた彼が殴り飛ばされて床に転がった。
うめき声が聞こえ、わたしは早鐘を打つ心臓をなだめるように顔を上げる。
月光の明かりの中、怒りに燃えたジェレミアが立っていた。
ジェレミアは、そのまま倒れた彼にのしかかると、顔面を何度も何度も殴りつける。何度も何度も痛そうな音がし、わたしは慌てて言った。
「も、もうやめて、もういいから!」
それでもやめないジェレミアに、縛られた手を伸ばして服を引っ張る。そこまでして、彼はようやく殴るのをやめてわたしを見ると、悲痛な顔で強く抱擁してきた。
かなり強く抱きしめられ、わたしは息がとまりそうになる。
耳元で、大きな嘆息とともにジェレミアが言った。
「無事で良かった……」
心から紡がれたその言葉に、わたしの胸は勝手に高鳴る。
締め付けられるほどの腕の力が、苦しくて、同時に気が触れそうなほど嬉しかった。
「今日はまだお休みを言えていなかったから、部屋を訪ねたんだ。だが、君はいないし、レディ・ドロテアもいない。だから、何かあったのだろうかと思って、途中で行きあったカルデラーラ卿と一緒に、屋敷中を探していたんだ」
「ありがとう、ございます」
つぶやいてすぐに、体が震えだす。
何としてでもここから逃げ出すと決めていた時にはこんな風にならなかったのだが、やはり怖かったのだなとわたしは思った。
目頭が熱くなり、もう安全だとわかっているのに涙があふれ、嗚咽がこみ上げる。
「怖かっただろう、見つけるのが遅くなってすまなかった」
わたしは温かな声に、我慢ができなくなり、彼にしがみついてしばらく泣いた。
その間、ジェレミアはずっと背中を撫でながら、謝ったり、大丈夫だと言ってくれて、わたしはどうしようもなく嬉しくてたまらなかった。
やはり、わたしはジェレミアを愛しているのだ。
こうなって見て、心から痛感した。
嘘をつけずに相手を傷つけてしまうところも、どこまでも真っ直ぐなところも、美しい姿も、もちろん全てではないが、側にいたい、彼の役に立てればもっと嬉しい。
何より、このひと以外に自分に触れられたくないと強く感じたのだ。
床に転がされている彼に触れられた時の、あのぞっとするような感覚。あんなものはもう二度と味わいたくない。
同時に、そこまで思えるひとに、自分の気持ちを打ち明けもしないまま、一緒にいても良いのだろうかという気持ちになった。こうやって、心配して探しに来てくれるほどのひとに、わたしは本音を言っていない。このままでは良くない、そう感じた。
それなら、ちゃんと言おう。
愛が返されなくても、愛したっていいのだから。
わたしはそう決めて、波立った感情が凪ぐのを待った。
やがて嗚咽がおさまってくると、部屋にいるもう一人に気がつく。
涙で濡れて視界がぼやけた目に映ったのはアウレリオだった。彼はすでにドロテアの縄をほどき、その縄を使って弟を縛り上げているところだった。
わたしが見ていることに気づくと、彼は申し訳なさそうな顔をした。
「レディ・ロレーヌ……愚弟が申し訳ないことをした。話は、隣に潜んでいた令嬢に聞いたよ」
「そうか、それで、こいつはどういう訳でこんなことをしたんだ?」
まだ上手く喋れないわたしの疑問を代弁するようにジェレミアが問うた。アウレリオは弟を床に転がすと、ソファに掛けてわたしを気遣わしげに見ていたドロテアの横に座ってから、両手の先で鼻を押さえるようにしてうつむきながら言った。
「弟、エミーリオは僕が知らない間にここに来て、僕の振りをして遊んでいたそうだ。その際、カードゲームで大負けした……その相手こそ、ジェレミア、君の崇拝者でね、レディ・ロレーヌが邪魔で仕方なかったんだそうだ。だから、エミーリオにこう持ちかけた……彼女を傷物にするなり、修復不可能な醜聞に巻き込んでくれれば、借金はなかったことにする、と」
「まあ! そんな自分勝手な」
ドロテアが憤る。アウレリオは頷いて、弟――エミーリオに視線を向けた。
彼は仏頂面でうつ伏せに転がされていた。アウレリオは憤懣やるかたないといった風に問うた。
「それで間違いないな? エミーリオ」
エミーリオはひとつ嘆息してから答えた。