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貴方の側にいられれば

「わたしが記憶持ちなのはご存知ですか?」

「ああ、私の知り合いにもひとりいるし、珍しいことではないから……」


 彼は不思議そうに首を傾げる。実際、記憶持ちと言っても千差万別で、わたしのように比較的強く残っている者もいれば、ぼんやりとしか持たない者もいる。中には技術や、知識だけ持っているという変わり種もいた。

 わたしの場合は、言語などの知識系や技術系はさっぱりなのだが、経験したことを鮮やかに思い出せるタイプだ。その弊害が、この性格だろうということはわかっていた。


「そうですね。わたしがこんな風なのは、恐らく、前世が関係しているからです。わたしは、前世では今の年齢より前に死にました。確か、十五、六歳くらいだったと思います」

「ずいぶん若いな」

「重い内臓の病気で……治療が出来なかったんです。自分でいくら努力を重ねても、手に出来ないものは決して手に出来ないと思い知らされました。

 それと、薬をたくさん飲んでいたせいで、外見がひどい状態で、学校ではそれを理由に色々と言われてました。子どもって結構そういうところ残酷でしょう?

 だから、自分はだめなんだ、努力は報われないものなんだ、と全てを諦めていたんです」


 こんな風に、過去を語るのは家族以外では初めてのことだった。ドロテアにすら言ったことはない。だが、彼には知っておいて欲しいと思った。

 どう思われるか、怖くなかった訳ではない。それでも、きちんと伝えたかった。だが、心臓が早鐘をうっている。何とか恐怖を打ち消したくて、反応が返ってくる前に自分から口を開く。


「でも、こうして改めて、ジェレミア様とレディ・アストルガがここに生まれたわたしと以前のわたしは違うのだとて教えてくれました。おふたりには感謝しなければなりませんね。そうでなければ、きっとずっと思い込みから逃れられないままでしたから」


 声が震えた。弱くて情けない自分だが、否定だけはされたくなかった。じっと彼が何か言うのを待つ。やがて、ゆったりとした口調で彼は言った。


「そうか、そんなことがあったんだな……だが、もし私のしたことで君が自分を卑下しなくなるのなら、それで十分満足だよ」


 ジェレミアの両手が、わたしの両手を優しく握っている。

 整った甘い顔に浮かぶのは優しい色だけ。そこに、わたしを否定するものは見当たらなかった。しかも、こうして側にいてくれる、もう、それだけでいいと思った。例え、彼がわたしを女性として見てくれなくても、こうして側にいられれば十分だ。


 けれど、このまま隣に立っていて欲しいと、婚約期間を過ぎても彼が言ったのなら、その位置に立つに相応しい努力をしよう。報われなくても、それで満足だ。


 心が決まったらすっきりした。


「ありがとうございます。これからはもう少し、自分を正当に見られるようにしようと思います」

「是非そうしてくれ。さて、お互いの話も済んだことだし、どうかな?」

「図書室ならご一緒します」


 わたしはほほ笑みながらそう返した。



  ◆



 それから図書室で時間を過ごしたわたしとジェレミアは、しばらくあれこれ自分の好きなものについて語り合った。これが見事に近くて、わたしはかなり驚いた。

 そのため、今度一緒に書店に行く約束をしてしまった。


 ついつい、頬がゆるんでにやけてしまう。


 そこでハッ、と気がついた。こんな顔をしていてはドロテアに悪い、そう思ってようやく彼女がいないことに気づく。もしや、と思いつつ隣の寝室へ行くが、やはりいない。


「変ね、もう結構経つのに……」


 確か、少しだけ風にあたりたい、夜なら人目もないだろうからと言って出て行ったままだ。それは、わたしが晩餐から戻って来てすぐのことで、それからドーラを呼んで着替え、寝支度を終えて彼女が去ってからしばらくは手もとの明かりで本を呼んで、昼間のことを回想していたのだ。


 すでに辺りは暗闇に包まれ、外を吹く風が建物に当たって不気味な音を奏でている。

 今日は風が強いようだ。そんなに長くはいられないはず。だとしたら、何かあったのかもしれない。不安が心にはびこり、気が落ち着かない。


「探しに行かなくちゃ」


 今の彼女の精神状態は決して良いものではない。ひとりで放っておく訳にはいかない。おばはわたしを信頼してくれているのだ。本当はわたしと部屋を変わりたいはずだが、娘の気持ちを尊重して変えないでいるだけだ。

 だから何度もお願いねと頼まれたのだ。


 わたしは手燭を手に寝台から下りて、そっと部屋を出ようと扉へ向かう。すると、控えめなノックが聞こえ、次いでくぐもった声が響いた。


「夜遅くに申し訳ないのですが……少しだけ話をさせて下さいませんか?」


 わたしは驚きに目を瞠った。その声の主がアウレリオだったからだ。とりあえず、鍵を外して扉を開けると、困ったような笑顔が目の前に現れる。だが、なぜか違和感を感じて後ずさった。


「カルデラーラ卿……?」

「はい。貴女のいとこのことでお話があるのです。夜遅くに心苦しいのですが、少しだけ」

「待って、その前に質問をしてもいいかしら?」

「なんでしょう」


 細められた目が狐のようで、わたしは背すじが強張るのを感じた。違う、何かが違う。アウレリオはこんな風に笑っただろうか。それに何より……。


「どうして、いつもの服装ではなく、海軍将校の格好をしているの?」

「……その言い方だと、もしかして気づいてしまってますかね」


 わたしは反射的に手燭をかざして叫んだ。


「近寄らないで!」


 恐怖で身体の感覚がマヒし、手が勝手に震える。目の前に佇む青年はアウレリオではない。後頭部で束ねられた柔らかな麦わら色の髪や、甘い顔立ちの美しさはアウレリオと寸分違わないが、彼の方がやや体格が良かった。

 力では敵う訳もない。わたしは目を扉に走らせ、閉じてしまおうと手を伸ばす。しかし、その前に扉に彼の手がかかった。押しても引いてもびくともしない。


「こんな危ない真似はしちゃだめだよ」


 軽く発された声の後で、手首にしびれるような痛みが走る。床に転がった燭台を見て、叩き落とされたのだと理解した。だが、立てつづけにみぞおちに食いこんできた拳の前に、意識が暗転する。

 凄まじい衝撃に、わたしは顔を歪めて彼を見た。

 その顔に浮かんでいたものは、平坦な笑みだった。



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