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わたしが一番欲しいもの

 姿だけではなく、本当は何が欲しかったのだろうかとも考える。


 答えはそれほど待たずして自分の中に訪れた。


 好きな人に愛して欲しい。わたしも心から愛して、慈しみ、その側に立つだけの器量を持った自分になりたい。彼の役に立ち、彼の愛を受けるに値する存在になりたい。


 それが、わたしのなりたいものだった。


 けれど、現実にはそんなこと夢物語に過ぎない。わかっていたから、あっさり白旗を上げて、ほどほどに幸せだと思える人生を送ろうと決めた。何より、努力しても見返りがないことがつらかったから。

 だけど、努力って見返りを求めてするものだろうか?

 そうではないはずだ。

 重ねた努力が報われなくとも、努力して得たものは失われない。


 では、そこまでして欲しいものは何だろう……。


 首に触れた後は離れてしまったジェレミアの手を見て、それから目線を上げて顔を見る。もしも、彼のタチアナに向いている目がわたしに向けられたとしたら、そこまで考えて、何て大それたことを考えるんだわたし、と思わず自分に呆れてしまった。

 同時に、自分の気持ちに気づいてしまった。


(そうか、きっともうわたしは……)


 だが、わたしは必死の思いで違うと言い聞かせた。けれど、それは嘘だと囁く心の声が聞こえる。

 そんなはずはない、わたしは彼には相応しくないのだ。地味だし、冴えないし、美しくもない。頭が良くもないし、心だって大して広くない。

 こうして、婚約して貰えただけで十分なのだ。その程度の人間なのだ。


 しかし、相応しくないと思っていた自分の容姿は、思っていたほどではなかったことまで証明されてしまった。パオラやタチアナには敵わないが、前世の自分よりは遥かに良い。

 少なくとも、ジェレミアの隣に並んで失笑されない程度には……。

 そう考えながらも、このまま突き進んではいけないという、警鐘が聞こえる。

 恋がふわふわ楽しいものではないことくらいは知っていたからだ。結婚となればなおさらのこと。


 などともの思いにふけっていると、マダムが手を叩く音がした。


「さあさ、後は細かい調整をしますから、紳士の皆さんは外に出て下さいな」


 ジェレミアは名残惜しそうに「終わるのを待っているよ」と言ってから、グリマーニ卿と外へ行く。

 やがて扉が閉まると、ドロテアの含み笑いが聞こえた。


「もう、こっちが恥ずかしくなってくるわね。じっと見つめ合っちゃって」

「全くだわ、それにしても、良くジェレミアは貴女のことに気づいたわよね。あの子、あまり令嬢たちには近づかないようにしていたのよ。友人のことがあって」

「……友人のこと?」


 訊ねれば、パオラは肩をすくめた。


「そう、それだけじゃないけれど、きっとあれが一番堪えたはずよ。その友人は貴族ではないけれど裕福な地主の息子でね、誠実で優しい人物だったのだけど、あるひとりの令嬢と婚約してから色々と狂い始めたの。その令嬢はとても綺麗なひとでね、彼はすごく自慢してたわ。

 でも、そのひと、あろうことか彼の友人と駆け落ちしたのよ。その友人が事業で成功したから乗り変えたのね……以来酒びたりになって、ある日落馬して死んだわ」


 それまで賑やかだった部屋を静寂が包んだ。パオラは部屋の空気が重苦しくなったことに気づくと、慌てて謝った。


「ごめんなさい、何だか辛気臭くなっちゃったわね。でもいいのよ、もう終わったことだし、弟には貴女がいるのだもの。さあ、もっと楽しいことを話しましょう!」

「そ、そうよね。じゃあ明後日の舞踏会のことでも話しましょうか。確か、近隣にお住まいの名士の方や政界の方もお招きするんでしょう?」


 ドロテアがパオラの意を汲んで話をそらしてくれた。重苦しい空気は一変し、政治家を風刺した話題になると、明るさが戻る。

 けれどわたしはパオラの話したことをずっと考えていた。

 マダムにあちこち直された後、ドーラに手伝って貰いながらいつもの地味なドレスに着替えてからも、彼女の話は頭の片隅にこびりついたように消えなかった。


 やがて舞踏会用のドレスは完成し、マダムは他の注文のものは近いうちに届けると約束して去って行った。手もとには金糸で刺繍が施された鮮やかな赤いドレスと、そのドレス専用の髪飾りが残る。さらさらとした手触りの生地はシルクに似ていて、光沢がとても綺麗だった。

 わたしが着替えた後は、会話に紳士たちも加わったが、ドロテアはひとり部屋に引き取って行き、おばが後を追った。そしてお茶の時間も終わると、パオラとタチアナ、グリマーニ卿も立ち去った。


 けれど、ジェレミアは残り、言った。


「晩餐まで時間があるし、図書室にでも行こうか? 以前に誘ったときは断られたが、今日はもうすることはないだろう?」

「ええ、構いませんけど」

「どうかしたのか?」

「先ほど、レディ・アストルガからご友人のことを聞いて……」


 黙っているのも嫌だったので口にすると、ジェレミアは一瞬虚をつかれたようにわたしを見て、微かに苦笑した。彼は部屋の外へと向けていた足を逆に向け、再びわたしの隣の椅子に戻って座りなおした。

 どうやらわたしの疑問に付き合ってくれるようだ。

 それだけでひどく嬉しかった。


「そうか、いつかは知るだろうと思っていたよ。それで、君はどう思った?」

「酷い話だと思いました……ジェレミア様は、それがきっかけであまり若いご令嬢とその母親たちに近づかなくなった、と」

「彼のことだけが理由ではないよ、他にも挙げればきりがないほどある。大体、酷いのは女性だけではなく、男もそうだろう。父と母は違うから、そういう例だけではないことはわかっているが、もし良くない相手に引っかかったらと考えたら、ぞっとしないか?」

「もちろん。それなら、どうしてわたしがそういう女性ではないと思ったんですか?」


 訊ねると、ジェレミアはじっとわたしの顔を見ながら答えてくれた。


「少なくとも、私がドレスを買ってあげようと言うのに、渋る君が誠実ではない人間だとは思えない」

「……そ、そうですか」

「普通、女性はドレスや宝石を贈るととても喜ぶと言うのに、君は私の懐の心配ばかりしていた。そもそも、最初にあれほど無礼な態度をとった私の申し出を引き受けてくれた時点で、君が心優しいひとだということはわかっていたからね」


 あれは顔に負けただけだ、とも言えず、わたしは口もとを引きつらせる。


「何度も言うが、君は素晴らしい女性だよ。どうしてあれほど卑下するのかわからない」


 優しく手を取られ、目を除きこまれたわたしは、とても見ていられずに目を伏せた。彼には、本当の気持ちを伝えたい。だが、全てを言うのは怖い。

 だが、わたしのことも知ってほしいとは思った。だから、口を開いた。



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