ドレスが届きました
何だか顔が怖い。笑っているけど、これ絶対に怒っている顔だ。間違いない。
何せ、ここしばらく彼の顔ばかりガン見してきたのだ。綺麗だなあと堪能しつつも、何か表情が浮かんでいればついつい気になってしまう。やがて、小さな変化にも気づくようになり、段々表情が読めるようになってきた。
だからわかる。彼は怒っている。しかし、何に対してだろうか?
もしやこの髪型が気に入らなかったのだろうか。だとしても、今褒めてくれたばかりだ。彼は基本的に嘘はつかないのに、そんな心にもないことを言うなんて珍しい、などと疑問符を頭の中に大量に浮かべていたら、パオラに腕を引かれて我にかえった。
「ほらほら、行くわよ!」
「あ、はい」
彼女に引きずられるように歩きだす。背後から冷気を感じるのはきっと気のせいじゃない。だからと言って、彼が何に怒っているのか見当がつかないので、大人しく背すじを冷やしておくしかない。
寒い。ものすごく寒い。よし、後であったかいお茶を飲もう。
そう決めつつ部屋へ戻ると、ドロテアはおらず、代わりにおばがいた。ついでとばかりにタチアナもいる。ただし、グリマーニ卿は扉の外にいた。
「あれ、おばさんとレディ・タチアナ? どうしているんですか」
「あら、タチアナと呼んでと言ったじゃないの。全く……もちろん、楽しそうな話を聞きつけたからよ。新しいドレスの調整をするのでしょう? わたしもその内新しくドレスを誂えるから参考にしようと思って。もちろん、男性陣には外で待ってもらうしかないけど」
そう言っていたずらっぽく笑う。茶目っけたっぷりの彼女は実に可愛い。そこでわたしは気づいた。おばとこれから来るマダムを除いて、まわりにいるのは眩すぎて目が潰れそうな美男美女たち。
彼らにこれから新しいドレス姿を披露しなくてはならないらしい。
何の嫌がらせだ、とわたしは心の中で叫んだ。しかもドレスを着て披露するのが一番の地味子ってどういう訳だ。普通逆だろう。
わたしがまわりにいて「わあ、〇〇〇様、素適ー!」とか言う係のはずだ。
おかしいよ、何もかもがおかしい。
何だかひとりで敵地に立った気分なんですけど。
だがそんな心境のわたしにはおかまいなく、遠くからマダム・サブリーナの声がした。
「あらあら皆さま、もうお集まりになられているのですか。それでは早速始めましょうか」
その声にわたしは凍りつく。最早言い訳する時間もなさそうだ。結局、わたしはジェレミアとグリマーニ卿に見送られて、部屋の中に引きずり込まれると、強制的に試着させられる羽目になった。
羞恥心に焼かれて燃え尽き、頭が真っ白になったわたしの前で、四人の女性が鮮やかな色のドレスを見て歓声を上げる。それを人ごとのように見ながら、やっぱり神様は今日も願いを聞き届けてくれなかったなあとぼんやり思った。
すると、ひと際高い歓声がわたしの現実逃避と名のもの思いから引きずりだした。
「まああ! 素適、ほらほらロレーヌ、これから着てみましょう。これで貴女ももさくてダサくて、垢抜けない野暮ったい娘だとは言われなくなるわよ。わたしが見立てたんですもの、絶対よ」
「あら、このデザインは貴女が見立てたの? レディ・アストルガ」
「ええ、そうなの。あまりにロレーヌが自分に自信を失っていて、着飾る楽しみまで捨てていたのを見かねた弟に頼まれてね、とても楽しかったわ」
仕立屋での一幕を思いだすように、うっとりしつつパオラ。ドレスの生地に触れながら、タチアナは感激した様子でパオラを見やると言った。
「凄い、流行も取り入れつつちゃんとロレーヌに合わせているわ、あの、今度わたしのドレスも見て下さらないかしら?」
「あら、もちろん。ええと」
「わたしはグリマーニ伯爵夫人のタチアナと申します。ロレーヌの友だちなの」
「そうなの! それならもちろん、わたしも社交の季節に向けて新調したいし、一緒に行きましょう。もちろんロレーヌも行くわよね?」
「……え、はい。もちろんお供します」
ほとんどうわの空ではしゃいだガールズトークを聞き流していたわたしは慌てて返事をした。何だか楽しそうなので話の腰を折るのも気が引けて返事をしてしまったが、不味かったかもしれない。
一方、マダムは着々とわたしにドレスを着せて行く。
最初は舞踏会用の、すそがふわりと広がったドレスだ。
鮮やかな赤い色のそのドレスは、わたしには派手すぎだと思ったものの、雰囲気に押し負けて試着する。マダムは針を手に、細かくサイズを直して行く。
やがて、持ってきた荷物の中からドレスに合わせた髪飾りを取り出した。同じ生地で作られた赤い花の髪飾りだ。
それを、今朝結われたままの髷に飾る。
一体わたしは今どうなっているんだろうか。道化みたいになっていないだろうか。不安で不安で、いっそのこと気絶したいくらいだ。
そんなわたしのドレスを微調整したマダムが、少し離れる。そこからわたしを見て、言った。
「よし、完璧です……それにしても、今まできちんと装ってこなかったのが不思議ですよ。こんなにお綺麗なのに、ねえ」
「本当ね、うんうん、やっぱりわたしの見立てに間違いはなかったわ!」
パオラが嬉しそうに言う。その横で、マダムが持ち込んだ生地をいじっていたタチアナがこちらを見た。驚いたように目を見開いた彼女は、しばらく開いた口がふさがらないといった風にわたしを見る。
この反応はどう解釈すればいいのだろう。
「凄い、今までと別人だわ! どうして今までちゃんとしなかったのよ、これならジェレミアがあれほど貴女を離さないのも当然よ」
椅子から立ち上がり、タチアナはわたしのまわりをぐるぐる回り始める。
だが、わたしは見る立場から見られる立場になることに慣れておらず、恥ずかしくてたまらない。しかもタチアナは何て言っていた?
別人……?
「さあ、殿方にも見て貰いましょうか。お二方、お待たせいたしました」
マダムがそう言って扉へ向かう。わたしは「ま、待って」と言おうとしたが間に合わない。やがて扉が開いて、ジェレミアとグリマーニ卿が入ってくると、ふたりの目がこちらに向いた。
頬が熱くなる。いたたまれなさで大爆発しそうだ。
すぐに顔を上げられないままじっとしていると、誰かが近づいて来た。
わたしはどうしよう、と思いながら体を強張らせて何か言われるのを待った。




