展開が早すぎる気がします
夜、穏やかな晩餐の後で部屋に引き取ったわたしは、何だかずいぶんと久しぶりに戻ってきたような気がしていた。見慣れた自分の部屋。使い慣れた家具調度品。読みこんだ本や、愛すべき小物。
そうしたひとつひとつを見ていると、ようやく心が安らいだ。
「何か、もう展開が速すぎてどうしよう」
こういうことってもっと時間がかかるものじゃないのか、とか、どっちの親もあっさりし過ぎだろう、とか、ジェレミアと兄のクラウディオが妙に意気投合していたのが不思議だとか色々と思うところはあるが、ともかく疲れた。
わたしは天蓋付きの、自分のベッドに転がった。
すでに夜用のドレス姿なので、このまま眠っても構わない。何だかようやく解放された気分だ。ビバ、自宅。自宅最高。癒される。
だが、明日にはまたカスタルディ家の屋敷に戻らなくてはならない。
何より、ドロテアのことが気にかかる。
すでに部屋は暗く、外から差し込む月光だけが室内を照らしていた。ふと、当たり前の事実に気づいて、妙に動揺する。
ここからすぐの客間にジェレミアが眠っているのだ。ずっと、眺めるばかりだった彼がいる。到底事実とは思えない。
こっそりファンクラブ――こちらでの名前は応援する会――に入ってみようかななどと思っていた、憧れの人物である。眺めるだけで十分だと思っていた。いや、むしろ観賞する以外関わりを持つなどあり得ないと一笑にふして来た。ジェレミア・カスタルディとはわたしにとってそういうひとだった。
だが、現在、その彼がよりによってわたしの婚約者だ。
今まであまり考えないようにしてきたが、それがまぎれもない事実だった。
「嘘みたいよね……何が起こったのか、奇跡だろ? っていう話よね」
ぽそりとつぶやいて、ベッドの上を転がる。
本当に良いのだろうか、と何度も反芻した疑問がまたしても頭に浮かぶ。だが、考えたところで、答えはすでに出ている。わたしはすっと目を閉じて、息をついた。
心の中に生まれた強い願望を抑え込むように。
そう、いつか彼が自分のことを好きになってくれたらという、甘い願望を……。
◆
翌朝は忙しく出立することになった。
朝食後、玄関ホールまで送りに出て来てくれた母は、目を輝かせながら言った。
「わたしたちも出来るだけ急いで後を追うから待っててね。新しいドレス姿、楽しみにしてるわ」
「う、うん。向こうで会えるのを楽しみにしてる。ドレス姿はそんなに期待しないで」
「あら、それは無理よ。しばらくは勝手に想像して楽しませて貰うわ」
母は嬉しそうに告げた後、ジェレミアと向き合った。
「それじゃあ、娘のことをよろしくお願いします」
「もちろんですよ」
「中々本音を言わない奴なんで、面倒でしょうけど体調には気をつけてやってくれ」
母の横に立っていた兄が言うと、ジェレミアはうなずいた。
「ああ、そうだろうと思ってたよ。ちゃんと気をつける」
「私は行けなくて残念だが、ぜひまた訪ねてきてくれたまえ。君ならいつでも歓迎しよう」
父は嬉しそうに言った。ジェレミアは心からの笑顔で受けた。
「それは嬉しいですね。必ず訪問すると約束しますよ」
「それじゃあ、また」
わたしは別れの言葉を述べて馬車に乗り込んだ。すぐにジェレミアも乗りこんで来て、対面におさまると窓を開けた。ほどなく、馬車は動き始め、バルクール家の屋敷が少しずつ遠ざかる。わたしとジェレミアは手を振って、やがて風が冷たくなってくると窓を閉じた。
わたしは背もたれにもたれかかると、小さく息をつく。
「今度はもう少し時間をかけて滞在したいものだな、建物など、色々面白い」
「そうなんですか? 何だか統一感に欠けてる気がしますけど」
「だからいいんだ。それだけ歴史があるということだ。カスタルディ家の館は比較的新しいものだから、ああいう建物を見ると少し羨ましくなるよ」
「そういえば、以前何度も戦火で焼け落ちたんでしたね」
カスタルディ家も遡れば騎士の家系だ。バルクール家より格は上で、国に仕えている期間も長い。聞いた話によれば、隣の家との諍いが激しく、カスタルディの城館は何度も焼け落ちているのだそうだ。バルクール家はカスタルディ家と仲が良かったため、よく援助の手をさしのべていたらしい。
「良く知っているな……そうか、バルクール家とは古い付き合いだったしな」
「ええまあ、それに、カスタルディ家の館や庭園の美しさは話題になったりもしていましたから、最新式の庭園を作られたとかで……実際素晴らしかったですもの」
「気に入ってくれたなら嬉しいな、あの館と庭は将来君のものでもある訳だからね」
ん?
突然馬車内の空気が甘やかになった気がして、わたしは固まった。そんな雰囲気になるような話題じゃなかったはずなのだが。
どうしようか、話を戻そうか。こう、ご先祖が剣を持って戦った血なまぐさい話にすれば、この雰囲気も消し飛んでくれるかもしれないし。それはもう、光速で消えるはずだ。だが、流石にいきなりは失礼だからとほほ笑みを崩さずにやんわりと告げる。
「いえ、でも……まだ婚約段階ですし、もしジェレミア様の気が変わられたらいつでも言ってくださいね。わたし、そういう邪魔者にはなりたくありませんから」
「そういう君は良かったのか? 私のことばかり気にしているようだが、もしそんなことになれば、婚約を無かった事にされた娘、という良くない印象を持たれてしまうんだぞ」
言われて初めてそのことに思い至った。結婚できなくなるほどではないが、あまり好印象を持ってもらいにくくなるのは事実だ。いつもならそのくらいのことは事前に気づいていたはずなのに、どうやら本当に頭が使いものにならなくなっているらしい。
だが、いくら考えても「断る」という選択肢は選ばなかっただろうこともわかっていた。
「……そうでしたね。まあ、別にそうなったらなったで構いません。それなりの道を模索すればいい訳ですから、もちろん、援助とか口添えはしてもらいたいですけど」
諦めたように肩をすくめて言うと、ジェレミアの顔が不機嫌一色に染まった。
あれ、わたし何かおかしなこと言っただろうか。
すると、危険を感じるほどの怒りに満ちたジェレミアの手が伸びてきて、わたしの手をつかむと、にこやかに笑いながら告げた。




