このまま進めていいのかな?
視界に、年齢不詳の美女が映り込む。
彼女こそわたしの母親、バルクール男爵夫人、ラヴィーナである。煙るような金色の髪に、溶けた金のような金褐色の瞳をしている。目の覚めるような美女とは母のようなひとのことを言うのだろう。
どうやらジェレミアが訪問することを知っていたのか、いつもの金のかからない地味ドレスではなく、きちんとしたイブニングドレス姿だ。
鮮やかなグリーンのドレス姿が久しぶりに見た地味娘には眩しいゼ。
目の前で意味ありげにほほ笑む母を見て、わたしはつくづく思った。本当にこの母とフィオレンザおばは姉妹なのに全くと言って良いほど似ていないなあと。その理由のひとつが、食事だろう。若い頃は可愛らしかっただろうおばは、食べることが大好きだ。その結果、今のようなふくよかな体型となった訳だが、年相応に老いてもいるので、ちゃんとその年齢に見える。
しかし、わたしの母はアンチエイジングを実現した見本みたいなひとなので、おばと並ぶと親子みたいに見えるほどだった。わたしの予想だと、母が栽培している薬草にその秘訣があると思う。
だが、その謎の薬草を煎じたお茶は、濃緑色のどろどろした物体で、好奇心に駆られて一度こっそり飲んだところ、青臭さと激苦さが鼻と舌の機能を麻痺させてくれたので、二度と飲まないつもりだ。
一週間は何食べても味がわかんなかったもんなー。
だが、母はアレを一週間置きに飲んでいる。
だというのに、味がわからないということもないらしい。
最早わたしのなかでは記憶が残っちゃうというこの世界の組成くらい謎なひとだ。
実の母親なのに……複雑な気分ではある。まあもう慣れたけど。
そのすぐ隣で、母と良く似た顔がちょっと心配そうに笑っている。
彼こそ、本当にわたしと血のつながりがあるのかと疑ってしまいそうな、柔和な美形の兄である。名前はクラウディオ。優しげな双眸は父ゆずりの淡い灰緑色。髪は母譲りの金の巻き毛。立っているだけで貴公子然としたオーラがこっちまで届いてくる。
グリマーニ卿と雰囲気が似ているが、兄の方が凛々しい感じで、あっちは芸術作品みたいだ。この辺りは、兄の趣味が剣術や馬術だからだろう。
などと数日ぶりに再会した家族を眺めていると、母の含み笑いが聞こえた。
「ふふ、随分と早く戻ってきたかと思えば、いきなり大物を引っかけて戻って来てくれちゃって。流石はわたしの娘ね……これでようやく、貴女はちゃんとわたしの娘だってわかったでしょう? ええ、きっと誰か引っかけてくると思ったわよ。だから妹に頼んで連れて行って貰ったんだもの」
至極楽しそうなしたり顔で言う母。
まるで鯛でも釣ってきたみたいな言い方だ。まあ、間違ってはいないが……。全てが自分の手柄みたいに言うのだけはやめて欲しい気がする。
「別に疑ってなんかいなかったわ」
「そうね、でも嬉しいわ。だって貴女、ずっとジェレミア卿が好きだったのでしょう? どうやって落としたのか、じっくり教えてちょうだい。どうやったの?」
母はじっとわたしの姿を眺めながらつぶやく。
「そうだね、それは僕も知りたいな、どうやってあの彼を振り向かせたんだい?
いくら僕が言っても変えてくれなかったその地味な格好じゃあ、お前の魅力は伝わりそうにないしさ」
兄、クラウディオは不思議そうに訊ねてきた。
「そんなのわたしが知りたいわよ」
答えて、ため息をつく。まさか本当のことは言えない。恋人役を頼まれて引き受けたら、なぜかジェレミアがもうこのまま婚約してしまおうかと言いだしたなどとは。
「ただ、地味なのが良かったみたいなの。カスタルディ卿にも地味さを褒められて気に入られたし、彼もその目立たなさぶりが気に入ったって」
「へぇ~、彼の趣味が地味な女性とは知らなかったよ。
ただまあ、僕としては良い相手だと思う。悪い噂はいっさい聞かないし、放蕩らしいこともしていない。と言っても、ちゃんと話はしてみないとね。まあ、もう少し彼の人となりを知ってから結婚に踏み切った方がいいとは思うけど、問題は彼の性格かな。
何を言ってもつれない上に、言葉を隠せないみたいだから、紳士の中にも敬遠している人はいる」
「そ、そうだったの。男性の社交場のことは知らないけど、やっぱり」
貴族たるもの、そのものズバリを言ってしまうのは不作法なこととされている。遠まわしに、婉曲にやわらかく伝える話術を使えなければ、その時点で庶民や成りあがりだと見なされて遠巻きにされる。ジェレミアは古参の貴族だが、どうにもそういうことが不得手らしい。
どうやらその辺りに、彼が若い令嬢とその母親を煙たがる理由がありそうだった。
「やっぱりって、……ロレーヌ、何か言われたんじゃないだろうね」
「別に大したことじゃないわ」
「ふうん、どうせ地味とか言われたんだろう」
「……」
図星。
流石は我が兄。しかしなぜわかったのか。彼は言い当てたことに気づくと「あはは、やっぱりか」と心底楽しそうに笑った。
「彼ならそう言うと思ったよ。僕も言われたからさ、仮面みたいな笑顔だなって……よくあの場にいるのが苦痛だと気づいたよなあと思ってさ。ジェレミア卿、よく人を見てるよ」
「でも、別に気にしてないのね、ロレーヌ」
「まあ、けなす目的で言われた訳じゃないから……」
クラウディオも言われていたのか、と思うと何だか複雑な気分だ。そんな感じで談笑していると、父とジェレミアが戻ってきた。父ポール・バルクール男爵は笑顔だった。
父は痩せぎすで、母と並ぶと貧相極まりなかった。淡い茶褐色の髪に、灰緑色の細い目をしており、顔立ちは貴族的だがよくある感じの目立たないもの。
まさに彼こそ父親です、と胸を張って言えるくらいわたしは父と似ていた。
「ロレーヌ、お帰り。彼から話は聞いたよ、私には反対する理由はないから、署名しておいた。結婚は慣例通り、一年後ということになるけれど、これでいいんだね」
「……はい、ありがとうお父様」
そう言うと、頭をぽんぽんと叩かれた。
「それでは、ささやかではありますが晩餐に致しましょう」
父が言うと、使用人たちが準備にかかった。父の横に母が並び、ジェレミアがわたしに腕を差し出す。その後ろに兄がつづいた。食堂へと向かいながら、ジェレミアは言った。
「事前に手紙を送っておいたから、話は円滑に進んだよ。反対されたらどうしようかと思ったけれど、そんなこともなくて良かった。これで発表出来るね……。滞在最後の日の舞踏会には、男爵や男爵夫人やクラウディオも招いたよ。男爵には仕事があるからと断られたけど、他のふたりは大丈夫だそうだ。
これであのドレス姿も見てもらえるだろう」
「……そ、そうですね」
ご機嫌なジェレミアを直視できず、わたしは曖昧にうなずいた。
ああ、もう取り返しがつかないところまで来てしまった。だけど、本当にこれで良いのだろうか。わたしは未だに結論を出せないままでいた。