本音が知りたいけれど
それからは彼のペースで事が進んだ。
テラスで話をしていたタチアナとグリマーニ卿を見つけ、舞踏室へ誘うと、あの日のようにダンスのレッスンが始まった。今度はあの時のように怒鳴られることもなく、優しい声でたしなめられる。
わたしは完全に顔をあげられなくなっていた。
だから、必死に足の動きに集中し、何とかそれらしい動きが出来るようになってきた。
「上手くなってきたじゃないか。ほら、私の言った通りだったろう」
「貴方の教え方が上手いからでしょう」
実際、彼の教え方はダンスの先生かと思える程だった。タチアナの奏でる音楽に合わせて踊るのは楽しかったが、少しずつドロテアのことが気になり始めた。
だが、またお茶と軽食が運ばれてきたため、そのことは言いだせずじまいだ。
結局午後もあまり自由になれず、遠目にふたりが一緒にいるのを見るばかりで終わった。
夜、手紙を書こうとペンをとる。けれど、どう書いたら良いのか迷った。正直に書く訳にもいかないし、嘘を書くのも嫌だ。
「お父様とお母様とお兄様……どう返事するのかしら」
つぶやいてみても、答えはわからない。
良い話だとは思うだろうが、娘の気持ちを知りたいはずだ。わたしは、自問自答してみた。もしもこのままジェレミアの恋人役を続けるとして、いつ解放されるのだろう。
それに、彼の言い方を聞いていると、他の令嬢と結婚するより、気の置けない友人になりつつあるわたしとそのまま結婚してしまった方が楽だ、と言っているように聞こえる。
このまま何もしないでいたら、本当に彼はそうしてしまいそうだ。
なぜなら、結婚結婚と騒ぎ立てる女性たちを毛嫌いしているようなセリフが散見されるからだ。一体何があったのだろうか。知りたいけれども聞きにくい。
それに、このままなし崩しに彼と結婚しても良いのだろうか。少なくともわたしに嫌だという気持ちはない。いや、きっと逆だ。わたしとて、恋愛感情を知らないわけではないのだ。
このまま行けば、わたしは確実に恋に落ちる。
そうなったとしたら、後が辛いのもきっと頭では理解していても、どうしようもないだろう。心とはとにかく自分の言うことを聞いてくれないものだ。
だが、引っかかる。
自分が彼の隣に立つ違和感が払しょくできない。
つり合わない、直接言われたことはないけれど、周囲の目は確実にそう告げていた。それだけでなく、わたし自身もそう思っていた。
――もう少しでいいから、時間が欲しい。
切実にそう感じた。
「きっと、お父様もそんなにすぐ了承なさらないはずよね。一度家に帰って、頭を冷やして、もう一度彼と会ってからでもいいはずよ。それでもジェレミア様が婚約したいと言ったのなら、その時にサインすればいいのよね。手紙には、友人がたくさんできて、ジェレミア様と仲良くなれましたみたいなことだけ書けばいいわ」
よし、決まりだ。そう決めてからペンを走らせて、きれいに折りたたむ。明日、出そう。ドロテアの事は気になるが、全てを急いでもどうにもならない。
わたしは書きもの机から寝台に移動し、ろうそくの火を吹き消すと、横になった。
◆
翌日。朝食の後でドロテアの様子を見ようとしていたところを、すぐにジェレミアにつかまった。何だか恋人役を頼まれてからというもの、やたらと長時間一緒にいる気がする。
そのせいか、顔にも慣れてきた。
いちいち心臓がドキッとしたり、その度に息が上がったりせずに済むようになり、寂しい代わりにちょっと安堵していた。だからといって彼の顔を見飽きるということはないが。
「昨日言ったように、父に会って欲しいんだ。父は午後、所用で出かけてしまうから」
「わかりました」
そのことについてはすでに腹をくくっている。
パオラ並みの毒舌でもどんと来い、だ。ただ、斜め上の方向にズレなければいいが、とだけ祈っておく。地味だの冴えないだのもさいだの、悪口には慣れた。今度は何が来るのか、どんなことでもうすら笑いで流してくれると勇みながらも、令嬢らしいほほ笑みを浮かべたまま、ジェレミアの腕をとって歩きはじめる。
とたん、耳に不快な雑音が届いてきた。
「まあ、よくもあんな容姿でジェレミア様と毎日毎日。一体どんな手を使ったのかしら」
「何か魔術みたいな技でも使ったのよ。でなければなぜあんな子ばかりと一緒にいるのか理解できないわ。わたしの方が綺麗なのに……」
「そうよね、きっと何か怪しい薬でも盛ったに違いないわよ」
ひそひそと交わされる声は若い少女特有の響きを持っていた。今まで見下されることは多々あったが、嫉妬されたことはない。けなされ文句には慣れているので、不思議と腹は立たないが、代わりに彼女たちが憐れに思えてきた。
「気にしないことだ。それにしても、なぜああ陰湿なんだ。だから嫌なんだ……」
「わたしなら全く平気です。実力行使にまで来られたら話は別ですが、なじられる程度のことは良くありましたから。わたしより彼女たちの方が苦しいでしょうね、欲しくてたまらないのに、それは絶対に手に入らないんですから」
小さく肩をすくめると、意外そうな視線が降ってきた。
「……驚いたな、傷ついて泣くのではと思っていたのだが」
「地味女の人生なめたらいけませんよ。それに、比べて自分より下だとわかった相手にはどの令嬢も同情してくれますから、楽なんですよ。わたしは美人じゃありませんから」
「それについては意見が合わないようだ」
ジェレミアはいたずらっぽい笑みを浮かべた。
確かに、彼はことあるごとに可愛いと言うが、わたしには到底納得できない。きっとこの話題に関してはずっと平行線だろうな、と考えていたら、昨日も訪れた書斎の扉が見えてきた。どうやらカスタルディ侯爵はあそこにいるらしい。
わたしはぎゅっと唇を引き結んで、気合いを入れ直した。