こ、怖いです……
食欲がない。
何やら胸がむかついており、体が重い。連日、食べ慣れない豪勢な食事のせいで消化不良でも起こしたのだろうか。
何しろ、家で食べているものはいつも質素なものばかり。
たまにはデザートが欲しい、もう少し手の込んだものが食べたいなと思うことは思う。しかし、不服を述べれば凄まじい勢いで父の丁寧な説明大会が開催されて半日くらい解放して貰えないので、何ひとつ言わないことにしている。味は良いし、飢えることもないのだから、文句などないが、カスタルディ家の料理の素晴らしさを見れば、やはり質素だったのだなと妙にしみじみしてしまった。
だが、最高の料理も連日ともなれば、消化器官が文句を言ってもおかしくはない。
毎日称賛を送っていたカスタルディ家の料理人に、ちょっとは胃に手加減しておくれよとぼやきつつ、わたしは早速行動を開始することにした。
ちなみに、夢のことは見なかったことにした。
しょせん夢は夢。単純に美形と一日中過ごし過ぎ、さらには網膜に顔面を焼きつけ過ぎたせいだろうと思ったからだ。
高価な贈り物も、きっと全てが済んだ時に後腐れなく終わらせるためのものだと納得した。
同時に、何だか心臓の辺りがちくりと痛んだが、それも心臓にダメージを食らい過ぎて、悲鳴をあげているのだと解釈した。
何しろ、昨日は動悸、息切れ、目まい、頭痛など様々な不定愁訴のお祭りだったのである。どこかにダメージが残っていたとしてもおかしくはない。
よし、疑問解消。
すっきりした。
さっぱりした。
今日はアウレリオを監視しつつ、美形度は下げて、心臓に優しい一日を過ごそう。いくら恋人役といっても、毎日べったりしている必要はないはずだ。
昨日一緒に買い物に行ったし、今日は特別な用事はないし、催しも特になく、のんびりした時間が流れている。空は穏やかに晴れて、やや雲が浮かんでいた。
わたしは散策する振りをしつつ、殺人光線を浴びせてきそうな令嬢たちからは身を隠し、アウレリオを探した。
ドロテアは部屋で朝食をとり、少し休んでから再びアウレリオと会うと言う。彼女もそれとなく探りを入れてみると言ってはいたが、それについては期待していない。今のドロテアは恋に目が曇りきっているのだから、何を聞いても薔薇色に解釈しかねない。
何としても、わたしが彼の真意を掴まねばなるまい。
みなぎる決意で胃のむかつきもとれそうだ。
意気揚々と歩いていると、視界の隅にアウレリオ発見!
素早く手近な茂みに潜むと、空を切なげに見上げる彼の様子を見る。とにかく、一度どこかで声を掛けて、それとなく話をしてみるのが良いだろうか。いや、それよりもこうして行動を見張るべきだろうか。
悩んでいると、彼は建物のなかに戻ってしまう。
わたしは見逃してたまるか、と言わんばかりの険しい顔になり、コソコソと彼の行き先を探る。この先は図書室だろうか。ドロテアに読み聞かせる詩集でも借りに行く気なのか。
だが、予想に反して彼は客室のある棟へと足を向ける。
自室へ戻る、いや、まさかドロテアを直接訪ねに行くのか――な、何て大胆なことを……。
と言うか、さっきからうろうろしては立ち止まり、うろうろしては立ち止まりで行動が読めねぇ。くそ、こういう時はどうしたらいいんだ。こういう時プロはどうしてるんだ。ああ、くそっ、また方向転換しやがったぜあの野郎――っ。
などと男言葉で自分を鼓舞しつつ、コソコソ後を追うわたし。
しかし、アウレリオは中々はっきりとした行動をとらない。何だか面倒くさくなってきた。もう声を掛けてしまおうか、だが、何だか非常に掛けにくい。
アウレリオは切なげで、切羽詰まったような表情をし、何かをしようと思い立ってはまた首を左右に振ってはまたうろうろ歩きまわってと落ちつかない。
あれはどういう心境の現れなのだろう?
とにかく、ここまでどの女性も現れていないし、言い寄ることもなく、言い寄られることもない。もし、誰かに言い寄られて断れば、本気度が上がるのだが……。
「ふ~む……」
「何をしているんだ」
この時のわたしの驚きは今までの比ではなかった。
悲鳴を上げなかったことだけは褒めてやりたい。しかし、驚いた拍子に足がもつれ、仰向けに倒れかけてしまう。だが、床に転ぶ羽目にはならず、腹部にしっかりとした腕が巻きついてきて支えてくれた。
言わずと知れたジェレミアの腕である。
それから彼はわたしをきちんと立たせて、向かい合って顔を覗き込んできた。
わたしは動悸の激しい心臓が落ち着くのを待つ。
ちなみに今は廊下の曲がり角にいる。少し前まで壁にへばりついて顔を半分だけ出していたのだが、少し目を離した隙にアウレリオはどこかへ消えてしまった。
尾行失敗だ。
わたしはそのことに気づくと「あ~あ」と残念そうにため息をついた。
「もう一度聞くが、何をしていたんだ?」
「えーと」
どう説明したものか。お世辞にも褒められたことではないので言いにくい。
「今まで見ていたのはアウレリオだったな。彼がどうかしたのか?」
あれ、何だか怒っているように思える。ジェレミアの表情は、いつも向けてくるからかい混じりのものではなく、剣呑なものだった。館の中で変なことをしていたからだろうか。
彼の顔は固く、今にも爆発しそうに見えた。
ぞっとしたわたしは思わず謝った。
「あの、ごめんなさい……でも、これにはちゃんとした理由があって」
「ほう、じゃあその理由を聞かせてもらおうか。そうだな、とりあえず書斎に行こう」
「はい」
腕を強く引かれ、強引に引っ張られながら、わたしは後に続く。それから書斎へ入った。誰もおらず、大量の本の匂いがした。彼は出入り口の扉を閉めると、ようやく腕を離してソファをすすめてくれた。
大人しく座ると、対面にジェレミアが座る。まだ目が怒っている。
「それで、どういう訳でアウレリオの後を追いかけていたんだ、私の恋人は……」
ジェレミアの「恋人」という言葉で、なぜ彼が怒っていたのかがわかった。そうだった。わたしの行動は客観的に見れば、ジェレミアの「恋人」が他の男を追いかけていることになる。一応誰にも見られてはいないはずだが、もし知られれば、ジェレミアは他の男に「恋人」を奪われたことになるのだ。
「ごめんなさい。ちゃんと説明します……」
わたしは慌てて理由を説明した。全て聞き終えると、ようやく彼の顔から険しさがとれたが、それでも気に入らないと言いたげな様子は変わらなかった。