頭が混乱してきました
こういう遣る瀬無い気分のときは、別のことに集中しているのが一番だ。
と言う訳で、今は、ドロテアに訪れた状況をどうすべきかとわたしは全力で考えた。
とはいえ、ひとつ心配事が消えたことは喜ばしい。これで、ジェレミアの恋人役を続けても、ドロテアが傷つくことはないとわかったので、肩の荷がおりた気分だ。
だが、新たな問題はすでに起きてしまっている。
ドロテアの様子を見ていると、アウレリオのことはどうやら本気らしい。知り合ってすぐに恋に落ちる話は良く聞くが、実例を見るのは初めてだ。しかも、相手は名うての放蕩者だという。まともに考えれば、やめておけと言うしかない。それでもと言うのなら、いつか愛人が出来ても耐えられるならと進言するだろう。
なぜなら、アウレリオ・カルデラーラは子爵であり、結婚相手としては申し分ない。収入もありそうだし、唯一の欠点が女にだらしないと言うことだ。愛人と庶子に目をつぶれれば良いのだが、ドロテアにはそういう芸当は出来そうにない。
と言うか、そもそもアウレリオがドロテアを口説いているというのが、わたしには信じられなかった。ドロテアが不美人だからではない。むしろ、気の強そうな部分さえなければ、ドロテアはやや美人寄りだとわたしは思っている。
この館に招かれた令嬢たちは他に何人もおり、女の目から見ても綺麗でとびきりの美人も何人かおり、中には未亡人もいた。アウレリオのように遊び慣れているものならば、彼女たちのように、情熱に身を任せることを厭わないタイプの女性を選ぶはずなのだ。
その方が後腐れなく済むからである。
しかし、ドロテアはそういったタイプの女性たちとは真逆の性質をしているのだ。少し話をしてみればわかることのはず。なのに、アウレリオは熱心に彼女を口説いていると見える。
――これは、何かあるのかも。
わたしは結論を急ぐべきではないと思った。
「ええと、とにかく……もう少し様子を見ましょう。この館に滞在している間だけでも、彼のことを知ることは出来るし、わたしも調べてみる。
話した感じだと、うわさに聞くような方とはわたしも思えなかったわ……もしかしたら、何か抱えていらっしゃったのかもね」
「何か抱えて……? どういうこと」
ドロテアの不安げな顔に、わたしはどうしようかと思った。はっきり言って、今口にしたのは希望的観測からくるただの推論に過ぎない。けれど、あまりにひたむきな眼差しにさらされ、わたしは前置いてから言った。
「あのね、これはわたしの推測で、事実とは違うでしょうけど、遊びに身をやつすような方って、心の問題を抱えていると思うの。皆が皆そうとは限らないけれど、何かに絶望していたり、何かを諦めなくてはならなかったり……もし彼もそうだったら、その心の問題を解決させられれば、放蕩をやめてくれるかもしれないわ」
「……ああ! そうならわたしはどんな事をしてでもあの方の力になるのに」
「そうね。だから、今はあの方がどういう方なのか、きちんと知ることよ。わたしも協力するわ、だから元気を出して、ね?」
「ええ、努力してみるわ」
ドロテアは静かにうなずいてくれた。出まかせだったが、一応希望を植え付けることは出来たようだ。ただし、本当の浮気者だった場合、彼女は傷つくことになるかもしれない。
何だか気が重かった。
気が重いと言えば、おばにこの事を伝えなくてはならないのだ。何と言ったらいいだろう。おばの顔を脳裏に浮かべて想像していると、不意にジェレミアのことについて交わした会話が思いだされた。
おばはカスタルディ卿にどう言ったのだろうか。
そのことについて思いをはせると、またしても脳内に彼のほほ笑みが浮かび、わたしは混乱した。そしてふと思い出した。そうだ、ずっと何かが引っかかっていたのだ。
恋人役の依頼に驚いて忘れていた。
わたしの知っている彼と、ここ数日で見た彼とがあまりに違いすぎる。
以前、社交の季節のときに挨拶をかわし、遠くから眺めて観賞させて頂いていた頃のジェレミアは、もっと冷たくてよそよそしい感じの人物で、どちらかというと堅物だなという印象を受けた。
将来性もあり、見た目も美麗だったため、若い令嬢とその母親たちに良く囲まれていた彼だが、愛想良く振舞ってはいたものの、目は冷たく、口には冷笑が浮かんでいたのを覚えている。
まあ、そんな酷薄な顔もたまらないと思いながら見惚れていたのだが。
少なくとも、ここ数日わたしに見せている飾らない態度や笑顔を、彼はそういった場で見せたことがない。何より、結婚だと騒ぐ令嬢や母親を軽蔑しているように思えた。
だからわたしは、ああ、そういう話が嫌いなのだなと理解していた。だからこそ、彼のあの申し出をすんなりと受け入れたのだから。
当然、演技なのできっとよそよそしい態度をとられるはずだと思っていた。だと言うのに、事あるごとに構ってくる、やたらとからかってくる。これが彼の本当の姿なのだろうか、そして、それをわたしに見せるているということはどういうことなのだろうか。
何だか頭がぐるぐるしてきた。
「ロレーヌ……? どうしたの、顔が赤いわ、もしかして疲れた?」
「えっ、ああ……そうかもしれない。今日は何だか色々あって、あと少ししたらすぐに休むわね。ドロテアもちゃんと休んで、わたしは一つ用事を済ませたら眠るから」
「……そう、あの、ロレーヌ、ありがとう。話を聞いてくれて、少しすっきりしたわ」
「それなら良かった、じゃあ、おやすみ」
わたしはドロテアの手を握り返してから、立ち上がって部屋を出た。おばに話を伝えに行かなくてはならない。ただし、全てを伝えることは出来ないが。
わたしは頭を振って、頭の中を占領しているジェレミア関連の考えごとを振り払おうとした。
――恋人役、恋人役! わたしは他の令嬢と違って彼狙いじゃないしがっついてもないから、きっと話しやすいのよ、それだけだわ。
そう言い聞かせ、わたしは大急ぎでおばのところへ向かうと、相手がアウレリオであることは伏せてドロテアが恋に落ちたことを伝えた。相手が乗り気であることも伏せた。そんなことを言えば、おばが全力で阻止にかかるのは目に見えている。
「そうなの、それで……貴女は相手が誰なのか、どういう方なのかを探ってみると言う訳ね」
「はい。わたしに出来ることなど知れていますけれど……ですので、ドロテアを問いただすのは少し待って下さいませんか」
「仕方ないわね、わかったわ。ああ、そうよ! ジェレミアにもお願いしたら良いのじゃないかしら。あの方の方がそういうことには詳しいでしょうし、それにしても、ジェレミアの貴女を見る目といったら……ああ、ドロテアにも早くそういう方が現れてくれるといいのにねぇ」
頬に手を当てて嘆息したおばに、わたしは「では、今日は疲れたので失礼します」と告げるとそそくさとドロテアのいる部屋に戻る。
今ジェレミアのことはあまり考えたくない。
余計頭が混乱して、そのうち知恵熱でぶっ倒れそうだ。
ただでさえ考えごとは得意じゃないのに。と思ってため息をつく。
ちょっと急ぎ過ぎて失礼だったかな、と思いながら耳をすませると、ドロテアの寝息が聞こえてきた。どうやらもう眠っているようだ。そのことに安堵しつつ、小間使いを呼んで着替えと寝る準備を済ませ、やっと横になる。
頭を枕にのせて目を閉じると、やはり疲れていたのかすぐに眠気が訪れた。
だが、夢の中にやたらとジェレミアが登場してきた。夢の中、綺麗に咲き初めた薔薇園で、彼はわたしに「ついに本当の恋人が見つかった、今までありがとう、これからも良い友人でいて欲しい」と嬉しそうに言うのだ。
わたしは笑いながら彼とその恋人が並ぶさまを眺め「なんて絵になる光景かしら、絵ごころがあれば描きとめておきたいのに」とつぶやく。なのに、目から塩辛い水が出てきたことに気づいて、自分の反応に困惑する。泣くことなど何もないはずなのに……。
場面が移り変わっても、同じようなシーンばかり続く。
結局あまり良く眠れず、疲れは翌日まで残ってしまったのだった。