(7)
ハビエル祭がやって来た。
女性たちは朝から忙しく、私たち男性陣はその様子を見ながらのんびりと自分たちの支度をしていた。身支度に時間がかかるのは大変だなと思いながら、すっきりと晴れた空を見る。
つい先月までのどんよりとした空が嘘のようだ。
そんなことを思いながら玄関ホールで女性陣を待っていると、最初に疲れた顔をしたロレーヌが出てきた。どうやら一番最初に支度をはじめさせられたらしい。しかし、その甲斐あってか、今日の彼女は可愛らしかった。
春らしい淡いグリーンのドレスに、同じ色の花を模した髪飾りを付けている。それでも流石に寒いのか、毛織のストールと外套の前をぎゅっとつかみ、ため息をつく。薄い化粧と相まって、どこか憂いを帯びた表情に見えてきた。
どこか放っておけないその風情に、何かもやもやとしたものを感じる。
――少しやり過ぎじゃないのか? 昼間からあれほど綺麗にすることはないだろう……。
と、思ってから、私は小さく息をついた。
ロレーヌが本来の魅力を発揮するようになることは、私にとっても嬉しいことだ。しかし、今はあまり嬉しくない。その理由ならちゃんとわかっているから、着飾るなと言うつもりはない。
そんな自分の気持ちを持て余していると、ロレーヌがこちらに気づいた。
瞬間、疲れていた顔が一変して笑顔に変わる。
黄金色の瞳が大きく開き、口からは嬉しそうな声が滑り出てきた。
「ジェレミア! もうここに来てたんですか? 中で待っていればいいのに、外はまだ寒いじゃないですか」
化粧など必要ないくらい、頬を上気させて問うてくるロレーヌ。私はその表情を見て、それまでのもやもやが消えていくのを感じた。
「そうだが、ここの方が静かだろう。それに、ここにいたお陰で少しだけ君といられそうだ」
「そ、そうですね……。ええと」
ロレーヌは珍しく口ごもり、何か言いたそうに口を開いたものの、すぐに閉じてしまった。いつもならこちらをじっと見つめてくる二つの目は、それまで私が眺めていた風景の方を向いていた。
「綺麗ですね」
突然ぽつり、と言われて私は少し戸惑った。
「春が、来るんですね」
「そうだな」
言って、もう少しましな返しはなかったのだろうかと思ったが、それ以上が出て来ない。ロレーヌはそんな私の葛藤に気づくことなく、嬉しそうに朝の公爵邸の整えられた庭を眺めている。
その横顔を眺めながら、私はやはり何かを口にすることが出来なかった。
この穏やかで静かな時間を壊したくないと思ったのだ。
だから、しばらくそうして過ごした。
ロレーヌは私に見つめられているのに、あまり動じることなく気持ちよさそうに、思いに耽っているようだった。
私は、珍しくくつろいだ様子の姿をただ見ていた。
そんな静かな時間は、あまり長く続かなかった。玄関ホールが少し騒がしくなり、パオラやルチア、公爵が姿を現した。
彼らと合流し、私はロレーヌを伴って馬車に乗り込む。これから、近くの家々を回り、挨拶をして回るのだ。恒例とは言え、留守の家も多いからすべて回るのは時間がかかる。いつもは少し面倒だと感じるが、今回はロレーヌが一緒だ。
私は乗り込んだロレーヌのすぐ横に納まり、御者に出してくれと告げた。
◆
馬車の中で、ロレーヌは外の様子を珍しそうに眺めながら、不意に言った。
「ジェレミア、わたし……貴方にも皆にもたくさん迷惑をかけたけど、王都に来て良かったと心から思うんです」
驚いて耳を傾けると、彼女はそれまで色々と抱えてきたのだろう思いを訥々と語り始めた。
「わたし、前世では何も出来なかった。夢も持てなかったし、恋も出来なかったんです。でも、ジェレミアと出会えて、こうやって一緒にいられて、これからまだ経験したことのない年齢を生きられるそれだけでも凄いのに、まだ足りないんです」
そこでいったん区切って、息を大きく吸うロレーヌ。
「わたし、どうしても欲しいものがあるんです。もちろん、貴方の迷惑になるようなことではないので、安心してください」
「そうか」
私には、ロレーヌが何を言いたいのかなんとなくわかった。それでも、ひとつだけ、譲れないものがある。
「……私は、君に自分の考えを押し付けるようなことはしたくない。だが、もしそれで君が離れていくようなことになったら……」
「それはありません」
ロレーヌはきっぱりと言った。
「だって、わたし言ったじゃないですか。貴方の顔を、姿をずっと見ていたいって。わたしが一番やりたいことは、一生貴方の側にいること、貴方と家族になることなんですから」
少しだけ恥ずかしげに、それでも金色の瞳には強い決意がある。
「まだはっきりと決まっていないんですけど、もっと、この世界のことについて調べたいな、と思っているんです。叶う範囲で、ですけど、ようするに、何かを成し遂げたいなっと思っているんです。
誇りを持ちたい、生きていると実感したいから」
話し続けるうちに、ロレーヌの瞳が濡れたような輝きを帯び、私は見入ってしまった。この強い生命力を持つ美しい目が、たまらなく好きだ。
「でも、貴方が隣にいないのなら、わたしの人生から色が消えちゃいます。そんなのは嫌ですから。出来る範囲で、です。それ以上は欲張りだと思うから……ジェレミアとの人生の方が、わたしにとっては大切で……!」
言葉を最後まで聞くことは出来なかった。
体が先に動いてしまっていたからだ。




