(4)
「いつも、ロレーヌに変わった菓子や食べ物を作ってくれていると聞いた。だから、会ったら礼を言おうと思っていたんだ。ロレーヌはいつもとても喜んでいるよ、ありがとう」
「……いえ、勝手にやっていることですから。喜ばれているようなら、良かったですよ」
どこかぶっきら棒に答えたマルクは、「それじゃあ」と言って立ち去ろうとした。その背を見て、私はもし自分が彼であったならと考えた。
それは、とても辛い想像だった。
彼のために、何か出来ないかと思ったが、マルクは私の力など恐らく借りたくはないはずだ。それはわかっていた。それでも――。
「もし何か、私に力になれることがあれば言ってくれ」
気づくと私はそう言っていた。
マルクは途端に立ち止まり、胡乱な顔をしてから、やれやれと言いたげに頭を振って、今度は苦虫を噛み潰したような表情になり、言った。
「何ていうか、変わった方ですね。貴方は……」
「そうだろうか?」
「ええ、貴方のような貴族は見たことありません」
マルクはきっぱりと告げてから、小声で「何かムカつく」と呟いた。それが腹立たしいという意味なのはわかったが、それも当然だろうと思って聞かなかったことにする。
「でも、今の言葉で貴方という人が何だかわかった気がします。多分、そうなんじゃないかと思っていましたが、確信しましたよ」
複雑な、諦めと悔しさと、どこか大きな荷物を手放したときのようなすっきりさの入り混じった顔を、私は不思議な気持ちで見た。
マルクは息を吸い込み、真っ直ぐに私の目を見て口を開いた。
「……ロレーヌを、幸せにしてやって下さい。でなければ許しませんよ」
彼の口から出てきたセリフに、私は一瞬呆気に取られる。次いで笑いが込み上げてきた。
何故か、お前の力など要らないと言われたような気もした。事実、そうなのだろう。マルクならば、誰かの手助けなどほとんど要らないだろう。むしろ、彼は誰かの助けになれる側だ。
ならば、言えることはひとつしかない。
「約束しよう」
「絶対ですよ。もし破ったりしたら……」
「そんなことにはならない」
「ですよね、はぁ……良かった。これで、決心つきました」
マルクはいつもの明るい表情になると、唐突にそう言った。私はつい問い返していた。
「決心?」
「ええ、迷ってたんですが、貴方とお話したことで迷いが消えました。話せて良かったですよ……。ジェレミア様、ありがとうございます」
何一つ説明しないまま、マルクは深くお辞儀をして、何のことだと訊ねようとした私を制するように言った。
「それでは、まだ仕事の途中ですので、失礼いたします」
「あ、ああ、すまなかったな?」
戸惑う私をよそに、マルクはきびきびした動きで颯爽と仕事に戻っていく。私は残された疑問を前に、ため息をついた。
「あの男、わざとか?」
どこか消化不良な感覚が残る。これを狙ってやったとしたら、彼の思惑通りになったという訳だ。それとも、わざとでないなら自分のことはどんなことでも教えたくないという意思表示なのだろうか。
「まあ、知らなくても影響はない」
私は自分に強く言い聞かせ、それでも彼と話が出来て良かったと感じていた。
こういう大切なことには、けじめが必要だ。
引きずるのは、好きではない。
「さて、一旦戻ってみるか」
まだ入れてもらえないような気がするが、それならそれでもいい。少しだけ軽くなった気持ちを共に、私は再び歩き出した。
◆
戻ってみると、そこには混沌とした世界が広がっていた。
そんな神話のような出だしで表してみたが、別に壮大な話ではない。かといって、他に例えようもなかったのだが。
私が困惑したまま扉の前で立ち尽くしていると、ロレーヌがにこにこしながら側にやってきた。私は反射的に目を反らした。
心なしか、頬が熱い気がするが、きっと気のせいではない。
「どうですか、これ!」
「いや、に、似合っていると思うが、なぜそんな格好を?」
「仮装パーティの衣裳です」
ロレーヌは嬉しそうに自身の服を示しながら言った。そんな彼女の身にまとうのは、巨大な布一枚を幾重にも重ねたような、シンプルなドレスだった。かつて栄えた古代遺跡などに良く見られる石像が身にまとうようなものだ。質素だが代わりに装飾品が多めで、さながら小さな女神だと思った。
しかし、問題は露出が多いことだ。
私は目のやり場に困りながら訊ねた。
「仮装パーティ?」
「はい、パオラがハビエル祭の後にちょっとした集まりを開かないかと言うので、だったら、仮装パーティはどうですかって言ったら、こうなりました。他にもあるんですよ」
ロレーヌは私の腕を引き、嬉々として女性たちの所へ連れていく。私はパオラとルチアを見て顔を軽く引きつらせた。
それぞれ、普通なら決して着ることはない衣装を身にまとっている。それはいい、だが、微妙に理解しがたい格好なのはどうしてなのだろう。
パオラはなぜか男装しており、手に鞭を持っていた。男装まではわかるが、なぜ軍服なのだろうか。
ルチアはと言うと、いつもより遥かにフリルやレースの多い服装で、異常に似合っている。そのまま黙っていれば完全に人形だ。
ふたりとも、いや、ロレーヌもとても楽しそうで、私は何を言うべきか、一瞬頭を冷やそうと視線をさまよわせた。
その時、部屋の隅にうずくまっている人間に気づく。こちらは普通のドレス姿なのだが、髪が短い。黒と紫を基調とした、大人っぽいドレス姿のその背中を見て、私はもしやと思った。
あの中性的な骨格には見覚えがある。
そのためか、つい口から疑問が零れ落ちてしまった。
「まさか……デニスなのか?」
すると、背中しか見えない人物は大きく震え、さらに頭を抱えて叫んだ。
「っ! こ、来ないで下さい。ジェレミア様、目の毒ですから!」
私はどうしたものか声が喉につっかえて出て来なくなってしまった。
「そんなことないわ、ほら、こっち向いて。デニス凄く美人なんですよ」
「そうよ、わたしの見立てに間違いはないわ。後は髪さえきちんとすれば、中々のものよ」
ふふふ、と妙な笑い声を立てつつ断言するパオラ。
そこへ、ふわふわの童女のような姿のルチアが駆け寄り、笑い掛けながら、いや、爆笑したいのをこらえるような顔で言った。