(83) 未来を想う。
「ありがとう。またお願いできると嬉しいな」
すると、デニスはほっとしたように顔を綻ばせる。そうすると、柔らかさがにじみ出て、全く怖くない。
それに、とわたしはカップの中身を見て思った。
疲れた時に花のお茶を淹れてくれるなんて、やっぱり彼女はちゃんと女性ならではの視点もあるのだ。
強いから忘れがちだけど、なんとなくいつもより親しみを感じてしまう。わたしは思わず笑みを口元に浮かべた。
「デニスがいてくれて、本当に助かるなあ」
ただ思ったことを呟く。
こうしてみると、わたしの周りにいる人たちはみんな凄い人ばかりだと思う。ドーラだって、知らなかったけれど、あのパオラすら認めるセンスがあるし、デニスは頼りがいもあるし気遣いもしてくれる。
もしかしたら、他にも知らないだけで凄いところがあるのかもしれない。そんな人たちに囲まれて、わたしは生きてるんだ。
それって、どれほどの幸運なんだろう。
噛みしめるようにお茶を口に含むと、デニスと目が合う。何やら衝撃を受けたような顔だ。
「どうしたの?」
「はっ、いえ。何でもありません」
そう言ってふいっと横を向く。しかし目元が赤い。どうやら照れているようだ。わたしは「そう」と答えて、静かにお茶を飲む。
正直とても疲れていたが、なんだか結構癒された。
しばらくすると、ちょっと遠慮気味にドーラが戻って来た。だいぶ回復したわたしは、彼女の言う通り、夜用のドレスに身を包むために立ち上がった。
◆
ジェレミアの労わりの言葉と、デニスのくれたお茶のお陰で、ハビエル祭当日まで何とか頑張れたわたしは、馬車の中にいた。
同乗しているのはジェレミアだけだ。
馬車でまで疲れさせまいとしてくれているのか、ふたりきり、という状況になることが凄く多い。
気遣いはありがたいけれど、結局のところ心臓には悪い。
その上近頃の彼は、なんというか、色々と近い。
もちろん近いというのは単純に距離のことである。それだけじゃなく、触れる回数も凄く多くなっている。
色々心労をかけてしまったので、もう少し距離をとって頂きたいのに言うに言えず、耐えている内に慣れるだろうと思っていた。
しかし、やはりというか、案の定と言うか予想通りなかなか慣れない。今だって、ひどく優しげな手つきでわたしの手を握っている。そんなことしなくても逃げないよと思うが、そうされるのが少し嬉しくもあるので、黙っていた。
とは言え、どきどきして大変だ。
わたしは暴れまわる心臓を宥めようと外を見た。
そこには、日々働く人々の姿がある。昔からいる職人たちや、工場などで働く人々もいて、そんな彼ら相手の商売をしている人たちもいた。しかし、今日は皆休みで、表情もどこかやわらかい。
親子の姿も良く見かける。
恐らく、家族で連れ立って教会に行くのだろう。
今日だけは、上も下もなく、ただ季節がまた廻ってきたことを喜び、祈り、穏やかに過ごすのだ。
わたしはじっとその光景を眺めた。
そして、ふっと思い出した。
前世でもこうやって外の風景を眺めていたこと。耳に響く、楽しそうな声。笑顔。それに混じるささやかな諍いの声。真剣に何かを話す顔。それら全てをひっくるめて、わたしは羨ましかった。
目的や、夢、希望をもって生きられるひとの顔を見るのが辛かった。――だって、わたしはそこへは行けなかったから。
そして、この世界へ来て、わたしとは全然違う理由で同じ思いをしている人たちと出会った。
どうにかしたい、と思った。
けれど、ひとりで状況を変えられる力を持っている人なんてごくわずかで、わたしはそのごくわずかには含まれないことを痛感しただけだった。それでも、出来ることはあった。その事実はわたしにとって凄いことだった。
この思いを伝えたくて、わたしは自然と口を開いていた。
「ジェレミア、わたし……貴方にも皆にもたくさん迷惑をかけたけど、王都に来て良かったと心から思うんです」
唐突に話しかけられ、ジェレミアは目を瞬いた。綺麗な形をした目が、疑問を持ったように丸くなっている。わたしはそれを見て、思わずふふっと笑い声を漏らした。
「わたし、前世では何も出来なかった。夢も持てなかったし、恋も出来なかったんです。でも、ジェレミアと出会えて、こうやって一緒にいられて、これからまだ経験したことのない年齢を生きられる。それだけでも凄いのに、まだ足りないんです」
ジェレミアは口を挟まずに黙って聞いてくれている。相槌もないけれど、ちゃんと見てくれているから、わたしは安心して話し続ける。
「わたし、どうしても欲しいものがあるんです。もちろん、貴方の迷惑になるようなことではないので、安心してください」
「……そうか」
ジェレミアはぽつり、とそう言うと、じっとわたしの手を見る。何を考えているのか、わからなかった。それでも、否定される気はしなかった。ただ、受け入れられるとも思えなかった。
わたしはジェレミアが声を発するのをじっと待つ。
「……私は、君に自分の考えを押し付けるようなことはしたくない。だが、もしそれで君が離れていくようなことになったら……」
「それはありません」
どこか不安の色を帯びたジェレミアの声を遮るようにわたしはきっぱりと言った。
「だって、わたし言ったじゃないですか。貴方の顔を、姿をずっと見ていたいって。わたしが一番やりたいことは、一生貴方の側にいること、貴方と家族になることなんですから」
そう、前世では出来なかった恋をした。
ジェレミアがいなければ出来なかった。他の誰でもない、彼だったから好きになった。その上、好きな人と結婚まで約束している。凄いことだ。まだ先だけど、結婚式とか、自分の家族を持つことなど、楽しみなことだって色々ある。
それでも、こんな話をしたのには他にも欲しいものが出来てしまったからだ。
例えば、すぐに思いつくのは、もっと多くの記憶持ちの仲間に会いたい。話をしたい。知りたいのだ、この世界にわたしや彼らが来た理由をもっと。
もちろん、彼らが困っていれば、出来る範囲で助けたい。
「まだはっきりと決まっていないんですけど、もっと、この世界のことについて調べたいな、と思っているんです。叶う範囲で、ですけど、ようするに、何かを成し遂げたいなっと思っているんです。
誇りを持ちたい、生きていると実感したいから」
そう、それこそがわたしの一番欲しいものなのだ。今回、色々な経験をしてわかったことだった。
何かを成そうとしているときのひとの顔。
あんな顔をしてみたい。
「でも、貴方が隣にいないのなら、わたしの人生から色が消えちゃいます。そんなのは嫌ですから。出来る範囲で、です。それ以上は欲張りだと思うから……ジェレミアとの人生の方が、わたしにとっては大切で……!」
言葉は最後まで続けられなかった。
手を引っ張られて、抱きしめられたから。びっくりして何も言えずにいると、耳元で低い声が囁いた。
「好きなようにすればいい。それなら、私も手伝ったって構わない」
「え、いえ、でも……」
そんなのは迷惑だろう、と続けたかったが、先を越された。
「以前の君が得られなかった沢山のことを、私が与えるから。ずっと一緒にいよう」
「は、はい」
当たり前でしょ、とか当然、とか、もちろんと答えたかったけれど、そんな雰囲気ではなくて、わたしはそれらの元気の良い返事は飲み込んだ。
やがて体が離れるが、心臓はまだ早鐘を打っている。
ちらり、目を上げれば穏やかな微笑みがあった。
わたしはふと、その笑みに安心感を覚えて、自分から彼の手を取って横に並んだ。ジェレミアはちょっとびっくりした様子だったけれど、わたしに好きにさせてくれる。
それから、頭を傾けて寄り添ってみた。
ジェレミアは少しだけ身じろぎした。それが何だか嬉しくて、許されているような気がして自然と笑みになってしまう。
相変わらず、心臓の音はうるさい。だと言うのに、凄く落ち着いていられる。居心地がいい。
これからずっと、ここがわたしの居場所になるのだ。
そんな気持ちで目を閉じると、体の片側から伝わる温もりがより鮮明になる。
お腹の底からぽかぽかするような、どことなくむずがゆいような、そんな感覚が満ちて行く。
幸せだ。
わたしは心からそう思った。
了
ここまでお付き合いくださった方々へ、本当にありがとうございます。この回にて、続編は完結です。どういう訳か本編より長くなり、また環境の変化や私自身の体調不良のため、更新も遅くなってしまいました。
途中、色々な間違いがあり、お知らせ下さった方々には心より感謝しています。ありがとうございます。
このお話は、出版の話を頂いた記念に書きました。恋愛については本編でやりたいことは全てやり切っていたので、ここでは主人公の夢や、世界について書いてみようと思いたち、こんな感じになりました。
まさかこのお話まで本にして頂けるとは思わず、驚きましたが、読んで下さった皆様のおかげかなと思っております。
ありがとうございました。
これでお話は終わりましたが、この後イマイチ活躍させられなかったヒーロー視点のちょっとした話を予定しております。もしよろしければそちらもお読みいただければ幸いです。




