(75) 誇っていいの?
「そうだったの。ありがとう、教えてくれて」
勝手に顔がほころんでしまう。
わたしは自分の代わりに役立ってくれた紙束を、何度か撫でた。
この紙束、いや手記が、何もできないと諦めるしかなかったわたしがこの邸に引きこもっている間に、多くのことをしてくれたのだ。そう思うと、何だか愛おしい気すらした。
それからエミーリオに目を向けると、彼は戸惑ったような様子で目を反らした。
「あ、いや。喜んでもらえたならそれで……。えーと、そうだ、この一連の出来事で、殿下だけでなく、陛下も記憶持ちに興味を持って下さったみたいで、もしかしたら、状況はもっと良くなるかもしれないそうです」
「それは、凄いですね」
エミーリオが次々と明かす事実に、わたしはただ驚きっぱなしだ。
とはいえ、みんなの状況が変わるかもしれない、というのは吉報に違いない。
「ええ、俺もびっくりです。殿下は当初、彼らのことをただの犯罪者としか見てませんでした。だから、興味のあった記憶持ちを知るための道具として利用することしか考えてなかったんです。
あの時、ロレーヌ嬢が声を上げなければ、殿下の気持ちが動くこともなかったでしょうし、その手記がなければ扱いもひどいものになっていたかもしれない……やはり、貴女は凄いひとだ」
「え、いやあの……そんなことは」
そんなに褒められたらわたしがわたしじゃないみたいで、全く身の置き所がない。恥ずかしくて、落ち着かなくてつい否定してしまう。
すると、それまで黙っていたパオラが口を開いた。
「……別に謙遜しなくても良いじゃないのロレーヌ」
「え?」
「貴女はそれだけのことをしたの。そこは胸を張るべきだわ。違うかしら?」
そう問われてますます身の縮む思いのするわたしだったが、さらにエミーリオまでパオラに同調する。
「その通り、誇りに思うべきだよ。貴女がいなければ、彼らはもっと辛い思いをしていたはずです」
双方から言われ、わたしはどうしたらいいのかわからなくなった。そもそも、こういう場合、謙遜するべきなんじゃないのか。などと思うが、ふたりからするとどうやら違うらしい。
わたしはぐるぐる考えた挙句、ひとこと言った。
「あの、ありがとうございます」
すると、パオラとエミーリオは微妙な笑みでわたしを眺めてから、残念そうにため息をついた。
いやいや、だって他に言葉が見つからないのだ。今まで誰かにそんなこと言われたことがないのである。
「まあ、ロレーヌらしいと言えばらしいかしら」
「その控えめなところもまたそそるんですよね。それでいて殿下に見せたような大胆なところもあって……そこがいい」
お互い似たような、それでいて微妙に違う意見を述べてくる。
確かに自己主張は苦手なので別にいいのだが、エミーリオのは聞いていて辛い。こっそり口説き文句を呟かないで欲しい。
などと思っていると、パオラも同じことを思ったのか、眉間に深いしわを寄せる。
「カルデラーラ中佐、わたしの義妹にふしだらなことをしたらただじゃ済みませんわよ」
「おや、ひとり言でしたが聞こえてましたか。これは失礼。ですが、俺はただそう思っただけですよ?」
「あらそう。ならいいけど、ではもう要件はお済みかしら?」
言外に帰れ、と言われたエミーリオは心の底から残念そうな様子で頷いた。ため息までついて立ち上がり、わたしを見た。
「本音を言うともう少しお邪魔したいのですが、俺も忙しいので、今日のところはこれで失礼しますよ。そうそう、是非に兵舎に来てください。殿下だけじゃなく、俺も待ってますから」
エミーリオはそう言うと、わたしに向かって片目を閉じて見せる。あまりに様になっているので、思わず凝視。改めて、もうしつこいくらい思うけど、この男も本当にイケメンだ。
「でしたら、わたしも一緒に訪問させていただくわ。ロレーヌひとりじゃ心配だもの。男だらけの場所に付き添いなしで行かせられないし、そうだわ、ジェレミアも連れて行こうかしら。構わないわよね、中佐?」
「え、ええ、構いませんとも」
パオラに満面の笑みで問われ、エミーリオは若干引きつる。あの様子だと、何やらよからぬことを企んでいたようだ。わたしはパオラに心の中で感謝しつつ、近いうちにみんなと会えたらいいなと思った。
それから、気を取り直したのか、遊び人らしい表情から軍人らしい表情へ戻ったエミーリオが言った。
「それじゃあ、また」
「あ、はい」
返事をすると、それまでの名残惜しげな様子は消え、きびきびした動作で部屋を出ていく。わたしは少し迷ってから立ち上がった。
「どこへ行くの?」
「一応、お見送りしてきます。知りたかったことを教えてもらえましたし……これも持ってきてくれたから」
「そう。行ってらっしゃい。でも外へ出ちゃだめよ。それからわたしは部屋に戻るから、済んだらいらっしゃいね」
「わかりました」
パオラの言葉に頷いて、わたしはエミーリオを見送るために部屋を出る。もうだいぶ先まで行ってしまっていて、結局小走りで追いかける羽目になってしまった。
少しすると、わたしが追いかけてきていることに気づいたエミーリオが驚いた様子で立ち止まった。
「どうしたんです?」
「お見送りに来ました。それと、もう一度ちゃんとお礼を言っておきたくて」
「そんなのいいのに」
エミーリオはそう言いつつも嬉しそうに笑う。そうしていると普通のイケメン青年に見えるのが不思議だ。
「わたしがしたいからするんです。気にしないで下さい」
「わかりました」
彼はそう言うと歩き出す。ただし、歩みはかなりゆっくりだ。わたしに気を使っているのか、それとも別の意味があるのかは考えないことにした。
しばらく無言で進む。
わたしは横目でエミーリオを見た。
ふと、彼が兄であるアウレリオを見たときの目を思い出したからだ。そこに浮かんだものは、わたしにもなじみの感情だったのだが、こうして見ているとそんな感情とは無縁のように思える。
そうやってじっ、と視線を注いでいると、エミーリオが居心地悪そうに顔を反らしてしまった。




