(73) 招かれざる訪問者
「えーと、それで、お客様って誰?」
すると、ドーラはただでさえ険しかった顔をより嫌そうに歪めてその名を口にした。
「カルデラーラ中佐ですよ。あの犯罪者」
行儀の悪い人間なら、ぺっと唾を吐きそうな顔でドーラは言った。まるで名前を口にするのも汚らわしいといいたげだ。
もっとも、わたしだってその名前は聞きたくなかった。何の因果か記憶持ちたちに捕らわれていた時に再会し、再度告白までされてしまった。
まあ、そのせいで彼の持つ魅力については良く理解できたが、それだけだ。
とは言え、身分は高いし、仕事はちゃんとしているようだし、振る舞いもきちんとしている。
あの時とは別人のようだ。
何より、向こうが礼節を守るのならば、無下にする理由はない。全くない。遺憾なことにだが。
しかし、わたしには引っ掛かることがひとつあった。
この公爵邸の女主人であるパオラのことだ。彼女は今日、この邸から出ていないし、今もいるはずである。何せ、この後夜の着替えのときまでにわたしのドレスを少しアレンジするから、とお針子と一緒にやって来て、ドーラと話し、何着か持ち去っていったからだ。
と言うことは、このことはパオラも知っているはず。
「……彼、もうここにいるの?」
「ええ、図々しいことに、応接室におりますよ」
「良くレディ・パオラが許したわね」
わたしが言うと、ドーラはそこでようやく険しい顔から思案顔になって「ですよねえ」と言った。
「しかも、レディ・アストルガ自ら応接室へ案内したんですよ。信じられます? 何かお考えでもあるんでしょうか」
――パオラが自ら、案内?
それにはわたしも流石に驚いてしまう。
一体、なぜそんな事態になったのだろうか。考えられるとしたら、私用ではなく上官から何か頼まれたとかだろうか。
もし私用だったら、早々に叩き出されていそうである。
それ以外で考えられるのは、パオラに何か考えがあった場合くらいだ。もしかしたら、今回の事件の当事者であるエミーリオに聞きたいことでもあったのかもしれない。
などと、色々な憶測を浮かべてみるが、結局は本人たちに会うのが一番手っ取り早そうだ。
本音を言えばジェレミアがいないことだけが気がかりだけれど、ここにはパオラもデニスもいる。
それに、エミーリオならもしかしたら、記憶持ちのみんながどうなったのか知っているかもしれない。
確か、彼はあの事件を追わされていたと言っていたはず。
それなら、今も何かしらの形で関わっている可能性だって捨てきれない。何しろ、彼の上官とおぼしき「高貴なお方」は、記憶持ちのみんなに興味を持っているというのである。
実のところ、ここしばらくそれがずっと気がかりだったのだ。けれど、さんざん迷惑を掛けた手前、ジェレミアやパオラに言うにも言えず、どうしたら良いだろうかと考えていたのだ。
これはまたとない機会。
エミーリオに会うのは気が進まないが、そう思えば大したことじゃない。
そう思ってデニスを見れば、非常に険しい顔をしている。ここのところ穏やかな笑みばかり見ていたからか、プロフェッショナルなスイッチの入った彼女を久しぶりに見るとやっぱりちょっと怖い。
まあ、そのうち慣れるからいいんだけど。
何はともあれ、いつまでもここでじっとしていても仕方がない。
わたしは「よし」と心の中で言うと立ち上がった。
「とにかく行ってみる。デニー、ついて来て」
「はっ、かしこまりました」
デニスはすぐに返事をし、きびきびした動きで扉へ向かう。それに続いたわたしに、ドーラが少し心配そうに言った。
「ロレーヌ様、お嫌でしたら無理に行かなくても……」
「大丈夫。もうそんなに怖くないから、デニスもいるし、パオラだっているんだもの」
実際、以前ほどエミーリオに対しての恐怖はない。
恐らく、今回それより怖い目にあったからなのではなかろうか、とわたしは思っていた。
「でも、お嫌ならお早目にお戻りくださいね」
「わかった。あ、そうだ、このこと……出来ればルチアには黙ってて欲しいの。パオラにもお願いするけど、ほら、なんというか、色々とアレだから」
愛しのエミーリオが来ているなどと知れたら大変だ。もう伝わってしまっているなら仕方ないが、そうでないなら知って欲しくない。
「ああ、ハイ、ルチア様の小間使いと話してみます」
「お願いね」
そう告げて、わたしは扉を開けて待っていてくれたデニスと共に応接室へ向かったのだった。
◆
応接室の扉をノックする。すぐにパオラから「どうぞ」と返事が来て、わたしはデニスが開けてくれた扉から部屋に入る。
まず感じたのは非常にぴりぴりした空気だった。
――は、入りにくい……。
とはいえ、躊躇っていても変に思われるような気がし、わたしはなるようになれ、という気持ちで一歩を踏み出す。そのままふたりの側まで行くと、パオラと目が合う。
「来たわね、そこに掛けてちょうだい」
「あ、はい」
エミーリオに挨拶しようと思ったのだが、パオラが言うのでおとなしく従う。それから、おずおずと客人に目を向けた。
相変わらず考えの読めない笑みを浮かべたエミーリオは、わたしを見ながら会釈した。
「いらして頂けて嬉しいですよ。断られるかと思った」
「……そんな失礼なことはしませんよ」
朗らかに何を言うかと思えばそんなことを言うので、わたしはため息交じりにそう返す。
「本当に?」
「本当ですよ」
「なら、たまに会いに来たり手紙を出しても構いませんか?」
唐突に言われ、わたしは困惑した。それもものすごく。
だから思わず言っていた。
「……なぜ?」
「なぜって、会いたいし、手紙をやり取りしたいからですよ。以前から言っているじゃないですか。俺は貴女に興味がある」
いや、ちっとも理解できないんですけど。わたしは疑いの眼でエミーリオを見た。しかし、鉄壁の謎めいた笑顔にヒビが入ることはなく、彼は愉快そうに目を細めただけだ。
わたしはどう返事したものかわからなくなり、部屋に沈黙が流れる。それを破ったのは大きなため息だった。




